意外にそつなく
大好きな友人のたわさ様にネタを提供していただきました。ありがとうございます!
がやがやと騒がしい教室の中、普段なら授業が終わるとすぐに弁当を持って駆け出すはずの秀介は、べったりと自分の机に懐き倒していた。
今日はバレンタインというイベントデー。昼休憩の教室内で交わされるのは、ほぼ義理チョコに限るだろうが、渡された男子たちのテンションたるや物凄い。
それもそうだろう。バレンタインデーにチョコを一つでも貰えるのと、何も貰えずに家に帰って母親に義理以上に微妙なチョコを貰って、それでもチョコはチョコだと己を慰めながら食べるのとでは雲泥の差がある。
本命に貰えれば嬉しいが、たとえ本命じゃなくとも、たとえ義理チョコであったとしても、学校という場で異性からチョコを貰えるというそれこそがひとつのステータスだ。
幼馴染たちは『たかがチョコレートで何を』と鼻で笑ったりするが、たかがチョコ、されどチョコなのだ。
そんなこんなで周囲で交わされる地に足が着いてないやりとりを聞くともなしに聞き流していたら、不意にぽんと肩を叩かれた。
まだ時間が掛かると思っていたけど、もしかしてもう着いたのかと期待をこめて顔を持ち上げ、あからさまに喜色に満たされた表情が萎む。
「・・・なんだ、お前らか」
「なんだってなんだよ、折角一人寂しい秀介君にわざわざ声かけてやったってのに」
「待ってないし、頼んでないし」
「待ち人現れずって奴か?高望みしてクラスの女子のチョコ、片っ端から断ってるからだぜ」
「そうそう。中には本命チョコもあったってのにな~。高梨がお前のこと好きなの、もうクラス中の公認じゃん?もらうくらいもらってやればよかったのに」
「俺はそういうの嫌なの。つーか、欲しい相手以外からチョコ貰っても仕方ねぇだろ」
「うわ!最悪だ、コイツ。もて男みたいな発言しやがった!たいしてもてねぇ癖に!」
「だから別にもてるもてないと自分のポリシーは関係ないだろ」
きぃぃと喚きだしたクラスメイトを前に、思わずため息を吐く。
確かに義理チョコをくれるという程度の好意は嬉しい。恋愛云々関係なく、普通に友情の意味での好意なら秀介だって基本的に大多数の相手に持っている。
飼い主以外は常に毛を逆立ててる猫みたいな気質の桜子と、桜子よりは対人関係に不器用ではないが、おっとりしてるというよりマイペースが過ぎて、ぽやぽやしてるように見えるくせに意外にシビアで辛辣な凪の幼馴染の中では、自分が一番人見知りもしないし他人と仲良くなるのが上手いと自負していた。
他人と自分たち。一線を引いてるのは同じでも、距離感を曖昧にするのは秀介が一番得意だ。
まあ、コミュニケーションが苦手なのは、あの二人が飛び抜けた美少女であるのも関係するのかもしれない。本人たちが何かしててもしてなくても、周りが勝手に騒ぎ出して小さなことでも大きくなっている。彼女たちを見ていて美形って大変だとつくづく考えさせられるくらいだ。
女と男では苦労する内容も違うだろうが、イケメンになりたいなんて欠片も思わず成長したのは、彼女たちの状況を一番近いところで長々見せ付けられてきたからだろう。
「ともかく、俺は別に『誰かからのチョコ』なんて欲してねえの」
「くっそー!幼馴染が美少女だからってお前がチョコもらえると思うなよ!貰っても施しチョコだ!絶対に!」
「そうだ!幼馴染の義理とはいえ、お前だけが高屋敷さんたちからチョコが貰えるかもしれないのを悔しいとか思ってるわけじゃないからな!」
「二人とも義理チョコ配ってないのに、お前だけ貰えるかもしれない幼馴染得点を羨んでるわけじゃないからな!」
「あっそ。んじゃ別に俺にずっと張り付いてる必要ないだろうが」
「朝練終わった後教室に行く途中で聞いちまったんだよ!今岡さんがチョコ渡す相手が決まってるって言ってたの」
「その場に居る男子全員聞き耳立ててたさ。悪いか!」
「いや、誰も悪いなんて言ってないだろ。凪だって聞かれたくなきゃ言わなかったろうし」
「しかも他の男が逆チョコ贈ろうとしてたのも、今日は受け取る相手は一人と決めてるって断ったんだぜ?」
「あの高屋敷さんも、同じことを言ってたんだぞ!高屋敷さんと今岡さん、二人に共通する親しい男子とは誰だ。───考えるまでもねぇ!お前だよ、荒城秀介!」
ずびし、と顔の前に指を突きつけられ、思い切り睨まれた。周囲を囲う男子はいつの間にか増えていて、最初は三、四人だったのが今では倍以上いる。
凪も桜子も見た目はいいので無駄に動向に目を付けられやすい。秀介を責めてる男子も熱弁をふるってるものの、別に二人が本命でもないだろう。
ただ単純に見た目が可愛い女子をアイドルみたいに扱ってるだけだろうが、本当にあの二人には同情する。上辺だけしか見ない奴らが悪いのか。上辺しか見せない二人の警戒心が強すぎるのか。
考えるまでもなく前者だなと結論付けて、秀介を放って盛り上がってる男子たちを半眼で眺めた。
「秀介」
「凪、とついでに桜。遅かったじゃん」
ひらひら手を振れば、聳え立つ山の間からひょこりと顔を出す小人みたいに、クラスメイトの間に見知った二つの顔があった。
自分たちの熱弁に気を取られまったく気配を感じてなかっただろう友人たちは、声なき声を出して硬直し、同じように手を振り返した凪の横で、ついでと修飾語を付けられた桜子が不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
きりきりと柳眉を吊り上げた幼馴染が何か言う前にさっと手を握った凪は、桜子が落ち着くのも確認せずに暢気に会話を続けた。
「うん。ここにたどり着くまでの道のりで色々な人に声をかけられてね、遅くなっちゃった」
「声をかけられた?知らない相手に声かけられて何か貰ってないだろうな?」
「・・・私をなんだと思ってるの。一応私だってたかる相手は選ぶよ」
「ならよし。お前は小食の癖に食い意地が張ってるからな。美味しいお菓子を餌にひょこひょこ付いて行きそうだから困る」
「失礼な」
「そうだ。失礼だぞ、秀。凪一人ならともかく、私も居るのにそんな落ち度があるわけないだろう」
「・・・・・・」
ふんと胸を張った桜子を若干悲しげな眼差しで凪が見やる。しかし秀介に誇りを傷つけられたとばかりに憤る桜子は、珍しくも凪の視線に気付かない。
どこまでもいつもどおりの二人に沈みかけていた機嫌が上昇し、机の上に用意しておいた弁当箱を片手で握って座席から立ち上がる。
待ち人が来たなら、いつまでもあれこれ聞いてくるクラスメイトだらけの教室に長居するのも面倒だった。
しかし世の中ままならないのが平常運転で、いきなり風のように突進してきた肩を越す程度の髪を揺らした少女が凪の前に立ちはだかる。
勝気な性格そのままに意志の強い瞳を眇めて睨みつける先には、誰より大切にして特別に想う少女の姿があった。
「あなたたち、秀介と幼馴染なのよね」
「・・・どちら様ですか?」
「私は高梨すずめ。今日、秀介にバレンタインのチョコを渡そうとして断られたの。『待ってる奴がいるから』って」
「はぁ、そうですか。私の名前は今岡凪です」
「凪、このように無礼な相手にわざわざ名乗り返す必要はない。無視をしろ、無視」
いきなり現れて睨みつけてきた少女の姿に、桜子の機嫌が一気に下降する。彼女の場合、相手こそ違うが今までも同じような状況に陥ったことがあるので何が起きてるか正確に察しているらしい。
対して明らかに好意的ではない眼差しを向けられても気にせずに頭を下げた凪は、あまり親しくない人間なら気づかない程度に微かに眉を持ち上げるに留めた。
一見天然そうに見えても凪もこの状況が何を意味するかくらいわかってるので、ちらりと視線をこちらに寄越す。
一番勘違いされたくない相手に変なところを見せるのかと落胆し、それでも下手なリアクションは起こしたりしない。少しだけ、凪がどんな反応をするのか見たかった。
「あなたたち、秀介にチョコを渡すのかしら?」
「・・・ええ、毎年の恒例行事なので」
「恒例行事?行事ってだけでチョコをあげて、そのくせ秀介を束縛するの?幼馴染の義理で秀介を束縛するの迷惑だからやめてくれない?私はあなたたちと違って本命チョコなの、本気なのよ」
酷く勘違いした発言をしてるのに、どうして高梨が胸を張ってられるのかわからない。自分たちの関係も理解してない上に、この言い方ではまるで秀介が高梨に好意を持っているのに、凪たちが邪魔するので想いを受け取れないみたいではないか。
正直に言わせて貰うと今までの秀介にとって、いくら好意を寄せられようと高梨は友人でしかなく、好意はあるが恋愛感情など空の遥か彼方向こうにも欠片も、微塵も持ち合わせてない。勘違いさせるような態度もしてないし、友達の範疇を超えた何かをした記憶もない。
ついでに付け加えるなら、今の秀介にとっては評価は絶賛下降中だ。下り坂の先が見えないくらい好意が地に落ち、ついでにメーターを吹っ切る勢いで地面の下まで進んでいる。
それからも滔々と続く高梨の一人談義に苛立ちは呆れに変わり、ふと視線を向ければ二人の幼馴染は視線で何か会話していた。
きっちりと話が終わるまで待ってから、凪と桜子は蕩けるような極上の笑みを作ってみせる。普段は表情の薄い凪や、凪と秀介の前以外では常にむっつりしてる印象の桜子がやると、作り笑顔でも見惚れんばかりに美しい。
いや、事実クラスメイトたちの視線は二人に注がれ、よくわからない演説を続けていた高梨すら、ぽかんと口を開けて目の前の相手を眺めている。
「あの、お言葉ですけど、私たちが秀介に贈るチョコが義理チョコだとどうして決め付けるんですか?」
「それにどうして私たちがわざわざ秀に『他人のチョコは受け取るな』などと言う必要があるんだ。そんなものは個人の自由だし、高梨とやらの言う通り私たちに束縛する権限はない」
「つまり秀介の自由意志でチョコは断っているんですけど、バレンタインに女の子から本命チョコを渡されても受け取らない理由があったんじゃないでしょうか?」
見るからに気が強そうな桜子はともかく、大人しそうに見えても凪もやられたらやり返すタイプだ。
桜子は上から目線で、凪はあくまで穏やかな雰囲気を維持したまま笑顔で小首を傾げる。
だが口にしてることはそんなに穏やかじゃない。そもそもバレンタインに本命チョコの受け取り拒否なんて、考えなくても理由は一つだけだ。
明確な言葉を避けつつ、誰もが可能性を浮かべるように遠回しに核心を突いた幼馴染に嘆息すると、そもそもお前が原因だろとばかりに、器用に笑顔をキープしつつも瞳の中に苛立ちを孕んだ桜子に睨まれた。
「・・・もしかして、それなら二人が秀介に渡すチョコって、本命ってこと?」
静まり返った教室内で、空気を読まずに発言した勇者に視線が集まる。正反対な印象を他人に与える二人の美少女は、慈愛に満ちた微笑みのまま明言は避けた。
その様子に高梨は顔を真っ赤にして震えだし、教室の中は一斉にざわめきだす。
凪はともかくとして、桜子の場合は完全に義理でしかないが、その事実を知るものはこの学校にはいない。無言を答えとしたのは、今日がバレンタインなので秀介に花を持たせてやろうとでも考えたのだろう。
これで秀介が、明日から学校に居る男の何人をも敵に回したかもしれないなんて、予想もしないのだ。
もっとも秀介も嫉妬交じりの視線にも、ついでに行為にも慣れてるし、負けたりしないから構わないのだけど。
もしかしたら自分が二人以上にコミュニケーションが上手くなったのは、二人に関わることで向けられる妬みや嫉みを上手く躱す術を探して辿り付いた結果かもしれないなんて、じんわりとした苦笑が浮かんだ。
「はい、秀介」
「お待ちかねの品だ」
差し出されたのは朝凪が弁当箱とは別にチョコケーキを詰め込んでいた保冷袋と、オレンジ色の包装がされた、おそらく中身は例年通りの十円チョコの詰め合わせ。
学校で渡して欲しいと駄々を捏ねたのは子供の頃の自分なので文句はないが、もう少し恥じらいとか持って渡して欲しいと望むのは高望みなのだろうか。
そもそも凪に付き纏う面倒な野郎を一掃するために桜子と考えた作戦は、今のところ成功してるのかしてないのか判断し難い。
差し出されたチョコの包みを受け取れば、教室内から歓声とも悲鳴とも奇声ともつかない声があがり、ざわめきは先刻までと比べ物にならないくらい大きくなった。
去年までならともかく高校に入って一年目の彼らは、同じ中学を卒業してない限り自分たちの行動を知らないはずなので、目新しさも含めて明後日には噂は尾ひれをつけて広まってるだろう。
例年の作戦通りに行動を締め機嫌がいい猫みたいに口角を持ち上げた桜子の横で、ほんの僅かに凪が作り笑顔じゃなく微笑んだのに気付いてなんとなく照れくさくなる。
「ん、サンキュ」
羞恥心から素っ気無くなってしまった感謝の言葉を気にするでもなく、当たり前にご飯を食べに行こうと促した彼女には、まだまだ恋愛感情なんて期待できそうになかったけれど。




