デビュー・オブ・ダンディ 01
なんで私がこんな目に――。
激しく揺れるバンに振り回されながら、マリーはそんなことを考えていた。
車のハンドルが乱暴に切られるたびに体のあちこちが荷台に打ち付けられる。せめて頭だけでもかばいたかったが、手足を縛られ、イモムシのように転がされている状況ではそれすらもままならない。
――とくに自分が悪いことをしたわけではないはずだ。ミネラルウォーターのボトルを分別して捨てなかったり、職場仲間と「ウチのハゲ上司ってウザいよねー」などと愚痴り合ったりしたが、その程度だ。胸を張って清く正しい人間です、と言えるわけではないが、それでも善良な一般市民として今まで生きてきたつもりだ。
なのにどうしてこんなことになってしまったんだろう?
せっかくの週末、いつも仕事で頑張っている自分へのご褒美を気取ってちょっと贅沢な夕食でも摂ろうと、銀行へお金を引き下ろしに行ったのがいけなかったのだろうか?
「けっ! ポリ公どもが! しつけぇんだよ!!」
同じバンに乗っている五人組の男たちの一人が手にしたサブマシンガンを乱射しながら叫んだ。パララララ、という軽快な音と共に九ミリ弾がばら撒かれる。
男たちの年齢や顔つきはわからない。全員が全員、覆面や黒い目出し帽で顔を隠しているからだ。
彼らと、どこにでもいるような平凡なOLであるマリーとの出会いはつい三十分ほど前。このミリオンタイムズ・シティにあるドーフィン銀行でだ。
マリーがささやかな贅沢のために窓口で預金の引き下ろし手続きをしていたところに、全身黒づくめで武装した彼らが乱入してきたのだ。
男たちはこの時のためにずいぶんと念入りに準備してきたらしく、立ち塞がろうとする警備員を散弾銃で吹き飛ばし、通報しようとする職員を容赦なく撃ち殺し、分厚い金庫室の壁を火炎放射器のようにバカでかい溶断機で焼き切り、厳重なコンピュータセキュリティを突破して電子ロックをこじ開け、実に鮮やかに金庫の中身をかっさらった。
そして逃走の際の人質として、床にへたり込んでガタガタと震えていたマリーを引っ立てると、バンの荷台に放り込んだのだ。
その結果、マリーは猿轡を噛まされ、後ろ手に縛られ、目を真っ赤にして涙と鼻水をみっともなく垂れ流しながら、銀行強盗たちと警察とのカーチェイスに強制参加させられている。
彼女の目の前には開け放たれたバンの後部ハッチ。そしてその先にはパトカーの一団。
銃弾にボンネットを穴だらけにされ、フロントガラスを割られても、ハイウェイを逃走する強盗たちにサイレンをかき鳴らしながら追いすがってくるパトカーはマリーにとって救いの象徴だ。
しかし――。
「ドルーピー!!」
「わかってる! これでもくらいな!! クソどもが!!」
その救いの象徴はサンルーフから乗り出した男の罵声と共に発射された携行ミサイルによって木っ端微塵に粉砕された。
ミサイルの命中した車両は爆炎を上げながら紙切れか何かのように宙を舞い――、続くパトカーはそれを躱そうとしたが、ハンドル操作を失い、横滑りしてひっくり返り――、続く一台のパトカーはそれにぶつかり、衝撃で空中で二回転してから天地無用の状態で着地をした。
そして後続のパトカーたちは急ブレーキをかけ、間に合わず、次々と玉突き事故を起こし、追跡劇から脱落していった。
つまりは壊滅だ。
「イヤーーッフゥゥゥーーーッ!!」
そのままの勢いをかって強盗たちは、彼らを上空から追跡する警察へリにもミサイルを撃ち込んだ。
咄嗟のことに対処できず――わかっていたとしても対処できたかどうかは疑問だったが――まず三機のヘリコプターのうち一機がなすすべもなく被弾。爆発炎上した。
そしてその場から慌てて離脱しようとする残りのヘリにも強盗たちは容赦なくランチャーを向ける。
逃げる背中から撃たれ、さらに一機が空中爆散した。
「ざまあみやがれ、ファッキンポリ公!!」
「俺たちの邪魔をするからそうなるんだぜ、ビチグソども!!」
「イェア! 病気持ちのフニャチンどもは大人しく家でママをオカズにセンズリでもコイてるんだな!!」
這う這うの体で逃げ去っていく最後の一機に向かって中指を立て、強盗たちはゲラゲラと笑いながら、下品な凱歌を上げる。
そんな彼らの姿とは対照的にマリーはただただ泣いていた。
助けて、死にたくない。やだ、やだ。そんな言葉だけが頭の中を駆け巡る。
マリーもアクション映画やドラマなんかでこの手のシーンは何度も見てきた。『サンダーボルト』や『ホット・ロック』、『ザ・タウン』……。こんなシーンはむしろ好きな部類に入るくらいだ。――だった。
だがそれは自分に関係のない、空想、作り物、遠い世界の話だからで、こうしていざ自分が当事者になってみると「怖い」という感情だけしか浮かばない。
マリーはもう二度と銀行強盗のシーンが出てくる映画なんて見るものか、と決意した。――また映画そのものを見る機会があればいいのだが。
「ふう――」
開けていた後部ハッチを閉め、リーダー格と思われる男が目出し帽を脱いだ。髪を短く刈り込んだ四十過ぎの白人男だ。
彼は「やれやれ」といった調子で息をついた。そしてタバコを咥えると、バンの助手席で携帯端末のコンピュータと格闘している男に話しかける。
「で、ジェリー、首尾は?」
「もう少しだよ、バグズ。……っと、警察の通信網に介入した。絶賛混乱中だし、偽の情報も流しておいた。しばらくはこっちに来ないだろうね」
「よし、よくやった」
「どうも。ところで僕にもタバコをくれないかな」
「ほらよ」
バグズと呼ばれた男は助手席の男にタバコを渡しながら、いまだに荷台に転がされているマリーに目を向けた。そしてニカッと笑う。
「やあ、すまないね。わざわざ協力してもらっちゃって」
バグズはごくごくリラックスした声で、彼女の目の前に屈み込みながら話しかけた。
だがマリーは何も答えられない。猿轡をされているせいもあるが、それ以上に恐怖で何も考えられないのだ。
そんなマリーの様子を汲み取ったのかバグズは言葉を続ける。
「そんなに脅えなくてもいいじゃないか。このまましばらく大人しくしてくれて、全部が終わった後も誰にも何も話さないって約束してくれれば、家に帰してやってもいいんだ」
バグズの言葉にマリーが反応した。
無事に家に帰ることができるかもしれない。
幽かな希望が彼女に生きる希望を与える。
だけど――。
幽かな希望でほんの少し冷静さを取り戻した頭の片隅で、もう一人のマリーが皮肉気に語りかけた。
それは嘘だ――と。
私の目の前で彼は顔を隠そうともしていないじゃない。私にバレたって構わないのよ。どうせ殺すから。
殺してしまった方が確実に秘密は守れるし、手間もかからないじゃない。きっと彼らは私を殺すわ。だというのに浮かれてしまって、私ったらご愁傷様――と。
「む~っ、む~っ!」
猿轡のせいでロクに話すことができないが、必死に「殺さないで」と訴える。
誰にも言わないから。お願い。死にたくない。
要領を得ないモゴモゴという唸り声だったが、奇跡的に相手にも通じたらしい。バグズは同情たっぷりに芝居がかった相槌を打った。
「そうだよな。誰だって死にたくないよな。お嬢さんの気持ちはよくわかるよ。俺だってそうさ。よぉっくわかる。誰にも言わないって約束してくれるんだよな。いやいや、ありがたい――」
コクコクとマリーは壊れたおもちゃか何かのようにうなずいた。
もしかしたら、という想い。
そんなマリーをバグズは口の端を引くようにして笑いながら見下ろした。周囲の男たちも似たり寄ったりだ。みんな含みのある笑みを浮かべている。
「――ありがたい、ん、だ、け、れ、ど、も。……お嬢さんが俺たちから離れた開放感から心変わりしてしまうかもしれない。そうでなくとも、ふとした何気ないような会話から俺たちのことを漏らしてしまうかもしれない。お嬢さんのことを信じてやりたいんだけれども、さっき出会ったばかりの相手のことをそこまで信じるのも……な」
「世の中、善人ばかりってわけじゃないしな。俺たちがいい例だ」
バグズの言葉を引き継いで、男たちの一人がおどけた調子で言った。それを受けて彼らは声を出して笑いあう。
バグズも苦笑しながら、マリーに続けた。
「もっとお互いのことをわかりあおうにも、そんな時間もないしな。ま、というわけでさ……」
そこまで言うとバグズは腰のホルスターから拳銃を引き抜き、マリーの額へと突き付けた。
――殺さないで。
すすり泣きながらマリーは真っ赤になった眼だけで懇願したが、その頼みは聞き入れられない。
「ダメダメダメダメ。いったい俺たちがどれだけの時間と金を今日のためにかけてきたのかわかる? もし全部おじゃんになってしまったらどう責任とってくれるんだ? ま、お気の毒だけど運がなかったとでも諦めて――」
――助けて。
マリーは思いつく限りのありとあらゆる存在に祈った。
神様。パパ、ママ。親友のジェシカ。そして――安いペーパーバックに出てくるようなヒーロー。
誰か。助けて。誰でもいい。助けて。