第06話 1人目の願い 剣と魔法の世界(06)
評価や感想を戴いた方々、ありがとうございます。
また普通に読んで下さっている方々もアクセス履歴のユニークユーザー数を見るだけで作者のモチベーションは上がるのでありがたいです。
今回のお話も、少しでもお読み頂いた方々に楽しんで頂ければ幸いです。
バウト=カチェットは、自らを戦うために生まれてきた存在であると認識している。
冒険者たちの間でも粗野で好戦的な男として知られているバウトだが、その出自は意外にも貴族の名家である。
バウト=ヴァン=ランカステル。それが13歳までの彼の名であった。ランカステル家は、メリルのクラーゼの家ほどではないにしてもそれなりの家格を持った家柄である。
名家ランカステル家の長男として生まれたバウトは、両親からの多大な期待を背負い幼少期を過ごしたが、神は彼にその期待の全てに応えられるだけの才能を与えていた。
貴族としての振る舞い、魔術師としての実力、そして、権力者としての教養。貴族に求められる大凡全ての能力において高い才能を有し、結果を残したバウトはランカステル家始まって以来の天才として持て囃され、父や母は長男に与えられた才能の数々に、神に対して感謝したものである。
だが、両親の神への感謝は早過ぎた。神は彼に才能を『与えた』のではなく、『与え過ぎていた』のだ。
天才の名を欲しいがままにし、飛び級に飛び級を重ねたバウト=ヴァン=ランカステルは12歳の時点で高等科の卒業試験を受けることになった。そして、そこで冒険者という職業に出会い、魔物との殺し合いという娯楽を学んだのである。
天才は当然のように課題を達成したが、それから卒業するまでの間も魔術の研鑽と称して数々のクエストに挑んだ。だが、その戦い方を見た者は決してそれを魔術の研鑽などとは思わなかったことだろう。魔物の吐息が届く間合いで、剣をもって魔物の首を刎ねるような存在を魔術師とは言わない。そう、神はバウトに戦士としての才能すら与えていたのだ。
そして、天才バウト=ヴァン=ランカステルは12歳という学園史上最年少の卒業記録を打ち立てると同時にその姿をくらましたのである。
この時の彼の心境は常人には決して窺い知れるものではなかったが、今のメリル=フォン=クラーゼならば多少なりとも理解出来たかもしれない。
彼も彼女も、両親に期待された道を歩き、自らもその生き方を誇りとしていた。そしてその誰もが羨む王道とも言える道を歩きながら、その道からは遠く離れた場所にある『何か』に焦がれ、手を伸ばしてしまったのである。
二人の間に違いがあるとするならば、メリルは欲望と理性の狭間で心を揺らしながら道を踏み外しかけているが、バウトはほぼ躊躇なく自ら望んで道を踏み外した点であろう。
それほどまでに、バウトは『戦士としての闘争』に魅せられていたのだ。
そして、彼はそれまでの自らの姓を捨て、彼に冒険者としてのイロハを叩きこんだ男の姓を名乗った。バウト=ヴァン=ランカステルが死に、バウト=カチェットが生れた瞬間である。
名家の天才が姿をくらしまし、少なからず騒ぎになった。だがそれから数年後、彼と同名の冒険者が頭角を現し始めた際に、噂を聞いた貴族が件の冒険者の姿を確かめに現れることもなかった。何故ならば、後に【豪双剣】と称されるその戦い方は、魔術の神童のイメージからあまりにかけ離れていたからである。
バウトも今年で28歳になり、もはや貴族であった歳月よりも冒険者として生きた時間の方が長い。
難易度の高いクエストに関わった際などに、貴族と関わることも少なくなかったが、例えばメリルの世代などはランカステルの神童のことなど知りもしないし、かつての彼を知っている人間が見たところでもはや判別が付かないほどに彼は別人になっていた。
貴族の品格など微塵も感じさせない野生の獣の如き立ち振る舞いと表情は、かつて『貴族の中の貴族』と呼ばれた少年のそれとは完全に別物である。
バウト=カチェットという存在は、戦うために誕生し、戦うために生きている。
故に、自らを戦うための存在であると定義付ける彼の認識はこの上なく正しいものであった。
そんなバウトの昨今の悩みは、中々まともな闘争を行えていないことである。
戦士としての功績からBランクの認定を受けている彼だが、切り札である魔術も併用した場合、その実力はAランクにも迫るものがある。国を代表するような戦力と言っても過言ではないのだ。
彼にとって、この近隣で明らかに格上と言える人間はもうフェルト魔術学園の学園長ぐらいしか存在しない。そのため、ギリギリの接戦を求める戦闘狂の青年は、日夜強力な人外――魔物との闘争に明け暮れているのである。
魔物との殺し合いも確かに悪くはない。ある程度の実力を持った魔物の攻撃をまともにもらえば、バウトにしたところで一撃で上半身を持っていかれる。対するバウトの攻撃は、急所を狙ってもそうそうは相手の命を奪えない。
もっとも常識的な戦士の攻撃手段ではそもそも傷一つ付かないような外皮を持った魔物の話なので、それと比べたならばバウトの攻撃力は破格と言ってもいい。そして銀髪銀眼の狼にとっては、むしろその防御力こそが魔物を『殺しがいのある相手』としている一面もあるのでそこに不満はなかった。
彼に魔物に対する不満があるとすれば、その対象は魔物たちの『攻撃や防御の単調さ』に対してである。勝てない魔物には絶対に勝てないが、一度でも勝った魔物が相手ならば基本的に自分にミスがない限り確実に勝てる。
これが人間であれば、その攻撃手段や戦闘能力は千差万別であり、例え一度勝った相手であっても10日も会わなければそれまでになかった全く新しい技を見せてくれる可能性がある。バウトの首に届く一撃さえ放ち得るかもしれないのだ。
戦うための生物としての完成度や統一性は魔物の方が遥かに勝る。しかし、本当の意味で『恐い』のは人間である。
それがバウト=カチェットが15年近くの闘争の日々の中で出した結論であった。
だから、期待していのだ。
かつての自分を思い起こさせるメリル=フォン=クラーゼという少女に。
約1カ月ぶりに会った彼女の瞳に、自分が道を踏み外した時とよく似た光を見た時などは思わず自らの先見性を称えたくなったぐらいである。
しかし、今の彼の最大の関心は、少女ではなく、少女が『バウトに匹敵する近接戦闘能力の持ち主』と称した人物に対して払われていた。
無論、メリルがその相手を過大評価している可能性はあるが、実際に自分の戦いを見たことがあり、冒険者の基準で見ても優れた観察眼を持つ少女の言葉である以上それなりに期待しても罰は当たらないはずだ。
そんな事情もあったため、街の南門の前の広場で待ち合わせをしていたバウトは、待ち合わせをした時間の30分前には到着していた。
待ち合わせ時間の前に到着すること自体、カチェットを名乗るようになってからは数えるほどしかないにも関わらずだ。
自らの平常心を欠いた行動に、バウトは思わず苦笑した。
自然体で佇むバウトであったが、その立ち姿は明らかに浮いていた。クエストに挑むにあたり、フル装備に身を固めていたのである。
銀で出来た軽装の鎧と、銀色の外套自体目立つ代物ではあるが、多くの魔術師が存在するこの街では、そこまで特異な格好ではない。背負った旅のための道具を詰めた袋など、街行く旅人のほとんどが身につけている。
彼の最大の外見的特徴は、その背に交差させるようにして背負っている二本の大剣にこそあった。
身の丈ほどもある大剣自体珍しい物であるが、それを二本も背負う者となると、数多の冒険者の中でもバウト=カチェットぐらいのものである。
冒険者は街中でも武器の装備を許されているが、バウトの大剣ほどに巨大で威圧的な武器を装備している者は稀であるため、広場にいる人々はチラチラと銀髪銀眼の冒険者の様子を伺っていた。
そんな人々の視線がふいにバウトから外れる。
興味を失ったという訳ではない。より興味を払わなければならない存在が広場に現れたのである。人々の視線を追い、バウトも広場の入口に視線を向ける。
それは一見、三人組の魔術師のようであった。
先頭を歩く小柄な金髪碧眼の少女は、身の丈程もある巻物を収めた筒を腰に数本下げており、これからクエストに望む魔術師らしい姿をしている。彼の待ち人の一人であるメリル=フォン=クラーゼである。
少女の横を並んで歩く茶髪茶眼の不健康そうな青年は、魔術師にしては長身であったが肉付きの悪い体格も合いまって、むしろ痩身という印象の方が強い。装備に関しては身の丈ほどの筒は一本しか下げおらず、小型の魔法陣を外套の下に隠しもっているにしても、装備から判断する限り先の少女と比べれば明らかに魔術師として格は落ちる。
恐らくはメリルの言うところの『足手まとい』であろうとバウトは推測した。
そしてその二人の後ろに付き従うように歩きながらも、存在感において先の二人を遥かに上回る、麗しくも退廃的な冷たい美貌の女の姿を認めた瞬間、バウトはメリルの評価に納得した。
――なるほど。確かにこれは、普通じゃねえ。
思わず獰猛な笑みが銀色の餓狼の口元に浮かぶ。
外見的な『美しさ』を見ただけでも、恐らくバウトは『男』として笑みを浮かべていたことだろう。
軽くウェーブのかかった長く美しい黒髪。それと対比するような純白の艶やかな肌。それらによって構成された美貌もまた凄まじく、バウトの知るどんな美姫の顔立ちですらこの女と横に並んだならば容易く霞むことだろう。
また、ゆったりとした衣服に身を包みながらもはたから見てとれる豊かな胸の膨らみと挑発的な腰のくびれも実に扇情的であり、バウトが出会った国の至宝と呼ばれるような高級娼婦たちの中にすらこの女ほど男の欲望を刺激する者はいなかった。
だが、バウトの口元に笑みを誘ったのはその女の『美しさ』ではなかった。冷たい美貌の女の『恐ろしさ』こそが銀髪銀眼の餓狼に『戦士』としての獰猛な笑みを浮かべさせたのである。
切れ長の美しい瞳は確かに魅力的であったが、その瞳の奥底に宿る退廃的で冷たい光は見る者の心を狂わせる魔性の輝きを秘めていた。
全身から放たれる冷酷非情な雰囲気も一見上手く押さえ込んでいるようであったが、バウトの目には鞘に収められた刃のように映り、暴力を生業としている冒険者たちが垂れ流している抜き身の殺意などよりも遥かに恐ろしいもののように思えた。
――まじーな。この女、本物の化物だ。
内心の言葉とは裏腹に笑みはどんどん深くなっていく。
バウトのことを『野獣のような男』や『戦闘狂』と称する冒険者は多いが、実のところ彼の内面は戦闘中においてすら酷く落ち着いており、獣や狂人には程遠い冷静さを常に持っていた。
粗野で短慮な戦士という人物像は、彼が望んで演じている部分が大きい。本来の彼はむしろ直観や本能やよりも、理論や理性で行動するタイプの人間なのである。
そんな彼は、当然街中での戦闘などという愚行は行わない。さけられない戦いというものは確かにあるが、少なくとも自分から通り魔的に戦闘を仕掛けるような真似など絶対にしない。だが――。
――いつまで『我慢』出来るか分ったもんじゃねえな。
戦闘のために全てを捨てた男にとって、目の前の怪物の如き女はあまりに魅力的な相手であった。それこそ、普段の己をかなぐり捨てて、今この場で殺し合いを始めてしまいたいぐらいに。
「すみません。お待たせしてしまいましたか」
「んあ? いや、別に構わねえさ。待ち合わせ時間にゃあまだ早いぐらいだ」
貴族らしく丁寧に頭を下げるメリルの姿を見て、銀色の餓狼は若干頭を冷やした。
急いては事を仕損じる。長年の冒険者としての経験則から、バウトは自らを戒めた。
「それよりも後ろのお二人さんを紹介してくれよ」
「あ、はい。そうですね」
そう言ってメリルはまず横にいた青年の紹介を始めた。
「こちらはガルゼフォード=マキシさん。わたしと同じ担当教官のもとで魔術を学んでいらっしゃいます」
「偉大なる魔術師ガルゼフォード=マキシだ。得意な魔術は全属性。お前も精々僕の足を引っ張らないよう頑張るんだな」
胸を張りこちらを見下してくるような態度の青年に、バウトは特に何も感じなかった。大口を叩く人間など冒険者には掃いて捨てるほどいるし、魔術師が魔術を使えない人間を見下すことなど当たり前のこと過ぎて特に感慨も覚えない。
魔術師としての視点も持つバウトから見て、ガルゼフォードという男は彼の年代の魔術師としては極々平均的な技量のように思えた。得意な魔術が全属性とは、つまり特に突出した部分がないということであり、はたから読み取れる魔力量も合せて考えると、やはりその実力は可もなく不可もなくといったところであろう。また、体の動かし方を見る限り近接戦闘に関しては論外であるため、総じて考えるにこの青年の実力は冒険者に換算してDランクの中でも下位の位置づけとなるだろう。
「そして後ろにいらっしゃるお方が、カーラ様です。カーラ様は…………マキシさんの使い魔をされております」
何故かメリルの「マキシさんの」という言葉は消え入りそうなほどに小さなものであったが、バウトはその言葉に驚愕を覚えると同時に納得もしていた。
驚愕の理由は二つ。一つは悪魔という極めて珍しい存在に出会ったこと。そしてもう一つは、このカーラという女の諸々がバウトの知る他の悪魔とはあまりにかけ離れていることだ。
納得の理由は一つ。人の形をした怪物の正体が、人間ではなかったと言われただけのことなのだ。納得する以外にないだろう。
「はじめまして。カーラと申します。以後お見知りおきを」
バウトに対し何ら興味のなさそうな表情で、気だるげに頭を下げるカーラ。
女の冷たくも蠱惑的な声音に、バウトの中の雄の本能は大いに刺激されていたが、それを遥かに上回る闘争本能が彼に眼前の『獲物』の正体を見極めさせた。
バウトが見るに、やはりこの女は怪物であった。
まずは魔力量。信じがたいことにその総量はバウトの知る最強の魔術師に匹敵する。フェルトの魔術学園の中では最強を誇る学園長ですら凌駕していると言っていい。
続いては身体能力。こちらの方は現時点ではまだ正確なところを言えないが、Bランクの戦士であるバウトを上回ることは間違いない。
魔力にせよ身体能力にせよ、自分の上をいく存在がいくらでもいることをバウトは理解していたが、その両方を自分ほど高い水準で両立させている人間はそうそういないという自負が彼にはあった。だが、眼前の冷たい美貌の女は、いずれにおいても彼の遥か上をいっている。
――駄目だなこりゃあ。どうやったってこっちがぶっ殺される予想しか立たねえ。こんなんどうすりゃあ、殺せるもんかねえ。
ニヤニヤと好戦的な笑みを浮かべながらカーラを見つめるバウトと、それに無関心な視線を返す退廃的な雰囲気の女。その姿に何を思ったのか、メリルが交差する視線を遮るように二人の間に立った。
「そしてこちらがバウト=カチェット様です。Bランクの冒険者で、見ての通り戦士をされています。この国の戦士の中では10指に数えられるほどの達人で、過去にはなんとBランクのクエストにも参加され、その達成に貢献されました。今回は『トロールの反乱』を解決するためにフェルトの街にいらっしゃいました」
「バウトだ、よろしくな。ガルゼフォードとカーラと呼んじまって構わないか」
「ご自由にお呼び下さ――」
「カーラ様と呼んで下さい」
「ガルゼフォード様と呼ぶがいい」
カーラの言葉を遮るように残り二人の声が割って入った。
バウトが視線をカーラに向けると、彼女は気だるげな仕草の中にもやや疲れたような色合いを含ませ溜息を吐いた。
「私のことはカーラで構いません。マスターのことをどうお呼びになるかは、マスターとご相談下さい。バウト=カチェット様」
「……ちっ、僕もカーラと一緒で構わん」
「……うう、本当はカーラ様を呼び捨てにするなんて許されることじゃないのにぃ」
三人の関係性をおおよそ把握したバウトは、カーラに対する内心の闘争本能を抑えつけながらも気さくな笑みで話しかけた。
「ああ分ったぜ、じゃあ、よろしくな、ガルゼフォード、カーラ」
「うむ。くれぐれも僕の足を引っ張るなよ」
「よろしくお願い致します」
初対面の人間同士が挨拶を済ませると、メリルは気を取り直すように咳払いをしてから場を取りまとめ、今後の行動に関して話し始めた。
ここのところ『トロールの反乱』の影響から冒険者の数が減っていたこともあり、カーラとバウトを含む4人組みはやたらと目立っていたが、その注視に気付く者はいてもそれを気にする者はおらず、結局数分後4人組が広場を後にして街を出る頃には彼等のことは人々の話題になっていた。
それからしばらくは、色々と根も葉もない噂が飛び交うことになったが『あの【豪双剣】に黒髪美女の恋人発覚!?』という噂に関してだけは金髪碧眼の小柄な少女の暗躍により速やかに抹消されたとか、されなかったとか。
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鬱蒼と生い茂る木々の間から、不気味な獣のうめき声や虫の鳴き声が聞こえてくる。
冒険者によって踏み慣らされた獣道は予想していたよりも歩きやすかったが、樹木のざわめきや鳥の鳴き声一つとっても警戒の対象になるらしいこの『魔物の森』は歩いているだけで精神がすり減った。
そんな何とも素敵な森を歩きながら、私は魔物に対して――ではなく、パーティーの仲間に対して色々と身の危険を感じていた。
まずはガルゼ。
この青年は初めて訪れる『魔物の森』の中を、まるで初めて遊園地に訪れた子供のように興味津津で見て回っていた。
先頭を行くバウトと最後尾にいる私はある程度魔物の襲撃を警戒しなければならないため、列から離れたガルゼを捕まえ連れ戻す役割はメリルちゃんにお任せしているが、そんな彼女の額に怒りマークの血管が浮き上がるのも無理がないほどに我が契約者の行動は無鉄砲であった。正直、見ていて気が気じゃない。
魔人の感覚により、願いを受領してから達成するまでの間に契約者に死なれた場合、魔人である私も消滅するケースがあることは理解していた。
例えば『ガルゼを卒業させる』という願いを受領した状態でガルゼに死なれた場合、彼を卒業させることが不可能になり、私も引きずられて消滅することになるのだ。
逆に『ガルゼの手紙をメリルちゃんに届ける』というような願いを受領していた場合は、仮に途中でガルゼが死亡していてもメリルちゃんに手紙を届けた瞬間に私は願いを叶えたことになり、1人分の願いを叶えたとカウントされランプの中に戻る。
また、何も願いを受領していない状態で契約者が死亡した場合や、願いを叶える最中に私が致命傷を負った場合はどうなるかというと、それもランプの中に戻ることになるらしいのである。
それでは、現状の私がどの状態に該当するかというと少し説明が難しかった。
三つ目の願いである『トロールの反乱を解決する』は仮にガルゼが死亡していても、達成可能である。二つ目の願いである『古城にいたトロールの殺害』は既に達成済みだ。
面倒なのは一つ目の願いである『使い魔となること』だった。
この世界の使い魔は、ある種の剣であり盾である。某ピンク色の髪のツンデレヒロインが出てくるライトノベルのそれのように、常に出現し日常をともにするような存在ではなく、某国民的RPGゲームである最後の幻想に出てくる召喚魔法のような、召喚獣の力を借りた攻撃魔術や防御魔術と考えた方がイメージは近い。
主の日常の世話は完全に使い魔の管轄外だが、戦闘中の主の護衛は使い魔の領分なのである。つまり『トロールの反乱を解決する』以前に戦闘中にガルゼを死なせてしまった場合、私は『使い魔となること』の願いを果たせなかったことになり消滅する可能性がある。
実のところ古城でトロールの殺害を躊躇した時点で、客観的に見て使い魔としてはアウトなのだが、どうやらその辺りはある程度ファジーに出来ているらしく、あの時点で私が『使い魔の責務』と『トロールの殺害』を紐づけて考えていなかった以上セーフとなるようなのだ。逆を言えば、『使い魔の責務』を正確に把握してしまった今の私が、次に同じことをした場合、消滅する危険性がある。
以上を踏まえて考えると、私は例え自分の体を盾にしてでもガルゼの命を守らなければならなかった。現状、私にとって彼の命と私の命は等価なのだ。
更に言えば、もし今後の世界、今後の契約者に辿りつけた場合、願いの種類によっては最悪自分の命よりも契約者の命を優先しなければならない場合もあるだろう。契約者に死なれた場合『願い』の達成失敗になり消滅するが、自分が死んだ場合はランプの中に戻るだけで済む場合などがそれだ。
……色々と嫌だった。
召喚された世界で死んでも消滅しないとは言え、体が死なないことと心が死なないことはまた別の話である。中学生の頃に痛みによる脅迫で心が折れた経験のある私には、自分という人間が死に至るほどの痛みを負った場合、果たして今の心を維持出来るのか自信がなかった。
最悪の場合、全てを諦め膝を抱えて震え続ける危険性もある。今現在どれだけの覚悟を持っていようが関係ない。痛みとは――生存本能とはそれほどまでに容易く私という人間の理性と意志を蹂躙する。
故に私は、最悪死んでも大丈夫などとは考えず、私と契約者の命を全てにおいて優先する行動方針にしていた。他の何を犠牲にしてでも、この二つだけは守ることに決めていた。
まあ、そんな訳で、『魔物の森』という危険地帯でガルゼがろくに危機感も持たずに徘徊している現状は私にとって、とても恐ろしいものであったのだ。
「なあ、ところでよおカーラ。ちっと、やらねえか」
――だが、私に身の危険を感じさせている要素は何もガルゼだけではない。
バウト=カチェット。この男も色々と油断ならなかった。
はっきり言ってこの男、やる気満々である。
闘う気と書いて、やる気と読む、そんな意味でやる気満々である。
銀髪銀眼の整った顔立ちをしているが、その優男と言ってもよい顔立ちも逆立てた銀髪と獣のような眼つきがアクセントとなりとても獰猛な印象となっている。
その獰猛さが魔物に向いている分には問題ないのだが、やたらと私に対してモーションをかけてきているのだ。
どうやら某戦闘民族的な思想の持ち主であるバウトは、強そうな相手を見ると「オラ、ワクワクしてきたぞ」な状態になり、相手に対し「いっちょやってみっか」なモーションをかけずにはいられないらしいのだ。
ろくでもないことに、この男の目には同じ漫画に出てくるスカ○ター的な機能が備わっているらしく、私の体の基本性能である『世界最強に匹敵するスペック』を読み取り、ワクワクしてしまっているらしいのだ。本当にろくでもねえ。
バウト=カチェットはBランクの戦士であり、その実力は私の判断基準で言えば某元特殊部隊のコックに匹敵するものである。
肉体の基本性能では私の方が勝っている可能性が高いが、私にとって最強の肉体の恩恵といって最初に思い浮かぶのは「寝ないで本を読めるなんてラッキー」とか「ご飯を食べなくて済むのは食費が浮いて嬉しいが、何だか旅の楽しみが半減するなあ」とか、そんな感じのものなので、そもそも心構えからして違うというか、キャラとして負けている。
初対面の相手と握手をする時に「うーん、ちょっと恥ずかしいな」と思う人間と、「さて、どうやって手首を捻じり折るか」と考える人間が喧嘩をしてどちらが勝つかなど、考えるまでもないだろう。
「なあ、カーラ、お前さんだって、結構やるんだろう? 俺もそっち方面にはちっと自信があるんだよ。やろうぜ」
「ご冗談を。何度も述べているように、私ごときにバウト様のお相手が務まるとは思えません」
だと言うのに、この戦闘民族はやたらと私に絡んでくる。
「おいっ、カーラ、向こうを見てみろ、何だか光る木があるぞ」
そしてガルゼは、またどこかに勝手に走りだそうとしている。
……私がおかしいのだろうか?
普通、魔物という圧倒的な捕食者がいるこの空間では、人間はもっと慎重に行動すべきなのではないだろうか。静かに、そして速やかに行動し、目的を達成する。そんな特殊部隊的な行動が求められるのではないだろうか……。
「やらないか」
「あれは何だ、これは何だ」
「……」
戦闘民族と幼児と素人というこのバランス云々以前に構成からして破綻しているパーティーが、曲がりなりにも『魔物の森』を進むことが出来ているのは一人の英雄の功績としか言いようがない。
「おお何だあの花は、人間程の大きさがあるぞ、ちょっと見に行く――ぐえっ」
「あれは動物を捕食する植物です。貴方に死なれてはわたしの面目が立ちません。マキシさんは何もせず、何も考えず、黙って歩いて着いてきて下さい」
「何故この僕がお前なんぞの命令を――ぐえええっ」
「何かおっしゃいましたか?」
ガルゼの首を絞め連れ戻すメリルちゃん。
だんだんやり方が雑になってきている気がするが、頼もしい。
「なあ、いいだろうカーラ、ちっとでいいから、きっと気持いいぜ。お前も何だかんだ言って好きなんだろう? なあ? うおっ」
「すみません。手が滑りました」
「お、おう」
護身用として持ち込んだらしいメリルちゃんのスローイングナイフが、バウトの頭のあった位置を通過した。背面という完全な死角から飛んできたナイフを振り向きもせず回避するこの男も化物だが、後衛職のくせに完璧な軌道を描きナイフを投擲してみせたメリルちゃんも大概である。
正直、一般人の感覚としては「まず、仲間に対して致命傷となるような攻撃をするな」と突っ込みたいとこではあったが――というか既に突っ込んでいたが、メリルちゃん曰く「大丈夫です。魔術師の投擲で傷を負うような方が、Bランクの戦士になんかになれる訳がありませんから」という話で、バウト自身もへらへらと笑いながら肯定していたのでもう突っ込むのはやめていた。心なしか、メリルちゃんの動きのキレが増してきておりバウトの方に余裕がなくなってきている気がするがきっと気のせいだろう。
まあ、ガルゼはともかくバウトの方は無駄口を叩きながらも前方の警戒は怠っていないようなのでパーティーに迷惑をかけている訳ではいのだが、メリルちゃんはガルゼよりもむしろ「やらないか」とか「気持ちいいぜ」とか言っている時のバウトにこそ殺気を向けている気がする。
さすがのバウトも前方を警戒しながら背面に気を配るのは骨が折れるらしく、じょじょに口数が減っていった。
うむ、頼もし過ぎる。
そう、このパーティーの要は何と言ってもメリルちゃんなのである。
彼女がいなければ、戦闘民族はメダパニにかかったが如くパーティーの仲間である私を攻撃し始め、幼児にいたってはいつの間にか一人で勝手に敵とエンカウントしているような状態に陥りかねない。
勇者メリルとその仲間たち、それがこのパーティーの実態である。
私は私で無駄に発達した聴力や視覚を頼りに敵の接近を警戒していたが、一応初心者として出来ることは全てやろうと思っていたので、特に頼まれた訳でもないのに手に持った森の地図を使って今後の進路の確認とこれまでの道のりの記録を行っていた。
マッピング。それは進路を決め、帰路を確保するパーティー生還のための必須スキル。
そしてそのスキルの持ち主であるマッパーは、ある意味パーティーの要と言っても過言ではない。某幸福物語を読んで育った私は、主人公の務めたその職業に並々ならない敬意を抱いていた。人間であったころに海外を旅した際にも、無駄に地図を持って徘徊したものである。それらの経験もあり、私は自分のマッピング技術に多少なりとも自信を持っていた。
とは言え、この世界には魔術という反則技がある。
魔術で出来た地図にはカーナビ的な機能があり、目的地を指定すればそこまでの進路を示してくれるし、それに似た効力を即席で発動する魔術もある。
実際に今、隊列の真ん中で指示を出しているメリルちゃんの手には魔紙で出来た地図が握られており、我々はそれのナビゲーションに従って行動していた。地図上には現在地と目的地のマーカーと、次に進むべき方角の矢印が描かれており、それらがリアルタイムで更新されていた。完全にカーナビである。
地図に書いてある通りならば、私たちは今の移動速度を維持すれば後30分ほどで目的地であるゴブリンの溜まり場に到着できるようだ。
今回クエストとして受領した『ゴブリン10匹の討伐』はDランクのクエストとしては比較的容易なものであるらしい。
ゴブリンという種族は私が古城で出会ったトロールという緑色の肌の巨人の背丈を低くし筋力を弱くしたような存在らしいので、まあ確かにまともに戦えば負けることはないだろう。個人的には採取系のクエストに心ひかれたが、『トロールの反乱』に挑まなければならない手前、その予行練習という意味でもこのクエストは悪くなかった。
ゴブリンがよく出没するという溜まり場も『魔物の森』とその外にある草原の境界からほど近く、『トロールの反乱』を察知した場合どうにかメリルちゃんのペガサスで、ガルゼとメリルちゃんに逃げてもらえそうな距離であることもありがたい。一般の使い魔は魔術師からの魔力の供給が途絶えると送還されてしまうらしいので、この距離という要素は何気に重要であった。
そんなことを考えつつもマッピングを行う手は止めず、周囲を警戒しながら歩いていた私だが、若干の違和感を持ち始めていた。
何と言うか、地図と違うのだ。
実際の地形が。
メリルちゃんの地図ではゴブリンの溜まり場のすぐ近くまでやってきているらしいのだが、私の計測と周囲の実際の地形を見る限り、大分違う場所を歩いている。
具体的には、『魔物の森』を調べた際に知った『毒沼』というかなり危険な地帯のすぐ近くを歩いているはずだ。本に記載されていた内容によると、毒沼は数十分間隔で毒の霧を発生させ、その毒は猛毒で知られる『トロールの血』と同等の害があるらしく、普通の人間は皮膚が溶け、肺が焼かれることになるらしい。
記載通りならば『トロールの血』に耐えた私はまず無傷だろうが、ガルゼやメリルちゃんは下手をすると致命傷を負いかねない。バウトは正直、よく分らん。
――さて、どうしたものか。
地図を軽くたたみ腕を組む。正直悩むような話でもないのですぐに結論は出た。私の懸念が杞憂であった場合のリスクとそうでなかった場合のリスクを天秤にかけた場合、後者があまりに重過ぎた。
ビシバシとガルゼに対し言葉の暴力を叩きつけているメリルちゃんに話しかけるのは中々恐ろしく、ましてや彼女のミスを指摘するような行動は本当に勇気が必要であったが、睨まれようが、怒鳴られようが、ナイフを投げられようが、ここは言わなければならない場面である。
私は隊列を乱しメリルちゃんの背後にそっと近づいた。彼女の地図上の現在位置と、自分の手書きのマッピングとを見比べてから、意を決して話しかける。
「いいですか、マキシさん。何度も言いますが貴方に考える頭など必用ないのです。貴方はただ黙って――」
「メリル様。少しお話が」
「え、あ、か、カーラ様!? はいっ、何ですか!」
満面の笑みで振り向かれる。
「……私の杞憂であったら申し訳ないのですが、恐らく道を間違えています」
「え、そんなはずは、確かに地図にはこの方角だと――」
「カーラ、てめえは何故間違えていると判断した。この道を歩いたことがあるのか?」
バウトもいつの間にか近づいてきていた。私の発言を咎めているというよりは、その根拠を聞きたそうな口ぶりである。恐らく、この男も何か違和感を持ち始めていたのかもしれない。
「いいえ。ここに来たのは初めてです。ですが、この森に入ってから私たちが歩いた歩数と方角から考えるに、メリル様がお持ちの地図上の私たちの現在地は誤っています」
「……ちっと見せてみろ」
私が自分の地図とメリルちゃんの地図を見比べていると、彼はその二枚を私たちの手から奪い取った。メリルちゃんが少し不服そうな顔をしているが、ここは冒険者として最も経験が豊富なバウトにこそ判断を仰ぐべき場面だろう。
「てめえの地図の記録はどの程度信用していい」
「進んだ距離に若干のズレはあるかもしれませんが、方角に関しては全面的に信じて頂いて結構です」
「となると、ちと、まじーな。俺達は今、毒沼の近辺を無防備で歩いていることになる」
「ちょ、ちょっと、何でわたしの地図が間違っている前提で話しを進めているのですかっ」
憤慨するメリルちゃんをよそに、バウトはニヤニヤと笑いながら言葉を続けた。
「いや、だって間違ってんだろ、実際。恐らくだが、今この森では魔術による位置把握が出来なくなるような妨害用の魔術が発動しているはずだぜ」
「そ、そんなこと、この森にいるような知性のない魔物に出来る訳がありませんっ!」
「んじゃあ、この森の魔物以外の誰かさんがやっているんだろうさ。何らかの妨害が行われていることは間違いないぜ。俺が断言してやる」
「魔物の森でそんな事があるなんて話、聞いたことがありません! 大体、魔術師でもない貴方に何故、妨害が行われているかどうかなんて分るんですかっ」
「まあまあいいからよっ、とっととペガサス呼んじまえよ。俺とカーラはともかく、クラーゼのお嬢ちゃんとガルゼじゃあ、毒沼から霧が溢れだしたら一たまりもないぜ。ひゃはははっ。とか言っている間にも、向こうの方から紫色の霧が近づいてきていやがるじゃねえか」
バウトの小馬鹿にしたような態度にメリルちゃんは怒りを覚えたようだが、実際に視界の端に霧が広がってくるのを確認しすぐに気持ちを切り替えたらしい。
腰筒から取り出した巻物を素早く広げ、呪文を唱える。
「来たれ、我が使い魔よ」
その言葉を合図に巻物上の魔法陣が光り輝き、その中からペガサスがいななきと供に姿を現した。
テレビ競馬で見たダービー馬のような見事な葦毛の馬体に、美しく長大な白鳥の翼が付いている。魔物というよりも幻獣とでも言った方がイメージに合う、とても美しく神秘的な獣であった。
メリルちゃんはその馬の背に飛び乗ると、ガルゼに向かい手を伸ばした。
「さあっ、乗って下さい」
「ふん」
ガルゼはやたらと偉そうにその手をとった。とは言え小柄なメリルちゃんに長身の青年が引き上げられるとは思えなかったため、私は下から彼を押し上げた。
「っすみません、カーラ様のお手を煩わせて、しかも、そんな汚らわしい物に触らせてしまって、本当に申しわけありません!」
「……汚らわしい物とは僕の尻のことか?」
「他に何が? さあ、カーラ様も一緒に乗って下さい」
さすがに三人乗りはこの体格のいい馬でも厳しいと思ったが、私がそれを言う前にバウトが代わりに指摘してくれた。
「俺もそいつも毒なんぞで死にはしねえよ。んなことよりとっとと飛んじまえ」
「で、ですが」
「カーラを連れて上がったら、重量的に考えて空に逃げていられる時間は10分も持たねえだろ。霧が消えるまでにかかる時間は大凡20分、つまりカーラを連れて上がった時点でお嬢ちゃんもガルゼも死ぬ。てめえも魔術師なら自分の技量ぐらいきちんと把握しておけ」
「くっ、分りました」
「後、霧は20分程度で晴れるだろうが、完全に晴れたと思っても10分は様子を見ろよ。残り香で死なれてもたまらねえからな」
「はいっ、それでは30分後に」
私の方を名残惜しそうに見るメリルちゃんに、私は「大丈夫だ」という意思を込めて一度頷く。
頬を上気させた彼女にどう映ったのかは知らないが、とりあえずメリルちゃんは納得してくれたらしく、二人を乗せたペガサスは空へと飛びあがった。
「やっと行きやがったか。焦らしやがる」
「こちらを心配して下さった上での躊躇です。感謝こそすれ責めるいわれはありません」
「ひゃははは、カーラはともかく俺も乗せてくれるつもりだったかは怪しいがな」
そんな会話を続ける私たちを、紫色の霧は包んでいった。
本当に間一髪であったようだ。もう少し対応が遅れていたら大惨事になっていたかもしれない。ガルゼとメリルちゃんを逃がせて本当によかった。
近隣の草花が溶けていく様子を眺めながら、私はバウトの様子を伺ったが、さすがに言うだけのことはあり、この男もこの男の装備も無傷であった。
「木は溶けないのですね。しかし草花はこんなすぐに溶けてしまうような場所でどうやって自生しているのでしょうか」
「ああ、すぐに生えてくるんだよ、そいつら。ここらの植物は、毒の霧に耐えられる奴か、溶かされてもすぐに次の芽が生えてくる奴かの二通りしかねえ」
そんな雑談を続ける私たちであったが、その最中でもバウトの威圧感がジリジリと上がってきているのを私の皮膚感覚は感じとっていた。
まあ、戦闘民族にとって私と二人きりこの状況は望ましいものであろうし、ある意味においてこの男の誘導によって作られた状況でもあるため、こいつがこの後どういった行動に出るかはおのずと推測がついた。
目的地から離れてしまっている時点で、私たちがこの場所に留まる意味はないのだ。とっと引き返すなり、進路を変えるなりすべきなのである。
毒の霧の関係上、確かにガルゼとメリルちゃんの二人は一旦空に逃がさねばならないだろうが、合流方法さえ整理しておけば、二人には空を移動してもらい、私とバウトは霧の中を移動するというやり方も充分可能であったはずだ。
とっさに思いつく範囲では、霧の中で待機するメリットなど何もない。
私たちのパーティーを、故意に分断したい訳でもない限りは。
一応可能性としては、バウトがとっさの判断でそこまで考えずに二人に上で待てという指示を出した可能性もあったが、今のこの男の雰囲気を見る限りは完全に確信犯であろう。
さすがに故意に毒沼まで誘導したとは思わない――思いたくないが、少なくとも毒の霧が溢れだすという状況を利用し私と二人きりになれるよう誘導したのは間違いない。
よし、逃げるか。
「――そんじゃ、まあ、始めますかい」
私が決意を固めるのと、バウトがその言葉を発したのが同時ならば、私が地面を蹴り走りだしたのと、バウトの大剣が一瞬前まで私のいた場所に振り下ろされたのもまた同時であった。
「ま、当然、かわすわな」
5メートル程度は離れていた私たちではあるが、バウトの身の丈ほどもある大剣の間合いと、彼自身の残像さえ生じさせる速度の踏み込みは一瞬でその距離を0にしていた。
獰猛な笑みをうかべたまま、外した斬撃を地面に叩きつけることなく正眼に構えなおすバウト。何と言うか、大剣の質量が持つ慣性を、筋力と技術で強引にねじ伏せたような感じである。しかも、それらの剣の扱いは全て右手だけでなされている。左手に至ってはもう片方の大剣を上段で構えたまま動かされてすらいない。
「……ご冗談が過ぎますよ、バウト様」
本当に、何か悪い冗談のようであった。
バウトが左右の手で構えているのは、某狩人ゲームに出てくる大剣という武器のカテゴリーに含まれそうな、身の丈程もある長大な剣である。厚さ20センチ弱、横幅40センチ強、縦幅2メートル弱、あれ全てが鉄であると仮定した場合、恐らくその重量は1000キロ=1トンを超えるのではないだろうか。コミケ・カタログの重量が確か2キロ弱であったことを考えると、彼の握る大剣の重さはコミケ・カタログに換算して実に500冊分以上、並みのオタクに持てる重さではなかった。
そんな『コミケ・カタログ500冊分の重さの大剣』を銀髪銀眼の男は細枝のように振り回し、まるで重さを感じさせない速度で間合いを詰めてきたのである。
これを悪い冗談と言わず何と言おう。
「ひゃははは。この期におよんで、つれねえことを言うなよカーラ、楽しもうぜっ」
バウトの実に戦闘民族らしい発言に対し、私は内心ではもう涙目であったが、さすがにこの状況で相手に弱みを見せるのはまずいので、何とか無表情を維持しようと努力する。
ほぼ完全に偶然からバウトの攻撃を回避した私だが、次に同じことが出来るかというと怪しい……いや、出来るのか? 動体視力も反射神経も上昇しており、バウトの動きは見えるし、見てからかわすことも出来る。人類最強の感覚はそれが可能であると告げている。
だからもし、バウトが単純に『力』と『速さ』頼みの戦い方をしてくれたならば、あるいは勝ち目というのもあるのかもしれない。
しかし、それを期待するには相手の肩書がヤバ過ぎた。セガール級の戦士という存在はそんなに甘い相手ではないだろう。
私は再度、覚悟を固めた。
逃げるしかないだろう。常識的に考えて。
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「――そんじゃ、まあ、始めますかい」
バウトは、自身のその言葉と同時に必殺の『はず』の一撃を放った。
同格のBランクの戦士ですら反応出来ないであろう、タイミングと速度であったが、冷たい美貌の女はそれを予期していたかのように回避する。
銀色の餓狼が5メートルの間合いを詰める間に、10メートル以上の距離を広げて見せたその女の形をした怪物は、美しい黒髪を風になびかせながら例によってとてもつまらなそうな顔でバウトを見ていた。
――お前の力はその程度のものなのか。
言外にそう言われた気がしたバウトは、闘争心を更にたぎらせた。
カーラと二人きりというこの状況は、決して彼の仕組んだものではない。
彼自身ゴブリンの巣の周辺とは異なる植物に――まるで毒沼の周辺に生えていそうな植物に違和感を持ち、その原因を辿るうちに魔術による妨害工作がなされていることを確認していた。自分たちを嵌めようとしている『何者か』の存在を感じとっていたのだ
最初にバウトが考えたのは、いかにしてその影でこそこしている『何者か』を引きずり出し殺すかということであった。
常であれば、実際にその思考に基づき行動していたはずである。
しかし、今の彼の眼前には『まだ美味いか不味いかも分らない獲物』ではなく『明らかに過去最高の獲物』が存在していたのである。
バウトはこの状況を利用することに決めた。
「ま、当然、かわすわな」
必殺のはずの一撃をあっさりとかわしてみせた過去最高の獲物に獰猛な笑みを向けながらも、バウトは冷静にこの女の殺し方を考えていた。
かわされることは半ば予想していた。
バウトは彼女が右手の斬撃をかわした後にこそ、その首を刎ねるための備えを左手に仕込んでいたのである。
事実として、カーラが紙一重でかわそうとしていたり、かわした後に反撃にうつろうとしていたならば、きっとその首は飛んでいた。
だが偶然から回避に成功したカーラは、戦うための間合い取りというには随分と大げさな距離を離れていたし、そもそも戦う気など0なので反撃にうつるはずもなかった。
「……ご冗談が過ぎますよ、バウト様」
もっとも、そんなカーラの内情を知らないバウトには、自分の手の内を全て見透かしているかのような彼女の対応は、いささか以上に『魅力的』であった。
「ひゃははは。この期におよんで、つれねえことを言うなよカーラ、楽しもうぜっ」
常人ならば怯えて涙を流すバウトの気迫にも、冷たい美貌の女は蠱惑的な微笑を浮かべたまま泰然と佇んでいる。
その表情は明らかに、戦いを楽しんでいる者の顔であった。いや、より正確には相手を傷つけ苦しめ命を奪うことを快楽するとする者の微笑――殺人鬼の如き微笑みであった。
――最高だな、てめえは。
バウトの闘争心はかつてないほどに高まっていた。
その瞬間を見計らったかのように、カーラの姿がかき消える。
――はん、着いてこいってことかよ。
カーラが闘う場所を変えようとしていると判断したバウトは全力で追尾した。
この時のカーラが何を考えていたかというと、それは当然逃げることしか考えていなかった。
単純な速度で言えばカーラの方が数段早い。しかし、整備されていない森の中を全力疾走することにおいて彼女はあまりに素人であった。障害物や地面の起伏から走るラインを的確に選ぶことで、バウトは彼我の速度差を埋める。
もっとも、彼にとってはあえて効率の悪い走り方をすることで自分に速度を合せているように思え、少なからず屈辱を感じていたが。
やがて、カーラが足を止めた。
その場所は毒沼の中心であった。
バウトはとっさに沼のほとりで足を止める。
紫色の毒霧が漂う中、同色の沼の上に立ち気だるげに佇むカーラの姿はその華々しくも毒々しい美貌も合わさりまるで一枚の絵画のようであった。
――何が狙いだ?
毒沼に誘いこまれたと判断したバウトは、相手の真意を測るが、とっさにその意図を読み取ることは出来なかった。
――悩むだけ無駄か。
思考を切り替え、二本の大剣を構えるバウト。
銀色の餓狼の経験則において、格上相手の殺し合いで最も重要なことは、相手の土俵で戦わせないことである。
いかに相手の実力を発揮させず、いかに自分の実力を発揮出来る戦場を作れるか、そこが勝利の鍵となると言っても過言ではない。
そのため、現状のように相手に誘い込まれた場所で戦うなど本来であれば論外であると言ってよいのだ。
にも関わらず、彼がこの状況で戦うことを選んだ理由は彼我の間合いにある。現状、カーラとバウトの距離は約50メートル。
向かい合う二人の怪物にしたところで、この距離を一瞬で詰めることは出来ない。
互いが互いの間合の外にいると言ってよかった。
――これまで通りに戦ったならば。
バウトが大剣の柄を軽く弄ると、刀身を覆っていた鉄の鞘が外れた。今まで彼は鞘をつけたまま大剣を振っていたのである。
そして、一回り小さくなったように見える『本当の刀身』には緻密な魔法陣が描かれていた。
『魔石』の剣。
それが、かつて魔術の神童と言われ、現在国内屈指の戦士と呼ばれる男の切り札であった。
「俺もぼちぼち全力でいくが、お前もさっさと俺を殺す気でこいよ。でなきゃ――死ぬぜ」
50メートル離れた間合いでバウトが右手の大剣を振った。
その剣に込められた魔術は単純明快。
『剣を振る』という動作を引き金に、その斬撃の延長線上にあるものを斬撃と同じ威力で攻撃する。ただそれだけの魔術である。
しかし、銃弾の如き魔術の火の玉を見切り両断する男が振るうそれは、さながら閃光とでも言うべき速さと、必殺の切れ味を秘めていた。
カーラが咄嗟に身を伏せ、斬撃の延長線上から身をかわす。
見えないはずの斬撃をいかに察知し、かわしてみせたのかはバウトにも分らなかったが――。
「――甘い」
バウト=カチェットの二つ名は【豪双剣】。
不可視の刃は二本ある。
彼は上段に構えたままの左手の大剣を振り下ろした。
バウトの斬撃の予備動作を見たカーラは、今度は大きく体勢を崩しながらも紙一重でそれをも回避する。しかし、彼女の右頬には僅かに切り傷がついていた。
この二本の大剣による不可視の連撃――『魔剣』とでも言うべき攻撃方法により、バウトは過去に幾度となく格上を葬っている。
自分を上回る身体能力を持っていようが、間合いの外からの不可視の連撃はかわせない。運よく初撃をかわす者がいたとしても、遥か離れた距離故に反撃は許されず、不可視故にいずれはその連撃に捉えられる。
自分を上回る魔術を使えようと、関係ない。どんな魔術師であってもバウトが剣を振るより速く魔術を発動させることなど出来ないのだ。かつて敵に回した悪魔ですら、その人間の魔術とは一線を画する固有魔術を発動させる間もなく首を飛ばされている。
世界全体で見渡した場合、戦士としてバウトの上をいく者は何人もいる。魔術師としてもそうだ。
だが、大剣の鞘を外したバウト=カチェットと遠距離で殺し合いを演じた場合、勝利を収めることが出来る存在は限られていた。
「いいぜっ、さすがだっ、カーラッ!」
不可視の斬撃を2撃目までかわされたのは、バウトにとっても久しぶりのことである。銀色の餓狼は心の底から興奮していた。
とは言え、体勢を崩した獲物を見逃すほどBランクの戦士は甘くない。彼は既に正眼に構え直していた右手の大剣を再度振るう。
その速度と角度は、現在のカーラの体勢からはまず回避不可能と思われるものであった。彼女がどちらの足で地面を蹴っても、逃れられない剣線を描いていたのだ。
「ひゃははっ、そうやって、かわすかっ」
故にその回避は足ではなく、手によって為された。冷たい美貌の女は右手を沼地に叩きつけその衝撃で体を宙に逃がすという、おおよそ人間離れした芸当をやってのけたのである。
「ひゃははははっ、楽しいなっ、カーラッ!」
獰猛な笑みを浮かべ、獣の如き咆哮を上げながらもバウトの斬撃は精密であった。
足場のない空中で回避することは、どれほど常人離れした筋力を持つ人間であっても不可能である。
今までで最速の二連撃を放つバウト。
それに対してカーラは、宙を蹴ることで回避を成功させた。
あるはずのない、見えもしない、空中の足場を蹴って10メートル近い距離を移動してみせたのである。
「……ほう」
バウトが攻撃の手を止めた。
悪魔には人間の魔術とは異なる固有魔術という切り札がある。
しかし、今のカーラにはそれを発動させた気配はなかった。むしろ空中を蹴る瞬間に出現した小さな魔法陣のようなものから察するに、あの回避は人間の魔術によってなされたもののように思えた。
悪魔に人間の魔術は使えない。
しかし、魔術師でもあるバウトの目から見て、この女が使い魔であることは間違いない。
事実のみを統合して考えるならば、眼前の冷たい美貌の女は『人型の使い魔ではあるが悪魔ではない』という、矛盾した存在であることになる。
「……まあ、バウト=『カチェット』ならばここは奇声を発して、てめえの神業を称えるべき場面なんだろうがな」
苦笑しながらも剣の構えをとかない彼の顔には、自らの言動に反してそれまでの戦闘狂の獰猛な笑みとは全く異なる、難解な問題を前にした学者のような静かな微笑が浮かんでいた。
バウト=カチェットは確かに強者との血みどろの闘争を好むが、初めて見る魔物などを相手にした場合、ただ闇雲に突っ込むような愚か者ではない。
敵の習性を暴き、弱点を探る過程もまた、彼にとっては楽しい殺し合いの一環なのである。
そして、今回のように魔術的な謎を解かなければ殺せないような敵が相手の場合は、彼の中に残滓の如く残っているバウト=ヴァン=ランカステルの顔が覗くことになる。
彼の眼は、カーラが宙を蹴った際の魔法陣の構成をある程度読み取っていた。
本来であれば風の壁を作るような魔術であるはずだが、先ほどのあれは本当に足場程度の大きさしかなく、完全に壁ではなく足場とすることを目的に調整された魔術のようであった。
もし自分の体を浮かせるような魔術を発動させようとしていたならば、より発動条件が複雑になりバウトの斬撃の回避に間に合わなかったはずだ。しかしあれならば、効果がシンプルであるが故に発動条件も容易であり、例えば一言呪文を呟くだけで発動は可能であろう。
あの体勢、あの状況下で唯一バウトの斬撃を回避し得る方法であったかもしれない
――まあ、まともな魔術師の考えつくような魔術じゃねえねえがな。
真っ当な魔術師にとって、優れた魔術とは高い威力と優れた汎用性を持ったもののことを指す。そう言った意味ではカーラの『足場』など思いつく者さえいないだろう。
魔術師の考えた魔術というよりは、むしろバウト=カチェットの『魔剣』に近い設計思想である。
威力よりも速度、汎用性よりも実用性。高速戦闘の中での使用を前提とした魔術なのだ。
「……ひゃははは。カーラ、てめえは、本当に何者なんだろうな」
返答などは気にせず、ただ口から零れただけの言葉であったが、冷たい美貌の女は気だるげに言葉を返してきた。
「私が何者であるかを考える余裕があるのなら、自分がどういう状況にあるかを考えるべきではありませんか?」
バウトは反射的に自分の状態を確認する。
その間も視線はカーラから外さず、剣の構えもとかなかった。
「……毒か」
バウトの皮膚は、軽く火傷をしたような状態になっていた。
神に愛されたが如く強靭な肉体を持つバウトだが、この距離まで毒沼に近づいたことはなかった。毒の濃度は当然その中心に近づけば近づくだけ強くなり、毒沼のほとりというこの場所においてはさすがの彼の体も毒に耐えきれなかったようである。
「まあ、すぐにどうこうって傷じゃねえがな。さすがにこの場所となるとそうそう毒霧は晴れねえだろうが、この状況が続いたところで半日やそこらは問題ねえ」
バウトの言う通り、現状のダメージの進行から考えると、あと半日やそこらこの場所にいたところで彼の体に戦闘不能なほどの傷を与えることは難しいだろう。
「……では、貴方はこの場所で戦闘を続けるということですか」
「ああ、てめえが死ぬまでここをどく気はねえぜ。てめえみてえな化物を相手に、この距離、この状況以外で俺に勝ち目がねえのは分ってる。だから、死ぬまでここで付き合ってもらう」
「貴方は、私を殺すつもりなのですか?」
「ひゃはははっ、おいおい、何を今さら、てめえはここで俺に殺され――」
空気が変わる。
冷たくも蠱惑的な美女など、もうそこにはいなかった。
そこに在るそれは、どこまでも冷酷非情な空気を纏う女の形をしたその何かは、これから潰す羽虫を見るような眼でバウトを見つめ、こう言った。
「では、お前が死ね」
不可視の連撃が、化物を襲う。
そのことごとくを、冷たい美貌の女の形をした何かは微笑さえ浮かべながら回避してみせた。
「……ひゃは」
バウトは今の自分の攻撃が、怯えに基づくものであることを理解していた。
怪物に「死ね」と言われた瞬間の心臓を握り潰されるような恐怖に抗うための行動であることを、嫌になるほど理解していた。殺される恐怖ではない、もっと恐ろしい何かを感じ取ったのである。
「どうした、怯えているのか?」
からかうような、蠱惑的な女の美声が耳朶を打った。
「……ぬかせ。俺の優位は動かねえ。こんなクソみてえな毒、俺には何ともねえ、てめえに俺に対する攻撃手段がない以上、俺の剣がてめえの首に届くのが速いか遅いかの違いでしかねえんだよっ」
「届かないさ」
「あん?」
「お前の剣が私の首に届くことなど一生ない」
淡々と、ただ事実を告げるように呟く魔性の女の声に、銀色の餓狼はどうしようもないほどの恐怖に襲われた。
「……だとしてもだ。てめえに俺に対する攻撃手段がねえことに、変わりはねえ」
「攻撃? 何を言っている、お前は勝手に死ぬのだろう」
「てめえこそ何を言っていやがる?」
怪物の言葉の真意を測りかねた彼は、思わず問いかける。
それに対し、紫色の霧の中に佇む毒花の如き女は、禍々しい微笑を浮かべてこう答えた。
「――だから、半日だか一日だか知らないが、たかだか数十時間お前の剣をかわし続ければ、お前は勝手に毒で死んでくれるんだろう?」
戦闘シーンは難しいです。変な感じになっていないとよいのですが。
あと、今回のお話は本当はカーラ視点をもう一回はさんで綺麗に終わらせる予定だったのですが、少し時間がかかりそうでしたのでバトル途中で投下させて頂きました。今週末に更新出来るかは分りませんが、なるべく早く更新出来るよう頑張ります。