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第07話 1人目の願い 剣と魔法の世界(07)

更新の間隔が空いてしまいました。お待ち頂いた方々には大変申し訳ありません。


年末はプチデスマーチに突入した関係上、単純に書く時間が作れませんでしたが取りあえず落ち着きました。更新速度を戻せそうです。

今後もしばしば更新が遅れることはあるかと思いますが、気長にお付き合い頂けるとありがたいです。


それでは、今回のお話も少しでも読んで下さった方々に楽しんで頂ければ幸いです。

 


 ラスボスの顔をしたはぐれメタル。

 ある親しい友人は、私のことをよくそんな風に称していた。


 ラスボス云々はともかく、『はぐれメタルスラ○ム』という種族の生き方には尊敬の念を感じて止まない私にとって、そう呼ばれることはある種の誉れである。


 どうしても何かと戦わなければならない場面というのは、確かにある。

 だが逆を言えば、本当は戦わなくてもいい状況というのも少なくないのだ。


 実際に逃げ切れるかどうかはともかく、前提として闘争ではなく逃走を優先するスタンスはとても正しいことだと思っている。

 少なくとも私という人間の『勝利条件』と『敗北条件』で考えた場合、戦った時点で『敗北』となり、逃げ切った時点で『勝利』となることも多いのである。


 逃げるが勝ち、私の座右の銘の一つだ。


 ――そういった意味で言えば、この状況は既に私にとって敗北に等しい。


「俺もぼちぼち全力でいくが、お前もさっさと俺を殺す気でこいよ」


 ゆっくりと大剣を構えながら、獰猛に言い放つ戦闘狂――バウト=カチェット。学生の頃に繁華街で絡んできた不良たちが、可愛く思えるほどの恐ろしさである。

 恐さの質がまるで違う。不良たちが向けてきたのが『悪意』であるならば、戦闘民族が私に対して放っているのは『殺意』だ。

 この男を相手に最初の全力疾走で逃げ切れなかった時点で――面と向かい合い殺し合う構図となってしまった時点で、私の敗北=私の死はほぼ確定していると言ってよいだろう。


 うん、逃げたい。


 ……逃げたいが、逃げ損なった以上『逃げ続けること』を選択する訳にもいかない。


 もし私がただの人間であり、今のこの体と同等の身体能力を持っていたならば迷うことなく魔術学園都市フェルトを目指し走り続けたことだろう。

 バウトの移動速度は確かに人外の域であったが、今の私はそれを上回っている。

 逃げ足で勝る以上、バウトに対する抑止力が働く土地まで逃げ切ることこそが私にとっての最善手なのだ。

 感覚的には、不良にからまれて交番まで走って逃げるのに近い。


 だが、今の私はランプの魔人である。

 私にとっての『心臓』は己の胸にあるもの一つではない。契約者であるガルゼを死なせることもまた、この身の心臓を潰されることに等しいのである。

 仮に私がこの森を脱し街まで逃げ切ったとして、ガルゼはどうなる?

 一昼夜をかけて走り切ったとして、その間『魔物の森』に残されたあの青年はどうなる?

 トロールの反乱という特大級の危険が潜むこの森で、ガルゼとメリルちゃんを放り出して逃げの一手を打てるほど、私は豪胆な性格ではなかった。

 必然的に『決着』は急がなければならない。


 だから私は、逃げることを止めこの男と対峙することを選んだ。

 選ばざるを、得なかった。


 まともに戦えば恐らく殺される。

 逃げ続けても、ガルゼが死ねば私も滅ぶ。


 まあ、端的に言って『詰んでいる』状況だ。


 ――だから、その『確定した敗北』を覆すために私はこの毒沼を戦場に選んだ。


 この場所の特性、そして『もう一つの切り札』が有効に作用したところで、眼前の怪物が相手では100%の勝利など望めない。

 だが、勝率がどれだけ低かろうとそれに賭けざるを得ないのもまた事実だ。そして、バウトという脅威を早急に排除する方法が他に思いつかない以上、私は是が非でもこの賭けに勝たなければならない。


「でなきゃ――死ぬぜ」


 その言葉と同時に、鋼鉄の鞘を外し本当の刀身を現したバウトの大剣が振られる。

 

 50メートル近く離れた間合いを考えると当たる訳もない、無意味な素振りであ――ヤバい。死ぬぞ、これ。

 最強の肉体の鋭敏な皮膚感覚と、はぐれメタルの逃走本能が全力で警鐘を鳴らした。訳も分らぬまま咄嗟に身を伏せる。

 次の瞬間、自分の頭上を『何か』が通り過ぎるのを感じた。だが私はそこで動きを止めずにさらに身を捻ることを選択する。

 二つ目の『死』が近づいてきていることを感じ取ったからである。

 ――くそがっ。

 内心悪態をつきながら、二度目の不可視の『何か』もかわす。


 しかし、今度は完全にかわし切ることは叶わず、右頬を『何か』が掠め――斬られた。微かな痛みと共に、傷口にうっすらと血が浮かぶのを感じる。


 洒落にならん、何だこれは。


 手前で言うのも何だが、この体の性能は尋常ではない。感覚を信じるならば、恐らく古城で出会ったトロールの渾身の一撃はコンクリートの壁をも粉砕するはずだが、今の私の体には傷一つ付けることさえ出来ないだろう。

 また、この体の強靭さと動体視力と反射神経をもってすれば、魔術によって発動した炎の豪速球すら無傷で掴めるはずである。

 言ってしまえば、大砲の砲弾の直撃を受けても無傷で、銃弾を掴んで止めることが出来るのだ。


 にも関わらず、不可視の『斬撃』は私の回避を上回る速度で襲いかかり、鋼に等しいはずのこの体に傷をつけた。


 内心、恐慌状態に陥りかけていた私であったが、敵はそんな暇さえ与えてくれない。

 二度の回避で大きく体勢を崩した私に三度目の『何か』が迫る。

 左右に逃げ場がないことを感じとった。

 私にとって見えない攻撃は悪夢のようなものであったが、バウトの立場からすれば私が見えないはずの攻撃をかわす姿もまた質の悪い冗談の類であろう。私もそう思う。何せそれを実行している私自身、どうやって見切っているのかも分らない、完全に感覚頼りのチート回避である。


 とは言え、左右の回避が許されないことを感じとったはいいが、かなりヤバイ状況であることに変わりはない。

 体勢の問題上、跳躍するだけのタメを作る余裕が両足にないのもまずい。動けて左右のどちらかに少しだけ移動する程度、完全に不可視の斬撃の殺傷圏内である。


 咄嗟の判断で次の行動を決定した。

 足が駄目ならば手を使おう。

 左右が駄目ならば上に逃げよう。


 私は右手を沼地に叩きつけ体を宙に浮かせた。


 厳密には、沼地ではなく沼地の上に魔術によって展開した『風の足場』を叩きつけた訳なのだが。


 私が取得することの出来た魔術は、防御兼回避用の『約20センチ四方の風で出来た足場を作り出す魔術』ただ一つである。

 正直、とある事情から取得できる魔術の数が限られると分った際には何を取得するかで悩んだものだが、最優先で風の足場=逃げるための魔術を取得した自らの判断の正しさを現在進行形で実感している。

 もし、風の足場を取得していなければ私は沼地の上に立つことなど出来ないので、バウトに対し『僅かとは言え勝ち目がある』この毒沼での戦いを選択出来なかった。

 また、風の足場抜きで無理やりこの沼地での攻防を選択していたならば、戦闘民族の悪夢のような不可視の連続攻撃をかわし切れずに途中で殺されていた可能性が高い。


 もっとも、後者に関してはまだ『かわし切った』と言うには、いささか気が速過ぎたようだが。

 宙に浮いた私目がけて、また不可視の『何か』が飛んできた。それまで以上の速さで放たれた二連撃に内心冷や汗が流れる。


 ――しくじったな。

 宙への回避は誘導された可能性が高い。

 左右の退路を塞ぎ、上へと逃がし、身動きが取れなくなったところを切り刻む。

 戦闘狂の本能任せの猛攻ではない、棋士による詰め将棋のような計算された手順である。


 本来であれば、完全に回避不可能な斬撃であった。

 十中八九殺されていたに違いない。風の足場がなければ。


 小声で短い呪文を詠唱すると、昨晩ガルゼに衣服に描きこんでもらった魔法陣が薄紫色に輝き、私の凝視した空間に風の足場が展開された。

 それを全力で蹴りつけ、距離を取る。


 蹴りつけた足場が衝撃で崩壊したのとほぼ同時に、不可視の斬撃が真下を通過したことを感じとった。

 可能な限り発動面積を小さく設定し、詠唱時間を短縮して設計した『風の足場』だからこそ間に合った回避であろう。


 何とか空中で体勢を立て直し、再び沼地の上の『風の足場』に降り立つ。


「……ほう」


 そんな声と同時に、ようやくバウトの攻撃の手が止まった

 

 合せるように私も一息吐いて、自覚する。

 自分の心臓が、全力疾走をした後のように早鐘を打っていたことを。


 フィジカル面の問題ではない。この体は依然として余力を持て余している感がある。

 問題は私のメンタルであろう。


 ……無理もない話ではあった。今のほんの1分にも満たない攻防の中で何度死にかけたか分らない。自分の選択が一つ間違っていただけで死んでいた。自分の動作が少し遅れていただけで殺されていた。


 学生の頃に、相手が「死んでも構わない」というスタンスで暴力を振う男や、本気で相手に「死んで欲しい」と考えイジメを行う女を敵に回したことはある。

 そのどちらも辛うじて逃げ切り、生き延びることこそ出来たが、正直思い出したくもない類の恐怖を私に刻みこんでいる。

 そして、あれらの恐怖を軽んじるつもりは毛頭ないが、明確に「殺す」という意思のもとに振るわれるバウト=カチェットの暴力は、今まで経験したどの「死」よりも直接的で、致命的であった。


 今の私の感情を言い表すならば一言で充分だ。

 恐い。

 この一言に尽きる。


「……まあ、バウト=『カチェット』ならばここは奇声を発して、てめえの神業を称えるべき場面なんだろうがな」


 その恐怖の根源であるバウトのクソ野郎は、それまでの獣のような獰猛な笑みを捨て去り、静かながらも威圧感のある微笑を浮かべた。


 恐らくどうやって私を殺そうか考えているのだろう。

 冷静に、冷酷に。


 短い付き合いだが、この魔物の森での奴の言動を観察していて、なんとなくだが分ってきたことがある。こいつは確かに暴力が好きなのだろう。大好きなのだろう。その点に関しては疑う余地がない。

 だが同時に、決して暴力に『溺れる』タイプの人間でもないのだと思う。

 学生の頃に敵対した相手を例に出すならば、自分の強みの『暴力』で相手を屈服させようとしたとある男よりも、相手の弱みを調べ上げ根本から敵対者の精神をへし折っていたとある女にタイプは近い気がする。

 自分の力を誇示したい訳ではない。

 強い相手と競い合いたい訳でもない。

 自身の暴力性・残虐性を全て解放出来るのが嬉しいのだ。そしてその全てをぶつけられるだけの強敵を、惨めに屈服させるのが楽しくて仕方がないのだ。


「……ひゃははは。カーラ、てめえは、本当に何者なんだろうな」


 瞳だけはどこまでも冷静に、狂ったような笑顔を見せるバウト。

 その理性と狂気が同居した相貌は、この男の内面をよく表しているように思えた。

 己の中の人間性も獣性も、全てをただ、相手を殺すためだけに費やしている。


 きっと、自らの欲求のために失われる命のことなど、気にもしていないはずだ。

 この手の人間は、自分の目的のためならばどんな犠牲も厭わないはずである。


 ――私と同じように。


「私が何者であるかを考える余裕があるのなら、自分がどういう状況にあるかを考えるべきではありませんか?」

「……毒か」


 私が『毒沼』などという物騒極まりない場所を戦う場所に選んだのは、端的に言ってこの男に死んでもらうためだ。


 いや、「死んでもらう」ではないか。

 戦闘民族の行動動機と私の置かれている現状を考えた場合「死んでも構わない」や「死んで欲しい」では温い。二度と『バウトに殺されるというリスク』を発生させないためには、目の前の男と同様に相手を「殺す」スタンスで臨まなければならない。


 ――では、どうやって『それ』を為す。


 バウト=カチェットを殺す上で最大の障害となるのは、実のところ奴の『防御力』であった。

 この毒沼に逃げ込む前、最初の攻撃を受けた際からそうなのだが、バウトという化物は攻撃をしている最中、攻撃直後であっても常にこちらの反撃を待ち構えている。待ち構えて、カウンターを狙っている。


 トロールを瞬殺した私の速度と攻撃力ならば「まっすぐ行ってぶん殴る」で大抵の相手を瞬殺出来ると思う。野球で言うなら1500キロのストレートの様なものだ。どれだけ単純な攻め方であったとしても、相手が反応出来なければそれは『必勝』の攻め手となり得る。

 しかし、『大抵の相手』の範囲外であるバウトがその球種を狙って待ち構えていたならば話が違う。『絶好球』として打ち返され――斬り殺される危険性があった。


 回避するつもりでいればかわせる攻撃でも、攻撃している最中にカウンターを狙われた場合はその限りではない。

 バウトの奴はさも簡単そうに攻撃しながらカウンターを狙ってきているが、あれは決して素人が見よう見まねで再現出来るような代物ではないのだ。


 故に私がまず為すべきは、『バウトに防御を捨てさせる』ことであった。


 ――では、どうやって『それ』を為す。


 まともに戦う限り、バウトはきっと防御を手放さない。

 私がどれだけ奴の攻撃をかわし続けようが、それに業を煮やして攻撃のみに注力してくれるような可愛らしさはあの男にはない。どれだけ戦闘狂じみた素振りを見せようが、敵を殺すことよりも、自分の命を優先するだけ冷静さが奴にはある。


 そんな男の防御を突破するには、歴戦の戦士が冷静さを失うような『特異な状況』を作り出す必用があった。


 私の人間離れした動体視力と遠視能力は、逃げる最中にも、特定の方向に向かった際にバウトの皮膚が僅かに焼けていっていることを見て取っていた。

 毒沼から遠く離れた場所に届いた薄紫色の霧では無理でも、より濃い紫色をした霧=毒沼近辺の霧ならばBランクの冒険者の体をも蝕み得ることを把握していた。


 毒に侵され続ける状況は、奴を肉体的にも精神的にも追い詰める一因となり得る。

 そう判断し、私はバウトを『まず』この毒沼まで誘導したのである。


 もっとも――。


「まあ、すぐにどうこうって傷じゃねえがな。さすがにこの場所となるとそうそう毒霧は晴れねえだろうが、この状況が続いたところで半日やそこらは問題ねえ」


 バウトのクソ野郎の言う通り、この状況はあいつにとって致命的ではあっても即効性はない。

 むしろ傍から見たならば、追い詰められているのは私の方であろう。


 毒沼のほとりにバウトを誘導出来たはいいが、Bランク=某元特殊部隊のコッククラスの戦士という肩書は伊達ではなかった。見えない遠距離攻撃というチート技によって一方的に追い詰められ、反撃の機会を伺うどころか避け続けるので精一杯である。


 対するバウトは、皮膚が少しずつ火傷したような状態になっていっているが、大剣2本を構えるその姿には何の焦燥も恐慌も見受けられない。

 殺意を纏った防御は、依然として健在であった。


 ――想定通りと言えば、想定通りだ。私もこの場所の特性『だけ』で崩せると思うほど、眼前の男の理性を舐めてはいない。


 私にはまだ、相手の精神に影響を及ぼせる手札が一枚残っている。まあ、手札と言うにはいささか以上に御し難い『呪い』のようなものではあるが。


「……では、貴方はこの場所で戦闘を続けるということですか」

「ああ、てめえが死ぬまでここをどく気はねえぜ。てめえみてえな化物を相手に、この距離、この状況以外で俺に勝ち目がねえのは分ってる。だから、死ぬまでここで付き合ってもらう」


 私は、そのカードを切るタイミングを伺いながら、バウトに最後の確認を取る。

 これから彼に『勝ち』にいくにあたり――彼を『殺す』にあたり、最後の確認を取る。


「貴方は、私を殺すつもりなのですか?」


 私は、貴方を殺してもよいのですか? と。


 答えなど聞くまでもなく分かり切っていると言うのに、この期に及んで平和的な解決に至る可能性に期待している自分がどこかにいた。

 まあ、「ガンガン逃げるぜ」を信条としている私らしいと言えば私らしいとも思うのだが――。


「ひゃはははっ、おいおい、何を今さら、てめえはここで俺に『殺され』――」

「では――」


 ――いい加減、覚悟を決めよう。


 獰猛に笑うバウトは、やはり恐ろしい。

 叩きつけられる殺意は心の底から恐怖を誘われる。


 初めて顔面を殴られた時と同じように、初めてイジメを受けた時と同じように、恐怖で足が竦みそうになる。土下座して許しを請いたくなる。


 だが、過去の私がそうであったように、今の私も『それら』を選択することはしなかった――と言うか、出来なかった。

 足が竦んで許される状況ならばいい。土下座をして許してくれる相手ならば、いくらでも地面に額を擦りつければいい。

 だが状況も相手も私にそれを許していない。


 ならば、足の震えを隠し通せ。

 ならば、心の怯えを押し殺せ。


 生き延びるために。

 生き延びて、ガルゼの願いを叶えて、最後に自らの願いを叶えるために。


 どんな願いでも叶えられるという絶対の奇跡。

 その成就の妨げになるというのなら――。


「――お前が死ね」


 私はもう一枚のカードを切った。


<<紫陽花の効力の抑止を解除します。効力の発動を再開します>>


 瞬間、世界は私を冷酷非情な怪物として認識する。


 その影響は他者に留まらず、私自らもトロールを殺した時と同等かそれ以上の妖しい高揚感に満たされる。まるで、押し隠していた『本当の自分』をようやく晒せたかのような、名状しがたい恍惚に包まれた。


 バウトの表情が引きつる。


 紫陽花を完全に解放した私の目には彼の怯えた表情がとても愛らしいものに映り、自然と微笑が浮かんだ。そして、そんな私を見て、恐怖に覆われかけたバウトの表情が殺意で塗りつぶされる。

 まるで、怯えている余裕さえない凶悪な怪物を前にしたかのように。

 『邪悪そのもの』を敵に回したかの如く。


 バウトの腕が残像を生む速度で動き、不可視の連撃が私に向けて放たれる。


 攻撃の精度が『期待通り』明らかに落ちてきていることを感じながら、私は淡々とその全てを回避した。


「……ひゃは」

「どうした、怯えているのか?」


 攻撃を止め、乾いた笑いを浮かべるバウトに対し、やはり笑顔を向けてしまう。嗚呼、もう、早くめちゃくちゃにしてやりたい。彼のもがき苦しむ姿が見たい。どんな悲鳴をあげて、どんな苦痛の表情を晒してくれ――落ち着け私。

 凄く落ち着け私。

 とても凄く餅つけ私。

 ひーひーふー。ひーひーふー。


 ……本来の私は、男の怯えた顔を見て喜ぶ様な特殊な性癖など持ち合わせていない。今のこの衝動は明らかに、魔人の体か紫陽花の効力に依存するものだ。

 こと『殺す』段階になったらばこの悪辣な衝動に頼る場面もあるかもしれないが、それまでははっきり言って邪魔でしかない。

 嗜虐性も残虐性も今はいらない。

 臆病な自分で戦わなければ、はぐれメタルとしての己を活かしきれなければこの戦いにはきっと勝てない。


「……ぬかせ。俺の優位は動かねえ。こんなクソみてえな毒、俺には何ともねえ、てめえに俺に対する攻撃手段がない以上、俺の剣がてめえの首に届くのが速いか遅いかの違いでしかねえんだよっ」

「届かないさ」

「あん?」

「お前の剣が私の首に届くことなど一生ない」


 まあ、そんな訳がない。

 見えない攻撃をかわし続けられる保証などどこにもない。


 某狩人ゲームにおいて一撃死が約束された装備でクエストに挑んだ際に「当たらなければどうということはない」とほざき、見事に3オチしてクエスト失敗という事態を招いた私である。当たる時はどうしたって当たるのだ。

 当たらなければ云々は、本当の天才が戦歴を積み重ねた上で初めて口に出来る言葉である。少なくとも私ごときがそれを言ってもただのハッタリでしかない。


 だから、ハッタリを言うべきこの場面でそれを口にするのは、この上なく正しい。


「……だとしてもだ。てめえに俺に対する攻撃手段がねえことに、変わりはねえ」


 紫陽花による脅しのおかげもあるだろうが、バウトはあっさりとそのハッタリに乗ってくれた。


「攻撃? 何を言っている、お前は勝手に死ぬのだろう」

「てめえこそ何を言っていやがる?」

「――だから、半日だか一日だか知らないが、たかだか数十時間お前の剣をかわし続ければ、お前は勝手に毒で死んでくれるんだろう?」


 『毒沼』から発せられている毒を利用した、持久戦による勝利。


 かなり初期に思いつき――――――――すぐに却下した案でもある。


 こちらから攻撃せずに相手の自滅を待つというやり方は私のポリシーに合っていたが、ガルゼの身の安全の確保という時間制限が付いている以上、そのやり方は選べない。

 

 先にも述べたよう、時間は私の敵なのだ。

 持久戦になったら負けるのは私である。


 故に、私が毒沼に期待していたのは『ゆっくりとバウトの体力を削ること』ではなく、『早急にバウトの精神を追い詰めること』であった。

 紫陽花の発動の目的も同様である。

 言葉で、バウトに「このまま続ければお前が死ぬ」と告げたのもハッタリをかましたのも全て同じ目的だ。


 果たして人間が、『時間が経てば死ぬ』状況で『冷酷非情を形にしたような怪物』を敵に回したならば、どんな精神状態に陥るのだろうか。


「っクソが!」


 その回答の一つが、眼前のバウトの姿である。


 舌打ちと共に戦闘民族が攻撃を再開する。

 その斬撃の数々はそれまでに比して尚速く、更に多く、そして雑だった。


 粗暴な男ではなく、狡猾な女を連想させたバウトの戦い方は、本来ならば追い詰められた状況でこそより冷静に打開策を模索するものであったはずだ。

 その戦い方の中格とも言える『冷静さ』をこそ攻撃の標的とした私の判断は正しかった。もはや詰め将棋のような計算された連撃など見る影もない。速くて多い、ただそれだけの攻撃だ。


 そんな事を考えていたら、バウトの獣の如き咆哮が毒沼に木霊した。


 前言撤回。これはヤバい。

 残像すらも切り裂くような大剣の連撃。竜巻の如きその暴威に晒され、体や衣服を不可視の斬撃がかする度合いが増えている。

 どうやら、完全に短期決戦に切り替え『決め』に来ているらしい。

 こんな攻撃、半日どころか30分もかわし続ける自信がない。


 だが絶叫と共に嵐の如く大剣を振い続けるバウトにもまた、余裕がなかった。

 全身から汗を流し、呼吸も荒くなり始めている。

 防御も体力も全てを捨てて、完全に攻撃に特化させた攻めのようである。『時間制限がある以上、一刻も早く相手の首を刎ねる必用がある』という奴の内心が透けて見えるような攻撃だ。


 ――そう。

 とうとう『防御を捨てた』のだ。この男は。


 ――私の本能が語る『可哀そうに、あんなに怯えて。早く殺してあげないと。無様に、苦しめて、精一杯みすぼらしく、殺してあげないと』と。


 ――私の理性が忠告する『己が弱者であることを見失うな。身の程をわきまえ、慎重に確実にことを運び、殺せ』と。



 私の口元に浮かんだ笑みは、はたして本能と理性どちらの声を耳にしてのものであっただろうか。



*********************************



 結論を述べると、バウト=カチェットは敗北した。


 100回殺さねば死なないという魔物すら殺し尽くした、必殺の連撃さえも悠々とかわし続けた冷たい美貌の女は、相手に気付かれぬよう静かに、そして確実に間合いを詰めていた。

 冷酷に研ぎ澄まされた彼女の瞳は、息切れと共に銀色の餓狼が攻撃の手を止めた瞬間を見逃さず、最後の一歩で間合いを詰めると一撃のもとに勝負を決めてしまったのである。


 その結果としてバウトが死ななかったのは、主に二つの要因が彼に味方したからである。


 一つ目はバウト自身の実力。

 カーラの手加減抜きの一撃はまともに受ければ即死を免れないものであったが、殴られる直前にバウトは咄嗟に大剣を盾としていた。

 大剣ごとぶん殴り、長身のバウトを100メートル近く吹き飛ばしたカーラもカーラだが、瞬き一つの間に咄嗟にそう動けたバウトも充分怪物と言えよう。


 二つ目は第三者の介入。

 空中でペガサスの背に乗っていたガルゼフォードとメリルが合流したのである。

 冷たい美貌の女の一撃を受けたバウトは、直線状にあった大樹を何本かへし折りながら吹き飛んでいた。それを遠目に確認した二人が慌てて駆け付けたのである。たまたま毒霧の退くタイミングでその場所に吹き飛ばされたこともまた、バウトにとっては幸運であった。


 即死を免れながらも半死半生のバウト。そんな彼に歩み寄る、初対面の時と同様、化物じみた冷酷さを纏ったカーラ。

 自らの使い魔の、普段の気だるげで退廃的な雰囲気とは異なる、邪悪さすら感じさせる冷酷非情な気配に、ガルゼフォードの中の何かが警鐘を鳴らした。


 曰く「このまま何もしなければカーラはあの男を殺す」と。

 ガルゼフォードの脳裏に、冷たくなった両親の姿と……何故か月夜に微笑むカーラの姿が浮かんだ。

 ――止めなければ。

 元来、ガルゼフォード=マキシは己の欲求のままに行動する男である。欲求がどんな感情に基づくものであるかや、それが理性的に考えて実現可能なものであるかどうか等は二の次なのである。


 故にそこからのガルゼフォードの行動は迅速であった。


 ペガサスが地面に着地するよりも先に、バウトとカーラの間に割って入るように天馬の背から飛び降りたのである。颯爽と飛び降りて、着地にしくじり両足をへし折ったのである。


「マスターっ!?」


 無様にのたうち回るガルゼフォードの姿を見たカーラは、それまでの冷酷非情な気配を収め、同時に普段の悠然とした気だるげな仕草すらかなぐり捨てて、慌てて自らの契約者のもとに駆け寄った。


「ぐ、ぐおおおおおぉおぉぉ」

「ま、マスターの足が変な方向に曲がっています! 誰かっ、誰かっ、救急車を呼んで下さい! 誰かーーー!!」


 瀕死の重傷を負い意識を失ったバウト。

 無様に地面をのたうち回り悲鳴を上げるガルゼフォード。

 悲鳴を上げる契約者の傍らでおろおろと錯乱するカーラ。




 ある種、喜劇じみたその光景は、ペガサスを着陸させたメリルがカーラのもとに駆け付けるまで――カーラの錯乱する姿にときめきを覚えながらも事態の収拾に乗り出すまで続いた。



初回の戦闘シーンということもあり元々尺を取るつもりではありましたが、それにしてもしてもいささか悠長な文になってしまったかもしれません……読みづらかったら申し訳ないです。

よほど重要なものでない限り、今後はボス戦以外の戦闘シーンはスパッといきたいなあと思っております。


次話は割と軽めなノリに戻るかと思います。

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