葉院編 壱
守りたくなったんだ。あの娘の、全てを。
夕暮れの山道――人の通いもまばらな小道に、ひとつの影が倒れていた。
衣は泥に汚れ、袖は裂け、かすかに漏れる吐息と共に血の匂いが漂う。
辛うじて付いている服の飾りには、家紋が付いている。かつて都でも指折りの名家のものだ。
だが今、そんな物には何の意味もなく、女は地に横たわるのみだった。
腹に酒を入れていたのが不幸中の幸いか、傷の痛みも、夜の冷たさも朧だった。
意識の端で、足音に気づく。
重くない。
むしろ柔らかく、地を撫でるような軽さ――草履の音。
視界の端に、着物の裾と、手に持たれた杖が映る。
「……これは、これは……」
静かな、しかし芯のある男の声が落ちた。
倒れた葉院の頬に、手が触れる。
その感触に、葉院はうっすらと目を開いた。
見上げた先にいたのは、凛とした表情の中年の男性であった。
「君、大丈夫かい?…生きているね?」
「……あぁ……生きてる………らしい、ね……」
女はそう呟いて、そこで意識を手放した。
その夜。椎家の道場は灯りに包まれていた。
畳に寝かされた女の体を、少女がそっと拭っている。男の一人娘であり、まだ十三歳の少女。
真面目で几帳面な彼女は、父の命を受け、無言で丁寧に手当てを続けていた。
女の髪に櫛を差し入れ、絡んだ泥をぬぐう。
細く整った眉のあたりに、かすかな傷――まだ若いのに、随分と剣の痕が多い女だった。
「……父上、変な人を拾ってきたね」
少女は布をすすぎながら、ぽつりと呟いた。
父と呼ばれた男はそれを聞いて、穏やかに笑う。
「でも、その“変”がこの家にはちょうどいいのさ。きっと、椎にもね」
男は椎と呼んだ少女の頭を撫で、しばらく無言で女の顔を見つめた。
その汚れた顔の奥に、何か激しい焔のようなものが潜んでいるように感じた。
「この人、刀を……使うのかな」
「……多分ね。でもこの娘の剣は、きっと恐ろしいものだ」
「なんでわかるの?」
「なんでもさ。椎も鍛錬をすればわかるようになる」
父のその言葉が、椎の心に深く刻まれることになるとは――
このとき、まだ誰も知らなかった。