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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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推し活のしすぎで婚約破棄された悪役令息ですが、殿下が代わりに推しを娶って引退させると言うのでぶん殴ってもよろしいでしょうか

作者: つむぎ
掲載日:2026/10/11


「リュシアン・ベルティエ! 本日をもって、そなたとの婚約を破棄する!」


 絢爛たる王宮の大広間に、王太子オーギュスト・ド・クレルモンの声が高らかに響いた。


 王家主催の夜会、その真ん中である。

 弦楽団の奏でていた優雅なワルツはぴたりと止まり、談笑していた貴族たちも一斉に口を閉ざした。


 皆の視線が、ひとりの青年へ集まる。


 リュシアン・ベルティエ。

 王国でも指折りの名門、ベルティエ公爵家の嫡男にして、王太子オーギュストの婚約者。

 絹糸のような銀の髪に、冬の湖を思わせる薄青色の瞳。端麗という言葉すら物足りないほど整った容貌を持ちながら、滅多に感情を面に出さないことでも有名な青年である。


 そんなリュシアンが、珍しく瞳を見開いた。


「オーギュスト殿下。それは……まことでございますか?」


 声まで震えている。


 周囲から小さなどよめきが上がった。


「まあ……」

「リュシアン様があんなお顔をされるなんて。おふたりの間に、一体何が……」

「やはり王太子殿下との婚約を破棄されるのは、お辛いのでしょう」


 違った。


 リュシアンは、夜会用の長い上着の陰でそっと右手を握りしめていた。


 ——よし。


 小さな、小さなガッツポーズであった。


 これで王家の夜会に付き合う必要がなくなる。

 王太子妃教育もなくなる。

 地方視察への同行も、公務のための晩餐会も、オーギュストの「婚約者なのだから俺の隣にいろ」という謎の拘束もなくなる。


 つまり。


 ——ノエル様の地方巡演にも行ける……!


 自由。

 圧倒的自由。


「……リュシアン、なぜ微妙に嬉しそうなんだ?」


 低い声が飛んできた。


「何のことでしょう」


「今何かしただろう。手を見せろ」


「お断りいたします」


「なぜだ!」


 リュシアンは何事もなかったかのように両手を背へ回す。オーギュストは苦虫を噛み潰したような顔になった。


 王太子オーギュスト・ド・クレルモン。

 豊かな金髪に、燃えるような赤い瞳。長身で体格にも恵まれ、剣術も学問もそつなくこなす、次代の王として申し分ない青年——なのだが。


 少々、いや、かなり俺様であった。


 幼い頃、王宮に招かれていた六歳のリュシアンを見てひと目で気に入り、父王へ「あれを俺の婚約者にしろ」と頼み込んだ逸話は、王宮ではそこそこ有名である。


 以来十数年。


 オーギュストは、一向に自分へなびかない婚約者をどうにか振り向かせようと、それなりに努力してきた。


 贈り物をした。

 遠乗りへ誘った。

 珍しい菓子を取り寄せた。

 宝石も贈った。


 リュシアンはすべてに対し、微笑すら浮かべず、


「ありがとうございます、殿下」


 で終わった。


 しかしそんな男が半年ほど前から突然、生き生きし始めたのである。

 自分の前ではついぞ見せなかった楽しげな表情を浮かべて書状をしたためていたり、薄青色の瞳を輝かせながら絵草紙に見入ったり、はては機嫌よく鼻歌を口ずさんでいるのを見かけた日もあった。


 その原因がひとりの青年にあることを、オーギュストは知っていた。


「一応、婚約破棄の理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」


 リュシアンが涼しい顔で尋ねると、オーギュストは待ってましたとばかりに胸を張った。


「山ほどあるとも! まず、そなたの最近の浪費ぶりは目に余る!」


「ああ」


 リュシアンは納得したように頷いた。


「ノエル様の秋の公演が始まりましたので、全日程の席を押さえました」


 広間がざわつく。


 オーギュストのこめかみに青筋が浮かんだ。


「全日程だと!? 三十公演あると聞いたぞ!」


「初日と千秋楽だけ観て、途中の進化を見ずに何が分かるというのです」


「理解できんわ!」


「さらに出演祝いの花を少々」


「王宮の温室ひとつ分ほど送ったそうだな!?」


「大げさです。せいぜい半分ほどでしょう」


「半分でも多いだろう!」


 周囲の貴族たちがひそひそと囁く。


「ノエル様というと、あの王立歌劇場の……?」

「ええ。デュプレ子爵家の三男ですわ」

「たしか幼い頃から歌に秀でて、十五で歌劇学院へ?」

「去年あたりから人気がすごいそうよ。可愛らしいお顔立ちで、若いご令嬢にもご婦人にも大人気とか」


 ノエル・デュプレ。


 蜂蜜色の柔らかな髪、春の若葉のような瞳。持って生まれた美声と類い稀なる演技力によって頭角を現した青年は、舞台の上では太陽のように笑い、悲劇では劇場中のすすり泣きを誘う。


 そして彼こそが半年前、付き合いで観劇したリュシアンの人生を、大きく狂わせた人物であった。


「先日も俺と出席する予定だったカルヴァン侯爵家の夜会を、直前になって取りやめただろう!」


 オーギュストの追及は続く。


「会員限定の電撃公演が発表されたのです。向かわないわけにはいかないでしょう」


「夜会が優先だろうが普通!」


「再演の予定もない、一夜限りの特別公演です。人生で二度と観られない可能性があるのですよ? それに比べたら、夜会はまた開かれるでしょうし」


 リュシアンは心底不思議そうだった。


「そういうとこだぞ! この悪役令息めが!」


「否定はいたしませんが……」


 しれっと返され、オーギュストが「ぐぬぬ」と唸る。


「俺がどれほど恥をかいたと思っている! 婚約者に直前で逃げられ、王太子である俺がひとりで夜会に出席したのだぞ!」


「それはお気の毒に」


「心がこもっていない!」


「では改めまして——心よりお悔やみ申し上げます」


「俺は死んでない!!」


 広間の空気が、微妙なものになってきた。


 これは婚約破棄の断罪なのか。

 それとも痴話喧嘩なのか。


 貴族たちが判断しかねる中、オーギュストは大きく息を吐いた。


「……まあいい。だがな、悪役令息リュシアン。俺に婚約を破棄されたからといって、自由に推し活できると思ったら大間違いだ」


 オーギュストの不敵な笑みに、リュシアンの眉がわずかに動いた。


「どういう意味でしょう」


「俺の新たな婚約者を見たら驚くぞ?」


 オーギュストが手を叩くと、広間の大扉が開く。


 そこに立っていた青年を目にした瞬間、リュシアンが固まった。


 蜂蜜色の髪。

 若葉色の瞳。

 舞台化粧も衣装もない、淡い水色の正装姿で、どこか居心地悪そうに佇んでいる。


「……ノエル……様……?」


 リュシアンの唇から、掠れた声が漏れた。


「こんばんは、リュシアン様」


 ノエル・デュプレは、困り切ったように笑った。


 その瞬間、オーギュストの胸に勝利の鐘が鳴り響いた。


 ——効いている!


 自分が何を言っても「そうですか」で済ませてきた男が。

 婚約破棄を告げられてすら、こっそりガッツポーズを決めていた男が。


 今、明らかに動揺している。


 オーギュストは快哉を叫びたい気分で、殊更尊大に顎を上げた。


「紹介しよう。俺の新たな婚約者、ノエル・デュプレだ。どうだ、驚いたか」


「……なぜ、ノエル様がここに?」


 リュシアンの顔から血の気が引いていくのを見て、オーギュストはますます機嫌をよくした。


「デュプレ子爵家へはすでに話を通した。結納金も十分に積んだ。ノエル本人も了承している」


「……そんな、まさか」


「これからノエルには婚姻に向けて王太子妃教育を受けてもらう。当然、歌劇などという仕事は引退だ」


 ぴし、と。


 何かが割れた音を、確かにその場の誰もが聞いた気がした。


 リュシアンの中の、何かだった。


 オーギュストだけはそれに気づくことなく、意気揚々と続ける。


「もっとも、そなたが己の行いを反省し、二度と俺を蔑ろにしないと誓うのなら、考えてやらんでもない」


「…………」


「正室はノエルだが、側室としてならそなたを迎えてやろう」


 得意満面だった。


「よかったではないか。大好きな推しと同じ宮廷で暮らせるぞ? 毎日顔を見ることもできる。俺もそなたを手放すのは惜しいからな。これ以上ない名案だろう」


 オーギュストは腕を広げた。


「どうだ、リュシアン。俺をないがしろにしたことを後悔——」


 ごっ。


 鈍い音がした。

 次の瞬間、王太子オーギュスト・ド・クレルモンは、見事に床へ転がっていた。

 静まり返る広間で、全員の息が止まった。


 リュシアンは、右拳を握りしめたまま立っていた。


 オーギュストが床から顔を上げる。


「…………殴った?」


「殴りました」


「俺、王太子だぞ?」


「存じておりますが」


 リュシアンの声は静かだった。

 静かすぎて、かえって怖い。


「……殿下」


「な、なんだ」


「あなたは、ご自分が何をなさったのか理解しておられますか」


「だから、そなたが俺よりあいつばかり——」


「ノエル様は来月から『月影の乙女』で主演を務められるのですよ!!」


 ついにリュシアンが叫んだ。


「そこ!?」


「昨年の『青薔薇の騎士』で準主演! 春の『春告鳥』では第三幕の独唱が批評家各紙から絶賛され、ついに次回作では単独主演! まさに今、役者として最も伸びている時期なのです!」


「お、おう……」


「しかも王都公演後には南部三都市を回る地方巡演! 冬には建国祭記念歌劇への出演も内定している! これからなのですよ! ノエル様の伝説は!」


「伝説」


「それを!」


 リュシアンが銀髪を振り乱しながら、オーギュストを指差した。


「王太子妃教育だの結婚だのというくだらない理由で引退させるとは何事ですか!!」


「くだらないって言ったか今!?」


 オーギュストの絶叫を無視して、リュシアンも叫ぶ。

 公爵令息らしい優雅さはとっくに消え失せ、そこにはひとりの早口限界オタクの姿があった。


「あなたには分からないのですか! あの歌声は世界の宝なのですよ! 『春告鳥』第三幕、主人公との別れを歌う直前の、あのほんの一瞬の息遣い! あれほど繊細な表現を二十歳そこそこで体得する役者がどれほどいると!?」


「知らん!」


「だから貴様はボンクラ王太子なんだ!!」


 ついに敬語も消えた。


「推しは! 遠くから! 健やかに活動なさる姿を愛でるものです!!」


「近くで毎日見られたほうが得ではないのか!?」


「あああああもう、殿下は何も分かっていない!!」


 リュシアンは頭を抱えた。


「近ければよいというものではないのです! 私は舞台の上で万雷の拍手を浴びるノエル様が好きなのです! 国中の人々を笑顔にするノエル様を推しているのです! そこに恋だの愛だのという浮ついたものは毛筋ほどもない!!」


 オーギュストが理解できない顔で瞬きをする。


「……じゃあ、嫉妬していないのか?」


「誰に?」


「俺とノエルに決まっているだろう! そなたを差し置いて、あいつが俺と結婚すると言ってるんだぞ!」


「そんなもの、私は絶対に許せません」


「やはり!」


「ノエル様を引退させるなど!」


「…………」


 オーギュストの目から、見る見るうちに光が消えていった。


「……俺をノエルに取られると思ったりは?」


「その発想はありませんでした」


「一切?」


「一切」


 今度は誰にも殴られていないのに、王太子は大理石の床にがっくりと膝をついた。


「そんな……俺は半年間……ずっと……」


「何を落ち込んでおられるのです、殿下」


「だってそなたがあいつを見る顔が、俺を見るときと全然違うから……!」


「当然でしょう。ノエル様は推しですから」


「俺は!?」


「殿下は殿下です」


「どういう評価なんだそれは!」


「あのう……」


 半泣きの様相を帯びてきたオーギュストの叫びに、控えめな声が割って入った。

 リュシアンとオーギュストが同時に振り返ると、ノエルが、おずおずと手を上げていた。


「僕も、お話ししていいでしょうか」


「ノ、ノエル様……!」


 リュシアンの声音が一瞬で一オクターブ高くなるのを聞きつけ、またしてもオーギュストの眉間に皺が寄った。


「その声を俺にも出せ!」


「殿下、お静かになさってください。今ノエル様と話しています」


「扱いが違いすぎる!」


 ノエルは苦笑して、それから自分の手を見つめた。


「うちは兄弟も多くて……僕が歌劇で稼げるようになってからは少し楽になりましたけど、それでも裕福ではありません。殿下から提示された結納金は、家族が一生困らずに暮らせるほどでした」


 広間がしんと静まる。

 

「歌をやめるのは寂しいと思いました。でも、家族のためならって。僕ひとりが諦めればいいんだと思って、婚約の話をお受けしました。……でも」


 やがて顔を上げたとき、若葉色の瞳には、もう迷いがなかった。


「今のリュシアン様を見てたら、考えが変わりました」


「私を?」


「はい」


 ノエルは笑った。


「だって僕よりずっと必死に、僕の歌の話をしてくださるから。それで僕も、大切なことを思い出せたんです」


 リュシアンが息を呑む。


「僕、歌が好きです」


 ノエルの声は舞台の上で歌うときとは違う、何の技巧もない、素朴で小さな声だった。

 けれど不思議と、壮麗な大広間の隅々まで届いた。


「舞台が好きです。稽古も、本番前に手が震えるのも、幕が上がる瞬間も、歌い終わったあとに拍手が聞こえるのも。全部好きです」


 そして、深く息を吸う。


「殿下。申し訳ありません」


 ノエルはオーギュストへ頭を下げた。


「僕、この婚約をお断りします。結納金は必ずお返しします。何年かかっても」


「ノエル様……! それでこそ……それでこそ私の推しです!」


 リュシアンの瞳が潤んだ。


「どうか歌ってください! これからもずっと! 私は全公演通います!」


「それはちょっと怖いです」


「地方巡演も全部押さえます!」


「あの、ご公務は……?」


「いいんですそんなもの!」


「いいわけないだろ!」


 オーギュストの怒号が大広間に響いた。


 * * *


「——いい加減にせんか」


 数日後、王宮の謁見室。


 大柄な身体を縮こまらせるオーギュストと、表情を崩さないリュシアンの前で、国王は額を押さえていた。


「まずオーギュスト」


「はい、父上」


「ベルティエ公爵家との婚約を、嫉妬に任せて勝手に破棄」


「……はい」


「その当てつけに子爵家の三男を婚約者に指名し、多額の結納金を積み」


「……はい」


「しかも本人の職業を問答無用で辞めさせる前提」


「…………はい」


 国王は深く息を吐いた。


「馬鹿者が」


 オーギュストが珍しくしょんぼりと肩を丸める。


「デュプレ家には迷惑をかけた慰謝料として、結納金はそのまま受け取らせておけ。……そしてリュシアン。そなたもそなただ」


 リュシアンがわずかに眉を上げる。


「私もでございますか?」


「王太子との公務を放り出して歌劇へ行ったそうだな」


「限定公演でしたので」


「理由になっておらん!」


「しかし陛下、あの日のノエル様は——」


「語らんでよい!」


「左様ですか、陛下にもぜひノエル様の素晴らしさをご理解いただこうと思いましたのに」


 王太子とそっくりなツッコミ——もとい、怒り方をする国王に、リュシアンは少し残念そうだった。


「結論を言う。両家の婚約は国家的な取り決めでもある。王太子ひとりの癇癪で破棄できるものではない」


 オーギュストの顔が明るくなり、リュシアンの顔が曇った。


「よって、婚約破棄は取り消しとする」


「……承知いたしました」


 リュシアンは露骨に肩を落とした。


「おいリュシアン、今がっかりしただろう」


 オーギュストが横を向く。


「気のせいです」


「絶対した!」


「殿下、陛下の御前ですよ」


「誰のせいだ!」


「おまえら両方のせいじゃ!!」


 国王の雷が落ちた。


 * * *


 それから一月。


 王立歌劇場は、今日も満員だった。


 舞台の幕が上がる直前、最前列中央の席でリュシアンは上機嫌にパンフレットを眺めていた。


 隣には、仏頂面のオーギュストが座っている。


「……どうして殿下まで」


「そなたがどハマりしている歌劇とやらを、実際に見たことがなかったのでな」


 オーギュストは腕を組む。


「そんなに素晴らしいなら、俺も一度くらい見てやる」


「なるほど、それは結構なことです」


 リュシアンが隣の大柄な男に視線を向け、ほんの少しだけ、表情を和らげる。その笑みを向けられただけで、オーギュストは胸のどこかがそわそわとしてしまう。


「……そ、そうか?」


「ええ。ノエル様の魅力を理解する者が増えるのは、歓迎すべきことですから。よろしければ明日と明後日の公演もご一緒いたしましょう」


「そっ、そなたの方から誘いを!?」


 王太子は初めての婚約者のデレ——と言ってよいのか微妙なほどの誘いに色めきたち、次いできまり悪そうに咳払いした。


「……俺は別にあいつを推すとは言ってないぞ」


「よいのです。殿下も一度ご覧になれば得心なさるでしょうから」


 リュシアンは鞄をごそごそと探ると、細長い棒を一本取り出した。


 内部に小さな魔晶石が仕込まれた、歌劇ファン御用達の応援用魔晶灯——俗にいう、ペンラである。


「何だそれは」


「ペンラです」


「ペンラ……? それをなぜ俺に渡す?」


「ノエル様の担当色は若葉色です。第二幕の独唱で振ってください」


「だから俺は推すとは——」


「あっ、私の分ならお気遣いなく。十二色切替式の予備がありますので」


「聞け!」


 場内の灯りが落ちた。


 途端にリュシアンの静かな湖面のような瞳に、さっと光が差しこんだように輝く。


「お静かに。始まりますよ、殿下!」


 幕が上がる。


 舞台中央へ、一筋の光が落ちた。


 そこに立つノエルが歌い始めた瞬間、リュシアンはもうオーギュストの存在など忘れたように舞台へ見入っていた。

 オーギュストはその横顔を見つめ、眉間へ皺を寄せる。

 やはり面白くない。

 だが——以前ほど腹は立たなかった。


 少なくとも、意中の相手が入れ込んでいるものを知ろうとするくらいのことは、してみてもいい。


 オーギュストは手の中のペンラを見下ろした。


「……若葉色だったな」


「え?」


「何でもない」


 やがて第二幕。


 客席いっぱいに光が揺れる。


 その中に、不慣れながら一筋の若葉色の光を振る王太子と、その隣でノエルの名を大きく描いた扇を盛大に振る婚約者の姿があった。


 リュシアン・ベルティエがオーギュスト・ド・クレルモンを恋愛対象として見る日は、まだ遠い。

 いや、そもそも来るのかどうかすら怪しい。


 俺様キャラを多少返上してでも歩み寄ろうとする婚約者の胸中など知ったことではないとばかりに、今日もリュシアンは全力で、推しへペンラと扇を振るのであった。


 ノエル・デュプレが、のちに呆れながら二人の仲を取り持つことになるのは——

 また、別のお話。



〈了〉

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