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第14話 1人目の願い 剣と魔法の世界(13)

更新が長らく空いてしまい申し訳ありません。


前話予告していた冷酷カーラ話はもう少し後ろになりそうです。

今回は説明回orエイプリル回な感じです。


それでは今回のお話も読んで下さった方々に少しでも楽しんで頂ければ幸いです。





 路地裏から、メリルちゃんに服の袖を引かれること数十分。

私達は無事クラーゼ邸の正門前に到着した。


 ――そう、無事だ。

 特筆すべき出来事など何もなかった。


「ふう、ようやく出血がおさまりました。見苦しい姿をお見せして申しわけありません。それにしても、カーラ様のお胸の感触はやはり素晴らしいものですね。ふふ」


 ……道中、私の胸部がメリルちゃんに接触したのは事実である。

 その直後、彼女が出血した事も否定しない。

 しかし、二つの事象の間に因果関係が存在した等という証拠は何処にもないのだ。


 偶々、そう、本当に偶々、ちょこっと接触しただけの話。

 とてもではないが、人に血を流させる様なぶつかり方ではなかった。


「しかも、カーラ様の方からお胸を押し付けて下さるだなんて、興奮で鼻血を流してしまうのも我ながら止むを得ない状況でした。ふふふ」


 ……百歩譲って、私が自分からメリルちゃんに胸部を押し付けていたとしよう。

 それがどうした。

 欧米ではハグなんて日常茶飯事。取り立てて騒ぎ立てる様な事ではない。

 やれやれ、ジパングの撫子ガールでもあるまいに、メリルちゃんのうぶさにも困ったものである。

 ハグ如き、恥じる必要など何処にあるというのか。


「それからっ、ご自身の体勢に気付かれた後、恥ずかしそうに取り乱すカーラ様のお姿もとても可愛らしかったです! 素敵でした!」

「…………さあ、メリル様、早く門を潜りましょう」



*********************************



 冷たい美貌の女(残念)が、明らかに話を逸らす目的で発した「早く門を潜りましょう」という言葉ではあるが、実際問題彼女達は早く門を潜るべきだった。


 と言うのも、クラーゼ邸の訪問者達にとって正門はゴールではないのだ。

 むしろ、位置づけとしてはスタートラインに近い。


 そもそもカーラ達がこの屋敷の『塀』に辿り着いたのは15分以上前の話である。

 そこから塀伝いに移動して、ようやくつい先程、正門前に辿り着いたのだ。否が応にもその塀の長さ――ひいては塀が囲う敷地の広大さが伺い知れる。


 想定される大豪邸の面積に、冷たい美貌の女は密かに「これが、スネ○の家に訪れた時の○び太や、花○くんの家を訪れた際のま○子の気持ちか……」と戦慄していた。


 ちなみに、一向に見えてこない正門を目指すのが面倒臭くなったカーラは、自分がメリルを抱き抱えて塀を飛び越えるプランを提案していたが、それは苦渋の表情を浮かべた(恐らく抱き抱えられたかったのだろう)少女によって却下されている。


 提案した女の方も気付いていた事ではあるが、この屋敷を囲う塀の上部からは一定間隔で噴水の様に水が噴き出しており、それらが上下左右に拡散する事で作られる『水幕のドーム』とでも呼ぶべき代物によって、クラーゼ邸は全体を覆われているのだ。

 見た目が繊細さすら感じさせる水のカーテンであるため、5メートル近い高さの塀の上に辿り着けさえすればその『薄っぺらい壁』を突破する事は容易に思える。

 しかし、フェルト最強の魔術師が自らの私邸を守るために作り上げた『結界』はそんな生易しい代物ではなかった。


 多くの犯罪組織にとっての天敵である、フェルト魔術学園学園長、エイプリル=フォン=クラーゼ。

 彼女の首を求めてクラーゼ邸に侵入しようとする暗殺者や賞金稼ぎは後を絶たないが、大半の者は、まずこの結界で命を落とす。

 通常の『守るための結界』とは明らかに一線を画する、『攻勢結界』や『殺戮結界』とでも呼ぶべき恐ろしい代物なのだ。


 クラーゼ家当主は『いくつかの理由』から罠が致死性である事を娘に隠している。

 そのためメリルは、水幕に触れた者が『一瞬でズタズタに切り裂かれて死ぬ』という事実を知らないのだが『触れると大怪我をするので絶対に近付いてはならない』という注意は散々受けていたため、カーラの身を案じて塀越えを止めたのである。


 あるいは、人類最強の肉体を有する魔人の女ならば力ずくで件の結界を破壊する事も可能かもしれないが、移動時間を短縮するために(もしくはメリルが抱き抱えられたいがために)邸宅の守りを消滅させる訳にもいかないだろう。


 その辺りの事情もあり、二人は長い時間をかけて塀を迂回してきたのだ。

 そして、これからまた来た道を引き返すかの様に、塀の内側にある邸宅への長い道のりを歩む事になる。

 あまりのんびりしている余裕もないのだ。


「……そうですね、カーラ様とのお話でしたら歩きながらでも出来ますし、屋敷の中でも出来ますし、わたしの部屋でも出来ますし、ごにょごにょ(お風呂の中でも出来ますし)、取り敢えずは中に入りましょう」


 メリルが門の横に描かれた魔法陣に手を翳すと、巨大な正門はひとりでに開いた。

 まるでカーラがいた世界の、指紋認証で開く自動ドアの様である。


 ……普段であれば、少女の不穏な発言にカーラも少なからず警戒心を抱いていたはずだが、この時彼女の注意は、メリルに対してではなく、クラーゼ邸という空間そのものに対して向けられていた。


 正門が開くまでは『胸押し付け事件』を無かった事にしようと目論むなど、それなりに余裕も見せていたカーラだが、門の向こうに並んだ『槍ぶすま』ならぬ『クロスボウぶすま』は彼女からそんな余裕を一瞬で奪い去った。


 ここにきてカーラはようやく、自分がクラーゼ邸という空間の危険度を低く見積もり過ぎていた事を理解したのだ。


 理解して、それはもうビビりまくっていた。


「……メリル様、向こう側に並んでいる大量のクロスボウは一体?」

「ああ、あれでしたら、不正な手順で侵入しようとした不届き者を驚かせるための、ただの飾りです」

「ほう、ただの飾りですか。それは良かったです」

「お母様に聞いた話では、本命は弓矢ではなく、地面に見えない様にしかけてある爆発魔術の方らしいです」

「……ほう」

「わたしは現場を見た事はありませんが、お母様曰く、爆発の威力は敢えて殺さない程度に抑えてあるらしいので、死人は出さずに済むそうです。人殺しはいけない事なので、とても良い事だと思います」

「……なるほど」

「そう言えばお伝えし忘れていましたが、死にはしないけれど大怪我をするレベルの仕掛けは庭園内にもたくさんありますので、わたしの側から離れないで下さいね――と言っても、マキシさんでもあるまいし、カーラ様に言う様な忠告ではありませんね。ふふ、失礼しました」

「……いえ」


 今のカーラの気分は、刻命○行きを命じられたモブ兵士である。

 いつ屋敷のデストラップが自分に牙を剥くのか気が気でなかった。


 外見上は余裕に満ちた退廃的な雰囲気を保っているが、内心ではもう必死で白旗を振りながら「おうちかえりたい、おうちかえりたい」と連呼していた。


「……私も手を翳した方がよろしいでしょうか?」


 だからこの質問も『自分の認証を行わずにメリルに付いていったら、供連れ防止機能が働いて地雷が作動しました』とかいう展開を恐れてのものだ。


「いえ、大丈夫です。この魔法陣は、手を翳した人物が事前に登録されていた場合、門を自動で開閉させるスイッチの様なものです。どうぞお先に――む」

「どうか致しましたか?」

「……いえ、よくよく考えるとカーラ様お一人で門を潜るのは危ないかもしれません。登録されているわたしと接触していれば、何の危険もないはずですので是非『手を繋いで』一緒に潜りましょう。ささ、お手を」


 爽やかな笑顔で手を差し出すメリル。

 無論、彼女の語った内容は嘘である。

 単に冷たい美貌の女と手を繋ぎたいだけだ。


 想い人の「触れるな」発言以来、金髪碧眼の少女は一応『自分からカーラの体に直接接触する事』を自重している。

 そんな彼女が、今回の様なアタックチャンス――『カーラの方から触れる様に誘導出来る機会』を見逃すはずがないのだ。


「よろしくお願いします」

「こ、こちらこそよろしくお願いします!」


 冷たい美貌の女は、デストラップとは『別の罠』の存在に気付く様子もなく、あっさりとメリルの手を握った。

 計算通りに事が運んだ金髪碧眼の少女は、とても愛おしそうに、カーラの白魚の如き指先に己の指を絡める。


 門を潜りながらも、想い人の冷たい肌の感触に興奮してドキドキが止まらないメリル。

 門を潜っている最中だからこそ、罠の発動を警戒しドキドキが止まらないカーラ。

 はたから見る分には、生真面目な表情で(頬を赤らめてはいるにせよ)客人を先導する優等生の少女と、気だるげにそれに導かれる怜悧な美貌の女という構図なのだが、内実は二人とも心臓の鼓動が大変な事になっている。


 幸い、メリルがヘブンに旅立ったり、カーラが恐怖で心臓発作を起こすよりも先に、二人は門を通り抜ける事に成功した。


 想い人の指がスッとすり抜けていく感触に、少女は寂しそうな表情を浮かべる。


「どうかされましたか、メリル様?」

「い、いえ、何でもありませんっ」

 

 メリルは誤魔化す様に可憐に笑い、道案内を再開した。


 冷たい美貌の女の目から見て、クラーゼ邸の庭はとても見事なものだった。

 国際展示場の東西ホールを合せたよりも広そうな大庭園には、剪定された草木によって形作られた小さな森や、色取り取りの花が咲き誇る花壇、精密な彫刻がなされた噴水や彫像等が、所々に点在している。

 空を覆う水の幕から零れてくる、木漏れ日の様な優しい光も合わさり、まるで物語の中に出てくる楽園の様な、浮世離れした美しさの漂う空間だった。


 だが、罠を警戒し注意深く周囲を観察していた冷たい美貌の女は、しばらく歩いていてこの庭園の不自然な点に気付く。

 樹木が生い茂る並木道を抜けながら、彼女はそれを先導者に問いかけた。


「メリル様、一つ質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか」

「はい、何でしょう?」


 コテンと小首を傾げる少女。


「この庭園には『生き物がほぼ存在しない』様に見えますが、何か理由があるのでしょうか」


 花壇の上には蝶の一匹さえも飛んでおらず、樹木の間からは小鳥の囀り一つ聞えてこない。

 緑豊かなこの庭園において、確かにソレは不思議な事である。


 メリルは気まずそうに視線を逸らしながら、わざと『事の本質』からズレた回答を返した。


「……それはですね、結界によってこの庭園が外界から隔離されているためです。人間の侵入者はもちろんですが、鳥や虫すら許可なくこの敷地に踏み入れる事は許されません」

「なるほど――」


 ――しかし、それならば結界を張る以前、元から存在した鳥や虫はどうなったというのか?


 カーラが抱いたその疑問は、少女が隠そうとしている事の正鵠を射ていたが、ソレが相手にとって触れられたくない話題である事を察した彼女は、敢えて深追いしなかった。


 実際『この庭園に生物がほぼ存在しない理由』はメリルにとって秘匿するべき事柄である。

 醜聞の類とさえ言っていいだろう。

 だから、彼女は話を逸らしたのだ。


 ――だが、同時にメリルは想い人からの追求を望んでもいた。

 少女の中には『他の誰が忌避したとしても、カーラ様ならば、わたしの全てを理解し受け入れて下さるはず』という盲信じみた想いが存在する。


 ……そう。

 例え、両親から矯正を受ける以前のメリルという幼女が、この森に存在する小動物や虫の大半を『楽しいから』という理由で殺戮していたのだとしても、冷たい美貌の女ならば受け入れてくれると――あるいは、共感さえしてくれるかもしれないと彼女は思ったのである。


 それは、やはり妄想の類だ。

 魔人の女も『願い』が絡みさえすれば、例えどれだけ時間を費やそうと庭園の生物を殺し尽くすだろうが、逆を言えば何の利益も発生しない状況でそんな事はしない。

 倫理観の問題以前に、損得勘定の問題である。

仮に『紫陽花』の冷酷さで良心が凍てついたとしても、益のない殺戮など理性が許しはしないのだ。


 殺戮を厭わない者と、殺戮を好む者。

 似てはいるが、なまじ似ているからこそ、互いが互いの在り方に『共感』出来る余地はあまりないのである。


 その事に気付けないメリルは、想い人の冷たい美貌を伺いながら『秘密を打ち明ける』切っ掛けを探っていたが、彼女の望んだ機会が訪れるよりも先に、二人は目的の屋敷に辿り着いていた。


「ハァ……カーラ様、この屋敷がクラーゼ邸の本館となります」


 小さく溜息を吐きながら己の自宅を紹介する少女。

 当人は気付いていないが秘密を打ち明け損ねたのは、むしろ彼女にとって幸運な事である。


「素敵なご自宅ですね」


 そして、残念そうな案内人とは対象的に、客人である冷たい美貌の女は大豪邸の重厚な美しさに素直に感動していた。

 この女に芸術的な価値を見抜く審美眼はない。

 しかし赴きのある落ち着いたデザインの大邸宅は、そんな素人目にも一目で「美しい」と思える様な外観だったのだ。


「い、いえいえ、フォンの爵位を持つ貴族の家としては、質素な方ですよ。えへへ」


 例によって、本心が伺えない酷薄な微笑を浮かべているカーラだったが、色々と目にフィルタがかかりまくっているメリルは、嬉しさ半分恥ずかしさ半分といった笑顔で謙遜した。


「え、えーと、では早速中に入りましょう!」


 そして二人は玄関を潜り――バスタオル一枚で待ち構えていたエイプリルのダイナマイトボディを目撃する。


「ようこそ当家にいらっしゃいましたわ、カーラさん。どうぞ本日は――」


 格好にそぐわぬ上品な微笑と口調で、歓迎の言葉を口にするクラーゼ家の当主。


「ちいっ」


 クラーゼ家の一人娘は、先程までの笑顔が嘘の様に険しい表情で舌打ちし、カーラを連れて屋敷の外に飛び出した。

即断即決の『退避』である。


 相手の口上など完全に無視したその退き際の潔さは、廃墟の曲がり角などで予期せず魔物に出くわしてしまった時の冒険者のソレに近い。


 まあ少なくとも、実家で母親に出迎えられた際の娘の反応ではなかった。


「……カーラ様、少々外でお待ち頂いてもよろしいでしょうか?」


 幼さの残る可憐な顔立ちに、能面の様な笑みを貼り付けて問いかけてくるメリルに対し、冷たい美貌の女はただ黙って頷いた。

 内心で「……こわすぎるよ。メリルちゃん」とガクブルしながら。


「ふふ、すぐに『片付き』ますので」


 そう言い残すと、少女はズンズンといった足取りで屋敷の中に戻っていった。

 独り屋外に取り残されたカーラはそれから数分間、聞きたくもない騒音の数々を聞かされる羽目になる。


 少女の金切り声。

 おっとりとした口調で反論する女性の声。

 何かがガシャンと割れる音。

 しくしくと泣く女性の声。

 追い打ちをかける少女の声。

 何かがメキメキと壊れる音。

 ドドドドという効果音。ゴゴゴゴという威圧音。

 えんえんと泣く女性の声。


「…………ふぅ」


 基本的に厄介事の類には首を突っ込みたくないカーラだったが、扉の向こうで繰り広げられている(であろう)家庭内バイオレンスを放置しておくのも気が引けたらしく、気だるげに溜息を吐きながら――恐る恐る扉を開いた。


「ううう、仕方なかったのよ、汚れてしまって、お風呂に入って、二人が来るのが分かって、慌てて出てきたの、仕方なかったのよ~、ううう」

「だからと言ってっ、クラーゼ家の当主として在るべき姿というものがっ――ハッ、カーラ様!?」


 色々と見られたくない光景を、見られたくない人に目撃され、金髪碧眼の少女は大いにたじろいだ。


 対する冷たい美貌の女の方は女の方で『眼前の光景』に色々な意味でたじろいでいた。

 バスタオル姿のまま正座をさせられ、半べそをかいているエイプリル、そんな母親の眼前で腰に手を当て仁王立ちしているメリル、そして床に散乱した家具や花瓶の残骸。

 本心を言えば、見なかった事にして扉を閉めたい気持ちで一杯だった。


 と言うか、捕食される直前の小動物の様にフルフルと震えているエイプリルの姿がなければ、カーラはたぶん本当に逃亡していたはずだ。


「……メリル様、差し出がましい事を口にする様ですが、直接的にせよ間接的にせよ、身内を暴力で黙らせるやり方はよくありません」


 身内を、と限定するあたりにこの女の悪質さが伺えるが、確かにかつての『彼』は例え自己防衛のためであっても、『身内』と認識した相手に対して暴力を振った事は一度もなかった。

 ……まあ『敵』が相手でも闘争ではなく逃走を優先する様な人間の話なので、どこまで参考にしてよいものか微妙なところであるが。


「ぼ、暴力を振ってなどいません! ただ花瓶を割って、下駄箱を破壊しただけです!」

「……ううう、カーラさぁん」


 正座したまま嗚咽を上げていたエイプリルは、ガキ大将にいじめられた時の某眼鏡少年が青狸に飛びつく様な勢いでカーラに縋りついた。


「カーラさんっ、メリルがっ、メリルがいじめるんですわ~」


 一応捕捉しておくと、おっとりした美女にその娘の様な邪な思惑はない。

 心底追い詰められた人間が、擁護してくれる人間に縋りついただけの話である。


 しかし、ものの見事にカーラの胸部に顔を埋め、泣きじゃくる勢いでそこの膨らみに顔を擦りつけるエイプリルの姿は、彼女の娘の敵愾心を大いに刺激した。


「い、イジメてなどいません! ただ正座をさせて、お母様の素行の問題点を反省させていただけです! と言いますかお母様っ、離れて下さい! 他人様の胸に顔を押し付けるなど、どれ程下劣な行いをしているのか自覚はあるのですか! ええいっ、離れなさい!」


 言葉のブーメランを投げまくるメリルの剣幕に圧され、更に泣きじゃくる金髪赤眼の美女。顔を埋められ無駄にたわむカーラの胸。そしてそれに怒る少女。

完璧な悪循環である。


 結局、メリルが怒り疲れた事により場が収まるのは、それから10分近く後の事だ。



*********************************



 玄関で、荒ぶるメリルちゃんの怒りを鎮めた後、私が真っ先に行ったのはエイプリルさんに服を着てもらう事だった。

 

 今の私の体型も相当アレだが、丸眼鏡がよく似合うおっとり美人のエイプリルさんは、その雰囲気通り非常に包容力溢れる女性的なボディーラインの持ち主である。


 そんな方にバスタオル一枚でうろつかれる等、目の毒以外の何ものでもない。


 幸い、入浴中に来客に気付き慌てて飛び出してきたという彼女は、別に『家ではバスタオルで過ごすのがポリシー』という人でもなかったので、話が終わるとすたこらさっさと風呂場に戻って行ってくれた。


 比較的寒冷なこの地域で、午前中から風呂に入っていた事に疑問を覚えなくもなかったが、偶発的に発生した汚れを洗い落とすためと言うのなら、入浴が変なタイミングになるのも仕方がない事だろう。


 またメリルちゃんが言っていた「お客様が来ると分かっているのに、何故呑気にお風呂等に入っていたのですか!」という言葉に関しては、完全に濡れ衣である。

 エイプリルさんの想定では、私の訪問はもっと後ろの時間のはずなのだ。

 具体的には、二時間ぐらい後……メリルちゃんの『待ち合わせ二時間前行動』によって早まったこちらの動きなど、おっとりしたママさんは知る由もない話であろう。

 そこを責めるのは些か暴力的である。


 ちなみにメリルちゃんは、ママさんが姿を消すと「昼食の準備をしてきます。わたしの手料理なんですっ、楽しみにしていて下さいね!」と言い残し、どこぞに去っていった。


 結果として私は現在、一人で応接間に立っている。


 広い応接間の中、巨大なリュックサックを背負い、ぽつねんと独り佇んでいる。

 ……うむ。暇だ。

 そして、手持無沙汰である事を自覚した途端、精神的疲労がドッと押し寄せてくる。


「……ふぅ」


 自然と溜息が漏れた。


 ドキドキが止まらない罠だらけの大庭園といい、バスタオル一枚お色気満載のエイプリルさんといい、母親に対する怒り(物理)を物にぶつけるバイオレンスメリルちゃんといい、この邸宅は私にとってあらゆる意味で心臓に悪い。


 別段、二足歩行するカバ(的な生物)がノソノソ歩いている谷の様な、牧歌的な穏やかさをこの場所に期待している訳ではない。

 しかし、もうちょっとこう、ほんの少しだけでも、穏やかさだとか優しさだとかが感じられる空間であっても罰は当たらないと思うのだ。


「お母様っ、そんなはしたない格好で屋敷の中をうろつかないで下さい!」

「うう、背中の紐が上手く結べないの。これからカーラさんに結んでもらおうと――」

「わたしがやります! とっとと背中を向けて下さい!」


 ドタバタ、ドタバタ。

 ガシャン、バリーン。


 ……廊下の方から幻聴が聞こえてきたが、幻聴なので当然気にする必要はない。

 半開きになったドアの隙間から、バスタオルさんの艶姿や、バイオレンスちゃんの荒れ狂う姿が見えた様な気がしなくもないが、所詮は幻視、無視してよろしい。


 ふぅ、それにしてもこれだけ幻聴や幻視を立て続けに知覚してしまうとは、少し疲れているのかもしれないな。


「きゃんっ、いやんっ」

「お母様っ、変な声を出さないで下さい!」

「うう、ごめんなさい……あら、そう言えばメイル、お風呂場にあった見慣れない道具は何なのかしら?」

「ああ、あれでしたら後ほどカーラ様と一緒に入る時に使おうと思っています」

「あらあら、だったらわたくしも、もう一度入ろうかしら。わたくし、お友達と一緒にお風呂に入るのに憧れていたの――ぎゅう、く、苦しいわ、メリルッ、紐を締めすぎよ」

「……わたしとカーラ様の二人で入るので、お母様はお待ち下さい」

「でもメリル――きゅう」


 ……相当、疲れが溜まっているらしい。


 これはいかん。

 帰って疲れを癒さねば。

 よし、帰ろう。


 廊下から出るのは拙い、逃亡――もとい、帰宅を悟られる危険性がある。

 私は消去法的に窓から脱出する事にし、窓枠に手を伸ばした。


 伸ばして――逃走本能に従い全力で飛びのいた。


 窓枠の上から下に振り下ろされたギロチンの如き風の刃が、一瞬前まで私の手首があった部分を通過した事を知覚する。


 恐らく、窓を開けようとした人間の手首を切り落とすための仕掛けだ。

 今の私の肉体強度ならば耐えられる可能性もあるが、恐らくガルゼあたりがコレに引っ掛かったならば、切断→出血多量→死亡か、切断→ショック死の二択を迫られる事になる。

 まあ要するに、死ぬ。


 ……あれ? おかしいぞ『大怪我はするけど死にはしない』レベルの罠ではないのか? 確実にデストラップの類だぞコレは。


 私が軽くパニクっていると、今度は聴覚が頭上で発生した異音を拾った。

 咄嗟に上を向くと、シャンデリアが落下してきている。


 しかも、先程までは無かったはずの下向きの刃が剣山の様に飛び出しているというオマケ付き。

 至れり尽くせりだ。

 やったぜ、畜生っ。


 全力で地面を蹴り、足場を爆散させながら壁際まで退避する。


 シャンデリアは、地面に叩きつけられる直前で落下を止めた。

 しかし本当に『直前』であるため、まともな人間がシャンデリアの真下にいたならば、撲殺、圧殺、刺殺の中からランダムで死因を選択され天に召される事だろう。

 まあ要するに、死ぬ。


 ……デストラップしかねえ。


 一応、第三、第四の罠がないかを警戒した上で退避場所を選んだつもりだが、窓枠のギロチンとか、シャンデリアの圧殺装置とか、正直私の予測出来る範疇を越えているので、次に何が襲ってくるのか想定出来ない。

 だから、いつどこから何が襲ってきても対応出来るよう、五感を全力で研ぎ澄ました。


 さあ、どこからでもかかってくるがいい! 

 でもなるべくならくるな!


 ……。

 …………。

 ………………何も起こらない。


 どうやら一連の罠は終わったらしい。

 そうと分かれば、急がなければ。

 急いで、このデストラップハウスから脱出せねば。


 しかし、窓からの脱出を諦め別途帰宅(逃亡)ルートを検討しようとした瞬間、廊下からコツコツと近付いてくる足音が聞えてきた。

 逃げる場所も時間もない。


 仕方がないので、逃亡を図った事を覚らせないために「え? シャンデリアが落ちてきた理由なんて知りませんよ? むしろ元からこんな感じじゃありませんでしたか」という顔をして堂々と立っていると、半開きだった扉が静かに開かれた。


「お待たせしましたわ。カーラさん」


 扉の向こうから現れたこの館の主であるエイプリルさんは、フルアーマーダブルエリプリルさんになっていた。

 何と言うか、それぐらい豪華仕様になっていた。


 白や水色を基調とした柔らかい色合いのドレスは、ドレスなんぞというものを他人の結婚式ぐらいでしか見た事がない私の目から見ても、素晴らしい出来栄えだった。

 ゴテゴテとした派手さはないが、洗練された落ち着きのあるデザインである。

 エイプリルさんの、金髪赤眼の柔らかい美貌と、成熟したボディーラインを実によく引き立てていると思う。


「あらあら、そんな風にジッと見つめられると照れてしまいますわ」


 恥ずかしそうに頬に手を当てるエイプリルさん。

大人の美しさを纏いつつも、やはりどこか可愛らしさを感じさせる女性である。


「とてもよくお似合いですよ」

「あらあら、まあまあ」


 両手を頬に当て恥ずかしがる様に、顔を左右に振る。

 可愛らしい。

 気のせいか、私の心拍数が少し上がっている気がする。


「お、おほん。と、ところで、罠が発動している様ですけれど、何かございましたの?」


 気のせいだった。

 そう言えば、このドキドキはエイプリルさん来る前――具体的にはシャンデリアに押しつぶされそうになった辺りから始まっている。

 魅力的な異性に対する興奮ではなく、恐怖に基づく緊張からの動悸だった。


 しかし、どう答えたものか。


 エイプリルさんの雰囲気的には、恥ずかしさを誤魔化すために視界に入ったシャンデリアの話題に振れた様だが、さすがに馬鹿正直に「貴女方が不穏な会話をしているのが聞こえたので、窓から逃げようとしました」等とは言えない。


 唸れ、私の灰色の脳細胞。

 一刻も早くエイプリルさんを納得させる巧みな言い訳を思いつくのだ。


 …………よし、思いついたぞ。


「メリル様が昼食の準備をされているというお話でしたので、何か手伝える事がないかとそちらに向こうとしたら、ついうっかり罠を発動させてしまったのです」

「あら? でもシャンデリアが落ちてくる仕掛けは、窓を開けようとした場合しか発動しないはずですわよ? メリルを手伝いに窓から外に出ようとしたんですの?」


 ……おのれ。


 雰囲気を見る限り、エイプリルさんに嘘を追求する意図は無く、ただ純粋に疑問を投げかけてきただけの様だ。

 小首を傾げている姿がまた何とも可愛らしい。

 可愛らしくて憎らしい。


 どうにかして、言い訳を考えなければ。

 クールでスマートな言い訳を思いつかなければ。


 …………よし、これだ。


「やや、それは窓だったのですか。てっきり隣の部屋に行くための扉か何かかと……」


 うむ。

 まあ、我ながら苦しい言い訳――ですらない。

 ただの気の毒な人の、気の毒な発言である。


 いや、だって、アレですよ。

 こういう状況でポンポン上手な嘘が出てくる奴の方が、人として問題ありありなのですよ。


 さすがに、いくらエイプリルさんが、おっとりしていて天然でも、この嘘を信じてはくれないだろう。

 拙い展開になってきたぞ……。


「うふふ、意外とうっかりさんですのね」


 信じてくれました。


「ええ、そうなのです。これからは『うっかりカラ兵衛』とでも呼んで下さい」

「まあっ。わたくし、知っていますわ! そういう呼び方の事を『あだな』と言うんですのよね。お友達同士で、親愛の情を込めて呼び合うんですわよね! 素敵ですわっ、え、えーと、ちょっと待って下さいな。わたくしも今自分の『あだな』を考えますわ」


 楽しそうにはしゃぐエイプリルさん。

 今の一連の会話で、この人が気の毒な程に善人である事と、相当なぼっち人生を歩んできた事が発覚した。


 私もあまり他人の事は言えないが、それでも渾名っぽいものの一つや二つぐらいはある。

 ……何故なのだろう?

 未だ直感や本能はエイプリルさんを脅威として認識しているが、それを除けば普通に(かどうかはともかく)魅力的な女性である。

 一体どんな要因が、彼女を周囲から孤立させたと言うのだろう?


「あ、あの、うっかりカラ兵衛さん」

「……何でしょうか、エイプリルさん」


 自分で提案しておいてなんだが、かなり嫌な呼ばれ方である。

 へへへ、こいつはうっかりダゼ……。


「あ、あの、わたくし、自分のあだなの前にうっかりカラ兵衛さんの新しいあだなを考えたんですけど、そちらで呼ばせて頂いてもよろしいかしら?」

「ほう、それはありがとうございます。お好きな様に呼んで頂いて構いませんが、ちなみにどの様な?」


 この際うっかりカラ兵衛を卒業出来れば何でもいい気もしたが、一応確認しておこう。


「カラちゃん」


 少し恥ずかしそうな笑みを浮かべて「どうかしら?」と反応を待っているエイプリルさんはやはり可愛らしいが、『カラちゃん』等という可愛らし過ぎる渾名を自分に付けられるはのーさんきゅーである。


 下手をすれば、私とボーグさんがバウトの野郎に付けてやった愛情溢れる渾名『ゴミ野郎』や『クズ野郎』以上に嫌な呼ばれ方だ。


 今更ではあるが、私にだって男として守りたい一線というものが――。


「ど、どうかしら? その、変かしら? 変、ですわよね……その、ごめんなさい……わたくし、あだなを付けたり付けられたりした事がなくて……気を悪くしないで下さるかしら……許して下さいまし……」


 エイプリルさん の なきおとし こうげき だ!


「カラちゃんでお願いします」


 カーラ は しゅんさつ された!


 いや、だって、尋常じゃない『しょんぼり』具合だったのだ。

 それはもう、しょんぼり王決定戦とかあったら、確実にメダル獲得を狙えそうなレベルの落ち込み具合だったのだ。

 

 エイプリルさんの元気と私のちっぽけなプライドを天秤にかけたならば、恐らくは前者の方が重い気がする。たぶん。


「ほ、本当にいいんですの?」

「ええ、素晴らしい渾名です」

「…………うふ、うふふふ、カラちゃん!」

「何でしょう?」

「呼んでみただけですわ!」

「……左様ですか」


 色々と失ったものも大きい気がするが、取り敢えず窮地を脱したと思った私が、話を先に進めようとエイプリルさんを見ると、彼女は何故か「じーーー」と期待に満ちた視線で私を見ていた。


 ――――渾名か。


 これはアレだろう。

 こっちはそっちに渾名を付けたから、そっちもこっちに渾名を付けてくれという流れなのではあるまいか。


 ……無茶を言ってくれる。


 私のネーミングセンスは相当ロクなものではない。

 頑張っても『銀色のDQN』とか『寝取りクズ野郎』とか『二日酔い遅刻魔』とかそういうレベルである。


 ここは視線に気付かなかったフリをして話を進めるのが、お互いのためであろう。

 

「じーーーですわ。あだなが頂きたいですわ」


 なんか、口に出して仰ってる!?


 ……雰囲気的には、本音が漏れたというか、本人は気付いていないけど、心の声を口走っているというか、そんな感じっぽい。


「どきどき。どうしましょう。わたくし、人生初のあだなを頂いてしまうのかしら。どうしましょう。どきどき」


 ……切な過ぎるぜエイプリルさん。


 仕方がない。頑張ろう。

 要するに、己のセンスに頼ろうとするからいけないのだ。パクればよい。

 今回に関しては、丁度エイプリルさんが「カラちゃん」という渾名を作ってくれているので、ベースはあれでよかろう。


 エイプリルさん。エイプさん。リルさん。エイさん。プリルさん。etc。etc。

 ……。

 …………。

 一つ捻ってエプさんというのはどうだろうか。

 何となく可愛らしい。よし、これでいこう。


「ところでエイプリルさん」

「どきっ、な、何ですの、カラちゃん?」

「……お返しという訳ではありませんが、私も貴女に渾名を付けさせて頂いてもよろしいでしょうか」

「え、ええ、もちろんっ、よろしいですわ! どんなお名前かしら!」

「エプさん、というのはいかがでしょう」

「はうっ、う、嬉しいですわ! 凄い、素敵ですわ! ……あ、で、でも、その、もしよろしければ、え、エプちゃんと、呼んで下さらないかしら?」


 年上を「ちゃん」呼ばわりというのは、私の感性的には『無し』なのだが……。


「どきどき、わくわく」


 エイプリルさんの期待の眼差しが痛い。

 ……基本的に私は『毒を食らわば、皿まで』という考え方が好きではないのだが――毒を食おうが食うまいが皿など食うなと思うのだが、今回は少しだけ妥協しよう。


「それでは、エプちゃん、と」

「カラちゃ~ん!」


 ガバっと抱きつかれた。


「えい」


 ボフッと引き離した。


「カラちゃん!?」


 エイプリルさんは、まるで親友に裏切られでもしたかの様に悲痛な表情を浮かべたが、私は心を鬼にして――彼女の涙目からクールに視線を逸らしつつ、話を先に進めた。


 この人には、聞いておくべき事がいくらでもある。


「時にエプちゃん。いくつかお伺いしたい事があるのですが、よろしいでしょうか」

「うう、何かしらカラちゃん」


 ハンカチで涙を拭った後、気丈にも上品な微笑を浮かべてみせるエイプリルさん。

 何だかとても悪い事をしている気持ちになる。

 ……負けるな私。聞け、聞くのだ。


「単刀直入にお伺いしますが、罠の発動を避ける方法を教えては頂けないでしょうか?」


 些か図々しい事を言っている自覚はある。

 罠の配置や詳細は、本来部外者に対して漏らしていい様な情報ではないはずだ。

 それを類推する事が可能な『罠を発動させないための方法』もまた同じであろう。


 だが――。


「……秘匿性の高い情報である事は理解しています。しかし、せめてこのシャンデリアの様な『致死性のモノ』に関してだけでも「何をしてはいけない」、「何処に近付いてはならない」といった様な形でご忠告頂く訳にはいかないでしょうか?」


 デストラップに殺されかけた立場としては、図々しかろうと何だろうと、罠に関して事前に聞き出せる情報は全て聞き出しておきたかった。

 文字通りの意味で、死活問題である。


 トロールの反乱に関して、魔術学園学園長に確認したい事は多いが、取り敢えず足場を固める方が先決だろう。


「あらら? もしかしてあの子、罠に関してろくにお伝えせずに、カラちゃんを一人で残して昼食の準備に行ってしまったのかしら? カラちゃんは、シャンデリアの仕掛けもご存知なかったの?」

「私が罠に関してメリル様から伺っていたのは『彼女の後を付いていけば大丈夫』という事と『即死する様な罠はない』という事の二点です……」


 メリルちゃんのいない場で、致命傷狙いの罠に引っ掛かった私としては、非常に心もとない情報である。


「……申し訳ありませんわ、カラちゃん。メリルには後できつく言っておきますわ」

「いえ、お気になさらず。手前で言うのも何ですが『他人の家の窓を勝手に開けようとする』という私の行動は、事前に想定出来るものではないでしょう」

「むー、そう言って頂けるのは有り難いのですけれど、あの子には『客人を一人にしては危ないから、基本的に同伴するか、罠のない場所できちんと注意を促してから単独行動をして頂く様に』といつも教えているのですわ。そんな基本的な事も忘れてしまうなんて……あの子、少し浮かれていますわね。やはり後で叱っておきますわ」

「浮かれている? 何かいい事でもあったのですか?」


 私がそう問いかけると、何故かエイプリルさんは生温かい眼差しをこちらに向けた。

 ……どういう意味なのだろう?


「うふふ、いいですのよ。それもカラちゃんの持ち味ですものね。おほん、とこでカラちゃん、話をご質問頂いた内容に戻しますけれど、罠の配置や発動契機は別にお話しても構いませんわ」

「……有り難いですが、本当によろしいのですか?」

「ええ。だって、わたくしカラちゃんの事を信用していますもの!」


 ……意図が読めん。

 こちらが提案した様に、ぼかして注意を促すというのならまだしも、具体的な配置等の情報を昨日今日出会ったばかりの人間に話すなど、正気の沙汰とは思えない。

 確実に何か裏があるな。


「うう、カラちゃんがもの凄い疑いの眼差しでわたくしの事を見ていますわぁ」

「そんな事はありません」

「視線を逸らされましたわ……ううう、本当に信用してますのにぃ。いいですわ、いいですわ、でしたらカラちゃんが納得する様な理由を説明してあげますわ!」


 唇を尖らせ「わたくし、ぷんぷんですわ!」といったオーラを放つエイプリルさん。

 恐くない。むしろ可愛い。


「この邸宅の罠程度では、ランプの魔人であるカラちゃんに、致命傷は愚か重傷すら与えられませんわ。どうせ意味のない罠ならば、詳細を教えてしまってもあまり影響はありませんでしょう? この説明でご納得頂けたかしらっ、ぷんぷん!」


 ………………………………ん?


「……今、私の事を何と仰いましたか?」

「ぷんぷん! よく憶えていませんが、お友達なのにわたくしの事を信じて下さらないカラちゃんとでも言っていたかしら? ぷんぷん!」

「……その点に関しては謝罪します。ですから――」

「ぷんぷん! ぷんぷん!」

「……機嫌を直して下さい。そうですね、お詫びに何か私に出来る事はありませんか? 可能な限りの事はさせて頂きます」


 女性を怒らせた時の私のコマンドは大きく分けて四つしかない。

 ①説き伏せる

 ②謝る

 ③逃げる

 ④はねる

 経験則として①を選択して上手くいった試しがないので、③を選べない現状では②を選ぶしかない。

 

「ぷんぷ――本当ですの? 何でもお願いを聞いて下さいますの?」

「……可能な範囲で」

「で、でしたら一緒にお風呂に入るのとかはどうかしら(もじもじ)」

「……前向きに検討してみます。それで私の事を何と仰っていたかという話なのですが」

「あらあら、うふふ、よく憶えていませんが、わたくしと固い友情で結ばれた親友のカラちゃんとでも言っていたかしら? うふふ」

「いえ、ランプがなんちゃらとか、魔人がうんちゃらとか」

「あらら、そうでしたわね。ランプの魔人のカラちゃんと言っていた気がしますわ。それがどうかしましたの?」


 ……やはり、空耳などという都合のいい話ではなかったか。

 となると、次に行うべきは、エイプリルさんが何を何処まで把握しているかの確認だろう。


「エプちゃんは、私の事を『悪魔』だと思わないのですか?」


 この世界において、人型の使い魔は原則『悪魔』とやらに限定されるらしい。

 徳のある人間をマスターに選ぶ特性や、人間の魔術を使えない点など、ランプの魔人である私との間には相違点も多いが、今まで出会ってきた人々は人型の使い魔であるという時点で勝手に悪魔だと思い込んでくれていた。


 ……バウトだけは、上記の相違点などから私の正体を疑っている様だったが、それでも『ランプの魔人』である事には辿り着いていない。


 と言うよりも、辿り着ける訳がないのだ。

 前提知識として『ランプの魔人』という概念を知らない限りは。


「あらら、だって奴らとカラちゃんでは色々と違いますわよ。人型の使い魔で悪魔でないのなら、つまりカラちゃんはランプの魔人――わたくし達のこの世界の外からいらした来訪者の方、という事ですわよね?」


 ――咄嗟に、無言を返した。


 私にとって自分がランプの魔人であるという事実は、極力隠しておくべき事柄である。


 通常の召喚の場合、仮に召喚者が先に斃されても、使い魔の方は『召喚元』に戻るだけで消滅する訳ではないらしい。

 もっと言えば、事前に大量の魔力をもらっていたなら召喚者が死亡した後もしばらくは行動が可能で、そのタイムラグを利用し召喚者を殺した相手を殺す事も可能である――と、図書館で借りた本に書いてあった。

 まあ要するに、召喚者と使い魔は一蓮托生という訳ではないのだ。


 だが、ランプの魔人の場合はそうもいかない。

 検証する訳にもいかないので推測になるが、恐らく現在の『願い』の状況でガルゼが死ねば、連鎖的に私も滅ぶ。


 この情報を第三者に知られるのは、極力避けたい事だった。

 例えば、毒沼の戦いでバウトにこの事実を知られていたならば、あの男は私を狙うのではなく、ガルゼの首を取りにいっていた危険性が高い。

 少なくとも、私が逆の立場ならばそうするだろう。


 そう言った意味で言えば、最悪『私がランプの魔人である』事はバレてもよかったが『ガルゼが私のアキレス腱である』事だけは、絶対に誰にも知られてはならない情報だった。

 私のためにも。

 あいつのためにも。


 故に――。


「あら、カラちゃんは何をそんなに『警戒』しているのかしら? ……もしかして、マキシくんを人質にとって、わたくしがカラちゃんを脅そうとしているとでも思われているのかしら?」


 ――その言葉は、既に私にとって脅しに等しい。


 当人がどういった意図で口にしたかは知らないが、こちらの警戒心を一瞬で跳ね上げるには充分過ぎる台詞である。


 この人を、軽んじているつもりはなかった。

 どれだけおっとりしていようと、どれだけ可愛らしかろうと、バウトの様な戦闘狂をして怪物と言わしめる様な相手を軽んじられる程、私は勇敢な人間ではない。


 だが正直、ここまで後手に回る羽目になるとも思っていなかった。

 この状況、エイプリルさんが私に対し本気で悪意を抱いていたならば、既に詰んでいる。医療機関に独り残してきたガルゼをエイプリルさんの部下なり何なりに狙われた場合、今の私には守る手段がない。


 第一印象でエイプリルさんの事を『気が付いたら笑顔のまま警察に通報されていそうな恐さがある』と称したが、何て事はない、おっとりした姿に和んでいる内に喉元にナイフを突きつけられていた。


 何気に、この世界に来て以来、最大の窮地に立たされている気がする。


「酷いですわ、カラちゃん! わたくし、お友達を無理やり従わせる様な酷い女ではありませんわ! ぷんぷん!」


 ――どうする? もし先手を取られているならば、今からガルゼを助けに戻っては遅過ぎる。

 思いつく範囲で有効な返し手は、こちらの王が詰まれるより先に――ガルゼに危害が加えられるよりも先に、『相手の王』を『詰む』事ぐらいか?

 ……勝てる自信が全くない辺りアレだが、まあ仕方がない。

 やるか。 


「ぷんぷ――か、カラちゃん、本当にマキシくんに危害を加えるつもりなんてありませんわよ? で、ですから、そんなに恐い顔をなさらないで下さいまし」


 何だかエイプリルさんがオドオドし始めた。


「うっ、うう、どうしましょう? 折角仲良くなったお友達を、あっという間に失ってしまいそうですわ。ど、どど、どうしましょう。そ、そうですわ、カラちゃん、わたくしが知っている『ランプの魔人』に関する情報を全て教えて差しあげますわ。その話を聞いて頂ければ、わたくしがカラちゃんに敵意を抱くはずがないという事が分かって抱けますわ! ですから、その、親の敵を見る様な目でわたくしを見ないで下さいまし……」


 ……読めん。

 この人がどこまで本気で話をしているのか、まるで分からない。

 だが、時間稼ぎ目的で話をしている可能性は低いだろう。

 そもそも彼女が話を始めなければ、こちらは警戒する間もなく詰まれていた。


 もしかして『ガルゼを人質に云々』は、脅しではなく、本当に何の意図も無く発せされた言葉なのだろうか? 


 ……いったん、判断を保留しよう。

 いかんせん、情報が不足し過ぎている。取り敢えず、エイプリルさんが言うところのランプの魔人の情報を聞いてからでも『やる』のは遅くないはずだ。


「分かりました。いったんお話をお伺いしましょう」

「……まだ何か恐い事を考えていますわ」

「私の顔はいつもこんなものだと思いますが?」

「伊達に学園長を長年務めている訳ではありませんわ。カラちゃんは極端に感情が表情に出にくいだけで、割と喜怒哀楽のはっきりしている子だと思いますわよ」

「ちなみに今の私はどう見えますか」

「とても殺気だっていますわね。しかも、その殺意がわたくしに向いている様な……う、うふふ、気のせいですわよね。カラちゃんが、そんな事考える訳ありませんものね!」

「……さすがですね」

「か、カラちゃん、今の『さすが』は、カラちゃんがわたくしに殺意を向ける訳がないという部分に賛同してくれたのですわよね?」

「…………………………………………………………もちろんですとも」

「カラちゃんっ、間がっ、沈黙が長過ぎますわよ!?」


 フルフルと震えるエイプリルさんだったが、彼女に提案された『一緒に街中を何の目的もなくブラつく事』を検討すると言ったら、落ち着いてくれた。

 検討はするとも、検討は。


「それでは、わたくしが知っている『ランプの魔人』に関してご説明させて頂こうと思いますが、出来れば資料を使ってお話したいので、わたくしの部屋まで一緒に来て頂いてもよろしいかしら?」

「私は別に構いませんが、メリル様にはここで待つ様に言われているのですが」

「ああ、それでしたら書き置きをしておくので大丈夫ですわ。それにメリルの腕前では完成するまでもう一時間ぐらいはかかるでしょうし」

「……お一人で作られているのですか?」


 魔術的な補助があると仮定しても、この規模の屋敷で料理を手伝う使用人や料理人の類が一人もいないというのは、少しおかしい気がする。


「……その、罠が……」

「なるほど」


 そう言えばこの屋敷は、換気のために窓を開けようとしたら『手首を切り落とされ』て『シャンデリアに押しつぶされる』様な空間だった。

 下手に外部の人間を招き入れたら死人が出る。


「一応、早朝からきちんと仕込みはしていた様ですので、あの子一人でも味は確かだと思いますわ」

「……それでも、一人でやるよりは分担して片付けた方が早いでしょう。お邪魔でなければ、お手伝いしますが?」


 頑張ればカレーぐらいは作れるのだ。


「わたくしもそう思って手伝おうとしたのですけれど、メリルに「カーラ様に召し上がって頂く物は、わたし一人で作りたいです。お母様はカーラ様のお話相手をしていて下さい。あと、過度なスキンシップは厳禁ですよ」と追い返されてしまいましたわ」


 それならば仕方がない。

 という話になり、私達は一路エイプリルさんの部屋を目指した。


 やたら広い屋敷なので早歩きでもそれなりに時間はかかったが、どうにか5分程度でクラーゼ家ご当主様の自室に到着する。


「うふふ、お友達を自分の部屋にお招きするのは初めてですわ!」

「……そうですか、それは光栄です」


 一々おっしゃる事が切ないので忘れそうになるが、この人は決して油断をしていい様な相手ではない。

 私の願いのため、ガルゼの安全のため、気を引き締めていかなければ。

 ドアを潜った瞬間に、クロスボウから矢が飛んでくるぐらいの事は覚悟しておこう。


「じゃじゃーーんっ、ですわっ」


 扉を潜るとその向こうは、ふぁんしーな世界だった。


「……うわ(ボソッ)」


 ピンク色の壁紙の部屋というのを初めて見たが、目に痛い。

 部屋の至る所に配置されている可愛らしい人形類も、この部屋の主が私よりも年上であるエイプリルさんだという事を踏まえて見ると、色々と心に痛い。


「どうかしらっ、カラちゃん?」


 丸眼鏡がよく似合うおっとり美人さんは、凄まじいまでのどや顔をしていた。


「……どう、とは?」

「もうっ、この部屋ですわっ、この部屋の事、どう思いますの?」

「……斬新なお部屋だと思います。今まで見た事がありません。あと、小さな女の子とかは喜ばない事もなくはないのではないでしょうか。人形とか可愛らしいですし」


 エイプリルさんには本音を読まれる危険性があるので、シレっと視線を逸らしながら、嘘でない範囲でなるべく当たり触りのない言葉をチョイスする。


「そうですわよねっ、そうですわよね! さすがはカラちゃんですわ! メリルは美的センスが欠如していますから、この部屋に来るたびに「お母様の感性は歪んでいます」と冷たい事を言うのですわ!」


 喜んで下さっているので、まあ、一安心だ。

 私も本心では、メリルちゃんと似た様な感想を抱いていない事もないが黙っておこう。その方がお互いのためである。


「あっ、いい事を思いつきましたわ!」


 エイプリルさんが掌をパンと合せた。

 嫌な予感がする。


「確か今カラちゃんは、学生寮のマキシくんのお部屋で彼と一緒に暮らしているんですわよね。わたくしの学園長権限をフルに活用し、マキシくんのお部屋の壁紙をこの部屋と一緒にして差し上げま――」

「畏れ多いので結構です。さあ、エイプリルさん、ランプの魔人のお話を聞かせて下さい」

「……そうですの? でも壁紙――」

「さあ、エイプリルさん、ランプの魔人のお話を」

「……壁紙」

「さあ、さあ」


 エイプリルさんがとてもしょぼーんとなった。

 罪悪感が凄まじい。


「……ランプの魔人のお話が終わって、もし食事まで時間がある様でしたら、このお部屋の事に関しても色々と聞かせて頂いてよろしいでしょうか? とても興味があります」

「あら、あらあら、あらららら? もうっ、仕方ありませんわね! カラちゃんがどうしてもお聞きしたいというのでしたら、お友達としてお付き合いしない訳にもいきませんものねっ、いっぱいいっぱいお話しましょう! お人形さんの名前、全部教えて差し上げますわ!」

「……どうも」


 ……うれしくない。


「うふふふ、ではまずランプの魔人のお話でしたわね、ちゃっちゃと片付けてしまいましょう」


 ちゃっちゃと片付けられても困るので、疑問点はどんどん質問していく事にしよう。


「まず、そうですわね。ランプの魔人を語る前に、悪魔のお話からさせて頂いた方がよろしいかしら」


 そう言って、エイプリルさんはふぁんしーな本棚から図鑑の様なものを持ってきて、その内の一ページを開いてみせた。

 ちなみに、個室といっても充分広いエイプリルさんのお部屋には、普通に来客用の卓とソファーがあったので、私たち二人は今そこに腰かけている。


「カラちゃんは、ここに書いてある内容をご存知かしら?」


 図鑑に書いてある『高貴なる者の使い魔』に関する記述は、既に私が知っている内容ばかりだった。

 と言うのも、この図鑑に限った話ではないが『悪魔』や『魔族』に関する情報は基本的に少ないのだ。


 一つ、唯一の人型の使い魔である。

 二つ、人間の魔術を使えない代わりに、より強力な『固有魔術』とやらを使う。

 三つ、身体能力は最低でもBランクの冒険者相当。

 四つ、召喚の可否は、召喚者の魔力量や媒体に依存せず、召喚者の精神の高潔さにあるとされている。


 要約するとこれだけの情報しかない。

 固有魔術とやらの実態も分からなければ、何故召喚者の選択基準が高潔さなのかも分からないのだ。


「全て既知の内容です。同時に、これ以上の事は何も知りません」

「一般に公開されている情報はここまでですから、それで充分だと思いますわ。ですけれど、実はこれ、結構嘘が書いてあるんですの」

「嘘、ですか?」

「ええ。奴らは『高貴なる者の使い魔』などではありません。高貴なる者を堕落させ、世界に悪徳と騒乱を撒き散らす存在――即ち『人類の敵』ですわ」


 エイプリルさんは、おっとりした雰囲気を残しつつも、まるで賢者の様な聡明さと英雄の様な苛烈さを感じさせる声音で言葉を紡いだ。

 『人類の敵』という単語を口にした瞬間も彼女の上品な微笑は崩れなかったが、細められた瞳には『人類の敵』に対する確固たる敵意と殺意が宿っている。


 恐らく、これがフェルト魔術学園学園長としての本来の姿なのだろう。

 今の彼女には、毒沼でバウトが纏っていた獰猛で凶暴な殺意とはまた別種の、底知れない恐ろしさがある。


 ……しかし、人類の敵、か。

 悪魔に対する認識を、根本的に否定されてしまった。

 高貴なる者の使い魔が、何故人類の敵という話になるのだろう?


「そもそも奴らは、使い魔というカテゴリーに含まれる様な存在ではないのですわ」

「……どういう事でしょう?」

 

 いかん、いきなり話しについていけてないぞ。


「そうですわね。簡単にご説明すると、召喚術とは本来、『死後の世界』に存在する絶滅種を魔術師の魔力や縁のある媒体を代償に呼び寄せる、一種の交霊術の様なものなのですわ。対して悪魔どもが存在するのは『この世界とは異なる現世』であり、奴らが代償に求めるのは召喚者の魂の輝きになりますの」

「……魂の輝きを代償にするとは、つまり?」


 やっぱり、話しについていけてないんダゼ。


「わたくしも伝聞の情報になりますが、悪魔どもにとっての食事に該当する行為が、高潔な者の魂を汚す事なのだと言われていますわ。例えば優等生に召喚された悪魔は、その優等生に影で不良行為をさせたりするそうですわよ。そうする事で奴らの空腹は満たされ、力が高まるという話を聞きましたわ」

「召喚者の剣や盾というよりも、召喚した人間に取り憑く悪霊の様な存在ですか」


 あるいは、私の世界における悪魔そのものか。


「正しくそうですわね。奴らは絶対的な『悪』であり、人類全てにとっての『敵』なのですわ」

「……私がこれまで聞いてきた情報と異なります。メリル様の言などでは、むしろ悪魔は善き隣人として持て囃されている様な印象を受けましたが?」


 魔物の森の道中、メリルちゃんはやたらと「私もマキシさんみたいな、素敵な使い魔を持ちたいですー」と言っていた。


 それでなくとも資料を読む限り、悪魔は大人気の使い魔で、悪魔を使い魔とする事はある種のステータスであるとさえ書かれていた。

 大分話が違うのではないだろうか?


「まことに遺憾ながら、それは悪魔どもの情報操作の賜物ですわ」

「悪魔に、人間社会の価値観に影響を及ぼせる様な権力があるのですか?」

「正確には、奴らに屈した召喚者達が権力を持っているのですわ。忌々しい」

「……もう少し、詳しく教えて頂いてもよろしいでしょうか」


 うむ、また話に付いていけていないぞ。


 そして「忌々しい」とか攻撃的な発言をしつつも、おっとりした微笑を全く崩そうとしないエイプリルさんが、恐い。


「悪魔は、善良な人間を召喚者に選び誑かしますが、それに加えて奴らは身分の高い者を優先して堕落させる傾向がありますの。高潔な王子や、人々に慕われている聖女などに取り憑き、彼らを堕落させ意のままに操るのですわ」


 なるほど、もともと『悪』と敵対していた様な権力者たちが、悪魔に堕落させられ「悪魔サイコー!! フーーーー!!」とか言う様になってしまうのか。

 確かに、正義サイドで発言力のある人物達が悪魔を肯定したならば、悪魔に対する一般の人々の印象も好意的なものになっていくだろう。

 そしてその事によって、より一層人々が堕落させられ易い環境が作られてしまう。

 ……負の連鎖としか言いようがない。


「まったくもって忌々しい話ですわ」


 ニコニコ笑顔で吐き捨てるエイプリルさん。

 まったくもって恐ろしい。


 ……しかし、そう簡単に人間の在り方が変わるものだろうか?

 明確に『善』とされる様な人物を『悪』に変えるのは、完全な悪人を善人に更生させるのと同じぐらいに困難な気がする。


「高潔とされていた方々が、そう易々と邪悪な存在に染められるものでしょうか?」

「おっしゃる通り、本来であれば、一度でも『正義』を名乗った者が『悪』に屈するなど、有ってはならない事ですわ。ですが、忌まわしい事に悪魔にはソレを可能にする能力があるんですの」

「……つまり悪魔は、人を堕落させる事を糧とし、善を悪に染める能力を持った存在なのですね」


 何と言うか、人間社会をめちゃくちゃにするためだけに存在する様な種族である。

 尋常ではなくタチが悪い。


「そこまであからさまな能力を持っているとなると、例え悪魔を召喚した権力者達の抵抗があったとしても、実態を公表するだけで世論は味方に付けられそうな気もしますが?」

「過去には、今のカラちゃんと同じ様に考え、同じ様に行動に移した方々もいらっしゃいましたわ」

「……その方達はどうなったのです?」

「論争や政争に悉く敗れ、暗殺されるか、処刑されるか、行方不明になるかされましたわ」


 そう言いながらエイプリルさんが広げてみせた古い新聞には『悪魔否定派、失脚』『良き隣人たる悪魔を貶めた、悪党どもの末路』『今明かされる悪魔否定派の闇』といった内容の記事がたくさん書かれていた。


 マスコミを含めた権力の大半が、悪魔サイドに掌握されてしまっているという事なのだろう……エイプリルさんの言っている事を全面的に信じた場合、この世界の人類は控え目に言ってもかなり絶望的な状況にあるのではないだろうか。


「……お話だけ伺うと、人類は今、存亡の危機に立たされている様に思えますが?」

「正しく。ここ数百年、我々は常に悪魔どもに追い詰められている状況にありますわ」

「数百年前からこの状況なのですか……むしろ、よくそれだけの長期間に渡り悪魔に対抗してこられましたね」


 対抗勢力となるべき人材から順に敵に吸収されている様な状況では、数百年と言わず数十年で完全に支配下に置かれてしまっていても、おかしくない気がする。


「うふふ、それは『悪』に染まる事無く、『悪』を討ち滅ぼす、絶対の『正義』が、この世界に存在するからですわ」


 エイプリルさんが大きな胸をえへんと張った。


「奴らが蔓延させる堕落と悪徳を、奴らの存在ごと粉砕する『正義』がっ、数百年に渡り悪魔どもの邪悪な支配から人々を守ってきたのですわ!」

「お話ぶりから察するに、現代においてはエプちゃんがその役割を担っているのですか」

「……無論、わたくしもその一人ですが……筆頭は『人類最強と言われている男』ですわね」


 不貞腐れた様な表情のエイプリルさんからは、僅かだが『人類最強と言われている男』とやらに対する嫉妬や敗北感の様なものが伺える。


 ……思わぬところで名前が出てきたな、人類最強。

 今の私の身体能力は恐らくそいつがベースになっているはずだが、この体のデンジャラスな性能を知っている立場からすると、是非ともお近づきになりたくない相手である。


「わたくしはフェルト一帯に巣くう悪魔どもを、十年近くの間に7人程殺してきましたが、『あの男』は一国に巣くう悪魔どもを一週間足らずで根絶やしにしてしまいましたわ。当時30人以上の悪魔が虐殺されたのではないかしら」


 本気で近付きたくねえ……。


「……今の悪魔が肯定されている社会で、そんな強引なやり方をしてしまっては拙いのでは? 召喚者の多くは、発言力のある権力者なのでしょう?」

「ええ、拙いですわね。おっしゃる通り、召喚者は裏で悪徳を積み重ねながら、表では厚かましくも聖人ヅラを貼り付け続けている度し難い『悪』どもですわ。ですので、わたくしの場合は始末する事そのものよりも、合法的に抹殺出来る状況を作り出す事の方に苦労してきましたの」


 エイプリルさんは、まるで「お風呂場のカビ取りには苦労してきましたわ」とでも言っているかの様な軽い口調で、これまでの殺人の苦労を語った。


「本心を言えば『悪』である悪魔とその共犯者を殺すのに理由など不要だと思っていますが、ソレを言ってしまうとまた過去の論争の焼き直しになってしまいますでしょう?」

「……相手の犯罪を立証してから合法的に処罰して回っているイメージですか、確かに言い訳は立ちそうですね」

「うふふ。学園関係者ならばともかく、外部の人間ともなると『濡れ衣を着せて殺す』のも一苦労ですのよ」


 ……とんでもない学園長様だ。


「それは、私に聞かせていい様な話なのですか?」

「あら? だってカラちゃんなら分かって下さるでしょう? 悪魔に生まれてきた事が『悪』。悪魔に与した事が『悪』。ならば奴らは死んで当然の連中ですわ」


 そう言って、やはり、おっとりと笑うエイプリルさん

 恐ろし過ぎる――が、少しずつ彼女という人間が分かって来た気もする。


 『正義』を至上とし、『悪』の存在を否定する、歪なまでに純粋な正義感。

 それがエイプリル=フォン=クラーゼという人間の、中枢を為すものなのだろう。


 だとすれば――。


「……その言葉は、貴女自身の使い魔に対しても向けられているのでしょうね」


 私はメリルちゃんから彼女のご両親が『悪魔持ち』であるという話を聞いていたが、十中八九エイプリルさんは自らの使い魔を生かしてはいまい。


 彼女の苛烈過ぎる『正義』に例外はないはずである。


「無論ですわ。もっともアレを召喚した直後は悪魔の実態を知りませんでしたので、始末したのも召喚後しばらく経った後の事ではありますが……それ以来、わたくしに使い魔が存在しない事実は周囲に隠しておりますわ。うふふ、カラちゃん、ここで問題ですわ、何故わたくしは、依然として自分を『悪魔持ち』であると自称しているのかしら?」

「……現状の人類社会で、悪魔との対立を周囲に知られるのはデメリットしかありません。貴女の行動の意図は、ソレを回避するためでしょう」

「うふふ、即答ですのね。正解ですわ」

「……しかし、メリル様にも秘匿されたのですか」

「誰にも知られるべきではない情報に、例外を作るべきではありませんでしょう? ……それにそもそも、あの子は悪魔の実態を知る必要自体がありませんわ」


 額面通りに受け取れば、悪魔との抗争から愛娘を遠ざけたいという親心の様にも取れる。しかし――。

 ……いや、まあいい、これ以上深追いをするメリットはない。


 エイプリルさんが自身の使い魔を殺害したというのなら、もう一つ『恐ろしい仮説』が成り立つのだが、それは既に終わっている話であり、今後の私の行動に影響を及ぼす様な話ではないはずだ。

 ならば、私がソレを知る必要はない。

 知るべきですら、ない。

 

「少し話がそれてしまいましたわね」


 エイプリルさんは少しだけ寂しそうな微笑を浮かべた後、すぐに元のおっとりした笑みに戻って私に話しかけてきた。


 ……こちらの思考を見透かされたか。

 

「今までのお話で、人類が『悪』に屈したりなどしないという事は分かって頂けたかしら」


 彼女の方から話をズラしてくれると言うのなら、こちらもそれに便乗するべきだろう。


 私は気持ちを切り替えた。

 先の疑問は『聞くべきではない』類のものだったが、『聞いておかないと足元をすくわれそう』な疑問もたくさん残っているのだ。


「すみません、いくつか追加で質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか」

「ええ、結構ですわよ」

「ありがとうございます。まず最初の質問なのですが、悪魔の『人間を堕落させる能力』で、エプちゃん達が堕落させられるリスクはないのですか」

「ほぼ皆無ですわね。と言いますのも、能力の射程距離がやたらと短く、発動させてから対象の精神を汚染させるまでにやたらと時間がかかりますの。わたくし達相手に『そんな間合い』で『そんな悠長な事』をした悪魔がどんな末路を辿るかなんて――分かりますでしょう?」


 まあ、確実にコロコロされてしまうのだろう。

 洗脳能力を発動させ邪悪に笑う悪魔を、おっとりと微笑みながら光魔術で消し炭に変えるエイプリルさんの姿が脳裏に浮かんだ。


「個体としての強さに関しては人間よりも悪魔の方が上だと認識していたのですが、そういう訳でもないのですね」

「平均値では悪魔の方が明らかに上ですわよ。大多数の悪魔は冒険者の基準でB~Aランク相当とされていますわ」


 当人曰く、バウトは表向きBランクの戦士だが、魔術師としての技量も合せた場合Aランク相当の実力があるらしい。

 となると悪魔の戦闘能力は、弱い奴で大剣二本を軽々と振り増している時のバウトと互角。強い奴で不可視の剣で切り刻みに来た時のバウトと同等、という事になるのだろう。

 毒沼の一戦は、運次第で普通に負けていた可能性がある。

 アレと互角の連中か……うへぇ。


「ですが、わたくしが何度か奴らを『始末した』感触では、Aランク同士の人類と悪魔が戦った場合、勝つのは間違いなく人類ですわ。奴らは、悪魔という種族の基本性能の高さに頼り過ぎている嫌いがありますの。技術もなければかけ引きも出来ない連中など、Aランク以上の力量をもった真の『正義』の敵ではありませんわ」

「……複数で仕掛けられた場合は、どうするのです?」


 ただ大剣を振り回している時のバウトが相手ならば、ガルゼを守らなければならないという制約さえなければ、何とか逃げ切れる自信があった。

 しかし、あんな連中が五人も十人もいて、そいつらが組織だって攻めてきたりしたならば、あっという間にスッパリザックリやられてしまうだろう。


「奴らは基本的に群れませんの。組んでも二、三人が精々で、連携も素人の域を出ませんわ。その範疇であれば、実戦中にいくらでも分断できますでしょう?」


 ね、簡単でしょ?

 みたいな顔で言われても、そもそも実戦経験が素人の域を出ない私としては「はー、そうなんですかー」としか言い様がない。あるいは「いやいやいやいや」だろうか。


 まあ、学生時代に不良から逃げて逃げて、相手の先頭が一人で突出してきたタイミングで石を投げてまた逃げて、という事はした経験はあるので、あの要領でよければどうにかなるだろうか?


「確かに、それ(逃げるスタンスでいい)ならばどうにか……」

「うふふ、どうにか(皆殺しに出来る)だなんてカラちゃんは謙遜家ですわね」


 その後も私は悪魔に関して、いくつか質問を重ねた。

 正直本題である『ランプの魔人の話』とは関係がなさそうな内容も多かったが、この世界で生きていく上では押さえておいた方がいい情報ばかりだ。


 話を最後まで聞いた結果、私は最終的に『エイプリルさんの話に嘘はなさそうだ』という結論に至った。


 説明の時に見せられた資料等を読む限り、悪魔は確かに人類にとっての『悪』だ。

 少なくともこの世界の人間の歴史において、悪魔が絡んだ結果、騒乱や悪徳が撒き散らされたのは史実なのである。


 賢王と呼ばれた傑物は、悪魔を召喚した直後から『国民の生活向上のために』というお題目の下、最下層の奴隷階級を作り出し人々の間に階級差別という概念を作り出した。

 聖女と呼ばれた偉人は、悪魔を召喚した直後から異教徒弾圧を始め、遂には聖戦という名の大乱を引き起こし、数百万人単位の人々の命を奪っている。


 個々に見る分には単なる偶然で片付く話なのかもしれないが、ここ数百年の人類史は『悪魔の召喚』が人類にとっての災厄の予兆である事を如実に物語っていた。


 歴史を学べる立場にある人々がその事実に気付かないのは、彼等が奴隷ではなく、聖戦に敗北した側の人間でもないからだろう。

 無自覚の内に悪徳によって恩恵を得た人々こそが、今の世界の主流派なのだ。

それでも一部の聡明な人間は『気付いている』のかもしれないが、聡明ならばこそ歴史の闇に挑む様な愚行は犯さないはずである。


 悪魔の戦闘能力に関しては未だ想定の域を出ないが(出来れば一生知りたくもないが)、権謀術数に長け、優れた政治的手腕を(人類にとっては悪い意味で)有している事だけは、過去の歴史と現代の政治を見れば、嫌でも分かった。


 ……非常に敵に回したくない連中である。


 ちなみに、見せられた資料の記述に虚偽がないかは図書館の資料等で裏付けを取る予定だが、エイプリルさんが嘘の資料を見せてきた可能性は極めて低い。

 そもそも彼女は、私があちらの発言を疑ってかかる前提で、資料という裏付けを見せるために応接間から自室に移動したふしがある。

 少なくとも、歴史書や過去の新聞を漁れば分かる範囲の情報で嘘は吐かないだろう。 


 とは言え――。


「それでは、ご質問はそんなところでよろしいかしら?」

「はい。ありがとうございます」

「うふふ、お礼なんて結構ですのよ。わたくしとカラちゃんの仲じゃない」


 ――エイプリルさんが私にとって油断のならない相手である事に、変わりはない。


「………………そう言って頂けると幸いです」

「ううう、沈黙の長さに、カラちゃんとの心の距離を感じますわっ、おかしいですわ!」


 世界の裏側とでも言うべき事柄を知ってしまったが、先の話と『ガルゼに危害を加える意思』が彼女にあるか否かは別問題である。


 この人の悪魔に対する敵意は本物だ。

 私も己の願いを叶えるためならば何でも――それが倫理に反する行いであっても――出来るつもりだが、エイプリルさんからは同じ気配がする。

 例えばの話「うふふ、マキシくんの命が惜しければ、お隣に住んでいる悪魔とその召喚者をぶっ殺してきて下さいな~、うふふふ~」と彼女に脅されたとしても、何ら不思議ではないのだ。


 現状、敵に回したくないお方No.1である。


「ぷんぷん! ぷんぷん!」


 ……まあ、可愛らしい事は可愛らしいのだが。


 その後『ぷんぷんモード』に突入したエイプリルさんを、どうにかこうにか宥めすかし、話はようやく『ランプの魔人』に行きついた。

 長い道のりである。


「うふふふ、では、カラちゃん。お泊まり会のお話、よろしくお願いしますわね」

「……ええ、前向きに検討します」

「うふふ、あとお話しなければならない事は――何だったかしら? あっ、お人形さんの名前を――」

「ランプの魔人の話ですね」

「……そうでしたわね。パッパと終わらせてしまいましょう」


 パッパと終わらせられたら堪ったものではないので、質問は積極的にしていこう。


「では、わたくしの知る限り最古にして最強の魔人の話からさせて頂きますわ」

「興味深いです」

「うふふ、まずはこれをご覧になって」


 そういって差し出されたバインダーに挟まった書類には、一枚一枚異なる人物の情報が書かれていた。


 【狂大公】マシュトロ=フォン=バーミリオン。

 【堕英雄】レイオット=ウォーカー。

 【裏切りの聖騎士】アリス=ヴァン=レインシルグ。

 【一夜千殺】氏名不明。

 等々。


 年齢性別国籍人種、実に様々な人間の情報が纏められている。

 一見すると全員に共通する要素など皆無に思える顔ぶれだが、実は彼らには一つだけ共通点が存在した。

 私もつい先程勉強したばかりなのだが、全員がこの世界の歴史に名を刻む大罪人ばかりなのである。


 もっとも、彼らの汚名を歴史に刻んだ殺戮の多くが、悪魔召喚者を対象にしたものである事を踏まえると、エイプリルさんはこのバインダーに、彼女曰く『真の正義の体現者』の情報を纏めているという事になるだろう。


 内容自体は興味深かった。

 しかし、この資料の何が『ランプの魔人』に結びつくのか分からなかったので、視線でエイプリルさんに問いかけてみる。


 ――これを読んでどうしろと?


 彼女は頬を赤く染め、恥ずかしそうに胸元を押さえた……アイコンタクトが確実に通じてねえ。


「……エプちゃん。私はこの資料から何を読み解けばよいのでしょうか」

「え? し、資料? そ、そうですわよね。今の視線は、そういう意味ですわよね。もちろん分かっていましたわ。う、うふふ。カラちゃんは【一夜千殺】様の資料をご覧になって何かお気づきになりません?」


 当然私はエイプリルさんの奇行にツッコミを入れる等と言う馬鹿な真似はせず、指定された人物に関しての記述をよく読み返してみた。

 

(以下、資料より一部抜粋)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 【一夜千殺】氏名不明。

 数百年前の騎士。

 賢王と謳われた第八代モーヒス王国国王クレスに反逆を企てた、第二王子の側近。


 歴史上、彼という存在が最初に登場するのは王子が捕まっていた牢獄の中であり、そこから王子を連れて脱獄する以前の記録は一切残されていない。

 よって、大罪人でありながらモーヒス王国史上屈指の実力者であるという評価に反し、その実力を培ったであろう出自や来歴は完全に不明である。

 この事実から、歴史家の中には「【一夜千殺】は牢獄の中でこの世に生を受けたのだ」と皮肉る者も少なくない。


 唯一残っている【一夜千殺】の肖像画からは、彼が筋骨隆々とした大男である事が伺えるが、その絵のタイトルには男の本名は記されていない。

 だが、それは件の絵画に限った話ではないのだ。

 数百年が経った今なお『史上最強最悪の騎士』と恐れられている謎多き男は、驚くべき事に現在氏名すら定かではないのである。

 大抵の資料には、ただ『第二王子の騎士』や『傾国の大罪人』とだけ記されている。


 あらゆる意味で謎の多過ぎる男なのだ。


 またSランクの冒険者相当とされた武力と、現代にまで伝わる様々な革新的な魔術を開発した魔術的才能から、一部には彼の事を持て囃す声も存在するが、クレス王を始め当時の第一王子や第三王子、第一王女といった人徳に溢れる王室の人々を次々に殺害していった【一夜千殺】の行いは、悪逆非道の一言に尽きる。

 最終的に行われた王国軍と反乱軍の戦では、卑劣な夜襲により悪魔使いを含む王国軍の主力千名を一夜の内に虐殺しており、史上希に見る大罪人という歴史家達の評価は極めて妥当なものだ。


 第二王子と出会う以前の経歴が完全に不明な【一夜千殺】であるが、件の最終決戦の後の記録に関してもまるで残っていない。

 彼ほどの影響力を持つ人物であれば、余生にせよ、死に様にせよ、敵味方両陣営の記録に残りそうなものであるが、まるで煙の様に消え失せてしまったのかの様に、本当に何も資料が残っていないのだ(ここまでくるともう意図的に誰かが記録を抹消したのではないかと疑いたくなる)。


 上記の理由から彼の『その後』は関しては不明であるため、代わりに【一夜千殺】が活躍した戦の顛末に関してでも語らせてもらおう。

 

 決戦で勝利を収めたアルフレッド第二王子率いる反乱軍は、モーヒス王国の東側一帯に自分達の自治区を作った(国として独立しなかったのは、周辺国家の侵略を恐れた第二王子の判断らしい。賢明である)。

 現在『アルフレッド自治区』と呼ばれているその土地には、貴族、平民、奴隷といった身分制度が確立されていないため、初めて訪れた本国の人間はきっと混乱する事だろう。

 また国教をきちんと布教せず異教徒を平気でのさばらせている事から、モーヒス王国本国との仲は極めて悪く、王国の過激派の中には一刻も早い国土奪還を望む声も多い。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(以上)


 この資料では、悪魔の実態が考慮されていないらしい。

 あるいは『世界の一般常識に基づいた記述である』とでも言うべきか。


 ざっと見た感じでは『悪魔に堕落させられたクレス王とその子供達、それに反旗を翻した第二王子』という状況だった様に読み取れる。


 しかし、牢獄の中にぶち込まれ処刑を待つだけの身であった第二王子を助け、最終的には彼を小国よりも広い領土を持った自治区の長にしてしまった【一夜千殺】とやらは、余程の超人だったのだろう。

 九割方詰んだ局面から奇跡の大逆転を成し遂げた彼の活躍ぶりは、資料上の事とは言えまるでハリウッド映画の主人公の活躍を見ているかの様であった。


 そんな事を考えながら資料をペラリと捲ると、そこには本当にハリウッドスターの様な男の似顔絵が描かれていた。


 ――そう、イケメンというよりはタフガイなイメージで、デカプリオというよりもシュワちゃんな感じの偉丈夫が、この世界には場違いな黒揃えのスーツをビシッと決めて絵画の中に佇んでいたのだ。


 ……ん?

 …………んんん?

 ……………………ワン、さん?


 まあ、何度見返しても、絵は変わらない。

 そこには、ランプの魔人になった直後の私にチュートリアルをしてくれた、頼れる男オーラ全開の先輩魔人が描写されていた。


「うふふ。その反応。やはりお気づきになられましたわね。そう、『牢獄の中で生を受けた』等と言われていますが、何て事は無く『そこで召喚された』だけのお話なのでしょう。それ以前の記録や、戦争後の記録が全く残っていないのも当然の話ですわ。だって、彼はアルフレッド第二王子の願いを叶えるためだけにこの世界に現れ、叶えた後はすぐに世界から去っていってしまったのですから」


 ……いや、まあ、そこも怪しいとは思っていたが、私の場合、顔で【一夜千殺】=ワンさん=ランプの魔人だと確証を得てしまったので安易に同意しづらいものがある。

 何と言うか、申し訳ない。


「ちょっとした獲物の奪い合い等ならば兎も角、一国を裏から操る規模の陰謀で、悪魔内で裏切りが発生する事はありませんわ。ならば【一夜千殺】様は、悪魔ではない使い魔、ランプの魔人という事になりますわね」


 エイプリルさんは「名推理ですわ!」という感じで胸を張った。


「残念ながら【一夜千殺】様はご自身に関する情報を何も残されませんでしたので、悪魔どもやそれに対抗する勢力の間でも、彼の正体はしばらくの間不明でしたわ。人ではなく、悪魔でもない無名の英雄……為した功績の偉大さと、残した様々な魔術の特異さから、両勢力ともにあの方の正体や行く先を探りましたが、遂に辿り着ける者は出ませんでしたわ」


 確かにそれはそうだろう。

 初対面の際ガルゼには色々と漏らしてしまっているが、それを除けば私ですら情報の秘匿=ランプの魔人である事の隠蔽は、意識して行っている。

 あの明らかに切れ者なワンさんが、それを漏らしてしまっているとは考え難い。

 どんなリスクがあるのか知らないが、あの人は自分の名前さえ隠し通したのだから、己にとって不利益となる様な情報は一切漏らしていないのだろう。


 ――では、いつ、誰が、どこまで情報を漏らした?


「彼の正体が知られる様になったのは、今から大凡百年程前の事ですわ……実を言いますと、わたくしが把握している範囲で明らかにランプの魔人と言えるのは【一夜千殺】様を除けば、もう一人しかいませんの」


 なるほど、そのアホが情報を漏らしたのか。


「セフィーロ=クラウンという名前の男ですわ。もしかしてカラちゃんのお知り合いだったりするかしら?」

「いいえ。存知上げません」


 というか、私が面識のあるランプの魔人など先の【一夜千殺】さんぐらいのものである。


 仕方がないではないか。有限会社ランプの魔人に入社してからまだ一カ月も経っていないのだ、余所の部署の人間の名前など知らん。

 入社一時間余りで外回りに出されたのだから、知りたくとも調べ様がないのだ。


「それは良かったですわ」

「良かった、ですか?」

「ええ、この世界で彼は随分と悪行を重ね、それ相応の罰を受けていますので、もしカラちゃんの知人だったりしましたら気に病んでしまうのではないかと不安でしたの」


 ……何だか聞くのが恐くなってきたぞ。


「では、これを御覧になって下さいな」


 先程とは別のバインダーが渡される。

 またもや様々な人物の情報が書かれていたが、先程の資料が『悪魔と敵対した人物達』の一覧であるとするならば、今度の資料は『普通の犯罪者達』の一覧であった。


 また先の資料が歴史書か何かからコピーしてきた様な内容だったのに対し、こちらに関しては新聞の切り抜きの横に、エイプリルさんの手書きっぽい注釈が書かれている。


 フェルトに現れた切り裂き魔に関する資料の場合『連続切り裂き魔出現!』という記事の横に、手書きで『早急の対処が必要』と書かれており、そこから伸びた矢印の先には『対処完了』と書かれている。

 ……資料の下の方の記事で『切り裂き魔事件容疑者の男が、変死体で発見!』と記載されているが、残念ながら私には誰がその男を殺害したのか皆目見当もつかない。

 分からないったら、分からない。


 ……私が『うっかりカラ兵衛』ならば、きっとその犯人は『暴れん坊学園長』とかそんな感じの人なのだろう。

 大岡裁きなど知ったこっちゃねえとばかりに、その場でバッサリやってしまうのだろう。

 駄目だ、色々と勝てる気がしない。


 私はエイプリルさんに対するガクブル度を一段階引き上げながら、取り敢えず目的のセフィーロとやらの記事を見つけ確認を開始した。


(以下、資料より一部抜粋)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 セフィーロ=クラウン。

 百年程前の犯罪者。

 精神干渉系の魔術が存在しない(悪魔の強制堕落は除く)この世界で、女性限定とは言え魅了する能力を有していた恐るべき男。

 正体はランプの魔人である。

 ※能力等の詳細は後述する。


●百年程前のとある新聞(パイク新聞)の三面記事

 昨今港町シャープスを中心に、不可解な離婚が多発している。

 離婚自体は古今東西行われてきた事であり、それが一地域で偶々連続する事も有り得る話なのかもしれない。

 しかしその離婚した女性の全員が、一人の男のもとに入り浸る様になったとなると、些か話が変わってくる。

 男の側が取り立てて容姿に優れている訳もなく、知武勇、権力、経済力のいずれかに秀でている訳でもないならば、尚更不思議な話だ。


 現時点で件の男が何かをしているという証拠が掴めていないため、実名の記載は避けるが当新聞社では引き続きこの事件を追っていきたいと思う――ミーナ=パイク記。


○エイプリルの備考①

 この時点でシャープス近郊の容姿端麗な女性の過半数が、セフィーロの支配下におかれていた様である。

 当時の住民の日記等によれば、離婚多発事件は氷山の一角に過ぎず、恋人のいる少女や、主に忠誠を捧げた女騎士、信仰にその身を捧げた女僧侶等、本来ならばセフィーロという男に靡くはずもない女性達が次々と彼に惚れこみ、全てを捧げる様になっていたらしい。


 不審に思った男性達の中にはセフィーロを調査しようとする者達もいた様だが(中々『正義』な行いである。感心感心)、当該人物達の足取りは調査開始と同時に途切れてしまっている。

 残念ながら彼等は、セフィーロかその配下に消されてしまった可能性が高い。

 セフィーロ=クラウン。

 許し難い『悪』である。


●百年程前のとある新聞(パイク新聞)の二面記事

 シャープス市長、タチアナ氏は女性の権利のために戦ってきた素晴らしい人物である。

 かねてから本新聞社の『女性の社会進出を応援する』という思想にもご賛同頂き、様々な面でご支援を頂いて来た。


 そんなタチアナ氏に対して苦言を呈するのは本紙としても些か遺憾であるが、一新聞社として昨今のシャープスの有様を知ってしまった以上、口をつぐむ事は出来ない。


 現在のシャープスの市制は、明らかに常軌を逸している。

 公序良俗という概念を否定するかの様な法律改正の数々は、タチアナ氏の正気を疑うに足るものであり、氏を中心としたシャープス市議会の面々に一体何が行ったのか疑問を抱かずにはいられない異常さだ。


 本紙では、その疑問を解消するために速やかに現地取材を行う予定である――ミーナ=パイク記。


○エイプリルの備考②

 いわずもがなだが、上記のタチアナ市長もセフィーロの支配下に置かれてしまった女性の一人である。


 男性の反抗勢力は依然として存在した様だが、恋人や家族に「余計な真似をすれば自殺する」と脅され身動きが取れなくなっていたという記録が残っている。


 ……『正義』ではない。

 例え最愛の人を人質に取られたとしても、『正義』が『悪』に屈するなど、あってはならない事だ。

 恋人が自殺し、邪魔に入った家族を始末する事になったとしても、彼等は何としてもセフィーロを殺すべきだったのだ。

 それこそが『正義』なのだから。


●百年程前のとある新聞(パイク新聞)の一面記事

 まず、最初にお詫びさせて頂きたい。

 以前掲載したシャープス市制に対する否定的な記事は、全て事実無根のものであった。


 記者が現地にて直接取材を行ったところ、シャープスは以前にも増して素晴らしい街になっていた。

 美しい港町と、笑顔の絶えない住民達。

 記者も、今後は取材以外でも積極的に足を運ぶつもりである。読者諸兄も、もし近隣に足を運ぶ機会があれば、是非一度この街を訪れてみて欲しい。

 特に女性におススメなのが『夕暮れの鴎亭』という宿屋で出される魚料理なのだが、そこらの定食と同じ値段で美容に効果のある高級食材の数々が食せるのは、港町ならではの恩恵であろう。


 また以前お伝えした『離婚率の増加の記事』に関しても誤りがあった事を謝罪させて頂く。

 シャープス在住のご夫婦は皆仲睦まじく、もし私が既婚者であればこの街で彼らと同じ様な暮らしを行いたいと思わされる素敵な方々ばかりだった。

 

 今後も本紙では、定期的にシャープスの素晴らしさをお伝えしていきたい――ミーナ=パイク記。


○エイプリルの備考③

 いわずもがなだが、上記のミーナ=パイク記者もセフィーロの支配下に置かれてしまった女性の一人である。

 件の新聞社は社長兼記者であった彼女がほぼワンマンで切り盛りしていたため、社長が正気を失った際に、それを止められる人間がいなかったものと思われる。


 パイク新聞クラスの二流紙を購読している貴族は、滅多に存在しなかったため、この時点で上記の記事の異常さからシャープスの異変に勘付けたのは、平民の富裕層だけであった。

 一部『例外』は別として。


●百年程前のとある新聞(パイク新聞)の一面記事

 本日は大変喜ばしい記事を、読者諸兄にお伝えする事が出来る。


 シャープスで立ちあげられた新しい宗教、クラウン教の全国布教がいよいよ始まるのだ。

 信徒を女性に限定している事に不信感を抱く方もいるかもしれないが、一度教祖様のお話を伺ってみれば、その疑いの愚かさにすぐに気付くと――。


 ※以後の記載は切り取られており、バインダーに収められていない。


○エイプリルの備考④

 以後は読むに耐えない戯言が書き連ねられているだけなので、スペース省略のため不要分は切り取っておこう。

 わたくしは中々収納上手なのである。


 百年前の人類にとって幸運だったのは、当時の『正義』の一人である【狂大公】様が、悪魔による一流新聞の情報操作を警戒してパイク新聞の様な二流紙も全てチェックしていた点だろう。

 以前から異変を感じていた【狂大公】様は上記の記事を決め手として、速やかに行動を開始された。


●百年程前のとある新聞(パイク新聞)の一面記事

 昨日、許されざる大罪が為された!


 悪名高き【狂大公】の一派が、クラウン教の巡行者達を襲撃し、事もあろうに教祖様を攫って行ったのだ。

 本新聞社では総力を上げて【狂大公】に抗議を伝えるとともに、教祖様の奪還を全面的に支持し――。


 ※以後の記載は切り取られており、バインダーに収められていない。


○エイプリルの備考⑤

 以後は読む価値のない駄文が書き連ねられているだけなので、スペース省略のため不要分は切り取っておこう。

 わたくしは本当に収納上手なのだ。


 以下の記載は、わたくしが反悪魔戦線に加わった際に『人類最強の男』から見せられた資料の転記である。

 彼はその資料を【狂大公】様ご本人から授けて頂いたらしい。

 ……羨ましい。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(中断)


 まだ資料を半分ぐらいしか読んでいないが、色々と内容が凄まじかった。


 セフィーロとかいうクソ野郎の横暴ぶりが、腹立たしくも恐ろしいのは無論だが、語尾から「ですわ、ですの」が取り除かれたエイプリンさんの淡々とした文章も普通に恐い。


 いや、まあ、備考欄で「ぷんぷんですわ!」とか書かれていても困るのだが、「正義ならば恋人や家族を見捨てでも悪を殺せ」などという記述を見せられても、それはそれで困る。


 この人の『正義』という概念に対する執着は尋常でない。

 きっと、言葉通りエイプリルさんは『何を犠牲にしてでも』己の正義を守るのだろう。

 その生き様は何とも――。


「カラちゃん? どうかなさいましたの?」

「……いえ、何でもありません」


 ……我ながら余計な思考であった。


「まだ資料読んでいる途中ですので、取り敢えず続きを読ませて頂きます」

「ええ、どうぞ」


 おっとりと微笑するエイプリルさん。

 やはり文章で読むよりも、こうして話している方がずっと取っ付き易い印象を受ける。


 私はその事実に少しの安堵と同量の恐怖を覚えながら、なるべく相手にそれを覚られない様に淡々と資料の続きを視線で追った。


(再開)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


●【狂大公】マシュトロ=フォン=バーミリオンの残した記録

 セフィーロ=クラウンを拷問した際に聞き出した情報を以下に箇条書きする。


 情報の虚偽の可能性は考慮せず、オレ自身の推測も極力挟まない形で『聞き出した情報をそのまま』記載する。この資料に目を通す者は、それを踏まえた上で読んで欲しい。


・セフィーロは、人ではなく、悪魔でもない、ランプの魔人という種族である。


・ランプの魔人は自らを召喚した者の願いを三つ叶える義務がある。

・三つ目の願いを叶えた時点でランプの魔人は元の世界に送還される。

・上記の特性から、願いの種類にもよるが召喚者がランプの魔人にとっての『致命的な弱点』となるケースも多い。

・願いの達成に失敗した場合は、死亡する。このケース以外(願いを受ける前の段階等)で致命傷を負った場合は、元の世界に送還される。


・ただし、セフィーロの場合は自らの能力で召喚者を支配下に置いていたため、願いを温存させる事で故意にこの世界に留まっていた。また、召喚者が死亡しても自分が連帯して滅びない様、召喚者の願いの内容も調整していた。


・ランプの魔人は、召喚された世界で最強とされる人間相当の身体能力を有する。

(備考:実際にオレが交戦した感触では、確かに身体能力、魔力量ともに人類最強クラスであった。但し、セフィーロ自身の戦闘センスは極めてお粗末であり、冒険者の基準で言うならば良くてB~A相当といったところだろう)。


・ランプの魔人は3~7つの特殊能力を有する。能力は強さ毎にF~Sのランク付けがされており、例えばDランクの攻撃能力ではCランクの防御能力を突破出来ない。

 またこの世界の魔術や物理攻撃に関しては、最強級のモノでもCランク止まりらしく、Cランク以上の戦闘系能力を持った魔人が相手の場合、正攻法による勝利は困難である。

(備考:常時発動型の能力は希少らしいので、交戦時は狙撃や毒殺といった虚をつく攻め方から検証していくのが定石だろう。また可能であれば召喚者を人質に取って、自害させる等の絡め手も積極的に活用していくべきである)。


・ランプの魔人の能力の取得はランダムとされている。

・以下にセフィーロの保有する4つの能力を列挙する。


■能力名 :デルフィニウム(傲慢)

□能力概要:契約者の寿命を一年減らす事で、能力行使者のダメージを一回無効化する。

□発動条件:能力行使者及び契約者が発動を望む。

□能力強度:D

□能力範囲:能力行使者及び契約者


■能力名 :バーベナ(魅了する)

□能力概要:頭を撫でた異性を魅了する。ランクを考慮すると、時間をかければ対象異性の価値観を根本的に変更する事すら可能。

□発動条件:対象の異性の頭を撫でる

□能力強度:B

□能力範囲:対象異性一名

□効果時間:1カ月


■能力名 :カトレア(魅力)

□能力概要:笑いかけた異性を魅了する。ランクを考慮すると、対象異性から旧知の友人に対するものと同等の好意を得る事が可能。

□発動条件:対象の異性に笑いかける

□能力強度:E

□能力範囲:能力者の笑顔を直視した異性全て

□効果時間:1分


■能力名 :ウイキョウ(勇敢)

□能力概要:能力行使者の防御力を下げ、防御力以外の全能力を上げる。

□発動条件:能力行使者が発動を望む。

□能力強度:F

□能力範囲:能力行使者本人


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(再中断)


 再開してすぐに中断するのもアレだが……何だこの強力なラインナップは?

 私の紫陽花やニコチアナに謝れ。

 むしろ、私に謝罪しろ。


 真面目な話、能力の悪辣さにさえ目を瞑れば、本当に実用的な能力ばかりである。

 個々の能力の汎用性の高さも凄いが、能力間の相性の良さも凄まじい。


 便宜上、各能力の呼称をデルフィニウム=ヒモ、バーベナ=ナデポ、カトレア=ニコポ、ウイキョウ=猪とするが(……別に悪意はない)、互いが互いを活かす様な能力ばかりであった。

 猪を発動する上で防御力の低下がネックとなる訳だが、それはヒモで補填出来る。

 ヒモを発動するには、契約者に「寿命を削れ」という無茶な要求を飲ませる必要があるが、それはナデポでどうにかなる。

 ナデポを発動するためには、頭を撫でられる関係になる必要があるが、それもニコポでどうとでもなる。

 つまり契約者が女性である限り、クソ野郎は高確率で全能力を遺憾なく発揮出来る訳なのだ。


 そもそもニコポとナデポの二枚看板により対女性戦では無類の強さを発揮する上に、あらゆるダメージを無効にするヒモと、人類最強の身体能力を更に強化する猪まで持っているとなると、本当に手に負えなくなってくる。


 ソレを打倒したという【狂大公】とは、どれ程の化物だったのだろう。


 彼が資料内で提案している魔人を殺すための絡め手は、実際どれも私がやられたら嫌な事ばかりであるが、記述内容的に【狂大公】自身は狙撃や人質などを用いずに正攻法でセフィーロを打倒し、生け捕りに成功している様に読み取れる。

 情報を聞き出したかったという意図は理解出来るが、クソ野郎程のランプの魔人を相手に『生け捕り』を成功させるのは普通であれ至難の業だ。


 私やバウトでは『何でも有り』で『殺していい』という条件が揃って、ようやく勝てるかどうかといったところだろう。


「どうなさったの? 難しい顔をされていますけど?」

「セフィーロを生け捕りにする事が、どれ程困難か考えていました」

「あら? そんなに大変な事かしら?」

「……大変でしょう。特にエプちゃんは、その、女性ですから、セフィーロの能力との相性は悪いのではありませんか?」


 新聞記事を読む限り、クソ野郎は人妻だろうが未亡人だろうが平気で手を出す。

 今更気付いたがエロゲーの主人公みたいな奴だな。死ねばいいのに。


「あらあら。わたくしはこの敵を、目視出来る距離まで近寄らせるつもりはありませんわよ。光魔術の一つに広範囲の索敵魔術がありますので、十キロ圏外あたりからそれで敵を捕捉し、閃光の矢で射抜き続ければいいのですわ。再生出来なくなるまで四肢を射抜いた後に、頭にマスクでも被せてしまえば、生け捕り完了ですわよね?」


 レーダーで索敵。

 レーザーで狙撃。

 以後、ダメージを肩代わりしている契約者の寿命が尽きるまで狙撃を継続。

 ヒモが切れたタイミングでナデポが使えない様に、両手を破壊し、ニコポが使えない様に顔を隠す。

 ミッションコンプリート!


 ……完璧過ぎる。

 懸念は寝込みを襲われた場合などの不意打ちだろうが、デストラップハウスをホームにされている様なお方なので、その辺の対策も万全なのだろう。


 しかし『ね? 簡単でしょ?』みたいな顔でまた見られても、光魔術など使えない私からしたら「いやいやいやいや」である。

 今の話はエイプリルさんだから組み立てられる方法論だ。


「あらあら? もしかしてカラちゃん、遠距離の攻撃手段を持っていないのかしら?」

「……皆無という訳ではありませんが、さすがに数キロ先の標的に確実に命中させる術は持っていませんね」

「索敵能力はどうかしら?」

「そちらに関しては、五感をフルで動員すればどうにかなるでしょう。特に視力は十キロ先も見通せる自信があります」

「か、カラちゃんっ、見ちゃダメですわよ! この敵は視界に頼っちゃいけない相手ですわよ!?」

「ん? ですが、セフィーロの能力の対象は異性――」

「カラちゃんはどこからどう見ても女の子ですわね!?」


 ――おう。

 そう言えばそうだった。

 女の『子』ではないが、生物学的に今の私は女である。


 ……言い訳をさせて欲しい。

 セフィーロの能力をエロゲーの主人公的な何かと仮定した瞬間から、奴の能力の対象(攻略対象)に自分自身を含めるのを止めてしまっていたのだ。無意識の内に。生理的に。

 いや、だって、ねえ? ほら、分かるだろ?


 ……まあ、言い訳である。

 実際にクソ野郎と敵対していて今の様なスタンスで戦っていたならば、出会い頭に無力化されていた危険性が高い。

 最悪である。

 本気で反省せねば。


「カラちゃんっ、もともと貴女には女の子としての自覚が足りない印象がありましけれど、さすがに自分が女の子である事を忘れるのは頂けませんわ!」

「……反省しています」

「しかも、女性を食い物にする様な『悪』との戦いにおいてその失念はっ、致命傷になりますわよ!」

「……おっしゃる通りで」

「セフィーロに微笑みかけられて、頭を撫でられて、か、かか、カラちゃんが、め、メロメロにされるところなんて、わたくし見たくありませんわ!」

「……ええ。私も嫌です」

「し、しかも、記録によればセフィーロは、大きい胸を持った女性と、黒髪の女性と、簡単には男性に靡かないクールな魅力を持った女性に、特に、そ、その、えっちな感心が合ったそうなので……か、カラちゃんがメロメロにされてしまったら、絶対にえっちな事をされてしまいますわよー!」

「……おうちかえりたい」

「し、しししし、しかも、き、きき、記録によればセフィーロは、事もあろうに、ぼ、母性の象徴たる神聖な女性の胸を使って――」


 そこまで言って、エイプリルさんは鼻血を噴出しぶっ倒れた。


「う、うううう」


 元々ソファーに座っていたので、倒れたといってもその上で仰向けになっただけなのだが、かなり辛そうに呻き声を上げている。


「……大丈夫ですか、エプちゃん?」

「うう、だ、大丈夫ですわ、カラちゃん、は、ハンカチはどこかしら――」

「無理に立ち上がらないで結構です。私のでよければ使って下さい」


 フラフラと立ち上がろうとするエイプリルさんを寝かしつけて、懐から取り出したハンカチを握らせた。

 この服を構成した時に一緒に作成されたハンカチなので、私の意思により汚れは一瞬で消える。実際、新品の状態にして彼女に渡した。


「うう、ごめんなさいね。興奮してしまって……」


 ……興奮?

 メリルちゃんという立派なお子さんがいらっしゃる以上、エイプリルさんは『そういう事』を実体験としてご存知のはずだが……いや、保健体育の教科書に載っている様な『清く正しい子作り』しか経験していないならば、記録に残っていたというクソ野郎の行いがアブノーマルなものであった場合、興奮や鼻血も止むを得ないか。


 ……彼女の妄想の中で、私がセフィーロの野郎にどんな目に合わされていたかは、自分自身の精神衛生を考慮し敢えて追求しない。


「びっくりさせてしまいましたわね」

「いえ、大丈夫です。お気になさらず」


 この台詞は、別にしょんぼりした様子のエイプリルさんを励ますためだけに口にしたものではない。

 鼻血を流してしまった事自体は、本当に驚いていないし、気にもしていないのだ。


 と言うか、もう慣れた。

 何せエイプリルさんのお子さんが、私の胸の中で鼻血を噴出してからまだ一時間も経っていないのである。


 ちなみにメリルちゃんの場合、私がハンカチを差し出したタイミングで自分の物を取り出そうとしていたので、余計なお世話かと思い引っ込めたのだが「ありがとうございますっ、お借りします!」とふんだくられてしまった。


 更に、汚れはすぐに落とせるのでそのまま返してもらって問題ないと告げても「いいえっ、きちんとお洗濯してお返しします! 貴族として、このままお返しするなど許されません!」と言って返してくれなかったので、元々二枚装備されていたハンカチは現在一枚になってしまっている。


 貴族というのも、難儀なものらしい。


「私は資料の続きを読んでいますので、しばらくそのまま安静にしていて下さい」

「ううう、カラちゃん、優しいですわぁ。メリルなら絶対に鞭を打ってくる場面ですのに……これが、お友達ですのねぇ」


 しんみりと、ありがたそうな顔をしているエイプリルさんに切ないもの感じながら、私は資料に視線を落とし閲覧を再開した。



 結局私が一通り読み終わったのは、それから十分後ぐらいの事である。




 そして今回で説明回は終わらず……。

 色々と中途半端な状態ですが、どうにか次回で終わらせられる様に頑張りたいです。


 また、ランプの魔人本編内で取り上げられなさそうな話題を『ランプの魔人のお仕事 豆知識』という形で後書きの場でちょくちょく取り上げさせて頂こうかと思います。

 基本大した事は書いてないので、読み飛ばして頂いても本編を読んで頂く上では何の問題もないです。


・ランプの魔人のお仕事 豆知識①

 日常パートのカーラは割と本気でうっかりしているので、うっかりカラ兵衛という渾名は結構適切。

 どのぐらいうっかりしているかと言うと、一日二回も胸押し付け(対ガルゼ、対メリル)をやらかし、二回とも赤面するぐらいにうっかりさん。

 戦闘パートでこのうっかりさを出すと即死しかねないので、作者としては気を付けて欲しいところ。


・ランプの魔人のお仕事 豆知識②

 【狂大公】の性格や思考は意外とカーラに近い。カーラから『甘さ』を取り除くとたぶんこの男になる。

 救うべきを救い、殺すべきを殺し、見捨てるべきを見捨てる、眉目秀麗なインテリ貴族。

 反悪魔派でありながら寿命で死ぬまで普通に生き続けた変わり種だが、最後まで実子をもうける事はなかったという。当人曰く「孕ませたいと思う女がいなかった」らしい。

 カーラを召喚していたのがこの男だったならば、ランプの魔人のお仕事はもっと殺伐としたものになっていたはずである。

 冷徹な魔王とそれに仕える冷酷な魔女といった構図だろうか。


・ランプの魔人のお仕事 豆知識③

 大公様だけ取り上げるのは不公平な気がするので、他の名前だけ出てきた方々もちょっとだけピックアップ。


・英雄さん

 真面目な人。真面目過ぎて悪徳や不正を見逃す事が出来ず、子供の頃から周囲を敵に回す事が多かった可愛そうな人。

 悪魔の実態を知った際も、周りの仲間達の反対を押し切って、単独で悪魔との闘争を開始している。

 ……そして、守ろうとした人々に裏切られても、真面目過ぎて、彼等を最後まで見捨てる事が出来ず、結果として裏切った人々を庇いながら悪魔に心臓を潰されて死んだ。

 カーラは英雄さんの様なタイプの人間を尊敬しており、かつそのタイプの人間をある程度フォローする術を心得ているため、契約者とランプの魔人としての相性は非常にいい。

 しかし、上司と部下、ないしは同僚関係である内は何の問題もないのだが、英雄さんがカーラに女を意識し始めると途端にドギマギした関係になりそうである……それはそれでいい(作者的には)。


・聖騎士ちゃん

 「ほわわ、ふえ~ん」と言いながらかつての同僚の首を刎ね、「はわわわわ~」と言いながら当時最強だったSランク相当の悪魔を細切れにした御仁。

 ジェノサイド・ドジっ子。平和を愛する良い子なのだが、ほとんど呼吸をする頻度で何かを壊している恐ろしい存在でもある。

 特定条件が揃った場合ワンさんにすら傷を与え得る、剣と魔法の世界屈指の暴力の持ち主だったが、自らその暴力を禁じたが故に非業の死を遂げた。

 カーラがこの人の使い魔になった場合、たぶん三日で胃に穴が開く。善意で色々と破壊しまくる天然娘と、それを追いかけながら必死で周囲に頭を下げまくるクールビューティー。

 冷たい美貌の女的には大変だろうが、そのIFの世界で聖騎士ちゃんが悲惨な死に方をする事はたぶんない。


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[一言] 10年たってしまった 今読み返してた面白い。
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