第05話 1人目の願い 剣と魔法の世界(05)
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何とか週次で更新出来ているのは読者の皆様のおかげです。今回のお話も少しでも楽しんで頂けたならば幸いです。
魔術を使う。
それは、中学二年生の頃にある種の病を発症させた者たちにとっての共通の『夢』と言っても過言ではないだろう。
私の世代の同胞ならば、血の流れよりも赤き者の力を借りてクラスの嫌いな奴らに等しき滅びを与えんことを願った者もいるだろう。
あるいは、光の白刃を放ち街の荒くれ者たちを一掃しようとした者もいるかもしれない。またあるいは、万物の根源、万能なるマナの力を行使し試験当日の校舎を倒壊させようとした者さえいるだろうか。
臆面もなく言ってしまえば、私も身に憶えがある。
黒歴史という名の歴史の闇に葬られたそれらの記憶の数々は、高校二年生を境に別の病を発症させた頃の私ならば心底憎み抹消を望んだことであろうが、三十路を間近に控えた今の私ならば青春の1ページとして苦々しく思いながらもそれなりに受け入れることが出来た。
が、受け入れられることと再現出来ることはまた別の話である。
「どうしたカーラッ、早く僕の後に続いて呪文を唱えるんだ! いくぞ『我は偉大なる炎の担い手、万物を灰燼に帰し、万象を焼き尽くす、プロメテウスの申し子なり』、よしっ、続け!」
「…………」
「どうしたんだっ、カーラ!」
……ガルゼは悪くない。
この青年はこの青年なりに、魔術を使えない私に親切にやり方を教えてくれているだけなのだ。
だが――。
「ええいっ、もう一度いくぞ『我は偉大なる炎の担い手、万物を灰燼に帰し、万象を焼き尽くす、プロメテウスの申し子なり』燃え尽きよ! ふははははっ、どうだ見たかこの偉大なるガルゼフォード=マキシの圧倒的な魔力と、完璧なる魔術の冴えをっ、カーラっお前も続けっ!」
――何故こうも魔術を発動する彼の姿は私の古傷を抉るのだろうか?
今、私とガルゼは、学園の中心にある長大な塔の真横にある、体育館の様な形状の建物の中にいる。
風呂上がりのガルゼと今後の方針に関して話し合った私は、自分が魔術を使えない現状の問題点と、その改善のために彼に魔術の教えを請いたい旨を伝えた。
失礼な話ではあるが私はガルゼを『他人に物事を教えるのが苦手なタイプ』と認識していたので彼に拒否をされた場合のことも考えていたのだが、意外にも「ほほうっ、お前が僕に教えを請いたいと? ほほほう、まあ、仕方あるまい。そこまで言うのであれば特別に教えてやらんこともないぞ」と乗り気なそぶりを見せてくれたので、ありがたくお言葉に甘えることにしたのだ。
寮から出て訓練所に辿り着くまでの道中、朝8時ぐらいの園内にはそれなりに人影があったが、どういう訳か私とガルゼは彼等の視線を集めていた。
例によって最強の体の恩恵により今の私はチラチラと向けられる視線を経験や直感ではなく『皮膚感覚』で感じとることが出来る。
とは言え、武術の達人でもない私にはそこにどんな感情が含まれているのかまでは分らないため、彼等が悪意や害意に基づく監視を行っているのか、それとも善意や好意の類から注視してきているだけなのか、まるで判断がつかなかった。
羽虫に纏わりつかれるような不快感はあったが、ヘタレな私は自身の不快感と視線を向けてきている相手に文句を言う徒労とを秤にかけた結果、沈黙することを選んだ。とは言え、強烈な視線を感じた際には思わず振り向き相手の姿を探してしまったりもしたが。
少なからず疲労を感じる道中ではあったが、訓練場には割とすぐに到着することが出来た。そして、入口で受け付けを済ませた私達が建物の中に入ると、そこには全面に魔法陣が描かれた室内運動場の様な空間が広がっていた。
床も壁も天井も光沢を帯びた大理石の様な素材に覆われており、その全てに幾何学的な魔法陣が描かれている。
その幻想的な光景に私は思わず息を飲んだ。
ガルゼの言葉を借りるならば、魔法陣を描くことはどこにでも出来るが、魔法陣としての機能を長らく維持出来る素材は希少である。
例えば私を召喚した時に使用された魔法陣は地面に描かれていたが、あれは基本的に一回限りの使用を前提として、ただの石畳の上に描かれていたらしい。
何の魔術的な素養もない素材に魔法陣を描いた場合、基本的に1、2回の使用で魔術が発動しなくなるらしく、魔法陣を描ききるのにかかる労力を考えた場合、何度も使用するような魔術を、使用する度に描くような魔術師は普通はいないだろう。
対して、魔法陣を描く最もポピュラーな媒体である『魔紙』という一見ただの紙にしか見えない素材などは、基本的に紙やインクの劣化で魔法陣の図柄が崩れない限りは、描かれた魔法陣の機能を維持し続ける。
だがそれだけの効果を持った紙だけにA4サイズの『魔紙』10枚に平民一カ月分の生活費がかかるとか。ちなみ紙のサイズが大きくなるごとに価格ははね上がっていき、直径1メートルの炎の球を発射する魔法陣を描くために必要になる『魔紙』などは、1枚で平民が半年は暮らしていける値段らしい。
そして、この建物を覆う大理石のような『魔石』という鉱物は、鋼鉄を上回る硬度と『魔紙』並みの持続力を持った極めて優秀な素材であり、一国当たりの年間採掘量が限られているため魔術師以外の人間は滅多にお目にかかれない代物らしい。
さて、この学生のための訓練所に何故そんなに希少な素材が使われているかというと、それはここが『魔術のための』訓練所だからに他ならない。
そこかしこで学生たちが火の球やら氷の礫やらをぶっ放しているのだ。鋼鉄の硬度と魔法陣による『防御魔術』の効果がなければ、恐らくこの建物はそう遠からず倒壊することになるだろう。
学生たちの様子をよく見てみると、初心者のための訓練所で修業に励むような学生は皆小学生ぐらいの外見をしており、私は小学校の体育館を間借りしているような居心地の悪さを覚えたが、我が契約者は常のごとくそんなことは気にせず大仰な身振りと大きな声で魔術の講義を始めてくれた。周囲の小学生(仮)たちの視線が痛い。
――ガルゼフォード=マキシ、ただ者ではない。
「まずは自分の血をそこのインクに混ぜろ」
「はい」
最初の講義は、訓練場の端にあるデスクスペースから始まった。
魔法陣を描くインクには魔術師の血を混ぜる必要があり、そのインクで描いた魔法陣は、その血の持ち主しか作動出来ないという。
つまりは私が魔術を使いたければ、まず自分の血で自分の魔法陣を描かなければならないのだ。
デスクスペースに備え付けられている彫刻刀のような刃物で、指先を軽く切り、同じように備え付けられていたインクの壺に混ぜる。壺は小さいものがいくつかも備え付けられており、基本一人一壺を使い捨てにしてよいようだ。
魔術を学ぶための場所としてこの初心者用の訓練所を選んだのは、私が本当にずぶの素人であるということもあるが、それ以上にこの場所がインクや『魔紙』などの備品を自由に使える施設だったからである。塔の内部にある訓練所などは基本的に置いてある道具の品質はここよりも高いが、全て有料となるらしい。
つまりガルゼは小学生(仮)たちのために置いてある無料の備品を使うためにこの訓練所を選んだ訳なのだ。
……まあ、今の私は金銭面に関しては彼に完全に依存している立場なので文句の言える筋合いではないのだが、受け付けのお姉さんのガルゼを見る視線の冷たさを考えると、どう考えてもこの青年はこの場所の常連である。
――ガルゼフォード=マキシ、やはりただ者ではない。
「混ぜました」
「よし、次にこの見本通りに魔法陣を描くんだ。紙はそこの劣化版の『魔紙』を使え。10回程度は使用に耐えられる」
「畏まりました」
青いインクと私の血が混ざった薄紫色のインクを使用し、魔法陣の作成に取り掛かる。
私の絵心のほどは、昔友人に『……お前、何だこの絵は。あの平和そうな公園が地獄の広場になっているし、クラスのアイドルの優しい由香里さんが魔女みたいな笑い方をしているぞ。これは、ムンクの叫びというか、ゲルニカというか、もう何だか、思わず人を不安にさせる絵だな。作者の狂気というか、世情の不安というか、ある種のメッセージ性を感じずにはいられんぞ』と称されたあたりから察して欲しい。
とは言え、さすがに書き上げた絵画を美術の教師に「……これは、危険だ」と言われ何故か美術室の倉庫に封印された際には色々と問題を感じ、自分の印象を絵画に反映させずに済むよう、写実の技術に関してだけはやたらと練習した。
おかげで、右の紙に描かれている魔法陣を左の紙に複写するような作業に関しては、それなりに上手くこなすことが出来るのだ。
人生何が役に立つか分らないものである。
「描きました」
「何だ、この魔法陣は。絵柄自体に問題がないのに、不思議と邪悪なものを感じるぞ……」
顔を青くし冷や汗を流すガルゼの姿に、かつての美術教師の姿が重なる。
「……まあ、いい。線の歪み自体は許容範囲だ。魔術は発動する」
だがそこは我らがガルゼ。すぐに常の傲岸不遜な態度に戻ると小学生(仮)たちをかき分けるようにして、的を狙い撃ちにするための射撃場のような空間の一区画を占領した。押し出された小学生(仮)の男の子が恨みがましい目でガルゼを睨んでいる。そしてガルゼは当然の如くそんな視線を気にしない。
――ガルゼフォード=マキシ、ただ者でないにも程がある。
色々な意味で己のマスターに戦慄していた私だが、良識ある大人として、学校側の備品を好きに使うのはともかく、勤勉に訓練に励む小学生(仮)の邪魔をするのは忍びなかったので、さすがにガルゼを止めに入った。
「マスター、先に使っている方がいらっしゃいます。場が空くまで待ちましょう」
「……ちっ、おい愚民の小僧、とっととこの場をさるがいい」
ガルゼの暴言に不満そうな雰囲気を強くする男の子に対し、私は「いやー、うちのアホ上司がすみませんねーいつもいつも、すぐに退散致しますんでー」という意味をこめて愛想笑いを浮かべた。
私の笑顔を見ると、男の子はビクリと全身を振わせて逃げ出した。
「…………」
「ほう、中々に身の程をわきまえた愚民ではないか。今度会ったら褒めてやろう」
……今度会えたら謝罪しよう。何と謝ればいいのかどころか、自分が彼に何をしたのかすらよく分らないが、とりあえず申し訳ないことをしたのは間違いないっぽい。
「よし。ではさっき描いた魔法陣を前に突き出し、これから僕の唱える呪文を復唱するんだっ、いくぞっ」
「……はい」
自分の笑顔が他人に及ぼす影響に少し落ち込んでいたが、いつまでもそうしている訳にはいかないので、気持ちを切り替えて私はガルゼの言葉に集中した。
やはり今後のクエストの達成を考えた場合、魔術の取得は必須である。残りの期限が限られている以上は一刻も早く取得しないといけないだろう。
「『我は偉大なる炎の担い手、万物を灰燼に帰し、万象を焼き尽くす、プロメテウスの申し子なり』はああああっ」
最後の掛け声とともに、ガルゼの掲げる魔法陣から拳骨大の火の球がもの凄い勢いで壁に飛んでいった。
壁に直撃すると同時に火の球は霧散したが、勢い的には普通の石の壁ぐらいならば爆散しそうな勢いである。
……勢いである、のだが、何だあの呪文は。
私は自分の古傷が疼くのを感じた。
そして、中学二年生の頃のこととかを思い出しフリーズしている私をよそに、ガルゼは見本として『カッコいい呪文』を唱え続けたのである。
どうやら我がマスターは私が彼の後に続いて呪文を唱えるまで、ひたすらそれを続けるつもりらしい。
ガルゼが使用している魔法陣は、彼が自室から持ち出した正規の『魔紙』で作られたものであるため、非常に都合の悪いことに、ガルゼが諦めない限り何時間でも魔術を発動させることが出来る。
『カッコいい呪文』を唱え続ける青年の姿を見ていると、何だか自分が罰ゲームでもさせているような申し訳ない気持ちになってきた。
ガルゼ当人は非常に生き生きとした表情で呪文を唱えているが、この場合の問題点は『自分から教えてくれと言っておきながら、ある種の自尊心からその教えを実行に移そうとしない自分』にあるため、マスターが邪気○を発現させているかどうかは関係ない。
――さて、どうする。
私は無意識のうちに腕を組んでいた。
まず、魔術の取得を諦めるという選択肢、これは考えるまでもなく却下だ。願いの達成に影響を及ぼす。
魔術なくして私の『勝利条件』を満たすことは難しいだろう。
では、『カッコいい呪文』を大人しく唱えるか? 出来ればこれもさけたいが、いよいよとなれば止むをえないだろう。
被害が自分自身に限定される限り、それが致命的なものでさえなければ私にとっての『敗北条件』には合致しない。
だが、その前に考えるべきは『魔術を取得する』という『暫定的勝利条件』を満たすために、本当に『カッコいい呪文』を唱えることが必須であるか否かだ。
少し、視野を広げてみよう。
昨晩私が調べた書物には、魔術を発動させるためには『詠唱』や『動作』がキーとして必要である旨記載されていた。
であるならば、『カッコいい呪文』を唱えずとも何らかの『動作』で代替とすることが可能なのではないだろうか。
そう考えた私は周囲の小学生(仮)たちの様子を観察した。
これで『カッコいい動作』をしている子供でも見かけたならば私も色々と諦めていたところであったが、呪文を唱えずに魔術を発動させている子供たちは、皆一様に紙の上に指を走らせ、最後の瞬間だけ攻撃したい対象を指差していた。
何だかスマホでも使っているみたいな感じである。
よし。いいぞ。
私は腕組みを解き、例によって楽しげに『カッコいい呪文』を唱えていたガルゼに話しかけた。
「ガルゼ様。どうやらそのやり方は私には難しいようです。せっかくご教授頂いたのに申し訳ありません。それで、もしよろしければあちらの子供たちがしているような、詠唱を必要としない魔術の使い方を教えては頂けないでしょうか」
「なるほど、呪文を憶えられなかったのかカーラ。そうならそうと先に言え。よし、呪文を紙に書いてやろう。お前はそれを読め」
「いえいえマスター。そもそも私ごとき使い魔が、呪文の詠唱などとは畏れ多い。あれはガルゼ様のような偉大な魔術師が唱えてこそ威風を放つというものです。私にはあちらの子供たちのようなやり方が丁度よいのです」
「何を言う、カーラ。偉大な僕に使えるお前も、充分に偉大な存在なのだぞ。そう遠慮するな。お前も本心ではこの素晴らし内容の呪文を唱えたくて唱えたくて仕方がないのだろう」
咄嗟に出かかった舌打ちを堪える。
……このまま話していてもガルゼを説得出来る可能性は低い。やり方を切り替えるべきか。
一番成功する可能性が高い交渉と、一番リスクが少ない交渉のどちらを選択するかで若干悩んだが、とりあえずは後者の方を選ぶことにした。厳密には『交渉にあたりこちらのリスクがほぼない代わりに、成功する可能性も低い』やり方ではあるが。
「ご、ごほ、ごほ、の、喉がー。くっ、咳が止まりません。ごほごほごほ、これはもう、呪文を唱えられませんっ、ごほごほごほ」
「何? それはいかんな。よし、今日の訓練は中止して一度部屋に戻るか」
「いえマスター、期限を考えると一日たりとて時間を無駄には出来ません。呪文詠唱以外のやり方を教えて下さい」
「そうか、その忠誠心しかと受け取ったぞ。僕もそれに応えるために動作による魔術の発動方法を教えてやろう。ところで咳が止んでいる気がするが気のせいか?」
「気のせいですよ、ごほごほ、ああ、喉が痛いです、ごほごほごほっ」
「うむそうか。では早く終わらせよう」
自分でやっておいて何だが、これに騙されるのかガルゼ……。
「魔法陣の特定の場所を定められた順序でなぞってやればいいのだ。いいか、見ていろ」
「はい、ごほごほ」
そう言うと、ガルゼは幾何学模様の特定の箇所をなぞり、最後に人差し指を壁に向けた。
「燃え尽きろ!」
唱えなくてもいい呪文も唱えた。
まあ、このあたりは個人の美学というか価値観というか、アレなので、唱えたい人間が唱える分には自由だと思う。うん、あれだ。砲丸投げの選手が投げ終わった後に咆哮を上げるのと似た様なものだと考えればそんなにおかしなことでもないのだろう。
自分でやるのは本当に嫌だが。
壁に向かって飛んでいった火球は『詠唱』の場合とそう相違のない威力のように見えた。
「素晴らしいです。ごほごほ」
「ふむ、そうか。まあ、この僕の手にかかればざっとこんなものだ。さあ、カーラ、お前もやってみるといい」
「はい」
私はあまり物覚えの良い方でもないので、途中途中でガルゼに手順を確認することになったが、それでも数分後には何とか魔術を発動させる直前まで持っていけた。
「よし。今だっ、攻撃したい場所をイメージして指差せ!」
「はいっ」
何だかんだ言っても、私も魔術を使うことに興奮を憶えていない訳ではないので、若干上がり気味なテンションのまま壁を指差した。
直径5メートル程の炎の大球が壁に凄い勢いで飛んでいき、壁の結界と10数秒競り合った後に消滅した。壁の方も少し焦げている。
「……ふ、ふん。さすがは僕の使い魔だ。学園長の張った結界と競り合うとはな」
「恐縮です」
ガルゼは引きつった笑みを浮かべながら私を称えた。
周囲を見ると小学生(仮)たちもポカンとした顔をしてこちらを見ている。
書物を読んだ限りでは、魔術の種類は魔法陣の完成度で決まり、魔術の威力は魔術師の魔力量によって決まるらしい。
どうも私の『世界最強の才能』とやらは単純な身体能力だけではなく、魔術的な素養に関しても当てはまるようである。
そうなると私は『世界最強の戦士の才能』と『世界最強の魔術師の才能』の良いところ取りをしている訳なのだが、正直どちらかだけでも持て余しそうな気がしてならない。
とは言え、使えるものは何でも使いたいので、今日の残りの時間はフルで魔術の訓練に当てることにしよう。どんな種類の魔術がどういった威力で発動するのかが分らなければ、怖くて実戦でなどとても使えない。
「それではガルゼ様、残りの魔術の種類と、魔法陣の描き方、そして発動の方法を教えて下さい」
「ふん。よかろう。では僕の後に付いてくるがいい。先ほど魔法陣を描いた場所に戻るぞ。そこで色々説明してやる」
「はい。よろしくお願い致します」
「ところで咳が止まって――」
「ごほ、ごほ、ごほ」
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その日のメリル=フォン=クラーゼの行動をカーラが把握していたならば、「ああ、ストーカーですね。分ります」とでも言っていたことだろう。
朝、寮を出て行くカーラたちの姿を『たまたま』目撃したメリルは、そっと二人の後をつけていたのである。
そして『偶然』持っていた双眼鏡でカーラの歩く姿をうっとりと眺めていた。
途中、その強烈な視線に気づいたカーラは何度かメリルの方を振り向いていたのだが、残念ながら金髪碧眼の少女は、光学迷彩的な機能を持った魔術の外套を羽織っていたため、その姿を捉えるまでには至らなかった。
訓練所に向かうカーラの、豊かな胸や腰回りに邪な視線を向ける男たちを見た時は、思わず『学園内においては、訓練所以外の場所で許可なく攻撃魔術を使うことを禁じる』という学園の規則をやぶりかけたメリルだが、彼女が行動に移すまでもなく、彼女の想い人が周囲にその氷のような視線を少し走らせるだけで、有象無象の男たちはそそくさと離れて行った。
気だるげで退廃的その瞳は、並みの神経の者ならば、直視しただけで正気を失いかねないほどの危うい輝きを帯びていた。
メリルはそんな瞳を直視して、思わず――。
「ああ、素敵です。カーラ様」
と呟き、頬を赤らめていた。
ちなみカーラがその視線の強さに思わず振り向いたり、居場所を探ったりしていた相手というのは基本的にメリルのことだったのだが、当事者同士はそのことに最後まで気付かなかった。
――あそこは初心者用の訓練所。何故あんな場所に?
カーラとガルゼフォードが入っていた建物を確認し、訝しげな表情をするメリル。
母親が悪魔を使い魔としている関係上、メリルはガルゼフォードや一般の魔術師よりも悪魔という種族のことを把握していた。
その彼女の知識が正しければ、悪魔は人間の魔術を使えない。エルフやドワーフといった種族でも使える魔術だが、悪魔には何故か使えないのである。
もっとも、それは使えないという以上に、使う必要がないと言った方が適切であるかもしれないが。Bランクの戦士をも凌駕する圧倒的な身体能力と、詠唱や予備動作を必要としない固有魔術の数々、並みの魔術など使えたこところで足かせにしかならないのが悪魔という種族なのである。
必然的にカーラはこの場所に要件がないということになる。
では、ガルゼフォードがこの場所にどんな要件があるかというと、それはそれで想像が付かなかった。
初等科の学生の中でも年少の者が足を運ぶような場所なのだ。高等科として可もなく不可もなくというレベルのガルゼフォードには本来縁のないはずの場所なのである。
訝しく思いながらも、訓練所の内部に入ることを躊躇うメリル。
彼女は翌日カーラと待ち合わせをしていた手前、このタイミングでわざわざ会いに行ったら鬱陶しい女だと思われるのではないだろうかと懸念していたのだ。
色々と物騒かつアブノーマルな恋愛感情のようなものをカーラに抱いているメリルだが、そのあたりの臆病さは、年相応の初恋をむかえた少女のものであると言えるだろう。
ずっと傍にいたい。あの冷たく美しい女の傍らに立っていたい。
だが同時に、理由もなく横に立っていたら嫌われるのではないかという恐怖がある。カーラの身に纏う退廃的で排他的な空気は、傍らに立つ誰かの存在を拒絶していた。
だから、メリルはカーラの横に立つことでもなく、彼女から離れることでもなく、遠くから眺めることを選んだのだ。
そのため、メリルは建物の中の様子が気になりながらも踏み込むことが出来ずにいた。
しかし、カーラたちが建物に入ってしばらくすると、中から一人の少年が飛び出してきた。優等生で正義感の強いメリルは下級生からも慕われており、その少年の顔にも見おぼえがあったので声をかける。
「おはようございます。そんなに慌ててどうかしたのですか?」
「メ、メリル様っ、おはようございますっ。それが、訓練所の中に変な奴らが入ってきまして」
「変な奴ら?」
まず、常日頃から初等科用の備品を使っているらしいガルゼフォードの話を聞いてメリルは呆れた。
「その人物には心当たりがあります。今度担当教官にでも報告しておきましょう。……それで『奴ら』というからには複数人が入ってきたのでしょうが、他のお方はどんなご様子でしたか?」
「それが、もう一人は初めて見る女の人だったのですが、何と言うかその人が凄かったんです」
「凄いとは?」
「そ、その、凄い綺麗な女の人でした。そして、とても凄く怖い人でした……」
「具体的に何かあったのですか」
「いえ、別に何かをされたという訳ではなく、むしろボクを庇おうとしてくれたのだと思うのですが、その時の表情が凄く怖かったんです。まるでおとぎ話の中に出てくる人間の姿をした怪物のような――」
少年がそこまで言った時、メリルは彼の頬に手を当てていた。
「怪物だなんて、よく知りもしない方のことを悪く言ってはいけませんよ?」
「メ、メリル様?」
少年が怯えたように半歩下がるが、メリルはそれよりも深く踏み込み、間近で彼の瞳を覗き込んだ。
その瞳を直視した彼は、つい先ほど訓練所の中で味わったのと同じ様な恐怖を感じた。
「いいですか。きちんと理解していないようなので特別に教えて差し上げますが、本来であれば『あの方』を貶すだなんて、絶対に許されないことなんですよ。ですが君はまだ初等科の学生です。二度と『あの方』のことを悪く言わないと誓うのであれば、今回だけは『見逃して』あげましょう」
「あ、あの、あのメリル様?」
「お返事は?」
いつもように、穏やかな微笑を浮かべるメリル。
だが少年には目の前の少女が、あの正義の代名詞とも言えるメリル=フォン=クラーゼと同一人物だとはどうしても思えなかった。
それこそ、おとぎ話の中に出てくる怪物のような――。
「――お返事は?」
「は、はい分りました! もう二度とあの女の人のことを悪く言いませんっ!」
「ふふふ、よろしい」
優しく自分の頭を撫でるメリルの手を振り払い、すぐにでも逃げ出したい衝動に少年はかられた。だが恐怖と、生存本能の類が少年にその行動を踏みとどまらせる。
「お話を聞かせて頂きありがとうございました。それでは気をつけてお帰りなさい」
「は、はい」
脱兎のごとく走り去る少年の姿を目で追いながら、どうやらカーラがガルゼフォードの備品漁りに付き合わされているらしいと判断したメリルは、どうしようもない苛立ちに襲われた。それこそ、今すぐにでも訓練所の中に踏み込み、ガルゼフォードをめちゃくちゃにしてやりたい気分になった。
しかし彼女の中では、怪物じみた衝動よりも、初恋をしている少女特有の臆病さの方が勝ったらしく、結局メリルは待機を選んだ。
しばらく待っても二人が出てこないことに、本当に備品漁りが目的できたのかという疑問を憶えたが、その頃には彼女にも次の予定が控えていたのでしぶしぶと訓練場を後にした。
メリルの予定とは一つは担当教官であるアレインに現状を報告することであり、そちらの方はすぐに片付いた。
だがもう一つはカーラから依頼されていたことであったため、彼女もそれなりに気合を入れて望んだのである。
『明日挑戦するDランククエストの受注及び、同伴する冒険者の確保』。それがメリルがカーラから依頼された内容であった。
本来はカーラも自分とガルゼフォードでそれを行うつもりだったのだが、自分の有用性を示したいメリルに半ば押し切られるような形でそれらの作業を少女に頼んだのである。
無論、メリル自身も勝算があるからこそ、その役割を引き受けていた。
フェルト近辺の昨今の状況を考えると、『トロールの反乱』を警戒した冒険者が学生の課題に協力してくれる可能性は低かったが、メリルは冒険者の中でも多少は名前の知れた魔術師であったため、何らかの事情でこの状況でもDランク以上のクエストに挑まなければならない冒険者がいたならば、同行を拒まれる可能性は低いと判断したのだ。
魔術学園を出たメリルは、まっすぐに『冒険者ギルド』を目指した。
街の南の関門のすぐ近くにあるその施設には、様々な方面からの依頼が集まりそれらの依頼を受注するために昼夜を問わず多くの冒険者たちが行き来している。
建物の大きさこそ三階建ての大きな宿屋程度のものであるが、この施設を拠点とする組織こそが、フェルトがある地方一帯の治安を維持する双璧の一つである『冒険者ギルド』であった。
双璧のもう一つである『騎士団』に数や組織力でこそ劣るものの、個々の冒険者の戦闘能力は並みの兵士の比ではなく、最強の騎士と最強の冒険者が戦ったならば勝つのは冒険者であるとされている。
メリルがそんな冒険者ギルドの扉を潜ると、例によって慌ただしく行き来する冒険者たちの姿が目に入ったが、それでも彼女の知る普段の冒険者ギルドと比べると遥かに活気がなかった。
『トロールの反乱』の影響だろう。カウンターに立つ受付嬢たちも、日中帯のこの時間は本来ならば大忙しであるはずだが、珍しく暇そうで、欠伸を噛み殺している者さえいる。
そんな状況で、ギルドに入ってきたメリルは良くも悪くも目立っていた。
中にいた冒険者の男のうちの一人が「いい暇つぶしの相手が見つかった」とばかりにニヤニヤとした笑みを浮かべながら、やひた言葉を金髪の少女にぶつけた。咄嗟に不快な気持ちになったメリルではあるが、基本的に『ある男』と口論している場合か『ある女性』に絡んだ話でない限りは、品位ある貴族の姿を崩さない程度の自制心は持ち合わせているので、その冒険者の男の言葉は聞き流すことが出来た。
「よう、何お高くとまっているんだよ、無視すんなよ、貴族のお嬢ちゃん。ここはあんたのような人間が来る場所じゃあ――」
「黙りな。てめえこそお呼びじゃねえんだよ」
大柄な中年男の言葉を遮るように、メリルに続いて扉をくぐってきた男の若々しくも荒々しい声が割って入った。
「ああん、何だてめえはっ、って、バウト、【豪双剣】のバウト=カチェットか! はは、おいおい、何でBランクの戦士様がこんな場所にいるんだよ……」
「てめえの知ったことじゃねえだろ、おっさん。そんなことよりも、冒険者ギルドの中で、せっかく来やがった貴重な魔術師を追い返そうとしたてめえの了見を俺は聞きたいね」
「い、いや、それは……」
しどろもどろになる中年男性に詰め寄るその男は、相手の男性よりも身長でこそ勝っていたが、引き締まった筋肉のためか全体のシルエットとしては筋肉達磨のような中年男性と比してずっとスマートに見えた。
だが、そこに細さや頼りなさはない。無駄な肉をこそぎ落とした野生の獣のような威圧感だけがあった。
自身の銀髪銀眼と、その身に纏う銀色の外套も相まって、見る者に、戦いに餓えた銀色の狼のような印象を与える男である。
「お久しぶりです。カチェット様」
「よお、久しぶりだな、クラーゼのお嬢ちゃん」
中年の男に向けていた獰猛な表情を消し、どこか人懐っこい笑みを浮かべる狼のような男。
メリルとバウト、この二人はメリルが課題の関係で何度か冒険者ギルドに足を運んだ際に面識があった。
基本的に冒険者の多くを『口先ばかりの連中』と考えているメリルであったが、この男は数少ない例外である。
魔術学園上位の魔術師の中ですら、この男に間違いなく勝てると言える存在は学園長ぐらいのものであった。他に互角の戦いが出来そうな者は何人かいたが、この男と『接戦』になってしまった時点でまず魔術師に勝ち目はないだろう。
魔術を追求する者と、強者との闘争を求める者、実力が伯仲していた場合こと戦いにおいてどちらに軍配が下るかは明白であった。
「ちっと見ねえ間に、随分と恐ろしくなったな」
「何のことです?」
本気で意味が分らないメリルはこてんと小首を傾げたが、銀色の餓狼の闘争本能は可愛らしい仕草を見せる少女の瞳の中にかつてはなかった『狂気』や『邪悪さ』といったものを感じ取っていた。
「自覚がねえなら別にいいさ」
バウトは愉快そうに笑った。
「……恐ろしくなった等と言われて、気にしない女性はあまりいないと思いますよ」
「別に貶しているつもりはねえんだがな。俺としちゃあ、恐さがねえ人間なんぞ、戦ってもつまらねえだけだからな。今のお嬢ちゃんの方がやり合う相手としちゃあ断然面白れえ」
「わたしには貴方と戦う理由などありませんが? そもそもBランクの冒険者を相手にしてただの学生が勝負になる訳ないじゃないですか」
「今はな。確かに今は、俺と戦う理由も、俺と戦えるだけの力もお嬢ちゃんにはねえ。だが10年後にも同じかと言うとそれは分らねえぜ」
愉快そうに物騒なことを口にするバウトに、呆れきった視線を向けるメリル。
金髪碧眼の少女は一つ溜息を吐くと、バウトに話しかけた
「ところで、貴方がここにいるのは、やはり貴方自身を囮として『トロールの反乱』を解決するためですか」
「ああ、ギルド長から直々にお達しがあってな、慌てて商業都市の事件を切り上げて戻ってきたんだよ」
「『トロールの反乱』発生直後に依頼を送ったにしても、今この瞬間にこの街に戻ってくるためには、上位の魔術か、飛行型の魔物の背にでも乗らない限りは戻ってこれない位置関係だったかと思いますが、貴方はどうやって戻られたのです?」
「どうやってって、んなもん決まってんだろう? 自分の足で走ってきたんだよ」
特に誇る様子もなく当たり前のことのように、駿馬をも超える速度で、駿馬であっても半月はかかるという距離を、己の足で走破してきたと言う男は間違いなく人の枠組みを超えた存在であった。
「……さすがですね。ところで、もし囮をやるクエストが決まっていないのであれば、わたしが受けるクエストに同伴しては頂けないでしょうか」
この男の同伴があれば確実に安全性が増すと考えたメリルの判断は、基本的に間違っていない。
「ん? 別にいいぜ。どれを受けようが、囮が成功する可能性なんざ変わりねえだろうからな」
「ありがとうございます」
「ところでどんなパーティーで行く気なんだ。お嬢ちゃんはともかく、学生の大所帯で行くとかいう話になったら、敵を殺しきるのはともかく、味方を守りきれるかどうかは分んねえぞ」
「それでしたらご心配ありません。パーティーはあと2名です。1名は確かに足手まといかと思いますが、そちらはわたしが守りきります。そしてもうお一人にはそんな心配は不要です。わたしも直接戦っているお姿を見たことはありませんが、近接戦闘で貴方に匹敵するだけの実力をお持ちの方と言えば、ご安心頂けますか」
「――ほう」
誇らしげに『もう一人の実力者』を語るメリルは気付かなかった。
闘争に餓えた狼が、自分と互角の存在がいると聞いて、どんな感情を抱き、どんな表情を浮かべているかということに。
そう、この男の同伴があれば確実に安全性が増すと考えたメリルの判断は『基本的には』間違っていないのだ。
だが、同一パーティー内に銀色の餓狼に匹敵する戦士がいた場合に限っては、そこにクエストとは異なる危険性が発生することになる。
「――そいつは、楽しみだ」
獰猛な笑みを浮かべるバウト=カチェットが、冷たい美貌の女と殺し合いを演じることになるのはその翌日のことである。
相変わらず展開が遅めで済みません。次回はようやくバトルシーン的な何かを書けそうです。