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時計屋  作者: 悪質
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とある峠の道の駅

晩秋の夜明けは山霧が深くなる。朝霧たなびく、とある峠の道の駅。そこで偶然にも居合わせた三人の行商人が、濃霧に立ち往生していた。駅前の長椅子で腰を下ろし、霧を眺めているが、一向に晴れそうにないのだ。

「しかし退屈な地だ」と愚痴をこぼしたのは『薬酒屋』と名乗る男。身の丈半分ほどの樽を長椅子の前に置いていた。樽の中身は仙人が酒造した、万病を治すとの触れ込みの薬酒だ。

「こうも駅がシケていると、売れるものも売れん」

「物を売るだけが旅の趣じゃないさ」

「あいにくさま、本気で商人やってる俺にとって、利益がない事は不毛だ」

「ふふ、分かってないねぇ」

薬酒屋と対する彼は『言葉屋』。上物の着物を纏い、巻物と筆を懐から覗かせる初老の男だ。まだ見ぬ言葉を探して旅をしているのだという。旅費は歌や小説や辞典を作って売ったりして賄っているそうだ。

「ここは風流人たちが皆、立ち止まって歌を詠んだ地。なんでもここは妖狐が治める峠だとか」

「妖狐だって?」薬酒屋はおうむ返し。

「妖狐さ。山霞で道を失っても、狐が人に化けて、この駅へ導いてくれるんだそうな」

「ははは」薬酒屋が小馬鹿にして笑った。

「酒の肴にもならん話だな。言葉屋ってのはそんなようなもんが売り物か」

そう言いつつも、薬酒屋は腰に下げた小さい水筒を開けてぐびぐびと喉へ流し込む。その間を惜しんだ言葉屋が、相席するもう一人の商人に声をかけた。

「お前さんも商人かい?」

「『時計屋』だよ。時計を売ったり、修理したりしてる」

その商人は齢二十歳前後。長い黒髪を束ねた中肉中背の女性だった。腰から提げた巾着袋には、時計の修理で使うらしき金属器具が入っている。

「時計……日時計ではないのか。どんなものなんだい?」

「ずっと西の方の国から伝わってきた道具でね。自動で動くの」

「ほう、詳しく知りたいね」と興味津々の言葉屋。薬酒屋もその話を聞くや否や、水筒の栓を閉めるのも忘れて食いついた。

「おい姉ちゃん、その"トケイ"ってやつ見せてくれよ」

時計屋は少しばかり不本意そうに眉をひそめたが、いい年の男が二人、目を輝かせているので引くに引けなかった。

「これは売り物じゃないけど……」と胸元から、銅製の懐中時計を取り出して見せる。

「これが時計ね。文字盤と三つの針で時間を表してる」

硝子越しにローマ数字の文字盤の上で、かち、かち、かちと秒針が小さく音を立てて動いている。内部で複数の歯車が噛み合っているようで、分針、時針が一定の周期で回っていた。

「ゼンマイ仕掛けか? こりゃまた奇天烈な道具だねぇ」と言葉屋。

「文字読めないし、一体何に使うんだ」と薬酒屋。

「だから、時間を見るために」と時計屋はぶっきらぼうに言う。

「くくく」それを聞いた薬酒屋が含み笑った。

「商売下手ばかりだ。売り物から間違ってやがる」薬酒屋は興味を喪失した様子で、また水筒に吸い付いた。時計屋は薬酒屋に鋭い睨みを効かせるも、薬酒屋は顔を赤くして笑うのみ。どうやら酔っているようだ。彼の水筒の中身は酒だったらしい。

「時計屋さん、尋ねたいんじゃが」

「なによ」

「……本当にそれだけなのかい」

「へ、何のこと」

「その時計は、本当に時間を知るだけのものかい?」

「なんでそんなこと聞くのさ」

「私にはそうは見えない。なんだか、異質の匂いがするんだよ」

「…………至って普通のものだよ」 時計屋は少し逡巡して答えた。

「そうか、早とちりだ。忘れてくれ」

そうして会話が途切れ、沈黙が続くと、薬酒屋は酔い潰れて長椅子で寝てしまった。その上にいびきが五月蝿(うるさ)く、時計屋は苛立っていた。日が高くなるにつれて霧もようやく晴れてきて、ここぞとばかりに席を立つ。

「私はお先に出るよ」

「お前さんも『水都(みずのみやこ)』へ行くんだろう? 山を下りるまでは、女身一つじゃ少し危険ではないかね」

「自分の身も守れないのに、行商なんてしてないよ」

「そうかい。それなら気をつけて。またあちらで会えるといいね」

「そうね」と時計屋は短く、あっさり別れを告げた。薄く残った秋の靄が、彼女の姿を隠すのは少し時間がかかるだろう。

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