第313話 悪夢の三日間
「……くー、痛かったぁ」
「へぇ、こういうの初めてよね? その割には頑張るじゃない」
「あんたらさ、ホント早めに諦めたほうがいいよ? こっちは公爵様に侯爵家、伯爵とついて、冒険者ギルドに、下手したら騎士団まで出てくる。逃げ場なんかなくなるよ?」
私の言葉に女性は一瞬計算するような素振りを見せた。
しかし諦めたようだ。
「こんな仕事を引き受けた時点でそんなリスク承知の上よ。だいたい、それだけのものが揃ったアンタをこうして捕らえられてる。そのことがいかに守りが甘いかの証明よね?」
「くっ……!」
そこについては言い返せない。
私が口を結んで黙っていると、
「ま、いいわ。疲れたからひとやすみ。私、ご飯食べてくるわ」
「えっ? あっ、ちょっ、私のは?」
「ふふっ、まだ分かってないの? 食べたかったら『書く』ことを引き受けなさい」
それだけ言って女性は部屋を出ていってしまった。
開いた扉の先には、狭い通路を戦士二人が塞いでいるのが見えた。
去り際に「クスッ」と笑う声。
重く鈍い音が、私を一人閉じ込める。
まず、痛みはなんとか耐えられそうだ。
たまに全力の一撃がくるけど、時間のほとんどは質問や降伏勧告、それにこちらをなぶるような緩い鞭打ち。
痛みで吐かせようと言うんじゃない。
心を折ろうという作戦。
魔力は……ダメだ、使えない。
ということは、あの女性が何かしてるんじゃなくて、何かが使えなくしてる。
部屋を見渡す。
拷問に使うのだろう、およそ見たくないものばかりの中、一際不自然に輝く魔石……?
いや、でも色がついてない。
試しに魔力を使おうとすると、私から出た魔力が掃除機のようにその石に吸い取られていた。
なるほどね。
あとはあの石に限界値があるか、効果範囲がどの程度かだけど、それを試すのなら扉の向こうの筋肉ダルマをどうにかする手立てを見つけてからだ。
つまり、今のところは無理。
こうなったらあいつらが隙を見せるのが先か、私がくたばるのが先か、勝負だ!
それから、女性が何度か食事に出ていった。
彼らは隙も見せない。
ただ決まったことだけを淡々とこなす。
悔しいけど、プロだ。
足が悲鳴を上げてる。
座りたいのに座れない。
女性が人差し指を私の顎にかけ、私はうつむく顔を持ち上げられる。
「ふふっ、だいぶお疲れのようじゃない。いい加減書いちゃったら?」
「……やだ、書かない」
「ふぅん、根性あるわね。嫌いじゃないわよ、そういうの」
そして再び乗馬鞭が振り上げられる……。
……あぁ、座りたい。
お腹も空いた。
私、何をしてるんだっけ?
「強情ねぇ、私疲れちゃった……あの工房、たくさん人いたわよね? 一人二人消えてもいいよね?」
「それはっ!」
「書いたらやめてあげるんだけどなぁ」
書く?
私が書けば助かる?
けど、書いたらあの土地ごとなくなる……。
レオン、マリーナ、私どうしたらいいの?
女性がまた食事に出る時間になった頃。
ここで初めての変化が起きた。
狭い部屋に運び込まれるテーブルと食事。
吊り上げられていた私の手首は鎖を緩められ、その下に椅子が用意される。
力の入らない脚が崩れ、私は勢いよく椅子に腰を下ろした
「……なんで?」
「私だってね、本当ならこんなことしたくないの。相手が嫌なやつならともかく、あなたみたいな仲間思いの子には特にね。だから無理を言って食事だけ。手枷は外せないから、私が食べさせるわよ?」
三日ぶりに出されたのは、ほとんど水みたいに薄いパン粥と、申し訳程度に甘さのついた蜂蜜を溶いた水。
香りらしい香りもない。けれど今まで水しか飲ませてもらえなかった空っぽの胃には、それだけでひどく魅力的に見えた。
「少しずつ食べなさい」
そう言って口元に運ばれるスプーン。
少しずつも何も、口を開くことさえ一苦労な私は食べるというよりすするようにパン粥を胃へと流し込む。
……不味い。
生まれてから今まで、こんな不味いパン粥は食べたことがない。
けれど、自然と涙があふれる。
あぁ、ちゃんと私はまだ生きてる。
そう、体が実感している。
――食事が終わると食器が片付けられ、代わりに紙とペンが用意された。
「ほら、もう書いちゃいなさい。体がどれだけ悲鳴を上げてるか分かったでしょう? あなたの命と引き換えにあの土地を守りたい。そんなことを言う仲間はいないでしょ?」
当たり前だ。
あそこのみんなは小さい頃からの家族みたいな人ばかり。
「私だって、これ以上あなたを苦しめて、万が一殺してしまったら……そう思うと、とても苦しいの」
その言葉が嘘ではないように、女性は顔を背けて苦しそうな表情を浮かべる。
あぁ、この人も悪い人じゃないのかな?
ご飯くれたし。
みんなのためにも、書いてしまおうかな。
私の手がペンに触れたその時、
「このベーネ工房の従業員二十六名の生活を、お前の開発した魔導具でまた五年繋ぐことができた。この二十六名が年間に作り出す魔導具の数を考えてごらん。ゆうに三千個を超える。それだけの国民の生活の助けになってるんだよ。アンタのしたことの影響の大きさを、あらためてその足りない頭によく刻んでおきなっ!」
師匠から言われたあの言葉が蘇る。
(セレナっ、そうだよ、思い出して。あなたはこんなところで負けるような……)
澪の声が一瞬聞こえたが、すぐに途切れてしまう。
けれど、師匠の言葉と澪の声がなんとか私を引き戻してくれた。
私は、震える手をなんとかペンから引きはがした。
「あー、もういいわ。脅しもなだめすかしも効かない。あんた、生まれつきの強情っぱりね、きっと。これ、本当に好きじゃないからやりたくなかったんだけどさ」
しばらくすると、女性はとうとう痺れを切らしたようにそう言い放つ。
私を見る目に、憐みのようなものを感じる。
「ゴメンね、同じ女として同情するけど……書かないあなたが悪いんだからね」
朦朧とした頭の中でもそれが何を指すのか、なんとなく分かってしまった。
背筋が伸びそうな緊張を覚えたけど、もはやそんな反応すらできない。
「入りなさい」
その一言で戦士の片方が入ってくる。
扉を開けたまま、その先ではもう一人の戦士がこちらを面白そうに眺めていた。
入ってきた戦士は、顔に下卑た笑みを浮かべ、舌なめずりをする。
その姿は、ほんの少し先の私の未来を今まで以上に黒く染め上げた。
「やめてっ! そんなのヤダっ!!」
「……いいわよ? 書いてくれるならここで止めてあげる。言ったでしょ?私、あなたみたいな子に本当ならひどいことしたくないのよ」
「あ、あ……」
「あらあら、返事も出来なくなっちゃったかしら。いいわ、そのうち声も出るようになるでしょう」
「俺がしっかり声の出し方を思い出させてやるさ」
「馬鹿言ってないでさっさと進めて。いい加減吐かせないと先方も痺れを切らすわよ?」
戦士が一歩踏み出す。
私の心に静かにヒビが入る。
ごめん、みんな……。
もう、無理。
その時、遠くで何か物音が聞こえたような気がする。
いや、きっとまた私を壊す何かだ。
もう、救いなんてないんだから……。
⋆⋅⋅⋅⊱❀∘──────∘❀⊰⋅⋅⋅⋆
セレナが戻ってこない。
そう気づいて工房を飛び出した俺が中通りを走っていると、前方から白い影が猛スピードでこちらへ向かってきた。
一瞬身構えたが、すぐに分かる。
「リオっ!」
「ワンッ! ワンワンッ!」
俺の前まで来たリオは、激しく吠えるとすぐに反転した。
背筋が冷たくなる。
セレナに何かあった。
「案内しろ!」
身体強化をかけ、風をまとって走り出したリオを追う。
表通りへ出る直前。
道端に人影が見えた。
「キアネアっ!」
キアネアが地面に座り込み、血に染まった脚に自分で包帯を巻いていた。
「レオン様……ごめんなさい。セレナが、私のせいで……」
「何があった」
「私を人質にされて……セレナが、自分から馬車に……」
それだけで分かった。
あのバカ。
自分が捕まればキアネアを助けられると思ったんだ。
「馬車は?」
「向こう。でも、もう……」
「リオ!」
「ワンッ!」
リオが再び走り出す。
キアネアをこのまま置いていくわけにはいかない。
俺はキアネアを抱き上げ、その後を追った。
「レオン様、私よりセレナを……」
「分かってる。けど、お前をここに置いてったらセレナに殺される」
「……」
「アイツが助けたお前を、俺が見捨てられるわけねぇだろ」
リオを追って走り続ける。
だが、辿り着いたのはセレナのいる場所ではなかった。
表通りから少し外れた、小さな荷馬車置き場。
リオが何度も地面の匂いを嗅ぎ、その場をぐるぐると回っている。
「……ここで途切れてんのか?」
「クゥン……」
周囲には何台もの馬車の轍。
馬の匂いも、人の匂いも入り混じっている。
おそらくここで馬車を替えた。
最初から、追われることまで考えてやがったんだ。
「くそっ!」
拳を壁へ叩きつける。
すぐそこまで追いついていたはずなのに。
どこへ連れていかれたのか、分からなくなった。
その夜から、王都中をひっくり返すような捜索が始まった。
兄上、グレッダさん、オーギュスト様、冒険者ギルド、ベーネ工房。
使える伝手は全部使った。
馬車、御者、空き屋敷、貸倉庫、貴族が名義を隠して所有している建物。
調べられるものは片っ端から調べた。
それでも、一日、二日と無為な時間が過ぎてゆく。
その間、何度も頭に浮かんだ。
セレナは今、何をされているのか。
考えるたび、今すぐ手当たり次第に屋敷へ乗り込みたくなる。
けど、それをやれば警戒されてセレナを別の場所へ移されるかもしれない。
自分で自分を押さえつけるしかなかった。
あいつのためにも……。
「私も行く」
捜索を始めた夜、マリーナはそう言った。
「どこにいるかも分からないのに、どうやって行くんだよ」
「探すのよ! セレナが今、一人で……!」
「俺だって行きてぇさ!」
思わず声を荒げた。
マリーナの肩が跳ねる。
「今すぐ王都中を走り回って、手当たり次第に探してぇよ。けど、それでアイツが助かる保証がどこにある」
「……」
「俺が探して絶対に連れ帰る。お前は、セレナが帰ってきた後、やさしく受け止めてやってくれ」
唇を噛みしめたマリーナの目から、涙が落ちた。
「……お願い。絶対、連れて帰ってきて」
「約束する」
そして三日目。
ようやく線が繋がった。
誘拐に使われた馬車の一台。
偽名で借りられていたそれを辿ると、その先にレギメン侯爵が別名義で所有している小さな屋敷が浮かび上がった。
念のためリオと二人で探りに行く。
門の前に立った瞬間、リオが低く唸った。
間違いない、ここだ。
そこからは早かった。
屋敷の周囲は冒険者ギルドの連中が押さえる。
侯爵本人については父上とオーギュスト様が動く。
俺とグレッダさんはセレナの救出。
三日。
ここまで来るのに三日もかかった。
もしアイツに何かあったら。
考えるだけで、全身の血が煮え立つ。
「レオン」
隣に立つグレッダさんが低い声で言った。
「怒るなとは言わん。だが怒りに任せて目を曇らすな。俺たちがここへ来た目的は一つだ」
「……セレナを連れて帰る」
「そうだ」
屋敷の外にいた連中はすでにギルドの人間が押さえていた。
俺とリオは正面から中へ入った。
妙に静かだった。
人の気配が少ない。
一階を見回したグレッダさんが、廊下の奥へ目を向ける。
「レオン、地下を探すぞ」
「地下?」
「人を隠すなら上より下だ。捕らえた者の逃げ道も潰しやすい」
その直後だった。
かすかに。
本当にかすかに、声が聞こえた。
「やめてっ! そんなのヤダっ!!」
頭の中が真っ白になった。
聞き間違えるわけがない。
「セレナっ!」
身体強化を全開にして階段へ飛び込む。
「レオン、待てっ!」
「待てるかっ!」
階段をほとんど飛び降りるように下り、角を曲がる。
開いた鉄扉。
その手前に一人。
中に一人。
二人の男がこちらへ振り向いた。
「誰だ、てめ……」
最後まで言わせなかった。
手前の男の肩へ剣を叩き込み、そのまま体当たりするように部屋へ押し込む。
奥の男が武器へ手を伸ばした。
「リオ!」
「ガウッ!」
リオが飛びかかり、男の腕へ噛みつく。
その向こう。
天井から伸びた鎖。
そこに。
「……セレナ」
腕を吊られ、力なくうなだれているセレナがいた。
一瞬、息が止まった。
髪は乱れ、唇は乾ききっている。
露出した肌には、いくつもの赤黒い痕。
いつも俺を見るとすぐに表情を変えるはずの目に、何の光もない。
「セレナっ!」
鎖を剣で断ち切る。
崩れ落ちる体を抱きとめた。
軽い。
こんなに軽かったか?
「セレナ、俺だ。分かるか?」
「……」
「セレナ!」
セレナの肩がわずかに震えた。
俺から逃げようとしたのか、それともただ驚いただけなのかすら分からない。
胸が締めつけられる。
「もう大丈夫だ。迎えに来た。遅くなって……本当に、悪かった」
それでも返事はなかった。
「な、何よアンタ……いきなり入ってきて」
声のした方を見る。
女が一人。
手には乗馬鞭。
その鞭と、セレナの体に残された痕。
頭の中で何かが切れた。
「……お前か」
「ちょっと待って。あたし達は依頼された仕事をしただけよ。金で頼まれて……」
「そうか」
セレナを床へそっと座らせる。
剣を握り直した。
「なら、依頼人のところへ行く前に、お前から片付ける」
「ひっ……!」
女が腰のあたりへ手を伸ばした。
しかし何かをする前にその腕を剣で斬りつける。
「きゃあっ!」
女が床へ倒れ込んだ。
俺はその前へ立ち、剣を振り上げた。
「じゃあな」
キィンッ!
剣が止まる。
横から伸びてきた刃が、俺の剣を受け止めていた。
グレッダさんだった。
「レオン。そこまでだ」
「こいつがセレナを……!」
「分かっている」
今まで見たことがないほど冷たい目で、グレッダさんも女を睨んでいた。
「だからこそ殺すな。そいつには全部吐かせる。もう二度とセレナちゃんに危害が及ばぬようにな」
「……」
「それに」
グレッダさんがセレナへ目を向ける。
「この子の前でそう怖い顔を見せるな。支えるやつがそんな顔じゃ安らげんぞ」
剣を握る手に力が入る。
殺してやりたい。
今でもそう思う。
けど、こいつを殺したってセレナが喜ぶわけじゃねぇ。
「……分かりました」
剣を鞘へ戻す。
すぐにセレナのところへ戻った。
「セレナ」
ゆっくり抱き起こす。
「終わったぞ。もう帰れる」
しばらく何の反応もなかった。
けれど、その唇がほんの少し動いた。
「……キア、ネアは……」
胸の奥が痛くなる。
三日間こんな場所で苦しめられて、最初に聞くのがそれか。
こいつの深い優しさに胸が締め付けられた。
「あぁ」
出来るだけ優しく答える。
「大丈夫だ。神殿にいる。命に別状はない。お前が守ってくれたんだろ?」
セレナの目が、ほんの少しだけ揺れた。
「……よかった」
安心したように息を吐くと、セレナはそのまま意識を失った。
「セレナ?」
弱いけど、呼吸はしている。
なんとか間に合った。
あとは家に帰って、腹いっぱい食わせてやろう。
ゆっくり眠れば、またいつものようにくだらないことで笑うセレナに戻る。
この時の俺は、本気でそう思っていた。
その考えがどれだけ甘かったのか。
俺が知ることになるのは、もう少し後のことだった。




