おなかがすいた
大好きな友人のたわさ様にネタを提供していただきました。ありがとうございます!
昼休憩に入り、鞄の中をがさごそ漁る。いつもならそのまま弁当を取り出して座ったままで相手を待つのがパターンだけど、今日という日だけは例外だ。
朝、いつもどおりに用意したお弁当が入ってる保冷袋と、予備の保冷袋を机の横のフックから外した。一応保冷材も入れてある。
「凪、準備は出来たか?」
「うん」
同じようにお弁当を持った桜子が隣の席からこちらを見詰め、こくりと一つ頷いた。
凪と桜子は基本的に近くの席になる場合が多い。二人ともクラスで一、二を争うチビで、名簿順でない限り席順は必ず一番前にすると小学校の頃から決めていたので、必然的に近くになるのだ。
秀介なんかは一番前の席で眠くなったらどうすると嫌そうにするけど、凪は授業中眠くなることはほとんどない。数ヶ月に一度マラソン大会や体育祭などのイベントの後に机に突っ伏して撃沈しているときもあるが、日頃から真面目に授業を受けているからか、さして責められた記憶もなかった。
桜子曰く、凪がどれだけ全力で頑張ったかみんな見てるので責められないらしい。確かに運動音痴なりに全力を尽くしている。結果が伴ったことは、記憶するかぎり一度としてなかったけど。
秀介の場合、授業中でも高いびきを掻いて爆睡するから先生たちにも怒られるのだと思う。もう少し上手くやりようがあるだろうに。
お弁当が入っている保冷袋と、昨日作ったザッハトルテが入ってる保冷袋は、傾かないように別々の手に持った。せっかく作った料理だ。お弁当は彩りも考えて配置してるし、ケーキにも一応生クリームをデコレーションしたり、生クリームの上に小さな板チョコを飾ったりしてるので崩したくなかった。
「行こうか、桜子」
「ああ」
同じようにオレンジ色の包装紙で包装されて透明なビニールの袋に入れられた包みと、ハート型のシールが貼られた可愛い茶色の袋───きっと中身は例年通り青色の包装紙で梱包されているに違いない───と、お弁当箱を持った桜子と一緒に教室を出る。
目指すは向かいの校舎にある体育科の教室だ。三人が通う学校は特進科、普通科、体育科とわかれているのだが、体育科の秀介のクラスと、特進科の凪と桜子の教室はおそらく一番距離がある。
一つの階に一般教室は三つで、左右の校舎あわせて六クラスある。校門から見て右の校舎に特進科、左の校舎に体育科が普通科に混じって存在し、ちょうど斜めに直線を引いた位置に互いのクラスがあった。『工』の字の出だしに凪たちのクラスが、書き終わりに秀介のクラスがあると考えるとわかりやすいかもしれない。
「・・・まだまだ寒いね」
ひやりと床からくる冷気に身を竦ませる。そんなに教室を暖かいと思ってるわけじゃないけれど、廊下の底冷えする寒さに足が竦みそうだった。
ブレザーの下に学校指定のカーディガンを着てても寒い。ブラウスの下にババシャツとTシャツも重ね着してるのに。
思わず両腕を摩りたくなる衝動を、両手に抱える重みを意識することでぎりぎりで耐えて、代わりに深いため息を吐く。
微妙に白く染まる空気にますます寒さを意識して、暦の上では春は近いけどまだまだ冬だなぁと暢気に感想を抱いた。
「そうか?私は平気だが」
「桜子の家はみんな寒さに強くて基本暖房器具は炬燵くらいしかないもんね。うちはストーブだらけだし、リビングなんかホットカーペットと炬燵とヒーターのトリプルスタイルだよ」
「だが凪は暖房器具はそんなに好きじゃなかっただろう?」
「うん。だから自分の部屋ではミニサイズのちゃぶ台兼炬燵で段を取りつつ、どてらを着てる。着膨れてる」
「着膨れても凪は細いけどな。もう少し食べねば骨と皮だけになるぞ」
「食べるのは好きなんだけどね。量が入らないんだよ」
美味しいものを食べるのが大好きな凪だが、対して胃の許容量はとても少ない。普通にレストランでパスタを一人前頼んでも、基本完食できたためしがない程度に。
幸いにして大抵の場合は同行している桜子や秀介の胃袋が大きいので、少し足りないと腹を鳴らす彼らに残りをあげるのだが、時折思い出したように二人して量を食べさせようとするので怖い。
ちなみに凪からしてみれば桜子も十分に細いのだが、筋肉と縁がない凪と違って、彼女の場合は引き締まった美しさになる。貧弱が服を着てる凪と比べ物にならないレベルで肉体美が素晴らしいのだ。さり気無く割れてる腹筋とか超格好いい。
「あー、凪ちゃん、桜子ちゃん!その荷物重そうだね!持ってあげようか?」
いきなり後ろから声を掛けられ、びくりと身体を竦める。落としそうになったケーキの入った方の保冷袋を握りながら振り返ると、見知らぬ男子生徒が数人並んで立っていた。
制服を見て彼らが普通科の生徒だというのはわかるのだが、はて、いったいどこの誰だったろうか。そんなに物覚えが悪いほうじゃないけれど、思い出せない。履いているシューズのラインが同じ色なので多分同学年だと思うのだが。
小首を傾げて彼らを見上げる凪の前に、桜子が身を乗り出して背に庇う。桜子は基本的に凪と秀介、その他で区分してるきらいがあった。相手が男であればより過剰に反応するので空気を読んでもらいたいところだけど、初対面らしき相手に望むのも難しい。
「結構だ」
「いやでも」
「結構だと言っている。私と凪に近づかないでもらいたい」
文字が実体化したらさぞかし鋭い棘が付いてるに違いない。そう予想させるほど桜子の出す声は不機嫌で、警戒心に満ちていた。
今まで数々の痴漢にあい、好きな男の子を取られたの何だのと女子に締め上げも喰らったことがあるので警戒する気持ちもわかるけど、手を出さないかハラハラしてしまう。
これ以上過激な反応を引き出されると困るので、ここはさっさと仲裁に入ることにした。
「あの」
「え?」
「申し訳ないんですが、私たち少し急いでるんです。御用があるなら仰ってもらえますか?」
「っ」
桜子の肩に手を掛けて顔を横から出すと、ストレートに用件を聞いてみる。ここで時間を喰うとご飯を食べる時間が少なくなってしまう。
正直に言ってそれは嫌だ。どこの誰だか知らない人の相手をするより、のんびり出来る空間でまったりご飯を食べたかった。
暫し視線を彷徨わせて口を噤んだ彼らは、なにやら視線で会話をすると一斉に頷いてこちらを見詰める。その瞳が真剣すぎて若干引いた。
「その!今岡さんは、誰かにチョコあげるんですか!?」
「は?」
「凪ちゃんと桜子ちゃん、今日まだ誰にもチョコあげてないだろ?もし持ってるなら、俺たちにも、くれないかな、なんて」
「いや、それは厚かましいだろ!俺はちゃんとチョコ持ってきたから、受け取ってくれないかな?」
「俺も持ってきました!高屋敷さん、受け取ってください!」
差し出される掌とチョコが入ってると思しき包みを眺め、隣にいる桜子を見る。無言だが確実に怒りを孕んでいて、考える前に行動した。
怒りで震える拳が繰り出されないよう、がっちりと利き腕と腕を絡める。その気になれば非力な凪くらい簡単に振りほどけるけれど、幼馴染に甘い彼女がそんな無体をしないのもわかっていた。
突然の行動に切れ長の瞳を丸めた桜子に微笑みかける。そして今日五度目になる言葉を舌に載せた。
「ごめんなさい。私たちバレンタインのチョコを渡す相手は決めてるんです。それに今日は桜子以外からはチョコは受け取れません。ね、桜子」
「・・・ああ。私も今日は凪からしかチョコは受け取らないし、身内以外には渡さない」
「そういうわけで、申し訳ないんですがお引き取りください。頂いてもお返しできないですし」
お弁当たちが崩さないよう、気を使いながらぺこりと頭を下げる。もしかしたらさっき桜子に飛びついた拍子に崩れててもう手遅れかもしれないが、まだ大丈夫かもしれないので気をつけるにこしたことはないだろう。
困ったように眉を下げ、思い思いの態度で意気消沈してるらしい彼らに背を向けて再び目的地に向けて歩き出そうとした瞬間、不意に名指しで声を掛けられる。今度は身体ごとではなく頭だけで振り返ると、予想より真剣な眼差しを送る男子生徒と視線が絡んだ。
「あのさ、明日なら、チョコ受け取ってもらえるかな。俺のチョコ、今岡さんに渡すために買ったのに自分で食べるのもあれだから」
「何もお返しできませんよ」
「構わないよ。受け取ってくれるだけでいいんだ」
ほんの少し、絡めている腕に力が入ったのに気付く。顔を見なくてもきっと強張ったような表情を浮かべてるんだろうと、なんとなく想像できた。
だから安心させるために抱きつく腕に力をこめて、自分の意思をはっきり告げる。
「ごめんなさい。お返しできないものを受け取るのは心苦しいのでお断りします。ありがとうございます」
「そっか」
情けなく眉を下げた彼は、持っていたチョコでトンと肩を叩くように押し付けた。
「桜子、行こう。秀介が待ってる」
「・・・ああ、そうだな」
きっぱり断ったのに安堵したのか、嬉しそうに顔を綻ばせた桜子は、組んでいた腕に甘えるように寄りかかってきた。長い髪が首筋に掛かるのが擽ったくて、凪も思わず笑ってしまう。
早く飢えた胃袋を満たしてやりたい。桜子から貰う予定のチョコと、今日のお弁当におかずとして詰めた好物のハンバーグを想いながら、ご飯のためにも足を速めた。




