チョコっとラッキーデー・・・?
大好きな友人のたわさ様にネタを提供していただきました。ありがとうございます!
「おーい、ナギ!ご飯できたぞー!」
「うん。わかった、今から行くね」
「そうしろ!」
台所に立っていた少女の背中に向かって言うと、頭だけでこちらを振り返った凪は僅かに口角を持ち上げた。
緩やかな表情変化でも笑いかけてくれたのが嬉しくて、思わず助走をつけて飛びついて抱きしめる。
当たり前にバランスを崩した華奢な少女を腕に抱きしめたまま、自らが下敷きになるように体移動して来るべき衝撃に身を備えた。
だん、と板の間に叩きつけられ一瞬息が詰まる。しかし大した痛みもダメージもなく、気にせず腕の中の存在から薫る珍しい匂いに鼻を鳴らした。
「ナギ、なんか変な匂いするぞ」
「変・・・それ、多分チョコレートの匂い。甘くてちょっとほろ苦い感じの匂いでしょう?」
「おう。チョコレートってなんだ?」
「チョコレートは甘くて美味しい私の世界にあるスイーツだよ。さっきまでチョコレートを使って簡単なお菓子を作ってたから、匂いが移ったんじゃないかな」
ガーヴの身体の上に寝転んだまま動揺も見せずに凪は答えた。男として意識していないのか、伝わる鼓動にも乱れはない。
こちらは腕に抱いた温もりに全身がかっと熱くなり、心臓だって早鐘を打っているのに。
しかし不公平な状況に不満はあるものの、長期戦でいくと決めてるのでそれは一旦置いておく。
そして収まりが付かない好奇心を満たすべく、至近距離にある赤と蒼の瞳を覗きこんで疑問を口にした。
「さっきな、ラルゴとゼントが物凄いスピードで追いかけっこしてたけど何かあったのか?ラルゴ、全身から禍々しい怨念を放ってたぞ」
「・・・・・・」
そう告げた途端、凪の瞳がどこか遠くを見るようなものへと変化した。この目は今までも何度か見たことがある。凪が色々疲れたりして現実逃避しそうになるとこうなる。
背中を支えていた手を放し、顔の前でぱんと拍手を鳴らす。いきなりの行動にびくりと身体を震わせた凪は、数度瞬きするとこちらに戻ってきてくれた。
「追いかけっこだけ?」
「ああ。俺様が見てる間は追いかけっこだけだったぞ」
「破壊活動は?」
「してない」
「そう。ならいいけど」
ホッと胸を撫で下ろした凪に、続けようか迷っていた言葉を飲み込む。
確かにガーヴが見たのは追いかけっこをしている二人だが、かなり速いスピードで、まるで一陣の風の如く走り去って行った。
つまり自分が二人を見かけたのはほんの一瞬、瞬く間だけで、その後の彼らがどうなってるのかわからない。
正直な話、怒声を上げて走り回っていたラルゴと、からかい混じりの台詞を投げかけていたゼントの様子から鑑みるに、いつものパターンに雪崩れ込んでいる確率が高い。
パターン1、猛烈な口喧嘩。これは基本的にゼントが勝利を収める場合が多く、家屋に厳しい損傷は与えない。凪が恐れてるのはパターン2。真っ向からの殴り合いの喧嘩。
爽やかで優美な顔立ちから想像も出来ないくらい好戦的な虎は、種族的に上位に立つ龍相手にも出した爪や牙を引っ込めたりしない。実力で劣ることを何度知らしめられても懲りない彼は、呆れるくらいに強さに貪欲だ。
ラルゴもラルゴで一応手加減してるらしいけど、彼らの喧嘩──というより戦闘が始まると凪やガーヴには手が付けられず、基本的に意味を見出さない限り仲裁を買って出るようなお人好しの獣人もこの家には居ないので、結果家屋に多大なるダメージを与えるなんて展開ざらにある。
壊したものは自分で直すが基本なので手を煩わされることはほとんどないが、それでも穴が開いた屋根や壁、床などから入る隙間風などに何も思わないわけでもない。
このまま考えていても想像は悪いほうにしか働かない気がするのでふるふると首を振り、嫌な予感を振り払った。薄々勘付きながらも明言しない凪の必死な様子に絆されたとも言う。なにしろ一番被害を受けているのは、どうしてか彼女の部屋だったから。屋根に穴が開いたり、扉じゃないところに出入り口が追加されたり、前は直接庭に出る通路まで出来ていた。
そわそわと視線を彷徨わせ、別の話題を必死に探る。そして先刻までの会話の中でも気になっていた部分に目をつけた。
「それで、チョコレート?ってなんだ?」
「ああ、それは」
もぞもぞと動いてガーヴの身体に手を付いた凪は、そのまま台所の流しの近くに置いてあった皿を手に取った。
丸い形の陶器の皿の上にはこげ茶色の丸い物体が十個ずつ別けられて並んでいる。一粒一粒が指先で摘める程度の大きさで、くんくんと匂いを嗅げば、確かにこの部屋中に広がる甘い薫りと同じ匂いがした。
「なんか珍しい匂いだな」
「食べてみる?」
「おう!」
どうして凪が『チョコレート』とやらを作ったか知らないが、とても食欲を擽る匂いに誘われ、皿の上からこげ茶色のものを取る。
そのまま口の中にひょいと入れると、柔らかい触感とともに芳醇な例えようがない不思議な甘さが広がって、思わず耳がぴくりと立った。
「んま!」
「そう、良かったね」
「もっとくれ!」
「どうぞ」
そそっと腹の上から降りた凪に、腹筋の要領で上半身を起こして手を伸ばす。
なんだろう。今まで味わったことがない味に、次々と手が伸びてしまう。美味い。なんとなく後引く味だ。柔らかな触感も口の中の熱に浸るととろりと溶けて流れ出す感じに、ねっとりと舌に絡まる不思議な感覚や、少し苦味がある癖のある甘さが気に入った。
にこにこと機嫌よくチョコレートを租借するガーヴを見て顔を綻ばせた凪が、頭をくしゃりと撫でてくる。小さな掌が髪を擽る感触が心地よくて、胸の鼓動にあわせるように忙しなくぱしぱし尻尾も揺れた。
朝食の準備ができたから呼びに来ただけなのに、珍しく凪を独占してる上に美味しいものを食べれて運がいいと一生懸命口を動かしていると、不意に背後に殺気が生まれて飛びのく。
「テーメーェ、絶対許さん」
「!!?」
溶けてしまったチョコレートを口につけたまま、いきなり現れた龍の威嚇に全身から冷や汗が流れる。目が尋常じゃないくらいに血走って、開かれた口から覗く鋭く頑丈そうな犬歯に背筋が凍った。
パキパキと小指から順に指を鳴らして近づくラルゴの怒りように目を白黒させて喉を鳴らす。途端飲み下しきれてなかったチョコレートが喉に絡み、不恰好にもむせ返った。
一歩一歩近づく怒りのオーラを背負った龍相手に涙目になりながら、先刻まで追いかけっこしていた虎はどうなったとの疑問を喉奥で噛み殺す。ちらりと見詰めた先にあった手に僅かに血痕が見えたのは、きっと気のせいだ。
「お嬢のチョコ、返せぇぇえ!!」
「ぎゃぁああぁあ!?」
ぶおんと重たい風切り音に、飛び上がって移動を開始する。
猛烈に走りながら振り返れば、つい先ほどまでガーヴが立っていた背後にあった壁に、ぽっかりとした穴が開いていて、床に座ったままの凪がその様子を呆然と眺めていた。
ああ、結局嫌な予感は当たってしまった。走る道すがらにぼこぼこ空いている穴を見て涙目になる。この地域はさして寒くない穏やかな気候だが、穴が開きすぎては風景的に寒い。
不意に穴から見えた野外に、草の上に傷だらけで寝転がっている虎がいた気がしたが、絶対に気のせいだ。
背後から迫りくる物騒すぎる気配に本当に泣きたくなりながら、気を抜いたらあれが自分の末路になると両手両足を必死に、これ以上ないくらい全力で動かした。
チョコレートみたいに甘い時間は、チョコレートの残した苦味よりもっと強い苦さをガーヴに残した。




