シェイラの薬師日記 その1
「えっ!?」
彼女はなんとも間抜けな声をあげていた。
目の前の男は顔を赤らめ、もじもじとてしいる。
何故こうなっているのか、真っ白になりそうな脳内を一生懸命回転させ、状況を把握しようとした。
昨日もさりとて変わらない一日だったはずだ。
*
彼女の一日は日の出をちょっと過ぎた頃から始まる。
「んっ」と小さな伸びをして、括り付けの寝台から降りた。
最初に向かったのは竈。
藁を放り込み、すでに燻っていた灰の中を火掻き棒で掻いてやれば、すぐにパチパチと燃え上がった。
昨晩の鍋の中身が暖まる前に長いストレートの髪を漉き、朝の身支度を整えれば既に食べ頃。
堅いパンとスープで朝食を済ませ、家の壁に貼られたメモの前に立ち、今日の分の注文を確認した。
「アイネさんの染め粉、クローブさんの傷薬、打ち身用の薬、下痢止め……また旅に出るのかな?後はセンナお婆ちゃんの滋養の薬」
一つ一つ確認し、頭の中の在庫と照らし合わせた。
特に調達する必要もなく、在庫の中で調合できそうなので自然と表情が和らいだ。
自分でも薬草園を管理しているが、必然的に良く使う薬草が中心となる。
込み入った薬には生の薬草が必要になったりするので、その都度薬草を摘みに行かなければならなくなる。
しかし今日はその必要もなく、比較的簡単な薬ばかり。
「さくっとやっちゃいましょう」
エプロンドレスの袖をきゅっと腕まくり、必要な乾燥した薬草を並べていく。
天秤に錘を乗せ、必要な分量だけを手際よく量り調合する。
時には練ったり、紙に包んだり。
太陽が頂点に来る前には今日の注文分の薬が出来上がった。
出来上がった薬を一括りに纏め、注文書をその包みへと貼っていく。
「これでおわりっ……あれ?」
最後の注文書が二重になってる事に気づく。
偶然なのか、故意なのか解らないが、とにもかくにもその注文書を確認した。
「───これって!?」
今まで一度も受けた事はない薬。
それもそのはず、この薬はべらぼうに高いのだ。
育ての親であった先代の薬師ですら、数回しか作るのをみた事がない。
門外不出調合法。
一度も調合した事のない薬を作るべきか、断るべきか。
迷った末に作るかどうかは置いておいて、先代の遺品である調合の書を確認すべく手に取った。
「確かこの辺に……あった」
ペラペラとページを捲る度に埃が舞う。
埃が落ち着いてから、背けていた視線を戻し読む。
「材料は……月兎耳の生葉、乾燥した黒蝙蝠の羽、水の乙女達に祝福された水……残りは家にあるわね」
パタンと閉じた本から再び埃が舞う。
ケホッと咳き込んでから窓を開けた。
途端、風の精霊が挨拶代わりに入り込み空気を入れ替える。
「ありがとう」
すがすがしい空気の中で彼女は考える。
あまり人の心をどうこうする薬は作りたくないのが本音ではあるが、先日に起きた大嵐の所為で家にあちこちガタがきていた。
修繕するにはかなりのまとまったお金が必要で、今まで見ない振りをしてきた。
この薬はその修理代を払っても、お釣りがでる。
自分の感情か、現実問題か。
そして勝ったのは現実問題だった。
決めてしまえば後は前向きに進むのが彼女の良い所。
残っていたパンとチーズで軽く昼食を済ませ、薬草摘み用の籠を持って出かけた。
生葉は鮮度が大事。
一番最後に摘む事にし、黒蝙蝠の羽を調達する事にした。
町にある呪い師の元へ向かう。
黒蝙蝠の羽は呪いの道具でもあった。
使い方は主にピーーーだったり、焼いて炭にしそれを人に振り掛けるとピーーーとなったりする。
故に彼女はあまり好ましくない、この材料を手元に置こうとはしていないのだった。
自分の家から丁度対角線上に位置する呪いの館。
入り口にはなんとも言いがたい骨や棒が並んでいる。
かなり朽ち果てた入り口の扉を押し開ける。
ギィィィっと軋む音が彼女の来訪を告げた。
「おや……久しぶりだね」
「こんにちは」
フードを目深に被った老婆が一人。
なんとも言えない匂いを漂わせている鍋をかき混ぜながらこちらを見ている。
鼻で息をしないように彼女は中へと進んだ。
「乾燥した蝙蝠の羽が欲しいの」
「5本と10cm」
老婆が10と両の手の平を差し出せば、彼女も指を1本立てて答える。
「7本と1cm」
「7本と6cm」
「ん~……10本と1cmと薬酒で」
「よかろう」
ほっと安堵の笑みを零す。
彼女は老婆の向かいに座り、老婆は立ち上がり奥の部屋へと消える。
持っていた薬草籠の中から鋏を取り出し、1本1本綺麗に爪を切り始める。
すべての爪が切り終えた頃、老婆が黒い乾燥した羽を持って戻ってきた。
「ほれよ」
「ありがとう」
彼女に向かってそれを放り投げ、その後に錫の皿を差し出した。
皿を受け取り、切った爪をその中へと入れる。
続いて自分の長い髪を一纏めに束ね、自分の前へと出す。
これまた同じように鋏で、1cm切り落とした。
こうして髪を切るとかなり不揃いになるのだが、以前老婆に切ってもらった事があったが2cmが5cmになるという惨劇が起こったのである。
それ以来、こうして自分で切るようなった。
多少不揃いでも、対価を多く取られるよりは良い。
きっちり1cmの髪を切り、爪と同じ錫の皿へと落とした。
「はい」
「純潔の乙女の一部。確かに受け取ったよ」
にぃひっひっひと零れる嫌らしい笑みにどう反応して良いやら、困った笑いを合わせて笑った。
材料が手に入れば早いところ撤収するに限る。
老婆に礼を言い、館から出るようとしたところで呼び止められた。
「───お待ち」
「なあに?」
「お前さんに転機が訪れるよ」
「転機……?」
「選ぶも選ばないもお前さん次第だがね」
「良く解らないけど、ありがとう。気にしてみます」
得体がしれない老婆の呪い師でも、こうした予言のような事ははずさない。
もうすぐ自分に何かしらの転機が訪れるのは間違いないだろう。
老婆に頭を下げ、館を後にした。
老婆の言葉も気にはなったが、すぐに次の材料である水の乙女の祝福に思考は切り替わった。
水の乙女の祝福。
水の精霊が生まれし場所、水が大地に顔を出す場所。
すなわち、湧き水のある所へ行かねばならない。
ここから一番近い湧き水の場所は、彼女の家と呪いの館を底辺とし、湧き水の場所を頂点とした二等辺三角形の位置にある。
急がなければ日が暮れてしまう。
いつもよりも早いペースで山へと向かった。
山の中腹にあるその場所は魔法で隠されていた。
水の精霊も幼子が生まれ出場所。
神官様や水の加護を受けているものにしか発見できない。
彼女の場合は後者で、物心ついた時には水の精霊に愛されて育った。
おかげで水に困る生活をした事はない。
水の匂いに誘われるままに、その場所へと辿りついた。
湧き出る水は透き通り、無色ではなく澄んだ青。
底の深さが測りきれぬ程の清浄さがあった。
薬草籠から小さな小瓶を取り出し、水の中へと沈めた。
ひんやりとした水温が肌を引き締める。
「お願い。産まれたての清らかな乙女達、貴女の祝福の恵みを少し分けて下さいな」
沈めていた手に触れる水の流れが変わった。
優しく戯れるように流れていく。
不思議と水の冷たさは感じず、心地の良い流れだった。
暫くそうしていたが限がない、浸していた小瓶を引き上げコルクで蓋をした。
こうして二つ目の材料が手に入った。
また来るねと水の精霊達に告げ、最後の目的地である月兎耳の葉を摘みに向かった。
この葉は水を嫌い、乾燥した場所に好んで生える。
ここから一番近い場所は、西側の崖っぷちである。
足場は狭く、兎が飛んで移動できる位のスペースしかない。
あまり運動は得意ではないが、これも高価な報酬を得る為と自分を奮い立たせた。
手近な木に縄と自分を結び付け、いざ崖の下へと手を伸ばした。
「んっ……もう少し……」
届きそうで届かない。
これ以上、乗り出したら崖の下へ真っ逆さまだ。
命綱をつけていても、さすがにあちこちぶつけるだろう。
想像しただけで、体中が痛くなってきた。
頭に登った血をリセットする為、体を起す。
「ふぅ……」
そのまま横になり、クラクラする頭を抑え、深呼吸する。
いくらか治まってきたところで、体勢を横に変え瞳を開けた。
視線の先、地平に沿った先に生えてるふわふわした草。
兎の耳に良く似た草、目的の薬草だった。
あんなに大変な思いをして、一生懸命崖から身を乗り出したのに……乗り出したのに。
のにぃぃぃっ!と悲しく、複雑な気持ちを大きなため息に変え、体を起した。
ともあれ、これで材料はすべて揃った。
後はこれを調合すれば良いだけ。
一路、彼女の家である森の薬草小屋へと向かった。
*
一晩煮込んで、捏ねて。
漸く完成した薬を依頼主である男が朝一番で取りにきた。
昨日からの疲れと徹夜でボロボロではあったが、薬と引き換えにずっしりと金の詰まった皮袋を交換した。
これで家の修理代が出来た。
その前に男が帰ったら一眠りしよう。
眠さを堪えて向けた微笑を男に向け、小屋を後にするのを今か今かと待ちわびた。
しかし、男は一向に動こうとはしない。
不思議に思いじぃぃっと男の顔をみる。
男はもじもじと顔を赤くしだした。
首を傾げてみる。
おずおずと差し出される、完成したばかりの薬袋。
彼女の目がぱちくりっと大きく瞬いた。
「これ飲んで欲しいんだ」
「えっ!?」
彼女は絶句した。
あれほど苦労して作った【惚れ薬】が自分に差し出されるとは夢にも思っていなかった。
漸く言葉にできた台詞はただ一言。
「こういうのは薬に頼ってはいけないと思うの……」
だった。
風花の合間に書きました。
更新がかなり不定期です。
というか、更新するのだろうか……。