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第12話 1人目の願い 剣と魔法の世界(11-b)

この話は前話(11話)のカーラサイドとなります。


色々とぶち壊しな感もありますが「まあ、ランプの魔人のお仕事だし」と生温かい目で見て頂けると嬉しいです。無論、苦情はウェルカムです。



それでは、今回のお話もお読み頂いた方々に少しでも楽しんで頂ければ幸いです。



 

 バウトから、エイプリルさん改め学園長様のヤバさ加減を聞いた夜。

 私に思わぬ友人が出来た。


 美味い酒を飲み終わった私が、自分のグラスをボトルの置いてあった机に置き話し合いを再開しようとした瞬間、彼は突然現れたのだ。

 まあ、突然とは言っても、私もバウトも割とチートなので、近づいてくる足音と気配を察してはいたのだが。


「――おい、バウト。下の連中が暴れ出した。ブリジットの奴も混じっているんで、オレの手には負えん。何とかしろ」


 のっそりとクマの様な巨体を縮こませて、バウトの部屋の扉を潜ってきた中年男性の第一印象はあまりよろしくなかった。というか、恐かった。

 何と言うか、明らかに眼に殺意があったのだ。人食い熊の視線である。


 しかし、その殺意はバウトだけに向けられていたらしく、私に顔を向けた瞬間驚いた様な表情に変わり、しばらくするとそのつぶらな瞳がクマのプ○さんの様に見えてきた。


「おい、バウト。お前、また女を毒牙にかけようとしているのか」


 クマの○ーさんは視線をバウトに向けた瞬間に、昔の週間少年マガ○ンの不良漫画に出てくる『!?』を背負ったヤンキーの様な凶悪な形相を見せる。

 ……こええ。


「おいおい。店主、人聞きのわりいことを言うなよ。俺がいつ誰を毒牙にかけたって言うんだ?」

「ああん!? てめえ、殺すぞっ! うちの可愛い一人娘を無理やり――」

「だから、アレは同意の上だって言ってんだろうがよ」

「……お前の同意は同意じゃねえ。む? おい、その酒瓶は何だ? もしかして……ちょっと見せて見ろ」

「酒瓶? 何の話だ。そんな物、ここにはないぞ?」


 ふと机の上を見ると、先ほどまであったはずのウイスキーボトル(っぽい容器)とグラスが消えている。

 ……何が起こった?


 店主と呼ばれたプ○さんは、私とバウトの顔を交互に見た後、何かに納得した様に頷いた。

 バウトの顔色が珍しく悪く見えるのは気のせいだろうか?


「まあ、未遂の様だからな、特別に黙っててやる。とっとと下の揉め事を片付けてこい」

「……ちっ、わあったよ。だがな、戻ってくるまで、その女に変なこと吹き込むなよ」

「安心しろ。オレは事実しか話さん」

「おいっ、だからてめえの中の事実は必ずしも事実とは――」

「あん!? てめえ、今の自分の立場が分かってんのか?」

「……クソがっ」


 バウトは自室のドアに何か恨みでもあるのか、激しい勢いで外開きの扉を開き壁に叩きつけると、苛立ちを隠す様子もなくドスドスと足音を立てながら下に降りて行った。


 ……おーい、バウトー。バウトさんやーい。

 こんな『拙者、武闘派でござる』みたいな見た目の人と、初対面で二人っきりにされても色々と困るんだが……。

 

 正直な話、社会人としての社交性を忘れてよいのであれば、こんなヤバそうな人とサシになった時点で逃げ出したい。


「なあ、あんた、名前はなんてんだい? オレはこの宿屋の店主をしているボーグってもんだ。よろしくな」


 しかし、そんな私の不安を払拭するかの様に、プ○さん改めボーグさんはそれまでの威圧的な声音を収め、それこそ「ハチミツ食べたい」とか言っていそうな、大らかで優しい口調で話しかけてきた。

 ……断定は危険だが、対バウトを除いては、どこか人の良い印象を受ける。


「カーラと申します。バウト様とはクエストでご一緒させて頂きました」

「ほう。カーラさん、あんた冒険者だったのか。中々そうは見えんが……魔術師か何かかい?」

「その様なものです。まだまだ駆け出しですが」

「そうかい、そうかい。冒険はいいよな。オレも引退して久しいが、あの頃のことは今でもよく思い出すぜ」


 過去を懐かしむ様に静かな笑みを浮かべるボーグさん。

 豪快な見た目に反して、根は物静かな男性なのかもしれない。

 ……対バウトを除いては、だが。


「しかしそうか、じゃあ、バウトの野郎とは冒険者仲間か何かかい」


 ……難しい質問である。

 仲間か仲間じゃないかと言われれば、きっと仲間じゃない。


 何せ一度、命の奪い合いをしている関係だ。

 現時点では互いの立場――トロールの反乱を根本的に解決しなければならないという立場が共通しているため、共闘関係の様なものが成立しているが、そこにあるのは限りなくビジネスライクな付き合いだと思う。

 仕事の同僚として、最低限業務――トロールの反乱の解決に支障が出ない程度の交友は図っているが、逆を言えば、プライベートの自分を晒し合う程の付き合いにはならないはずだ。

 少なくとも私の方に、本心からあの男に気を許すつもりなどないし、それはきっとあちらも同じことだろう。

 私は許されるならば、こちらの命を奪いにきたイケメンの顔など二度と見たくもないし、あいつはあいつで自分の命を奪いかけた私となど、同じ空気も吸いたくないはずなのだ。


 まあ、私の方はそんな内心を隠し切れていない事もあるのだが、バウトの奴は今晩の様に憎いはずの相手に酒を振る舞う程度には大人な対応を見せてくるので、取りあえずの『休戦状態』と呼ぶことはできるかもしれない。

 正直、ガルゼの修行を見てくれる話になった時点で、私の方にも負い目は生まれているので、出来れば『表面上は』友好的な関係を築いていきたいと思っている。


 ――しかし、こんな関係性のことを、ボーグさんには何と伝えたものだろうか?


 私が頭を悩ませていたのは、実際には3秒にも満たない短い時間であったが、クマの様な巨漢はその僅かな沈黙から何かを理解したらしく、少し嬉しそうな顔をした。


「その沈黙は、単純に『仲間』と呼べる様な関係じゃねえってことでいいかい?」

「……現時点では、敵対するつもりもありませんが」

「ははは、あの野郎と『敵対』とは強気な発言だな。しかしそうか、仲間じゃないのか。そいつは良かった。だったら悪いことは言わんから、あの男とは二人きりにならん方がいい。危険だぞ」


 まあ、沼地で二人きりになった途端、殺されかけた私としてはその言葉には心の底から同意したい。


「そうですね。確かに二人きりは危険でした」

「っ、おい、もしかして、もうあの野郎に何かされたのか」

「いえ、一応未遂です。ですが、危うく人生が終了するところでした」

「そ、そうか。大変だったな。しかし未遂で済んだのは不幸中の幸いだ。あいつは好みの女を見かけたら、後先考えずに行動しやがるからな。あんたがされかけた様に、あのクソ野郎に人生をめちゃくちゃにされた女は少なくないはずだ」


 ――ん? 女? 何か話がずれていないだろうか?

 ボーグさんの発言に軽く違和感を持った私だが、続く彼の言葉を聞いてそんなものはすぐに吹き飛んだ。


「やれ、貴族の娘に手を出して指名手配になっただの。やれ、騎士の恋人に手を出して騎士団の襲撃を受けただの。やれ、冒険者ギルド職員の人妻に手を出してクエストの討伐対象になっただの。本当に自分の事も相手の事も考えずに行動しやがるからな」

「なるほど。つまり、バウト様はクズ野郎ということですね」


 ……クズ野郎だクズ野郎だとは、何となく見た目と雰囲気から察してはいたが……想定以上の人間のクズだったか。


「おおっ、分かってくれるかっ。いや、良かった。本当に良かったぞ。あいつが狙っている女には、なるべく忠告する事にしてんだが、皆、何故か「バウトは悪くない」だの「恋人を取られた男の側にも問題があるはずだ」だの訳の分からん事を言い、取りあってくれないんだ。いや、本当に良かった」


 ああ、そういう事か。

 何となくボーグさんがこの話をしてくれた理由が分かった。

 今の私は、外見だけを見れば女である。夜の宿屋で『クズ野郎』が女と二人きりでいるのを見て、人の良いボーグさんは『クズ野郎』がクズな事を始めないか心配して声をかけてくれたのだろう。

 本当にいい人だ。


 まあ、とは言え、私と『クズ野郎』の関係性は特殊なので、そんな一般の男女間で発生する様な問題とは縁がないはずである。私は奴を嫌っているし、奴も私を憎んでいる。実際、この部屋に来て行った事と言えば、今後の仕事(トロールの反乱への対処)の話と、美味い酒を飲んだ事ぐらいである。


 もっとも、ボーグさんがそんな事情を知る訳がないので、彼の善意には素直に感謝しておく。


「ありがとうございます。よいお話を伺えました」

「ははは、そうかい、そうかい。そう言ってもらえるとオレも嬉しいぞ」

「私はあの方の顔を見ていると、たまに気分が悪くなることがあったのですが、今のお話を伺い、自分の感覚は間違っていなかったと確信しました」

「おう、気が合うな。オレもあのゴミ野郎が笑っている姿を見ているだけで胸糞が悪くなる……何だか、あんたとは上手くやれそうな気がするぜ」

「私もです」


 私たちはどちらともなく手を差し出し合い、固く握手を交わした。

『バウト憎し』の熱い想いのもとに、二人の人間の間に強い絆が結ばれた瞬間である。


 こうして私は、ボーグさんという頼もしい友人を得たのだった。

 

「そう言えばカーラさん、あんた冒険者になったばかりという話をしていたな」

「はい、そうですが、それが何か?」


 手を離し、突然「いい事を思いついたぜ」といった表情を浮かべるボーグさんに、私は内心訝しがりながらも、取りあえず素直に返事を返した。


「いやなに。オレは宿屋の傍ら、若手の冒険者に道具を売ったり、人脈を紹介したりもしてるんだがな、丁度、新人冒険者用に作った道具の詰め合わせが余っていてな。簡易だが治療用の道具なんぞも入っていてそれなりに便利だと思うんだが、試しに使ってみんか?」

「……申し訳ありません。生憎と今、持ち合わせがほとんどないのです」

「ははは、別に金は取らんぞ。こいつは、バウトに『あの酒』を振る舞われそうになっておきながら、あいつを拒めるような女がこの世に存在することをオレに教えてくれた礼とでも思ってくれ。あと、あくまで初心者用なんでな、そんなに高価な物も入ってねえ。遠慮する必要はねえぞ。邪魔だと言うのなら無理には押しつけんが……」

「いえ、そう言って頂けるのでしたら、ありがたく頂戴致します」

「おお、そうかっ。ちょっと待ってな。今、持ってくるからよ」


 ノソノソと部屋を出て行くボーグさん。


 それと入れ替わりの形で、この部屋の主は戻ってきた。


「クソっ、下らねえことで手間どらせやがって……おい、カーラ、あのオッサンから何か変なことを吹きこまれてねえだろうな?」


 ……もともと私の中で、決して高くはなかった『バウト株』。

 ガルゼの師匠役を引き受けてくれた時には珍しく上昇も見せたのだが、他人の女を寝取って、寝取って、寝取りまくった社長のスキャンダルにより、現状、大幅な株主(私の信頼)離れが発生している。下方修正は加えに加えられ、このまま行けば、『バウト株』が底値を割る日もそう遠くはないはずだ。

 いっそもう、全株、投げ売りしたい。


 ……いや、駄目だ。大人になろう。

 嫌いな相手、気に食わない相手と仕事をしなければならない場面なんて、よくある事だ。

 私は内心の侮蔑を故意に忘れ、極力いつも通りにバウトと接しようと心がけた。


「いや、特に『変な話は』聞いていない。中々、勉強になることを教えて頂いた」

「勉強? まあ、確かにあのオッサンも、冒険者としての経験値だけで言えば俺よりも上だからな。学ぶところもあるか」

「初心者用の道具の詰め合わせまで頂けるらしい。ありがたい話だ」

「……初心者用の道具をありがたがんな。つーかよ。お前、こないだの装備を見た時にも思ったんだが、何でそんなに持ってるもんがショボイんだ? 初心者だってもうちっとマシな質と量を揃えんぞ」

「事実、初心者だからな」

「……召喚されて日が経ってねえのか。だがよお、実績がないにせよ、実質的なお前の力量を考えれば今の装備は、やはり明らかに釣り合わねえよ。武器が素手というのもあり得ねえな、お前の筋力なら重量制限なんて有って無い様なもんだろう。いい武器屋を知ってるが、紹介してやろうか?」

「買う金がない」


 本当に金がない。

 何せ、それが原因で『風の足場』しか魔術を取得出来なかったぐらいである。

 はっきり言って、もう一度ガルゼの奴が医療機関のお世話になったならば、その瞬間に貯金が尽きる。それぐらいにヤバい状況なのだ。


「……いや、でもよお、ガルゼフォードの奴も一応、学園に通っている訳だろう? だったらそれなりの金を持っているはずだぜ。今後の進路をどうするつもりなのかは知らんが、魔術師としてやっていくつもりなら、貯金だってそれなりにしてんだろ」

「うちのマスターを舐めるな。私が確認した時点で、卒業する瞬間にジャストで貯金を使いきる計算でいた。卒業後のことも、臨時の支出が発生した場合も、何も計算に入れずにな。端的に言って、我が家の財政は既にして破綻しているのだ。持っている道具がショボい? 当然だろう。廃品や古道具を譲ってもらってどうにか流用しているのだからな。冒険のために回す金などない。今の私の、金銭面での最大の関心事は『いかに明日のマスターの衣食住を保証するか』だ」

「………………金、貸すか?」

「私を舐めるな。マスターの生活の一つや二つ、己の力だけで守ってみせる」

「そ、そうか」


 私に指導能力がないので、修行をバウトに委ねる。

 これは有りだ。

 気の良い友人からの贈り物をありがたく頂く。

 微妙だが、これもまあ有りだ。

 仕事の同僚から、生活費を借りる。

 無いな。


 ……調べたところによれば、魔物の森で引き千切ってきたゴブリンの耳を冒険者ギルドに持っていけば、クエスト達成の報酬として結構な金になる。

 油断は禁物だが、あの要領でクエスト達成を繰り返せるならば、トロールの反乱解決までの空いた時間で簡単なクエストを繰り返せば、それなりの収入を見込めるはずだ。

 もっとも、魔物との殺し合いは色々な意味で(主に私の精神衛生的な意味で)よろしくないので、次こそはキノコ採取や鉱物採掘で本領を発揮したいと思う。


 大丈夫。

 今後を見越したガルゼと私の生活資金ぐらい、私一人の力でどうにか稼いでみせるさ。


「……お前みたいな『例外的な使い魔』が主を選ぶ基準なんて知らねえが、お前、なんでガルゼフォードを選んだ?」

「何の話だ」

「いや、だからよ、ガルゼフォードのどこが良くて主に選んだんだ。見込みがねえとは言わねえが、もっとマシな奴なんていくらでもいるだろう。例えばの話、俺なんぞは、魔力量だけ見てもあいつの遥か上にいるし、冒険者としての腕に関しちゃ比べ物にならねえ。ついでに言えば金も名声も腐る程あるぜ」


 本当に何の話をしていやがるんだ、このクズ野郎は?

 イケメンクズ野郎の自慢話を黙って聞いていることほど、自制心が試される事もそうそうないと思うのだが……。

 はいはい。そうだよ。お前はイケメンだよ。チートだよ。金持ちだよ。有名人なのかもしれんな。はいはい。お前の仰る通りだよ。

 で、それを私に聞かせてどうしたい?


 そんなに、他の男の劣等感を刺激するのが楽しいのか? 

 そんなに、この場で毒沼の続きを始めたいのか?


「悪いが、何を言いたいのか本当に分からない」

「……だからよお、主人変えをするつもりはねえのかって言ってんだよ。お前が、使い魔として契約に縛られているってんなら、俺がそれを外してやる……どうだカーラ、俺の使い魔にならねえか? 待遇は応相談だが、少なくもそこらの貴族程度には不自由のない生活を保障するぜ」


 ……なるほど、そういう話か。

 まあ、私を使い魔として――戦闘用の道具として使いたいという奴の意図は分からないでもない。

 この体の性能は優秀だ。私とバウトの間に本質的な信頼関係が成立し得ないにしても、使い魔との契約とやらで完全に私を屈服させ、服従させる自信があるのならば、武器としての私を欲するのは打算的に考えて『有り』だと思う。

 倫理観で考えるならば、ガルゼの使い魔である私を彼に断わりもなく奪おうとするのはどうかと思うが、少なくともバウトという男は、他人の女を平気で寝取るクズ野郎だ。奴にとって、女を寝取るのも使い魔を奪うのも感覚的にはそう変わらないのだろう。


 故に、バウトの発言は理解出来るし納得もいく。


 ――だが、それはあくまでバウト側の都合だ。

 当然、私には私の都合がある。


 自身の本能を信じるならば、『使い魔』としてのガルゼとの繋がりが絶たれようと、『ランプの魔人』としての彼との契約は残る。そんな条件下で『使い魔』としての主人変えを行う旨味など私の側にはほとんどない


 更に言うならば、仮に『ランプの魔人』としての契約ごと主を変えられるのだとしても、私がガルゼから他の人間に契約を移そうとする可能性は極めて低かった。

 魔物の森に行く以前ならばいざ知らず、既に私にとってガルゼフォード=マキシという青年は『ただの行きずりの契約者』以上の意味を持つ人間なのだから。


 ――だから、私の回答など最初から決まっていた。


「断る」

「……本当に、つれねえ女だな、お前は。ちなみに、理由を聞いてもいいか」

「お前が、どの分野でどれ程優れていようと、私には関係ない。私があの方に惹かれたのは、そんな事の優劣に依存する様な理由ではないのだからな」

「……ほう。俺は俺が最強ではく完璧でもねえ事を知っているが、それでもガルゼフォード相手に劣っている部分がそうそうあるとは思わねえが?」

「優劣の問題ではないと言っている。そもそも持っていないんだ、お前は。あの方の美徳や輝きは、お前や私の様な人間には決して持ち得ることが出来ない類のものだ」


 本当に私は昔から、あの手の瞳の輝きを持った連中には弱い。

 自分にはないあの眩しさがとても妬ましく、羨ましくて、正常な損得勘定が出来なくなるのだ。


「お前や私が、諦め、切り捨て、不要としてきたモノを、あの方はまだ持っている。いずれ手放すことになるのかもしれないが、少なくとも今はアレを抱えたまま先を目指そうとしていらっしゃる……私は、そんなガルゼ様だからこそ、あの方の力になりたいと思っている」

 

 我ながら、ちょっと恥ずかしくなる台詞ではあるが、まあ本音だ。

 ……いや、ちょっとと言うのは嘘だな。かなり恥ずかしい。

 具体的には録音されて聞かされた日には、恥ずかしさのあまりその場で悶死しかねないレベルだ。凶器不明の完全犯罪成立である。


 そんな私の『恥ずかし発言』に、バウトはあからさまに不快な表情を見せた。


「……あいつの『甘さ』に惚れたとでも言うつもりか? お前の言う通り、アレは切り捨てるべき不要なモノだぞ。あんなモノを抱えた人間に何が出来る? あいつの甘さはまだ現実を知らず、何事も為してねえ若造だから口に出来るもんだ。この先あいつが俺の弟子として『強さ』を求めるならば、いずれはあいつもソレを切り捨てるぞ」

「それならそれで別にいい。もっとも、お前や私がそうであったからと言って、あの方も同じ道を辿るとは限らないがな。少なくとも私は、あの方とよく似た眼をした人間が綺麗ごとを口にし、その綺麗ごとを貫き通した姿を知っている」

「ハン、今のてめえの雰囲気を見れば何となく想像出来るが、それで、その綺麗ごとをほざいた奴はどうなった? いんや、もっとはっきり聞くがよう、そんなアホみたい奴は『まだ生きている』のか?」


 ――気が付くと、紫陽花の抑止を忘れていた。


「死んだが、それがどうした」


 バウトは条件反射の様に飛びのき、壁に立てかけてあった大剣を手に取った。

その顔には獰猛な笑みが浮かんでいたが、流れる冷や汗の量は奴の内心の緊張を伺わせる。


「……俺が思うに、毒沼にせよ、拠点の洞窟にせよ、お前がその威圧と殺意を見せる時には必ず何か意味があった。だが、今のこれは『違う』な。完全に意味などない、感情に振りまわされたものだ。なるほどな、その死んだ『誰かさん』がお前にとっての『逆鱗』か……今のお前が、今までで一番恐ろしく、美しいな」


 感情的になっている。その自覚はあった。

 よくない傾向だな。


 私は溜息を一つ吐くと、紫陽花を抑止し、自分の感情を意識して静めながら言葉を発した。


「この話はもう、終わりにしないか?」

「てめえをキレさせるかも知れねえが、もう一つだけ聞かせてくれ」

「……それで最後にしろ」

「ひゃはははっ、ありがてえ。んじゃあ、最後の質問なんだがよ、カーラ、お前は『その死んだ誰かとガルゼフォードを重ねていて、だからあいつの力になりたいと思っている』のか?」

「……知らん」

「おい」

「質問を聞くとは言ったが、それに答えるとは言っていない」

「だがな――」


 しつこく追及を続けるバウトの姿に、私が舌打ちを堪えていると、素晴らしいタイミングで友人――ボーグさんが戻って来た。

 扉を引き千切る様なその勢いに、いい加減ドアの行く末が心配になってきたが、彼の乱入によりバウトの追求を有耶無耶に出来そうなのは、正直ありがたい。

 やはり持つべきものは友達だ。


「いや、カーラさん、あんたは偉い」


 クマの如き中年男性の小脇には、大きめのリュックサックの様な物が抱えられており、きっとアレが件の初心者用の道具の詰め合わせなのだろう。

 ありがたや、ありがたや。

 しかし何だ、偉い、とは?


「おい、見たかバウト。聞いたかゴミ野郎。世の中にはな、こんな女もいるんだよ。てめえみたいな、容姿と名声と財力と暴力と知恵ぐらいしか取り得がない男よりも、志し一つ持った男の方がいいって言う女がよ。しかも聞いたか、何でもその男に死んだ恋人を重ね合わせてるって話じゃねえか。最初見た時は男を手玉に取るおっかなそうな姉ちゃんだと思ったが、何てことはねえ、あんた程、相手の男を大切にする情に厚い女は、この街全体を見渡してもそうはいねえよ」


 よく分からんが、ボーグさんの語っているその『情に厚い女』が私ではない事だけは間違いない。

 色々と認識の祖語があるな……。

 というか、どこから話を聞いていた?


「……店主。てめえ、どこから話を聞いていやがった」


 バウトが私の思いを代弁してくれた。この男にしては珍しく良い行いである。

 私の中で『バウト株』は極小の値上がりを見せた。


「あん? 確かカーラさんが威勢よく「断る」と言ったあたりだな。いや、どうにも間が掴めなくてよ、入るタイミングを逸しちまった」

「……じゃあ、このタイミングで割り込んでくるんじゃねえよ」

「うるせえ。まあ、どうせあれだろ。話の流れから察するに、ゴミ野郎が「俺の方が今の恋人よりも、金も名声もあるぜ。いい暮らしをさせてやるぜ。だから恋人になるんだぜ」とかぬかしたのに対し、カーラさんが「断る、私は金や名声で男を選ぶ様な安い女じゃない」とか言った感じなんだろう。やっぱりあんたはイイ女だぜ。ははは、振られたなバウト! いやあ、今日はめでたい日だ!」


 いやいや友よ。このクズは単に使い魔が欲しかっただけなんだ。

 その部分以外のボーグさんの予想がニアピンであるだけに、そこだけは全力で否定したい。

 しかし、あのタイミングから聞かれていたか……話に熱中し過ぎて、周囲に対する警戒が緩くなっていたらしい。今後は気を付けなければ。


「……違げえよ。男としてこいつに振られた訳じゃねえ」


 バウトが再度私の思いを代弁してくれた。この男にしては本当に珍しく良い行いが続く。

 私の中で『バウト株』は更に上昇した。


「負け惜しみにしか聞こえんなあ。まあいい、今のオレは気分がいい。これ以上の追い打ちはしないでやろう。ほれ、カーラさん、約束のもんだ」


 苦々しげに歯を食いしばるバウトを余所に、ボーグさんは私に大きめのリュックサックの様なものを投げて寄こした。

 取りあえず受け止めるが、はっきり言ってまともな筋力の人間では押しつぶされかねない重量である。


「ははは、バウトに殺気を向けた時の威圧感で何となく察してはいたが、これを片手で軽く受け止める程の化物か。あんた、実は名のある冒険者なんじゃないのか? ……ん? いや、そうか。それだけの実力があるのか……本当にその中身は初心者用なんだが、いるか? オレに恥をかかせまいとして、無理に受け取ろうとしているのなら申し訳ないぞ……」


 プ○さんが何だかしょんぼりし出した。罪悪感を煽られる。


「いえ。そんな事はありません。金銭的な余裕があれば、買ってでも頂きたい物です。本当にありがとうございます」

「そうかっ、そう言ってもらえると嬉しいぞ!」


 ○ーさんが元気になった。少しほっとする。


 ――さて、どうしたものか。

 当初予定であれば、もう少しバウトと話をしたい事はあったのだが、何だかそんなモチベーションでもなくなってしまった。壁にかけられた時計を見ると、時刻も既に深夜1時を回っている。

 ……最低限、今日中に確認しておかなければならない話は終わっているか。


 私はバウトに今日のところはもう解散しないかと提案しようとして、一瞬敬語で話すか、普段通りに話すかで悩んだ。

 基本的に第三者の眼があるところでは、相手がこの男であっても敬語で話す様に心がけているのだが、ボーグさんにはもう聞かれてしまっている……まあ、いいか。当初方針通りにいこう。


「……今日のところは、ここまでにしておきますか?」

「ま、そうだな。俺もいささか疲れた」


 敬語で話しかけた私に一瞬嫌そうな顔をしたが、疲れてきていたのはあちらも同じだったらしく、バウトはあっさりと同意してきた。


「分かりました。では、また明日」

「おう」

「ボーグ様も色々とありがとうございました」

「こっちこそ、いい話を聞かせてもらった。ありがとうよ。しかし、また明日もこのクズ野郎と二人きりになる気か。あんたが身持ちの固い女だってことはよくわかったが、それだけにこいつと二人きりになるのは危険だぞ」

「大丈夫です。私とバウト様の間で、お話頂いた様な問題が発生する事はあり得ませんから」

「……おい、店主っ、てめえ、やっぱりろくでもねえ事を吹き込みやがったんじゃねえのかっ」

「だから、事実しか話してねえ」


 焦った様子でボーグさんを睨みつけるバウトと、それに人の悪い笑みを返す我が友。

 少し争いの気配を察した私は、咄嗟にフォローを行った。


「大丈夫です、バウト様。私がボーグ様から伺ったのは、あくまで貴方の男女関係における悪辣さだけです。確かに一人の男性としての貴方に思うところは多々ありますが、冒険者としての貴方の実力は変わらず信頼しています。私たちの信頼関係は揺らいでいません」


 我ながら、ナイスフォロー。


「よかったな、バウト。男として評価はガタ落ちしたが、冒険者としては信頼してくれるらしいぞ。もともと、お前の事は冒険者としてしか信頼していなかったらしいから、そこさえ変わらなければ今まで通りという訳だな。本当に、よかったな」


 すかさずボーグさんが私の言葉に追従する。

 どうやら彼もこの場でバウトの奴と口論を続ける気はないらしい。バウトの奴もこれで安心して「そうか、じゃあ、問題ねえな」とか言ってくれるに違いない。


 ――しかし、バウトは、何故か乾いた笑みを浮かべて、遠い眼をしながら「……酒」と呟いた。


 ……ん? 何だって?


「やけ酒か」


 疑問符しか浮かばない私とは異なり、ボーグさんは全て分かった様な顔をして頷いている。


「今日は気分がいい。お前にすら特別な酒を飲ましてやってもいいと思える程にな。待ってな、今取ってきてやる。あと、金は払えよ」

「……おう」

「じゃあな、カーラさん。あんたはイイ女だ」


 そう言って、ドカンという音を立てながら扉を開き、ボーグさんは去っていった。

 ドアェ……。


「おい、カーラ、てめえもボチボチ帰った方がいいんじゃねえのか」


 扉を心配する私に対し、まるで『やけ酒とやらをする場に私がいては困る』かの様に追い出しにかかるバウト。

 色々と今のこいつの言動は意味不明であったが、それはそれとして帰る前に一つだけ確認しておかなければならない事があった。


「……これから酒を飲むのか」

「ああ」

「少量か?」

「ひゃはははははっ、まさか。浴びる様に飲み続けるさ」

「……明日の朝、マスターに修行をつけてもらえる話になっていたかと思うが?」

「ひゃは、ガキじゃねえんだ、すっぽかす様な真似はしねえよ。ちゃんと修行はつけてやるさ。あと……そうだな、もう一つ約束しておいてやるぜ。男としての俺はガルゼフォードの奴に思うところがねえ訳じゃねえが、師の立場で弟子としてのあいつと接する分には、その感情を持ち出さねえ」

「? まあ、よく分からないが、よろしく頼む。あの方の力になってもらえることに関しては、私も本当に感謝しているんだ。ありがとう」

「っ、たくよお、お前は本当にっ、あいつのためだけにはそういう表情をしやがるんだよなっ」

「また訳の分からないことを」

「いいから帰れっ、とっとと帰っちまえっ」

「よく分からないが、分かった。酒は程々にな」


 私はそう言い残して、バウトの自室の窓から飛び出した。


 夜の街は色々とおっかないので、屋根から屋根に飛び移りながら移動し、魔術学園を目指す。

 四つの月の光に照らされたこの世界の夜は、雲さえかからなければ、とても明るい。今の私の視力が規格外であることを差し引いても、普通に街の風景を細部まで見渡すことが出来る。

 ……まあ、強いて見渡す気にもならないが。


 これは多少の偏見もあるかもしれないが、夜はその街の暗部が最も鮮明に見える時間だと思っている。

 特に観察するつもりもなく走り続ける私ですら、フェルトの街の『闇』を何度も視界に収めていた。


 魔物に殺されかけている人間が視界に入り、こちらに魔物を排除するリスクがほぼないならば、私だって人助けの一つぐらいはする。

 だが、夜の街で繰り広げられる、人間同士の諍いに関してはその限りではない。

 知人が巻き込まれているというのなら話も変わってくるが、見ず知らずの人間同士が争っていたとして――そんな争いが10も20も、あるいは100以上も繰り広げられていたとして、一々それに突っかかっていけるだけの『正しさ』など、やはり私にはないのだ。


 ――では、いつかの『あいつ』やガルゼの様な人間ならば、この風景を眺めてどんな反応を見せるのだろうか?


 ふとそんな疑問を覚えたが……まあ、少なくとも、現時点のガルゼに夜のフェルトは見せない方がいいだろう。

 あいつにとっての最大の禁忌と思われる『殺人』ですら、ここではそう珍しくもなく行われている。

 本当に、おっかない。

 ……しかし、これはこれで『フェルト』なのだろう。

 日の光の下では姿を隠し続けているこの一面も、魔術学園都市を構成する一つのピースであることには間違いないのだから。


 そんな事を考えているうちに、学園の門に到着していた。


 門番はさすがに24時間いる様なので、前回通りの手順で門を潜り、私はガルゼの自室まで戻る。

 外側から扉を開ける方法を聞いており、この部屋の主が恐らくまだ寝ている時間であることも分かっているので、私は特にノックもせずに部屋に入った。


 ベッドの上を確認すると、マスターがとても気持ちよさそうに寝ている。

 取りあえず後3時間程は夢の世界にいてもらって問題がないので、私は一人ボーグさんからもらった初心者用セットの物色に取りかかる事にした。


 説明書等を確認しながらの作業だったので、一通りの内容確認が終わる頃には、時計の針がもう少しで4時丁度を指す時刻になっていた。少し熱中し過ぎたな。

いいタイミングなので、マスターの様子を伺ってみる。

 すると、案の定と言うべきかガルゼの奴に目覚める気配はない。

 ……仕方がないので、私はいつも通り声をかけて青年に起床を促した。


「マスター、朝です。起きて下さい」


 だが、そこからのガルゼは一味違った。

 いつもの寝起きの悪さが嘘の様に飛び起きると、無駄に活力に満ちた姿で出かける準備を始めたのである。

 昨日のマッサージの成果だろう。我ながらいい仕事をした。

 

 慌ただしく準備をするマスターを尻目に、私はわざとらしく椅子に腰かけ本を読む素振りを見せていたが、実のところ紙面の文字を追っていた訳ではない。

 契約者から声がかかるのを待っているのだ。

 

 修行を行うガルゼに付いていくか否か。これには少し頭を悩ませた。

 心情的には当然付いていきたいのだが、青年が成長する上で、私という『保護者の様な立場の人間』が傍らにい続ける事が、彼の成長の妨げとなる危険性は決して低くないだろう。

 では、大人しくガルゼを一人で行かせるのかというと、それはそれで悩ましかった。

 例えば魔物の森であの青年は二度重傷を負っているが、どちらも私が目を離したタイミングである。正直な話をすればよほどの安全圏でもない限り、私は一瞬でもガルゼから視線を外すべきではないし、外したくもないのだ。そして、バウトと人気のない場所で修業を行うという状況は、必ずしも『安全』とは言い難い。

 なので。

 姑息な私は『マスターに一緒に来いと言われたら、使い魔としては行かざるを得ないだろ、常識的に考えて』作戦を取ることにしたのである。


 本を読むフリをしながらも、わざとらしくチラチラと青年に視線を送る。

 しかし、奴は気付かない。

 ――あれ?

 お、おーいガルゼー。ガルゼくんやーい。お前の使い魔であるカーラさんが仲間になりたそうな目でそっちを見ているぞーい。


 ガルゼ、変わらず無反応。

 ……いや、まてよ、もしかしてあいつの側から出かける時に「一緒に来い」と誘われたことって一回もないんじゃないか? ……うん、やっぱりそうだ。多分ない。


 もしかしてあれだろうか。

 実はガルゼの奴も内心では「うわっ、カーラの奴また後ろにいるよ。きめえな」とか思っていたのだろうか。これを期に、私を置いていこうと思っているのだろうか……まずいぞ、どうする?

 このままではマスターはバウトと二人きりになってしまう。まあ、師匠としてのあいつを疑っている訳でもないのだが、私の眼の届かない所で二人きりになられるのは正直リスクがある。

 ……いや、大丈夫さ。私。まだ諦めるのは気が早い。

 ガルゼの奴は直前まで焦らしておいて、そこで声をかけるつもりなのさっ、そうに違いないさ!!


「お、おい、カーラ」


 キターーーーーーーーーーーー!!


「何ですか、マスター?」

「……これから、修行に行ってくる」


 コナカッターーーーーーーーー!?


 ガルゼ、もう一声っ、もう一声だっ。

 「これから修行に行ってくる」からの「だから一緒に来い」だろうっ!

 頑張れガルゼ、お前なら言えるっ。


 しかし、奴は私のそんな期待なんぞ知ったこっちゃねえとばかりに、そのまま続きの言葉を口にする素振りも見せず、背を向けようとした。

 

 ――舐めるな。


「そうですか。私の同席は必要ですか?」


 ほら、ガルゼ、Aだ。Aボタンを押すだけでいい。Aボタンを押すだけの簡単なお仕事なんだ。頑張れ、お前なら出来るっ!


「いや、不要だ」


 Bボタンを押しやがったー!?

 もう駄目だ。こいつ、完全に私を置いていく気である。畜生、打つ手がねえっ――いや、落ち着け。諦めるな。諦めている暇があったら考えろ。


 私は取りあえずの返事として「畏まりました。それではお気を付けて」と返すと、すぐに書物に視線を落とし、高速でこの状況を打破するための思考を始めた。無論、本の内容なんぞ入ってきたもんじゃない。


「……ああ、行ってくる」


 ガルゼは少し元気がなさそうな声でそう呟くと、バタンという扉の閉まる音と共に部屋を出て行ってしまった。

 くそっ、時間もあまりないな。


 考えろ。考えろ。考えろ。

 今回の私の『勝利条件』は――ガルゼの修行を見守ること。

 今回の私の『敗北条件』は――ガルゼの修行の邪魔になること。見守れないこと。

 勝利条件を満たし、敗北条件を潰すためには――ガルゼに気付かれず、あいつを見守ればいい。

 よし、これだ。時間もない、これでいこう。


 そう言えば、ガルゼに同席不要と言われた問題はどうしたものか……うん、不要とは言われたが、来るなとは言われてない。何の問題もない(キリッ)。


 以上の結論に達した私は、念のためボーグさんからもらった初心者用セットの入ったリュックサックを背負うと、ただちにガルゼの尾行を開始したのである。


 色々と注意力散漫な契約者の追跡は、今の私の身体能力や遠視能力を持ち出すまでもなく容易に達成出来た。あっさりと待ち合わせの広場まで到着する。

 さすがに、広場に到着した彼の隙を見つけて、隅にある巨大な広葉樹の影に隠れる際にはこの体の人外の移動速度に頼ることになったが。


 太い幹の影に身を隠した私が、リュックサックを背中から降ろし、周囲に軽く視線を走らせていると、何となくだがこの場所を選んだバウトの意図が見えてきた。

 人気のない立地。障害物の少ないシンプルな空間。足場は石畳ではなく土。

 きっと、この場所でガルゼはバウトにボコボコにされ、地面に叩きつけられたりする事になるのだろう。

 ……これが修行だと言うのなら、マスターが修行を続ける意思を見せる限り私に干渉は許されない。忍耐力を試されそうだ。


 そして待ち合わせの5時。

 バウト、現れず。


 …………あの野郎。

 ふと、4時間程前のバウトの言葉が脳裏に響いた。


 ――ひゃは、ガキじゃねえんだ、すっぽかす様な真似はしねえよ。ちゃんと修行はつけてやるさ。やるさー(エコー)、やるさー(エコー)、やるさー(エコー)


 ……これだから、イケメンって奴はよお。

 いや、待てよ? よくよく考えると、嘘を言っていた訳でもないのか。なるほど、要するにバウトはこう言いたかったのだ。


 ――ひゃは、ガキじゃねえんだ、すっぽかす様な真似はしねえよ(遅刻はするがな)。ちゃんと(時間通りに到着しなくても)修行はつけてやるさ(キリッ)。


 なるほど、なるほど。

 箪笥の角に、足の小指でもぶつけてくれないかなぁ。あいつ。

 私が神にバウトの不幸を祈っていると、視線の先では、我がマスターも苛立たしげに師匠の到着を待っていた……苛立たしげなのはいいのだが、少し朝の寒さに震えている様にも見える。おいおい、風邪でも引かないだろうな。何だか修行とは何の関係もない部分で心配になってきた。


 そして、5時30分。バウト到着。


「わりい、わりい、昨日、ちっと飲み過ぎちまってな」


 悪びれない奴の姿を見た瞬間、とてもイラっときた。

 基本的に私はプライベートで待たされる分には1時間だろうと2時間だろうと文句も言わずに待ち続ける自信と実績があるのだが、この酒飲みクズ野郎の下らねえ遅刻のせいで、うちのガルゼがブルブル震えていたのかと思うと、当初の目標も忘れて、出て行って文句の一つも言ってやりたくなった。


 いや待て、我慢だ。ガルゼも大人な対応を見せているではないか。

 ここで私が出ていってどうする。堪えろ私。


 だが、そんな私の内心の自制を嘲笑うかの様に、奴の格好が苛立ちに更なる拍車をかける。

 昨晩の宿屋でも似た様な服装だったのだが、ガルゼが横に並び対比される事で、バウトという男がどれ程優れた容姿とセンスを持っているのかが際立ってしまった。

 ラフな服装であるのは間違いないのだが、今朝頑張って身だしなみを整えていた(っぽい)ガルゼを遥かに上回るイケメンオーラを発している。

 例えばあれだ、イケメンの力を測定する機械があったとしよう。

 ・ガルゼの場合→「ピピ(機械音) イケメン力、たったの5か……ゴミめ」

 ・バウトの場合→「ピピピ、ボン(壊れた音) な……測定不能、だ、と?」

 という結果の差が出そうなぐらいの、イケメン力の開きがあるのだ。

 ガルゼェ……。

 くそっ、イケメンめ。許せない……よくも、私のガルゼを馬鹿にしやがったな。

 神に祈るのはもう止めだ。どこからか箪笥を見つけてきて、直接その角を奴の足の小指にぶつけてやる! 今の私ならば、箪笥を振りまわして叩きつけることだって出来るはずなんだ!

 当初の目的も忘れて、この広場を離れ箪笥を探しに行きたくなった。


 いや待て、我慢だ。ガルゼも気にせず頑張っているではないか。

 ここでこの場を離れてどうする。堪えろ私。


 そんな諸々の脳内会議を行っている内に、ガルゼはいつの間にか木刀を握っていた。途中の会話を聞き逃したが、まあ、仕方がない。いよいよ模擬戦が始まるようだ、マスターに大事がないよう注意して観察しなければ。


 しかし、さっそくよろしくない状況になった。

 ガルゼが木刀を投げ捨て、魔法陣を取りだそうとし始めたのである。

 5メートル程度『しかない』間合いで、近接武器を構えたバウト=カチェットを相手に、隙だらけの状態で魔術の準備を始めたのだ。

 ――近過ぎる。

 私の懸念はすぐに現実になった。ろくに詠唱も出来ないまま腹に木刀をめり込ませ、力なく地面に倒れ伏すガルゼ。


 叶うならば、マスターのもとに駆け寄りたかったが、我慢する。

 契約者は、まだ続けるつもりの様だ。それに私が水を差す訳にはいかない。


 木刀を片手に何とか立ち上がるガルゼ。

 それに対し、バウトはゆっくりと、弟子の側から見て左斜め上から木刀を振り下ろす。

 受け止めたガルゼの意識が左に寄る。

 ――ガルゼ、右っ、右っ!

 次の瞬間、右方向から打ちこまれた掌底に、契約者は為す術もなく体ごと左側に吹き飛ばされた。


 我慢だ。立ち上がろうとしては倒れるを繰り返すマスターの姿に、すぐに傍に行って支えてやりたくなるが、まだ私にその権利はない。

 青年の体がどれ程ボロボロであっても、彼の心はまだ折れていないのだから。


 何とかフラフラと、木刀を杖代わりに立ち上がるガルゼ。

 やはり、その瞳から闘志は失われていなかった。

 一見上手く取り繕っていたが、バウトの顔がそれを見て楽しそうに歪むのを私は確認した……戦闘狂め。


 そこからしばし、苦痛の時間が始まる。

 マスターにとってはもちろん、私にとっても。

 ボコボコにされ続けるガルゼ、それをただ黙って見守るしかない私。

 いっそ契約者が逃げ出す素振りでも見せてくれれば、私も躊躇なく助けにいけるのだが、青年はどれ程一方的に敗れ続けようとも、諦めることだけはしなかった。


 バウトのしていること、したいことは理解出来る。

 体に痛みを教え込み。その過程としての敵の動きを眼に焼き付けさせることで、手っ取り早く近接戦のやり方を教えているのだろう。

 それなりに理にかなっているし、私自身も殴られ蹴られる中で喧嘩を学んだ経験があるので、あのやり方である程度の結果が出るであろうことは分かる。

 まず間違いなく、私には実践出来ない教え方なので、ここは感謝の一つでもするべき場面なのだろう。


 ――そう自分に言い聞かせないことには、私の中でのバウトに対するヘイト値が、際限なく上がっていきそうだった。


 だが、そんな時間もどうにか終わりを迎える。

 どうやら模擬戦はあと一回で終わりらしい……あと一回ぐらいしかマスターの体がもちそうもないとも言えるが。


 そして、バウトの雰囲気が変わる。

 その口元に浮かぶ笑みは、毒沼で見せたそれと同じ、獰猛で威圧的な獣の王の如きものであった。

 ――やはり、恐いな。

 忘れていた訳ではないし、忘れるつもりなど毛頭ないが、再認識する。一時的な共闘関係にあろうと、あいつがどれ程男女関係でクズ野郎であろうと、『そんなこと』とは関係なしにバウト=カチェットという男はまず何よりも『恐ろしい』のだと。

 自分に向けられた闘志――殺意ではないと言うのに、私は自然といつでも逃げ出せる体制になっていた。

 そんな体勢になって、何故自分がこんな場所にいるのかを思い出す。流石にいくら私がはぐれメタルでも、ガルゼを置いて逃げるつもりはない。

 私はいつでも二人の間に割りこめるよう、意識を集中した。


 バウトが動いた。

 ガルゼは――当然、反応出来ない。


 一撃目で右手が砕かれる。マスターは……まだやる気だ。

 二撃目で口から吐瀉物が吐き出される。ガルゼは……まだ、折れない。

 三撃目で意識が飛んだ――終わりだな。


 私がそんな安堵を感じた瞬間、バウトは倒れ伏し完全に意識を失ったはずのガルゼに対し木刀を振り上げていた。

 は?

 どんな身勝手で訳の分からない理由がそこにあるのか知らないが、あの男はそのまま倒れたマスターに向かって木刀を振り下ろ――――させると思ったのかクズ野郎っ。


 紫陽花の抑止を解除し、全力で間合いを詰める。


 バウトは完全に不意をつかれたらしく紫陽花が発動した瞬間、体を一瞬硬直させた。

 その僅かな隙に、私の手刀は奴の木刀を半ばからへし折ることに成功する。まあ、折ったと言うよりは粉々に打ち砕いたと言う方が正しかったが。


 私の手刀を視認した瞬間には、バウトは木刀を手放し回避行動に移っていた。奴は既に、広場の隅に立てかけてあった大剣を手に取り臨戦態勢を整えている。


「……よお。いやがったのか」

「……ああ、いやがったとも。マスターが、世話になっているな」

「礼ならいらんぜ。だから、黙って見てな」

「そのつもりだったのだがな、お前、最後のアレは何だ」

「あん? いや、両手両足をへし折ろうと思っただけだぜ」

「何故」

「いや、その方がよお、伸びるだろ。人間ってのはよおっ、叩かれたら叩かれた分だけ伸びるもんだ。この痛みはこいつの糧になるはずだぜ」

「……リスクは?」

「………………まあ、運が悪くても再起不能になる程度だな」


 ――足の小指とは言わん、今すぐその首へし折ってやる。


「おい、落ち着け。殺意を収めろ。こんな街中で殺し合うつもりか。いや、分かった。悪かった。俺もちっとばかし熱くなっちまってな。分かったぜ。今後は気を付ける。極力、こいつの体に取り返しのつかない様な傷は与えんようにする。だから、落ち着け」

「ああ、大丈夫だ。私は落ち着いているよバウト。ふふふ、落ち着いているとも。ところでお前、目が二つも付いていて邪魔じゃないか?」

「落ち着け」


 紫陽花発動時の悪辣な欲求を抑える気にもならなくなっていた私が、本気でこの場で毒沼の続きを始めそうになっていた時、そんな私を諌めるかの様にガルゼの呻き声が広場に響いた。

 そうだった。私にはこのクズ野郎と潰し合うよりも先にやるべきことがあるのだ。


「次はないと思え」

「……今まで弟子を取ってきて、色々と面倒くさい保護者に出会ったが、お前は中でも最悪の部類だな。やり方に文句を言う奴や、後で牢屋にぶち込もうとした奴はいても、『その場で俺の首を取りに来た保護者』はさすがにお前が初めてだぞ……」


 奴の戯言は聞き流し、すぐにガルゼの応急処置を開始する。

 ボーグさんからもらった初心者用セットの中の救急セット(っぽい物)がさっそく役立った。包帯は若干の手持ちもあったが、軟膏とかテーピング(っぽい物)とかは地味に助かる。

 私は契約者を芝生の上まで移動させ、彼の傍らに屈みこむと、道具を並べ、まず傷の具合の確認に入った。


「ほう、意外と手慣れたもんだ」

「……昔、応急処置の類をよくやらされていた時期がある」

「ひゃはは、よく分からん経歴を持っているな。是非今度聞かせて欲しいもんだ……おい、ガルゼフォードのゲロ、服に付いてんぞ」

「そうか。手の傷を見ている時にでも付いたのだろう。ありがとう」


 そんな会話を交わしながらも、私は黙々と処置を続けた。汚れの始末など断然後回しだ。

 しばらくして、とりあえず手と腹の対処(本当に応急処置のレベルだ。可能であれば早く、きちんとした治療を受けさせてやりたい)は終わったので、青年の口元に付いていた吐瀉物をぬぐってやり、顔の脂汗もふいてやる。

 ……今、出来るのは、こんなところか。

 枕替わりに、丸めたタオルをガルゼの頭の下に入れて立ち上がると、バウトが面白そうな顔をして私を見ていた。


「ボーグのおっさんや、ブリジットの奴の言葉じゃねえが、お前は案外本当に『尽くす女』なのかもしれねえな。必死でガルゼフォードの手当をするお前の姿は、中々どうして献身的で、可愛らしかったぜ」


 とても、気持ち悪いことを言われた気がする。

 まるで、女に殺し文句でも言っているかの様な奴の表情も、気持ち悪さに拍車をかける。


「何だ急に、気持ち悪い」


 だから、感じたことをそのまま口にした。

 バウトは何故かノックバック付きの攻撃でも食らったかの様にのけ反った後、そのままガクンと項垂れてしまった。本当に一々訳の分からん男だ。


 私はマスターに存在を悟らせる訳にもいかないので、救急セットを持つと再び大木の影に隠れた。こそこそと様子を伺っているとバウトは疲れた様な表情を浮かべ、遠くを見始める。まあ、あいつはどうでもいい。ガルゼだ。

 私はしばらく契約者の様子を確認していたが、中々起きる気配がないので、暇つぶしと言う訳でもないが服に付いた彼の吐瀉物を消すことにした。


 ランプの魔人の衣服のこの汚れ落とし機能だが、色々と試してみた結果、服の形状変更機能と同一のものであることを確認している。

 踊り子風の衣装→エセチャイナドレスと変更するのと同じ要領で、エセチャイナドレス(吐瀉物付き)→エセチャイナドレス(デフォルト)に変更している感じである。

 ちなみに今の私の服装はエセチャイナドレス(魔法陣記載版)だ。ここで下手にデフォルトに戻すと『風の足場』使えなくなるので注意が必要である。


 結局、マスターが意識を取り戻したのはそれからだいぶ経った後――私が内心ヒヤヒヤし始め、実際にソワソワし始めた私を見たバウトが『何か』を警戒する様に大剣の柄に手を伸ばした頃のことだ。

 幸い、目覚めた契約者とバウトの会話を聞いている限り、無理やりにでも医療機関に連れていく必要はなさそうだったので、取りあえずホッとする。


 その後の『対魔術師戦の講義』は洞窟や宿屋で既に聞いていたことばかりだったが、私は油断せず二人の会話を盗聴し続け、二人の姿を監視し続けた。

 次の瞬間、バウトの野郎がまたとち狂った行動を始めたとしてもすぐに対処出来る様にするためである。


 そんな緊張状態が続いたせいか、しばらくして、この日の修行が終わりを向かえた瞬間、私は、安堵のあまり無意識のうちに溜息を吐いていた。

 もっとも、フラフラと覚束ない足取りで広場を出ていくマスターの姿を見る限り、まだまだ安心していい状況とは言えなそうである。あれだ、修行とは、家に帰るまでが修行なのだろう。気を引き締めねば。

 私は置きっぱなしになっていたタオルを回収すると、こそこそとガルゼの尾行を開始した。


 朝のラッシュからは少しずれていたが、街は普通に人でごった返していた。

 そして例によって人々は、私を注視し、近寄ろうとしない……ガルゼの意識が完全に前方に向いているからよいが、後ろを振り向かれた瞬間にバレそうである。

 雑踏の中を人波に紛れながら尾行しようとしても、私の周囲だけ不自然な静寂と空間が発生するのだ。はっきり言って、早朝の『人気がない状況で静かに尾行する』よりも、今の『集団の中で私の周囲だけ静寂と空間が発生する状況での尾行』の方が目立つ。

 何と言うイジメ……負けぬ。

 私はめげずに、物陰から物陰を移動するようにして尾行を続けた。もう、雑踏など――人間の力など当てにはしない。街路樹や、道端の謎の壺だけが私の頼りだ。


 角を曲がろうとしたガルゼと運悪く視線が合いそうになった時も、傍にあった壺の影に隠れることで何とか乗り切った。

 ――そして、それほど大きくない壺の影で、必死に長身を縮める私の姿を見た通りすがりの老婆は、何故か微笑ましいものでも見る様な視線を向けてきた。ええと、うん……大丈夫。私は負けないんだぜ。


 道中、ガルゼが医療機関への最短ルートである大通りから外れた時には、別の場所を目指しているのかと焦ったが、しばらく尾行を続けると、どうやら人ごみ自体を嫌い比較的空いている道を選んで進んでいるらしいことが分かった。

 まあ、それでも4時台とは比べ物にならない人数とすれ違ったが、すれ違う人々のガルゼに対する視線を見る限り、大通りをさけた彼の判断は正しい。

 

 今のマスターの外見は、残念ながらこの街のドレスコードに抵触している様だ。

 体の所々に打撲痕が浮かんでおり、全身が土で汚れていて、更に服は汗でびしょびしょで、挙句の果てに嘔吐物が衣類にぶちまけられている。

 アメフト部の連中の部活直後でも、現状のマスターと比べればまだマシな気がする。

 失敗した。顔や手足に付いた汚れは拭き取ったのだが、服に付いたものまで意識を回していなかった。我ながら雑な仕事をしたな……すまない、ガルゼ。

 

 その後のマスターの行進は、見ていて痛々しいものであったが、それでも彼はなんとか歩き続けた。

 歩き続けて、謎の集団にぶつかった。

 私が軽く跳躍して集団の中心を伺うと、銀髪銀眼の容姿端麗な男が、食堂で朝飯を食いながら女の子や女性に囲まれて楽しそうに笑っている。

 ふむ。

 視線を契約者に移すと、集団に足止めを食らったガルゼが、その集団から零れた女性にタックルをくらった後、凄い勢いで罵声を浴びせられていた。

 ふむ。本当にろくなことをしやがらねえな、あのクズ野郎は。


 色々と見るに見かねて、私が恐る恐る――ああいう口撃力の高そうな女性は普通に恐いのだ――ガルゼと女性の傍まで歩み寄ると、彼女は私の顔を見た瞬間怯えて逃げ出した……う、うん、まあ、今回はいいよ。結果おーらいさ。ふ、ふふ。


 そして倒れそうになったガルゼを咄嗟に支えたところ、何故か同行を拒まれ、「付いてくるなよ、絶対に付いてくるなよ」と言われた。

 これはあれだろうか「押すなよ、絶対に押すなよ」的なニュアンスで捉えてよいのだろうか? ……心なしか、本気で嫌がれている気がしないでもないが、今の状態のマスターを放置する訳にもいかないので、私は脳裏に浮かんだ竜ち○んの笑顔を信じ、ガルゼの後ろを堂々と付いていくことにした。

 

 そして、マスターに見つかり怒られる。脳内の竜ちゃ○は「やっちまったぜ」という感じの表情を浮かべどこかへ消えて行った。おのれ……。


 怒れるガルゼの言い分を聞くところによると、どうやら『汚れた自分』を私に見られることが嫌だったらしい。ついでに言うと『人々に侮蔑と嫌悪の視線を向けられている自分』を見られるのも嫌で、その視線が私に及ぶのも嫌だったようだ。

 遠目に見ていて私が声をかけるまで、契約者に『街の人々の視線を嫌がったり恥ずかしがったりする様子』はなかったので、今回の問題点は『私』だろう。


 見ず知らずの他人の視線は気にならないが、知人である『私』の目は気になった。周囲に見下されている自分を知人の『私』に見られるのも嫌で、自分の知人であるという理由で『私』が見下されるのも嫌だった――多少のズレはあるだろうが、大凡そんなところだろうか。


 私もガルゼぐらい年齢の頃は『誰に舐められても、身内にだけは舐められたくない。誰に無様を晒しても、仲間にだけは格好をつけたい』というタイプの人間だったので、あまり大きなことも言えないのだが……『舐められたくない』、『格好をつけたい』などと言っても、身内や仲間はそいつの駄目なところなど、下手をすれば当人以上に知っているものだ。

 私は今のガルゼよりも、長期間風呂に入っていない状態で小便を漏らした時のあいつの方が汚くて臭かったことを知っているし、学園内においてあいつが周囲からどれだけ蔑まれているかも見ている。

 短い付き合いではあるが、他にもあいつの駄目なところなどいくらでも知っているつもりだった。


 だから、あいつが今気にしていることなど、私にとって「何を今さら――」な内容であったし、「――今さらそんなことで、お前を嫌う訳がないだろう」としか言いようのない話だったのだ


 私はそんな気持ちを言葉にしたつもりだったが、今日のガルゼはやたらと粘り強く、こちらが何を言っても中々聞く耳を持ってくれない。

 だが、こちらとて伊達に奴の1.5倍近くの人生を生きている訳ではないのだ。難航した交渉において挽回の一手となるような策の一つや、二つ、当然引き出しにしまってある。

 だから――。


「まったく、面倒な男だ」


 ――この言葉は「駄目だ、策がつきた。もう引き出しがない。これ以上何を言えばガルゼを説得出来るのか分からない!」という内心の焦燥から、思わず漏れてしまった本音という訳ではないのだ。断じて、そんな訳がないのである。

 故に、ここまでの展開は全てこの諸葛カーラの想定通り。ガルゼ、貴方がそうくることを私は読んでいました。

 これまでの一見劣勢に見える戦況も全て布石。これから実行される『GORIOSHI』という名の策のための伏線なのだ。

 この高度に計算された軍略は「駄目だ、これ以上ガルゼに口で何を言っても伝わる気がしねえ……ええいっ、面倒だ、こうなりゃ力技だぜっ、ヒャッハー!」などと考える人間には思いつくはずもない、それはそれは素晴らしい策なのだ。

 この一手で決めてやろう、ガルゼよ。これが策というもの、これが交渉というもの、さあ、格の違いを知るがいい。


 そして。

 私は契約者を強引に抱き締めた。


 本当は肩を組む延長な感じで済ませるつもりだったが、想像以上にフラフラだったあいつを咄嗟に胸元で受け止めてしまう。

 具体的には、よくメリルちゃんにダイビングタックルを食らうあたりに、ガルゼの顔が『むにゅ』と埋もれた…………大丈夫だ、『GORIOSHI』の素晴らしいところはその汎用性、私は気にせず『契約者の嘔吐物を自分の衣服になすりつける』と、胸元から青年を解放した。


 ――契約者が汚れている自分を恥じ、その傍らに私を置くことを拒むのならば、私も汚れてしまえばいいだけの話である。


「汚れだか、臭いだか、何だか知りませんが。これで私も貴方と同じでしょう?」


 ――これで、私も貴方の傍らに立てるのだろう?


 ガルゼからの反論は返ってこなかった。

 何故か呆然とした表情で私を見ている彼の様子に少し疑問を覚えたが、取りあえずの目的は果たしたと言えよう。

 昔の友人には「お前は自分のことを『賢い馬鹿』だと思っているかもしれんが、友人として忠告してやる。お前は『とてもたちの悪い馬鹿』だぞ」と言われたものだが、私も成長したものである。


 マスターの傍らに立つにあたってのこの一連の流れ。正しく『出来る大人』の仕事だ。我ながら自分で自分が恐ろしくなるな。

 若干の『アクシデント』が発生した気がしないでもないが、きっと気のせいだ。全ては計算通り――諸葛カーラの、計算通りなのだ。

 かつて鏡で見た、冷たい美貌の女の顔を思い出す。

 今の私はさぞ『大人の余裕に満ちた表情』をしていることだろう。きっと『全てを見越した様な悠然とした雰囲気』を醸し出しているに違いない。


 ――ここが攻め時か。

 私は流れが自分にあることを確信し、そのままの勢いで、ガルゼを先導し医療機関を目指すことにした。


「行きますよ?」


 そう声をかけた瞬間、ガルゼがまだ何か言いたそうな顔をした……いやいや、そんなはずがない。うちのマスターはこの期におよんで話を振り出しに戻そうとするような、わからず屋ではないのだ。


「あ? いや、カーラ、あの、だな、やっぱりさっきの話だが――」


 ……私は黙ってマスターを睨みつけた。

 正確には、顔を睨みつけようとしたのだが、とある感情に妨害され、狙いが胸元に逸れてしまった。


「まだ何か文句があるのですか?」


 ガルゼが黙る。うむ、やっぱりさっきのは何かの気のせいだったか。良かった、良かった。

 安心した私はマスターに背を向け、医療機関を目指し、再び歩き出そうとし――その声を聞いた。


 音は小さくとも、強い意思のこもったガルゼの声を。


「――助かった」


 ……茶化していい言葉ではないな。

 私は全ての感情を、理性によって力ずくで黙らせる。

 そして、マスターの瞳を真っ直ぐに見据えながら彼の言葉の意味を考えた。

 

 礼を言った。

 何に対して?

 タイミングから考えて、私が彼と同じ汚れを共有したことに対して。

 どうして?

 嬉しかったからだろう。

 何が?

 私がマスターの傍らに立ったこと、あるいは、汚れを共有したこと。

 正確にはどちら?

 恐らくは両方、私がマスターを蔑むことなく、その証明のためには汚れることを厭わず、傍らに立つことを望んだから。

 私に肯定されて、私が傍らにいて何が嬉しい?

 さあ?


 まあ、付け加えるならば、きっとガルゼの中の私は彼の無様さを責めていたはずなので、それが杞憂に済んだという安堵もあるのだろう。


 分からない部分もあるし、私の読みなど必ずしも当たる訳ではないのだが、それでも何となくは、マスターが感謝してきた理由が推測出来た。


 さて、何と答えよう。

 この場合重要なのは、私が何と答えたいかではなく、何と答えるのがマスターのためになるかだ。

 ……厳しさはいらないだろう、今日の彼は既に心身ともに傷ついている。ならば、今後のことも考えて『私の立ち位置』を明確にしておくか。


「――助かった、そう言って頂けるのならば幸いです。この世界の私は貴方の助けになるために存在しているのですから。もっとも、そんな私としましては、もっと早くに助けを求めて頂きたかったと言うのが本音です」

「そ、そうか。それは、その、すまん」

「いいえ。分かって頂けばよいのです。ああ、いえ、もしマスターが私を頼って下さらなかったことに本気で謝罪されているのでしたら、一つだけお願いがあります」

「な、なんだ、言ってみろ」

「忘れないで下さい。私が『貴方のためだけに存在している』ことを。この世界において、私にとって貴方以上に大切なものなど、何一つとして存在しないということを」


 私が『ランプの魔人としての自分の立ち位置』を口にした瞬間、ガルゼは原因不明の顔面赤化現象に襲われた。

 



 その後、医療機関で治療を担当してくれた魔術師によると、なんでもマスターの真っ赤な顔は、魔術では治せない病気が原因らしい。直接の害はないという話ではあるのだが……心配である。



ちなみガルゼフォードの修行風景を三行に纏めるとこんな感じです。


バウト「ガルゼよ。夜空に輝くあの星が お前の目指すフェルトの星だ!」

ガルゼ「師匠っ、僕はフェルトの星になるんだぜ!」

物陰に隠れジーっとその様子を見つめるカーラ「…………ガルゼ(ホロリ)」


まあ、この明○姉ちゃんは○徹のスパルタが過ぎると「その首、へし折ってやる」とか言い始めるのですが……。



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