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豪華絢爛御前試合  作者: カニマル
葉院編
7/9

葉院編 参

数日後 ――御前試合予選・第一日目 会場控え処


ざわめく人波と、鎧の擦れる金属音、踏みしめる草の軋み。

御前試合予選の会場には、早朝から選手や見物人、幕府役人らがひしめき合っていた。


白砂を敷いた土俵のまわりには、質素だが整った木造の観覧席。

その一画には、数人の男たちが集い、茶をすすりながら言葉を交わしていた。


その輪の中に、得玲久斗もいる。

白と薄墨の縞がさりげなく施された羽織姿は、華美ではないが品があり、杯を取る手つきも控えめながら無駄がない。


「いやしかし、何人が誘っても首を縦に振らなかった椎殿を参戦させるとは…得玲久斗殿の大手柄ですなぁ…」


「どのような戦いになるのか、昨日から拙者楽しみで楽しみで!」


「ええ、私も楽しみにしております。どのような剣で己を証すのか……」


その言葉の終わり際、得玲の背に影が差した。


振り返ると、そこに立っていたのは、丸々と太った男。


顔は油でてかり、豪奢な裃が身体にややきつそうに収まっている。

男はにちゃりと笑いながら、濁った声で言った。


「やぁやぁ、得玲殿。今回は我が方の者と、そちらの推薦された方が、ぶつかりますな?」


「……ええ、そうなるようですね」


得玲はわずかに微笑んで応じた。


「ふふふ、私情なく、公正に――楽しく拝見しましょうぞ」

その口元は笑っていたが、目だけは爛々と笑っていなかった。


得玲は穏やかなまま、杯を卓へ戻しながら静かに返す。


「ええ、ええ。楽しく、拝見させていただきましょう」


部鮫――そう呼ばれるその男は、にたりと笑みを深め、どこかへ歩み去っていった。


しばらくして、別の役人が声を低くし、話かける。


「得玲殿……大丈夫ですか? 部鮫殿は、中々に評判が悪い。今回も、何らかの謀を企んでいるやも……」


それを聞いた得玲は、しばし空を見上げるように目を細め、そして微笑んだ。


「……私は、ただ“己の目”と“人の器”を信じるだけです」


風が吹き抜ける控え処。空に浮かぶ淡い雲が、静かに流れていった。



会場に静寂が満ちる。

観衆が息を呑む中、審判が中央へと進み出た。白装束に紋付をまとい、手に持った檜扇を高らかに掲げる。


「只今より――絢爛御前試合、予選を開始いたす!」


高らかに響く声が、空気を震わせた。

ざわ……と、観客席が一斉にざわめき立つ。


「右方、椎流護法術師範――椎殿!」


「左方、我流、太郎丸――!」


響く名乗りの声に続いて、右手の待機所より椎が姿を現す。


浅葱の道着に身を包み、帯には木地の小太刀を差している。


その歩みは静かで揺るがず、まるで朝露を踏むように慎ましい。だが、眼差しはひたすら真っ直ぐだった。


観覧席の一角、関係者席に座る葉院は、じっとその姿を見つめていた。


片肘を膝に乗せ、手に持った団扇で顔を仰ぎながら、どこか複雑な色を浮かべている。


「……嬢ちゃん、どうか無事でな……」


そして――左方。

地響きにも似た足音と共に、まるで壁が歩いてくるかのような巨体が現れる。


「うお……でけぇ……」


観客からざわめきと驚嘆の声があがる。


太郎丸――その巨躯は椎の倍にも届きそうな勢いで、肩に担ぐのは常人の身の丈に迫る大太刀一本。


そして、運命の一戦が――まさに、静かに始まろうとしていた。


二人が定位置についた瞬間、空気が締め付けられるように張り詰めた。


椎は構えず、ただ静かに呼吸を整えていた。


太郎丸は、すでに気合十分と言わんばかりに大太刀の柄に手をかけている。その腕周りには岩のような筋が浮かび、道着越しにもただならぬ怪力が見て取れた。


(一撃でも直撃すれば、どうなるか。……受けただけで立っていられなくなるかも知れない)


椎はわずかに目を細めた。

勝って得られる名声も、富も不要。

ただ、ここに立つと決めた以上、逃げるつもりもなかった。


(血は、極力……流させない)


その想いが、燃え上がりそうな胸の奥を静かに押し沈めていく。


自分の剣は何のための剣か、今一度己に問う。

命を奪うのではない。傷つけるためでもない。

勝負に勝つためでも、無様に負けるためもない。

ただ“争いを止める”ため――


(まずは初動を見切る、そうすれば必ず、止められる)


不意に、前に立つ太郎丸が言葉を漏らす。


「おんながあいてでも、おで、ほんきでやるからなぁ」


笑っている。屈託なく、童のように。


椎は、答えなかった。

けれどその構えなき佇まいは、張りつめた弓の弦の如く鋭く張りつめていた。





「始めい!!」


試合開始の合図とともに、太郎丸が大地を鳴らして突進する。

巨体とは思えぬ勢いと速さ、それが今、椎を押し潰さんと迫る。


椎は受けない。避ける。

流れるように右へ滑り込み、太郎丸の死角へと身を移す。


「――せいっ!」


脛の急所へ一撃。


所謂、弁慶の泣き所とも言われる箇所。

大の大人とて、強かに打たれれば蹲ることは必定。


だが――手応えが、ない。


太郎丸の顔は変わらない。

呻きも、たじろぎも、ない。


「っ……!」


椎は眉をわずかにひそめた。

続けて肘の関節、肩、胸元への鋭い打ち込み。


すべて間合いを見極めた無力化の手筋。だが、どれも太郎丸を怯ませない。


「おぉ!いたくねぇ!いたくねぇぞぉ!!」


楽しそうに笑う声が、逆に冷や汗を誘う。


観覧席の葉院も、団扇を下ろしてわずかに息を詰めていた。


「……嬢ちゃんの打ちどころは間違いなく急所を突いてる。けど、効いてない……?」


関係者席では、得玲久斗が目を細める。

その瞳には、役人としてではなく、武士の直感が宿っていた。


(身体の動きが鈍くならない……脛を叩かれても迷いなく踏み込んでくる……身体の痛覚に鈍麻――薬か?)


椎は浅いながらも呼吸を整える。


倒れない相手。攻撃を当てた際の感触。

圧倒的な違和感が椎を襲う。


膝、肘、股座、脛――椎流護法術が持つ非殺の要。

いずれも的確に捉えているはずなのに、太郎丸は怯まない。


(訓練による賜物? それとも、生来の才?……いや、これは――)


試合場を囲む砂が跳ねた。太郎丸が叫びながら踏み込む。


「うおォォォおおおッ!」


重い。踏み込みのたび、試合場の土が散る。

椎は後退しながら、僅かに眉を寄せた。


(当ててもまるで効いてない。まるで、“守られてる”みたいな……)


一方――観覧席、部鮫はにちゃりと口元を歪めていた。

目の前の椎の剣さばきは見事。だが、効かない。

そう、“効かないようにしてある”。


(椎流護法術。知っているぞ。殺さず、急所を攻撃し無力化させて相手を封じる非殺の剣)


(だが、それも“効き所”に打ち込めば、という前提があってこそ……)


太郎丸の道着の下。肘、脛、膝、胸元、股座――重要な部位の下には、獣の皮と板で作られた護板が密かに仕込まれていた。


(痛みは動きを鈍らせる 。本来であれば太郎丸との相性は最悪であったが…)


「ほれ、どうしたどうしたぁ……守るだけかい、師範殿……」


部鮫の口角がまたあがる。





――試合場


椎は再び背を低く沈め、太郎丸の突進を避ける。

だが、直後の反撃は今一つ。

太郎丸の膝に当てたが、またも跳ね返される。


(これ以上長引けば、分が悪くなるのはこちら側……)


椎は冷静さを保つよう努めながらも、自身の術が通用しない現実に、自覚なき焦りを滲ませる。


(打ち込みは正確――なのに、効かない)


それでも椎は受けない。避ける。流す。

その間にも、太郎丸の勢いは衰えず、鉄塊のような大太刀が無造作に振るわれる。


そのときだった。


太郎丸が踏み込む勢いそのままに、上段からの袈裟斬りに似た軌道で、鋭く大太刀を振り下ろした。

普段ならば判断に困らない回避。受けの選択を、椎は一瞬、迷った。

椎は身体を捻らせて回避する。刃の正面は避けたものの、咄嗟に判断した受けの思考を捨てきれず、刀と刀が交錯する――


ガァァンッ!


跳ねた。

椎の刀が大太刀の勢いに押し負け、鹿脅しのように宙へと弾かれる。


(っ……!)


刀は回転しながら飛び、土俵の外へ落ちた。


観客席がどよめく。

太郎丸は満足げに鼻を鳴らした。


「はっは、おでの力、すげぇだろぉ!」


太郎丸の声とともに、肩の上で構えられた大太刀が大きく振りかぶられる。


「おわりだあァッ!!」


剛腕に任せた一撃。轟音とともに椎めがけて振り下ろされる。


椎はその場から逃れなかった。

手が、足が、動かなかった。


(……ああ、ここまで……か)


視界が白く染まる。


――物心ついた日。木漏れ日の中、父の手が頭を撫でてくれた。大きくて、温かい手だった。


――道場で笑い、怒り、泣いたあの日々。試合で勝ったときの、父が見せた笑顔。


――葉院との、くだらない、大切な日々。


ひとつ、またひとつ、記憶がほどけていくように浮かび上がる。


(……あの人と出会えて、よかったな)


椎は、そっと瞼を閉じた。


なにか重たい物が、叩きつけられる。

そんな音を聞いた。
























「……」







「……」





「……?」




死んで、いない?



ゆっくりと目を開ける。



そこにいたのは――葉院だった。


太郎丸が振るった大太刀の一撃を、己の足裏で踏みつけている。

肩には薄く擦過傷。片足は袴の裾ごと裂かれ、腿から肌が露出ている。だが、その顔には確かな余裕があった。


「危なかったなぁ、お嬢?」


掛けられた声はいつも通り。軽くて、飄々として――だけど、どこか安心できる声だった。


「……代わるぜ」


椎は思わず叫んだ。


「でも、貴女はっ……!」


葉院はちらりと横目で彼女を見て、そして――笑った。


今まで共に過ごしてきて、数えるほどしか見たことのない――本気の顔。


「大丈夫だ、お嬢。……信じてくれ」


その声には、確かに優しさがあった。

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