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シュレディンガーの猫たち(仮)  作者: レイ
第一章 es gibt Keine HilfesMethode.
7/11

KHM.7

 最初にハンスが、続いて赤頭巾、チルチルが目を覚ましたという。

 誰も此処へ来た経緯を知らず、心当たりもない。


 途方に暮れていたところに、廊下で物音がした。


 何か重量のある物を落とすような低く響いた、一回こっきりの音。だから大して気にもしなかった。否。気にしないようにしていた。

 そうして、怖ず怖ずと部屋の探索を始めた頃に再び、あの音がした。うんと近くなっていた。

 不可解に感じたチルチルが少しばかり扉を開いて、外を確認した。誰もおらず、何も無い。変哲の無いただの廊下がそこにはあった。


 やはり気のせいだったのだ。部屋の探索を再開する。遊戯室(ビリヤードルーム)は勿論、隣室たる喫煙室(シガールーム)も確認したが、誰もいなかった。


 そのときーー。


 廊下で凄まじい音がした。

 あらゆる物が倒れ、砕け、割れる音。その中に消え入るような小さな足音が走り抜けていくのをチルチルは聞き逃さなかった。ハンスも赤頭巾も耳にしていた。


 慌てて廊下を確認する。

 そして、愕然とした。


 扉のすぐ両脇には衛兵のような一対の石像が直立し、廊下には足の踏み場も無いほど薄片が散乱していた。その凄惨な事態に言葉を失いつつも、チルチルはすぐさま次の行動に出た。二人に部屋に留まっているよう告げると廊下へと飛び出したのだ。あの時聞こえた足音が元凶であると信じて疑わず、問い質すべきだと本能的に感じていた。


 チルチルの言葉を振り切って、躊躇うことなく赤頭巾がその後を追った。ハンスも続いた。一人で残されたら溜まったものではない。


 しかし。足音の主が見つかることは決してなかった。


 そうして、仕方なしに戻ってきたらアリス達がいた、という訳だ。

「……おおよそ、そこの嬢ちゃんの足音だったのかもしれないな」

 チルチルはそう締めくくって、苦笑した。


 傍目でグレーテルを捉える。もはやハンスからは興味を失したのか、備えられた卓上遊戯(ボードゲーム)の駒を握っては、一人で配置して楽しんでいる。馬の鳴き声を真似ながら騎士(ナイト)が盤上を突っ切る。自陣の女王(クイーン)を横切って敵陣に切り込み、邪悪な女王(クイーン)を狩る。騎士グレーテルの独壇場だ。


「暢気なチビちゃんでやんすなぁ……」


 その様子に呆れたと言わんばかりに漏らしたのは解放されて一安心した様子のハンスだった。

 痩せこけて窪んだ顔の真ん中で、ぎょろりとした目は鈍色の光を宿し、伸びきったままの長い爪を落ち着きなく弄んでいる。

 豪胆の限りを尽くすグレーテルに心中で溜息を吐く。言葉はないが、誰もがハンスに同意していた。


「何はともあれ、探し人が見つかって良かったな」


 向き直って、チルチルが言う。

 朗らかな笑みが現状を一瞬だけ忘れさせてくれた。


「シンデレラのところへ戻ろうと思います。良かったら一緒に」


 チルチルは首肯した。

「それが妥当だな。仲間は多いに越した事はない。……ハンスと赤頭巾はどうする?」

「こんな気味悪いところからさっさと出られればおいらは何でもいいでやんす。もう懲り懲りでぇ……。嬢ちゃんは?」


 ぽりぽり、と頬を長い爪で掻きながら、ハンスは眼差しを赤頭巾へと向ける。

 すると、彼女は大袈裟なまでに身体をびくつかせて、視線から逃れるようにチルチルの背後へと身を隠してしまった。見る限り、ハンスを恐がって、というよりはチルチルに心を許していると解するのが自然だろうか。

 戦々恐々と赤頭巾が顔を覗かせ、チルチルを見上げる。次いで、アリスへ視線を向けると、小さく、ほんの微かに首を縦に振った。

 これで満場一致だ。


 アリスはやおら立ち上がり、グレーテルの名を呼ぶ。

 盤上にあった駒はその殆ど弾かれ、歩兵(ポーン)が一人、黒の(キング)を死守している。対するは白き女王(クイーン)と進み出る一対の騎士(ナイト)。もはや、そこにあるべき秩序はない。騎士グレーテルが颯爽と歩兵(ポーン)を撥ね除け、暗黒の(キング)を倒して、王手(チェックメイト)


 満足したように果敢なる騎士は振り向いた。

「どうしたの、アリス? ねぇねぇ!」


 爛々と目を輝かせるグレーテルはともすれば年相応と思える素振りだが、如何せん状況が状況だけに、そうとは受け取れず、アリスは子供の無邪気さというものに末恐ろしささえ感じた。


「グレーテル、シンデレラのところに戻ろう? ヘンゼルも心配してる」

「えー」

 ぷう、とグレーテルが頬を膨らませた。


「やだやだー! つまんない!」

「そう思ってるのはチビちゃんだけでやんす!」


 アリスに代わって、意趣返しと云わんばかりにハンスが反撃する。チルチルが間に入るが、時すでに遅し。王を討ち取ったばかりの騎士は、興醒めさせられ酷く立腹していた。


「チビじゃないもん! 臆病者に言われたくない!」

「お、おいらは臆病じゃないっすよ! そんなこと言う悪い子にはお化けが寄ってくるでやんす!」

「お化けなんかいないもん! そんなの恐がるのはハンスだけだもん!」


 幼子ばりの口げんかにチルチルがお手上げとばかりに溜息を吐いた。助けを求めて視線を寄越すが、生憎としてアリスにも手立てがない。チェシャに至っては眼中にすら入れていない。その間にも二人の喧嘩は売り言葉に買い言葉。泥沼にはまっていくばかりだ。


 そんな中で何か思い付いたのか、赤頭巾がチルチルの服を引っ張り、耳打ちをする。おお、と言葉を溢した彼の意を察して、アリスはグレーテルを呼んだ。


「嬢ちゃん、俺たちと一緒に“冒険”をしよう」

「冒険?」

 食い付いた。しめた、とチルチルが口角を釣り上げる。

「そう、シンデレラと兄ちゃんのところまで辿り着くための冒険。どうだ? 面白そうだろ?」


 ただの子供騙し。それでもグレーテルには十分な効果があった。

 大きく頷くと椅子から飛び降り、俊敏に扉へと駆ける。待ちきれないと云ったてい取っ手(ドアノブ)へ手を伸ばす。


「早く早く! あっち行こっ!」


 そう言って指し示したのは、アリスが辿った経路とは丸っきり反対側。冒険と云うからには未知が付き物ということか。


「いや、あっちはーー」


 それを認めたチルチルが何かを言いかけた時にはもう、グレーテルは扉の向こうへと消えていた。


「あ、人の言うことは最後まで聞くでやんす!!」


 追随してハンスまで飛び出していく。おいおい、とチルチルは幾度溢したか知れぬ溜息を吐いた。


「あの先に何か……?」

「あー。……いや、大したことじゃない。気にしないでくれ。ともかく二人を追おう」


 その応対に腑に落ちない部分も残ったが、アリスは首肯した。忙しなく立ち上がり、「お互い苦労するな」と苦笑いをしたチルチルの言葉を残して、四人は遊戯室(ビリヤードルーム)を後にした。

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