プロローグ 0個目の願い
ある日の仕事帰り、夜道を歩いていると街灯の下に外国人の女の子が立っていた。
闇の中に浮かび上がる金髪碧眼と、二次元の中の踊り子が着るような布地の少ない衣装が異彩を放っている。
私の中の第六感が警報を鳴らした。某和製ホラーゲームのサイレンばりにウーウー鳴っていた。
――さけるべきだな。
人気のない夜道だったということもあり、こちらが不審者と思われるのも嫌だったので少女を迂回するように距離を取り通り過ぎることにする。
余談だが、私はたまたま帰り道が同じ方向だった女性の後ろを歩いていて『警察ですかっ、駅からずっと不審な男が着いてくるんです!』という電話をかけられた経験がある。誤解を解こうと近づいたところ――。
→じょせいは すたんがんをとりだした
→わたしは にげだした
という哀しい展開になったことがある。
幸い学生の頃、逃げ足に関してだけははぐれメタルスライムもかくやと言われていた私にとってその夜の逃走は実に容易いものだったが、それ以来夜道の女性は私にとっての鬼門となっていた。
故に私は厄介事に巻き込まれないために、少女と可能な限り距離を取って通り過ぎようとしたのだ。
→しかし まわりこまれてしまった!
「……何が起きた?」
「はい?」
思わず口走ってしまった私の言葉に『目の前の』少女が首を傾げる。
――ありのままに起こったことを話すぜ。何を言っているか分らないかもしれないが、ワタシにもよく分らないんダゼ。
確かに眼前の少女は五メートル近く離れた街灯の下に立っていたはずなのだ。それがいつの間にか目の前にいる……催眠術だとか高速移動だとかそんなちゃちなものじゃない、もっと恐ろしいものの片鱗を見た気がするんダゼ。
「あの、よろしければ三つの願いを叶えて差し上げますが、何かお困りのことはございませんか?」
私が混乱していると、外国人にしか見えない美少女は悠長な日本語で変な質問を投げかけてきた。
何なのだこの娘は、新手の宗教勧誘か?
それとも、新手のスタンド使いか? ……いかん、私も相当混乱しているな。
よく見ると顔立ちは恐ろしいほど整っており、滅多にお目にかかることのない純正の金髪碧眼は目がくらみかねないほどの輝きを帯びている。
身にまとう踊り子の様な衣装も、彼女の健康的な小麦色の肌を引き立てている。
小中学生の様に見える彼女の体型は決して女性的なメリハリが効いている訳ではないが、未成熟なその体の美しさは『女』には出せない『少女』の魅力に満ちていた。
美少女――三次元においてその言葉の実物を私は初めて見た気がする。
「あの、何かお困りのことはございませんか? 願い事、叶えて差し上げますよ」
少女の容姿に対する私の感動をぶち壊すかのように、その美貌の持ち主は魅力的な笑みを浮かべ不気味な質問を続けてきた。
この娘が現実離れした美貌の持ち主なのは間違いないが、幸い私には色気よりも保身を優先するヘタレさがある。私は機敏なステップで少女を抜きさった。
→しかし まわりこまれてしまった!
「……」
「あの、何かお困りのことはございませんか?」
困っていること? ああ、あるとも。
夜道で変な美少女に絡まれていて困っているんだ。助けてくれ。
なんてことをヘタレな私は当然言えないので、年下の少女に対して敬語でお願いをする。
「ははは、すみませんが急いでいるんで、どいてくれませんか」
「それはご命令ですか?」
間髪いれずに、例によってどこか普通ではない言葉が返ってくる。
「いえ、そういう訳ではないのですが……」
「何かお困りのことはございませんか?」
なんなのだ、このファミコン時代のRPGの様な会話の無限ループは。
あれか、あれなのか?
特定の選択肢を選ばない限り、永遠に話が先に進まないのか?
「……すみませんが急いでいるんで、どいてくれませんか」
「それはご命令ですか?」
「はいはい、めーれーですよー」
「畏まりました!」
少女がささっと道を空ける。
もう何が何だかよく分らないが、とりあえず解放してくれたらしいのでほっとする。
私は少女の脇をすり抜けた。
→しかしまわりこまれてしまった
……どないせいっちゅうねん!
「他にも、何かお困りのことはございませんか?」
「……すみませんが急いでいるんで、どいてくれませんか」
「その願いは既に叶えています。何か他のお願いはございませんか」
ああ、いいともいいとも、いいですとも。分かりましたよ。最後まで付き合えばよろしいんでしょう、最後まで。
「家に帰りたいです」
「それはご命令ですか?」
「命令です」
「畏まりました!」
そう言うと、彼女は手を何もない空間に踊らせて――魔法陣を描いた。
赤色に発光する幾何学模様は見ていて、不思議な美しさを感じられる。
ああ、魔法陣ね。はいはい魔法陣魔法陣。
……はい?
気がつくと、自分の部屋の中にいた。
「他にも、何かお困りのことはございませんか?」
「……えーっと、すみません。貴女って、何なんです?」
「私はランプの魔人です。魔の神ではなく、魔の人と書いて魔人です」
そう言って、何故かえへんと胸を張る少女。
……よし、整理しよう。
1:少女は三つの願いを叶えてくれるらしい。
2:少女はどうやら魔法の様なものが使えるらしい。
3:少女はどうやら本物のランプの魔人とやらっぽい。
正直いい年こいて、魔法とか魔人とか言うのは恥ずかしい限りだが、実際に本物のそれを体験してしまっている以上信じるしかないだろう。
彼女は実際に魔法を使え、願いを叶えてくれる。そう仮定すべきだ。
しかしそう考えると随分と下らない願いを重ねてしまった。もったいないにも程がある。
もうあと一つしか残ってないじゃないか……いや、あと一つも残っている、か。
「あの、願いってどんなものでも叶えてもらえるんですか?」
「はい。願いの数を増やす様なものでない限りは、ほぼなんでも叶えて差し上げられます」
彼女は文字通り人間離れした美貌に笑みを浮かべ、私の部屋の壁に寄り掛かった。
よくよく考えると私も彼女も土足で部屋の中に上がっている訳だが、この際そんなことを気にしている場合ではない。
願いが叶うのだ。どんな、願いでも叶うのだ。
「では、お願いします――」
「はい」
そして、私は願った。
願ってしまった。
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気がつくと、何もない空間にいた。
真っ暗闇なのに地平線まで見渡せて、肌寒いのに暑苦しい。
そんな訳の分らない、理不尽で不条理な空間に私はいた。
「ここ、どこだ」
前後の記憶が曖昧だ。
私はいつどこで何をしていた。どんな経緯を辿ってこんな場所まで来たのだ?
「説明しよう」
私の疑問に答えるかの様に、理知的で威厳に満ちたバリトンの声が響いた。
私以外には何者も存在しないかと思えたその空間に、彼は突如として姿を現した。
「やあ、初めまして若き魔人よ。私のことはワンとでも呼んでくれ」
空中に浮かぶその男は、ハリウッド映画のアクション俳優の様に隆起した肉体と男前の顔立ちをしていた。
イケメンというよりもタフガイ。
デカプリオというよりもシュワちゃん。
ギリシャ彫刻じみた彼は、シックなブラックスーツに身を包んでいた。
暗闇の中でもサングラスを外さないその姿は、まるでどこぞのジョンスミスである。
「恐らく君は今、ひどく混乱しているのだろうな。それを恥じる必要はない。君の前任者も、その前の前任者もそうであったのだからな」
渋くていい声である。
「っじゃなくて、えっとワンさんでしたっけ。ここはどこなんです? なんで私はこんな所にいるんですか? というか、貴方は誰ですか?」
ん? なんか私の声がおかしくないか?
バリトン声のタフガイほどではないが私の声はもっと男らしいものであった気がする。と言うか、今の声が高過ぎる。まるで声変わりの前みたいだ。
「順を追って説明しよう。だがその前に、君は君自身の現状に気がついているかね?」
「えーっと?」
「よし。そこから説明しよう」
そう言うと、彼はパチンと指を鳴らした。
次の瞬間、黄金の魔法陣が暗闇の中に踊った。その現実離れした光景を見て、直前までの記憶が一瞬で蘇る。
――魔法陣。魔法。三つの願い。そして、ランプの魔人。
本来であったならばあの非現実的な記憶は夢であったと思うところだが、現在進行形で魔法を見せられている私はそうも言っていられない。
魔法陣の輝きが消えると、タフガイの前に姿見大の鏡が浮かんでいた。
厚い胸元で腕を組んだ彼の前に、もう一人同じ体勢の彼が映っている。
人間ギリシャ彫刻が顎をしゃくると、その姿見がすっと私の目の前まで移動してきた。
「……誰?」
そこには、見知らぬ美女が立っていた。
一瞬、先ほどのランプの魔人の美少女を連想したが、すぐに別人であることが分る。
金髪碧眼であった彼女に対して、目の前の女は軽くウェーブのかかった長い黒髪と同色の切れ長の瞳を持っている。
肌も健康的な小麦色ではなく、新雪を思わせる純白だった。
全体的な体の作りも美少女の未成熟なそれではなく、女性の体の曲線美をあますとこなく体現している。
何よりも異なるのはその身にまとう空気。健康的で友好的な明るさなど微塵もなく、女が醸し出すのは退廃的で排他的な冷たさだった。
それら諸々の相違点を持ちながら、私が女と少女を重ねてしまったのには二つの理由がある。
一つは衣装。女がまとう踊り子じみたその衣装はランプの魔人のものとよく似ていた。
少女と比して肌の露出の少ない落ちついたデザインをしていたが、女体の曲線を浮かび上がらせるその衣装はいささか以上に刺激的だ。
もう一つは美しさ。人間離れした、その美しさ。今日初めて『美少女』に出会ったとするならば、『美女』に出会ったのもまた今日が生まれて初めてのことである。
あるのだが、何故その美女が『鏡の中』にいる?
「君の先代たちにしても大概にして美人であったが、個人的な見解を言わせてもらえば君は歴代の彼女たちの中でも最も美しい者の一人だよ」
ワンさんがからかうように言葉を紡ぐ。
ははは、まさかこの鏡の中の美女が私などとは言うまいな。
はははは、そんなことは微塵も信じていないがとりあえずほっぺたを抓っておこう。
すると、鏡の中の彼女も乾いた笑みを浮かべながら頬を抓り始めた。
「同じ男として気の毒だとは思うがね、これは夢ではなく現実だよ。そして君の体は既にして女の魔人のそれだ」
「なるほど、分からん」
よくよく聞いてみると、ハスキーでありながら甘ったるい蠱惑的な声が私の喉から零れていた。
鏡の中の美女は、その神秘的で超然とした美貌に不釣り合いな困り果てた顔をしている。
「ふむ。確かに、君の生きてきた世界の常識で推し量ろうとしたならば、君の置かれている現状は理解し難いものであろうな。故に理解する必要ない。ただそういうものだと知りたまえ。ランプの魔人を殺した者はランプの魔人になる。女の魔人を殺した君は女の魔人になるのが道理だ」
色々と思うところはあったが、自分の体と周囲の景色という目のそらし様のない物証があるので、とりあえず納得しておくことにする。まあ、こんな訳の分らない事態に陥る原因なんて、私もあのランプの魔人の少女ぐらいしか思い浮かばなかったが……ん、最後に何か、変なことを言っていなかったか?
「殺した? 何かの間違いでしょう。私は彼女を害する様なことは何もしていませんよ」
「その認識は正しい。だが、同時に間違ってもいる。君自身にその意思がなかったとしても、彼女の命を奪ったものは君以外にはありえないのだ」
そう言ってタフガイは労わる様な視線を私に向けた。
「だが君がそれを悔やむ必要もない。ランプの魔人にとって今回の様な形の死は当然想定しておいてしかるべきものであり、回避するための努力を怠るべきものではない」
「……私が、あの子に何をしたというんです?」
「何をしたか、か。ふむ、決まっている。ランプの魔人に人間がすることなど古今東西一つしかないだろう。君は『願った』はずだ」
波打つ長髪の女は、鏡の中で憮然とした表情を浮かべている。
「願いを叶えてくれるというランプの魔人に何かを願って、それがどうしてランプの魔人を殺すことになるんですか」
「その認識は誤りだな。物語の中における『ランプの魔人』達がどうかは知らないが、少なくとも我々実在するランプの魔人にとって願いとは『叶える』ものではなく『叶えねばならない』試練なのだ」
今さらりと言ったが、どうやらワンさんもランプの魔人らしい。
まあ、魔法とか使っているし宙に浮かんでいるし、印象としてもどこか人間離れしたところがあったので何となくそんな予感はしていた。
『アラジンと魔法のランプ』に出てくるジーニーの欧米人版的な容姿も、言われてみればこれ以上ない程にランプの魔人っぽい。
「端的に言って、願いを叶えることが出来なければ我々は死ぬ。そして我々が扱う異能の力は万能ではないのだ。主と定めた者に無理難題を押し付けられれば、この私にしたところで為すすべもなく死ぬだろうな」
「……それはおかしい。もし願いを叶えられなければ死ぬのなら、最初からそう言えばいい。自分の叶えることの出来る願いの範囲を最初に言っておけば問題ないし、もっと言えば願いを叶えるなんてリスク自体避けるべきだろう」
年長者に対して敬語を使うことも忘れ反論する私に、スーツ姿のマッチョ魔人は愉快げな微笑を浮かべた。
視界の端に映る鏡の中の彼女はそれを冷淡な視線で見つめ返している。何というか、その冷たく突き放す様な表情は今までで一番彼女に似合っていた。
「確かに、それが理屈だ。しかし残念ながらそれは出来ないのだよ。事前事後を問わず、原則として我々が拒絶することの出来る願いは『願いを増やす』たぐいのもののみだ。それ以外の全てに我々は答える義務を負う」
「もしそのルールを破ったならば?」
私は答えを半ば予想しながらも聞き返した。
ワンさんは野太い笑みを浮かべ、一言――。
「死ぬ」
「……だとすればランプの魔人にとって『願い事』なんて厄介以外の何ものでもないじゃないか。一般的な魔人がどうなのかは知らないが、私の出会った女の子はあちらから積極的に願い事を求めてきていたぞ」
サングラスの巨漢の言を信じるならば、それは自殺行為に等しい。
本来ならば、人に頼まれごとをされそうな空気を察した時点で耳を塞いで逃げ出すべき(それさえも禁じられているようだが)ところを、自分から願いを求めるだなんて正気の沙汰とは思えない。
「それ相応の見返りがあるということだよ。自らの命をチップに変え百人分の願い事を叶え終えて初めて、我らランプの魔人は他者の願いではなく自分自身の願いを叶えることが出来るのだ。望んだ奇跡へと、手を伸ばすことが許されるのだよ」
「自分が死ぬかもしれないほどのリスク……貴方の言う奇跡とはそれに見合うほどのものなのか?」
自分の命より大切なものなど、そうそうないと思うのだが。
「見合う見合わないは個人の判断によって異なるだろうがね。例えばの話、今の私が主に『不老不死にしてくれ』などと願われても叶えることは出来ないが、百人の願いを達成した私が『主を不老不死にしたい』と願えばそれは叶う。人には人に叶えられる願いしか叶えられん。ランプの魔人にしたところでまたしかり。しかし、我らが手を伸ばす奇跡にはそういった制限など存在しないのだ。全てが許される」
「全てが、ね」
「そうだ。全ての願いを叶えることが出来る絶対の奇跡なのだよ。そしてランプの魔人の大半は魔人ですら叶えられない奇跡を欲し、先代の魔人を殺して成り替わった者たちなのだ。そんな彼ら彼女らが自分の命をチップとすることに臆すると思うかね?」
「思わない」
少なくとも、私ならば臆さない。
なるほど、そう考えれば美少女の強引な願いの押し売りも納得出来る。
納得できない人間には納得出来ないかもしれないが、私には実に納得出来る。
「なるほど。おおよそ納得した」
……私が敬語を使うのも忘れ淡々とワンさんに反論していたのは、ひとえに私のせいで魔人の少女が死んだという話を受け入れがたかったからなのだが、納得してしまった。
容易に受け入れることが出来てしまった。
自分の命より大切なものなんてそうそうないし、他人の命を犠牲にしてまで何かを得ようだなんて普通は思わない。
だが自分の命より大切なものがない訳ではないし、他人の命を犠牲にしてでも叶えたいと思う願いも異常かもしれないが確かに存在するのだ。
最初の二つの願いはともかく、最後の一つの願いに限っては私の意思によるものだ。あれが原因で彼女が死んだと言うのなら、その罪を否定することは出来ないだろう。
私は確かに私自身の願いを叶えるために彼女を殺した。
そして、彼女を殺してしまったその願いを叶えるために、私自身の命もチップに変えよう。
「……ああ、良かったよ。どうやら君は無自覚のうちにここに来てしまったようだからね、最悪外に出るのを怖がりここに引きこもってしまうのではないかと危惧していた。だが、その表情を見る限り問題はないようだな」
ふと鏡を見ると、冷たい美貌の女が酷薄な薄笑いを浮かべていた。
こわっ!
確かに私はもともと『ラスボスの外見をしたはぐれメタル』と言われるぐらい内面と外面のギャップがあるらしい。
本来の私は『戦いたくないでござる』とか『戦ったら負けかな、と思っている』とか臆面もなく言える人間だ。しかし周囲からは『お前って、勝負事になると生き生きしているよな』とか『お前ってたまに殺意の波動を放つよな』とか『ふとした拍子に人が虫を見る様な目で俺達を見ている』とか『笑い方が殺人鬼っぽい』とか言われていた。
その時の表情を鏡で見たことなどないのだが……確かにこれは、クラスの女子が見ていて泣き出すレベルだ。私も怖い。
「……ワンさん、一つ質問があるんですがよろしいですか?」
「構わないよ。ああ、それと無理をして敬語を使う必要はない。私個人として素の君と話している方が愉快なのでね」
彼は例によって落ち着いた男らしい笑顔を浮かべる。
これだけ威圧的な体を持っていながら、雰囲気と表情で親しみやすさを感じさせるこの人は凄い人だと思う。もし彼の様な筋肉巨人が無表情で黙っていたら、ヘタレの私は怖くてとても話しかけられないだろう。
「それではお言葉に甘えて。ワンさん、貴方は先ほど主という言葉を使っていたが、その主というのは恐らくランプの魔人を呼び出した人間を指しているな。だとすれば、話が少しおかしい。私はランプの魔人なんて呼び出した記憶がない」
「的確な認識と指摘だな。確かに通常のランプの魔人は呼び出した者のみを主とし、三つの願いを叶えるまで別の主に仕えることなく、願いを叶えればランプの中に戻る。その過程において主である自覚のない主など存在する余地はない」
通常のランプの魔人の場合は、か。
私の表情を見て何かを感じたのか、ワンさんが笑みを深くする。
「察しがいいな。そう、例外はあり得るのだ。下をよく見てみるといい」
よく分らないが、とりあえず言われるがままに下を向く。
そこにはボンと突き出た豊かな胸の膨らみがあった。
……これを見てどうしろと?
視線で問うと、マッチョで紳士な魔人は珍しく苦笑いを浮かべた。
「胸ではなく地面をよく見てみなさい」
今度は胸が邪魔にならないように、屈みこんで地面を見る。
真黒な平面の上にカードが何枚も落ちていた。
全て統一された絵柄であるところを見ると、どうもカードの裏面らしい。
表面を見ようと一枚をひっくり返す。
そこには真っ白氷の結晶の様な花の絵が描かれていた。
タロットカードの様な構成で、絵の下には恐らくはカード名と思われる≪シルバーレース≫という文字が書かれていた。
「ほう、シルバーレースか。また似合わないものを引いたものだ」
「……そうか?」
気がつくと、すぐ背後からワンさんがカードを覗きこんできていた。
文字通り銀色のレースの様なこの花の絵柄は、冷たく整った今の私の外見にはそれなりに似合ったものだと思うのだが。
……はあ、今の私の外見か。これも受け入れなければならないんだろうな、願いを叶えるためのリスクの一つとして。
そりゃあまあ私も健康的な成人男性だ。美人は好きである。しかしそれはあくまで他人として関わる上での話であって、自分がそうなりという訳ではない。
鏡の中の彼女がやさぐれた笑みを浮かべた。
「魔人としての我々の外見は、元となった人間の容姿を抽象化したものだが、全体的な印象はその人間の内面を具現化したものに等しい」
言われてみると、確かに私はもともと癖っ毛だったし目つきも悪い方だった。
しかし女顔という訳ではなかったし、体格もワンさんほどではないが男らしいがっしりしたものだったと思うのだが……ああ、それで抽象化か。
男らしい体格は女になることで女らしい体つきになり、癖っ毛も目つきの悪さも『美女のためのパーツ』に変換されることで、ウェーブのかかった長髪と切れ長の瞳に変わったということだろう。
ははは、嬉しくない。
「君の場合その外見の冷たさや鋭さ、そして身にまとう孤高さは、君自身の人間性に起因するものなのだろうな」
や、やめてくれっ、私をそんな無駄にかっこよさげな表現で言い表さないでくれ! 私なんてあれダゼ? ただの孤独で淡白なつまらない男なんダゼっ!?
「故にそのカード、シルバーレースの本質と能力は君に相応しくないな」
「本質と能力?」
私の人物評に対して色々と突っ込みたかったが、『本質と能力』という言葉の持つ重要そうな気配がそれらを上回った。
「魔人は召喚された世界において、最高水準の才能を与えられる。その世界最強の人間と互角に戦えるだけのスペックを初期値として持っているのだよ。だがね、それだけでは多くの場合他人の願いを叶えるには足りない。カードの『能力』はその足りない分を補うためのものだ」
「魔人の少女が使った≪瞬間移動≫や、貴方が使っている≪鏡≫がそれか」
「そうなるね」
瞬間移動はともかく鏡の方はしょぼい気がする。
――これが見た目通りのただの鏡だとしたならば、だが。
「まあ、君も分っていると思うが私のこいつはハズレだよ」
そう言いながらスーツ姿の魔人はコンコンと鏡を叩く。
「初期に配られるカードは三枚。つまり魔人は少なくとも三つ以上の異能を有していることになる訳だが、上限の方も七枚と少なくてね。私の様にあからさまなハズレを引いてしまった者は泣くに泣けない事態に陥る訳だよ」
自嘲の言葉を吐きながらも、目の前の巨人がまとう威厳が弱まることはなかった。まあ、なんというか人として格が違うのだ。
半端な異能など、彼ならば基礎能力だけで凌駕してしまえるのではないだろうか。そう思わせるだけの力強さがこの男にはある。
「……なるほど。話が飛んでいるのかとも思ったが、今のでおおよそ理解した。恐らく私が出会ったランプの魔人は結果として≪主変え≫を行うことの出来るカードを持っていたんだな」
「ご明察だ」
嬉しそうにバリトン声が笑う。
……ランプの魔人が種族的に縛られているルールですら、カードの効力はキャンセル出来るということになる。
はっきり言って、初期にどのカードを入手するかってめちゃくちゃ重要である。
「一応言っておくが、一度でも手に入れた異能は手放すことが出来ない。私が≪鏡≫をキャンセル出来ない様に、君もシルバーレースを捨てることは出来ないよ」
「シルバーレースの効力をご存じか?」
「ああ、よく知っている。知り合いの魔人にそれの持ち主がいてね」
その誰かさんの顔でも思い出したのか、ワンさんが珍しく笑顔以外の表情を浮かべた。
それは、嫌悪感をそのまま表した様な表情だった。
しかし彼はすぐに私の視線に気づき、再び笑顔を見せる。
「すまんね。見苦しい姿を見せてしまった……私が説明するのもいいのだが君の取得した能力に関してはカードに聞くといい。念じればそれに答えてくれるだろう」
私は言われるがままに『お前の効力って何?』とカードに心の中で尋ねる。
すると、頭に情報が走った。
■能力名 :シルバーレース(あなたを支える)
□能力概要: 魔人の弱体化と引き換えに、契約者の能力を高める
□発動条件:契約者が自らの力で願いを叶えようとしている場合に限り行使可能
□能力強度:C
□能力範囲:能力行使者本人及び契約者
……微妙?
おおよその使い方も一緒に頭の中に入ってきたが、色々と使い辛さの目立つ能力だと思う。
言うなれば『助けて下さい』と言っている相手に対して『自力で助かれ』と返す様なものだ。ランプの魔人なのに。
能力強度Cという値も(上から順に、S>A>B>C>D>E>Fとなるらしい)微妙さに磨きをかけている。まあ、能力強度に関しては今一つどんなものか分っていないので何とも言えないが。
「能力はまだあと二つ手に入るのだから、取りあえず次を引いてみたらどうだね」
それもそうだ。慰めるようなワンさんの言葉を受けて私は視線を下に向けた。
真下は胸に遮られるので少し先の方に視線をやる。
裏面からはどんな能力が手に入るのかなんて分らないので、無造作に近場にあった二枚のカードを拾う。
一枚はピンク色の星型のような絵が描かれていた。とりあえず名前だけ調べたところニコチアナという名前らしい。
もう一枚は見たまんま紫陽花。
地面に目をやるとそれまで所々に散らばっていたカードが一様に煙の如く消えていた。
「普通は意味がないと分っていても、カードの選択は悩むものなのだがね」
おかしそうに笑うワンさんを尻目に、私は今度は二枚同時にカードの詳細を調べた。
■能力名 :ニコチアナ(孤独な愛)
□能力概要:能力行使者が望まない限り、何人も能力行使者を知覚出来ない
□発動条件:孤立無援の戦場においてのみ行使可能
□能力強度:S
□能力範囲:能力行使者本人
■能力名 :紫陽花(冷酷非情)
□能力概要:能力行使者の行動の大半が、周囲に冷酷非情なものとして認識される
□発動条件:故意に能力を抑えない限り、常時発動
□能力強度:A
……シルバーレース、微妙だなんて言ってごめんよ。
お前は実にいい能力だ。
まずニコチアナ。『孤立無援の戦場』って何だ。
私は喧嘩弱いんだよっ、戦場とか出たらまず死ぬ自信があるんだよ!
正直戦ったら負けかな、と思っている。
戦場が許されるのは小学生までだよね。
次に紫陽花。お前はもう、本当に何なんだよ……。
能力というか、ただの呪いじゃないか。
勘弁してくれ。
「……素晴らしい」
感嘆したようなワンさんの声。
驚愕と興奮に満ちたその表情はそれまでの彼らしくなかったが、それだけに本心から出た言葉なのかもしれない。
「……トレードしませんか、その鏡と」
「まあ、落ち着き給えよ」
気落ちしてガクンと下がった私の肩を、ワンさんは励ますようにぽんぽんと叩いた。
「まずカードのトレードだが、不可能だ。私には君のカードに触れることさえ出来ないよ。そもそもこのカードの入手という儀式は、能力のランダム選択と取得を視覚化したものに過ぎない。カードの力で能力を使うのではなく、君が能力を得たからこそカードは君の手元にあるのだ」
「手放すことも出来ない?」
「出来ない……何をそんなに毛嫌いするのかね? 確かに二枚とも極端なものではあるが、初期札でSとAの能力強度のものを入手するだなんて実に幸運なことなのだよ。更に言えば最初の一枚を除く二枚は、君の『本質』に即している。これもまた幸運なことだ」
「本質?」
さっき言っていた『冷たい』とか『孤高』とかのアレだろうか。
「うむ。能力にも相性というものがあってね。どれほど強力かつ汎用性のある能力を手にいても、それがその者の『本質』に反するものであったならば結局は使いこなせん」
「その本質とやらはどうやって見極める。まさか、ワンさんの人間観察能力で判断しているという訳でもないだろう」
「ああ、生憎と私の人を見る目はあまりないらしいのでね。これで見ている」
いつの間にか、すっと伸ばされたワンさんの二本の指の間には一枚のカードが挟まれていた。書かれている文字は≪アイリス≫。
「私の能力の一つがこれだ。色々と調べたいことを調べることが出来る能力だよ。またこの能力自体私の『本質』に即したものでね、個人的にも気にいっている」
色々と調べたいことを調べることの出来る能力だと?
そりゃ誰だって気にいるわ。
しかしワンさんの能力曰く、魔人としての私が明らかにダークサイドの存在なのは確定らしい。『孤独である』ことと『嫌われる』ことが本質って……。
「まあ君自身の本質や能力の使い方に関しては、私がここで百の言葉を費やすよりも一度実地で学んだ方が早いだろうな」
ワンさんが笑いながら、私から少し距離を取る。
「恐らく君が召喚されるのも時間の問題だ。最初の召喚に限って言えばほぼ時間が決まっているようなのでね。現時点で他に聞いておきたいことはあるかね?」
「あと三つ。まず、この場所がどこか聞きたい」
「ここは君の『ランプの中』だ。と言っても物理的にランプの中にいるという訳ではない。召喚されるまで囚われる牢獄のようなものだよ。一人の魔人に一つの牢獄。原則としてはそういうことになっている」
「……貴方がここにいるのも何らかの能力か」
巨漢が胸元で腕を組みながらニヤリと笑う。
「ついでに言えば我々は一様に『ランプの魔人』と呼称されているが、封印されているもの自体は壺かもしれんし本かもしれん。君が呼び出された足元にトイレがあったとして驚かんことだな」
「肝に命じておく。次の質問をいいか」
「ああ、何でも聞いてくれたまえ」
私としても、この質問をするのはいささかリスキーだとは思うのだが、質問を行わないことによってもたらされる危険性を考えるとそうも言っていられない。
「――貴方は何者だ。何の目的で私に関わってきた」
そう、それが一番の謎だった。
新人の魔人に知識を与えても、私の方はともかくあちらには何のメリットもないのだ。
更に言えばこの眼前の巨漢をどの程度信じてよいかも問題になってくる。この男の言っていることが、全てこの男にとって都合のいい嘘八百である危険性さえあるのだ。
いや、危険性という意味で言えば全てが嘘であった方がまだマシであろう。本当に厄介なのは9の真実の中に1の虚実が混ざっていた様な場合だ。あるいは重要なルールを故意に知らされていない場合なども面倒である。
仮に今聞いた情報のほぼ全てが真実であったとしても『願いを叶えられなければ死ぬ』の様なクラスの情報に関して虚偽や漏れが少しでもあったならば、それだけで致命傷になりかねない。
「よい質問だな。私本人にそれを聞くのはいささか賭けではあるが、ここでそれを聞いておくのは極めて懸命な判断だと思う」
ワンさんはまるで出来のいい生徒を見る教師の様な目で、私を見つめた。
「君の懸念事項の一つに『私が君に嘘の情報を教えている』ことがあるはずだが、その心配はない。何故なら私は特殊能力の縛りとして『嘘をつけない』という制約を負っているからね。話したくない情報に関して話していないことは認めるが、私が今回話したことに嘘はない。それを信じる信じないは君次第だがね」
そう話しながらスーツのタフガイは魔法陣を描き始めた。
黄金の輝きを持ったそれは、やはり幾何学的で美しい。
「結論を言ってしまえば君の質問に対する私の回答はこうだ。私が何者で何を目的として君に関わっているかは、黙秘する」
魔法陣が消えた後、ワンさんの手には鍵が握られていた。小説の中に出てくる様な、屋敷の錠前を外すためのお箸程の長さの無骨な鍵である。
彼がそれを何もない空間に差出し、まるで鍵を空けるかの様にくるりと手首をひねると『ガチャリ』という音がした。
「さて、最後の質問は何だね。私もこの空間の主である君が召喚される前にここを去らないと危険なのでね。少し急がせてもらおう」
恐らく、あの鍵が『原則一人しか存在出来ないはずの封印空間に出入りするための能力』なのだろう。
「では最後に――私が殺した魔人の名前を教えて欲しい」
「……ほう、最後の最後で無意味な質問がきたな。質問に質問を返すのはナンセンスだが、その問いの意図は何かね」
「単純な話だ。自分の先達であり、自分が殺した相手であり、自分の辿る末路かもしれない相手の名前ぐらい知っておくべきだろう?」
真意を探るようなサングラス越しの視線が突き刺さる。
鏡の中の美女は、それを冷たい微笑で見つめ返していた。
「カーラ、それが彼女の名であり、彼女の先代の名だ。名前の継承になど意味はないが君がもし彼女の死に何らかの責任を感じているならば、君もまたカーラの名を名乗るべきなのだろうな」
「カーラか、あの娘みたいな可愛らしい女の子にはお似合いの名前だと思うが……そうだな。それもいいか――」
会話を続けながら、私は徐々に意識が朦朧となり自分自身の存在が希薄となり始めていることに気がついた。
これが召喚というものだろうか?
「ふむ。どうやら時間のようだな。それではしばしの別れだ、若きカーラよ。願わくば召喚と召喚の狭間で再びまみえんことを」
そして、彼は現れた時と同じ様に一瞬で消えた。
姿見大の鏡もいつの間にか消えている。
私の中のヘタレな部分が悲鳴を上げていた。この訳の分からない現状と、想定し得る全てリスクを度外視して行動している自分自身に対して。
だがそんな己の内なる声を押さえ込んででも、私には為さねばならないことがある。もし本当に全ての願いが叶うというなら私は――。
そして、私は聞いたことのない男の声を聞いた。
「召喚っ、来たれ魔なるモノよ!」
覚えているのはそこまでだ。