義虎編 弐
竹林を切り開いた試合場は、朝霧が残る早朝の空気に澄んでいた。
冷たい湿り気が身体に纏わりつく中、 義虎は静かに試合場に足を踏み入れた。
砂を踏む音が一つひとつ、地に沁みる。
周囲に控える観覧席には、すでに尾津府幕府の役人たちが姿を見せている。
だが、彼の目に映るのは唯一人。
対面に立つ、大柄の男。顔の彫りが深く、肌が浅黒い。
腰に佩いた太刀の直ぐ側に手を置き、いつでも斬撃に転じられる構えだ。
男がニヤリと笑う。
「貴様が義虎か。なるほど、並の腕ではなさそうだな」
「だが、所詮それだけだ。我が力には及ぶまいよ」
声に嘲りはない。代わりに滲むのは、己への圧倒的な自信。
「我が名は日吉南。流派は示現。初撃で全て蹴りがつく。 一撃必殺の太刀よ」
「……」
「俺が刀を振るい、受けた瞬間、お主は死ぬ。 弐ノ太刀はない。 それが俺の戦いだ」
男は一歩踏み出し、呟くように低く言った。
「この予選に出るために、俺は七人を斬って捨てた。どいつもこいつも、口だけの阿呆であったわ」
「…それを、誇るか」
「あぁ、誇る。斬り捨てた者の数こそ強さの証。 貴様も、相応の覚悟を持ってここに立っているだろう?」
視線が交錯する。 義虎がでぃの眼差しの奥に見えるのは一一ある種の実直さであった。
「弐ノ太刀はない。そう言ったな?」
「なんだ?企み事か?悪いがその手には―」
「受けよう」
「…なんだと?」
でぃは訝しみ、義虎の顔を眺める。
「一太刀、受けてみせよう」
それだけを告げ、 義虎は剣に手をかけた。
試合場の外、観覧席では役人たちが緊張した面持ちで佇んでいた。 そばに座る役人の一人が低く呟く。
「日吉南.....あの男、 立ち合いで“止め” を入れる様子すらなかったとか」
「噂以上に容赦がない。 あの眼、 まるで研ぎ澄まされた抜き身の刃だ」
別の男が身を乗り出した。
「それにしても相手が義虎殿とはな。 照田殿、どういった意図でお呼びに?」
「 彼はとても腕が立つ。構える様は美くしく、それでいて未だ成長の途上。しかし、致命的に足りていないものがある」
「それは?」
「実践」
比句戸は頷きながら、闘技場を見つめた。
「どれほど美しい名刀も、斬れねば鈍ら。 私はあれが、成る所をみたいのだ」
風が吹き抜ける。 竹林がざわめき、白い吐息が空へと昇っていく。
「...... この戦い、長引く事はあるまい」
そのつぶやきは、 蒼穹へと消えていった。