第二章 134:4pm② 「夏本彩」
※挿絵はAIによるものです
「これ何? なんで道路に線路があるの?」
「江ノ電だよ! 一部路面電車になってるんだ!」
「江ノ電ってあのカワイイ電車でしょ? あー、ここでお別れかぁ」
線路は左へ分岐、逸れていく。
続いて小動交差点の信号機の下に青い景色が見え始めた。
左折すると
「うわっ! 海だーっ!」
無邪気な歓声が背中越しに聞こえる。
「あれ? ここって有名なところ?」
道路左の踏切。平日だと言うのに人が多い。
「聖地巡りってヤツ? アニメとかマンガなんかでよく出てくる場所だよ」
「あーそっかー。なんか見覚えあるなって思ったら」
「降りて見ていく?」
「ううん、海行こ、海!」
「了解!」
134号線から右折、駐車場へ到着。
「お疲れさま」
「うわー、ついたー! すごーい。海の匂いだー!」
タミコはヘルメットのバイザーを上げ、潮風を堪能する。
「あ、ごめん、メット外そっか」
「そっか。お願い」
タミコがアゴを突き出すとタケシがヘルメットのストラップを解いてやる。
「オッケー」
「よいしょ」
ファサァ…
艶やかな黒髪がヘルメットから流れ、潮風に舞う。
「ふわー! きもちいー!」
「海岸、出てみようか」
ヘルメットを受け取ったタケシが促す。
「うん!」
タミコは即答だ。階段を下り、湘南海岸独特の灰色の砂浜へ降り立つ。平日とはいえ今は夏。間も無く夕刻を迎える時間帯だが砂浜にはまだ水着姿の若者がチラホラと見える。
「あれって…あの島って、江ノ島?」
「そうだよ」
「♪【歌詞につき自主規制「勝手にシンドバッド」の歌詞が入ります】♪ってやつね」
(へぇ…)
潮風に流されがちな条件なのに、その歌声はきっちり耳に届く。
「歌、上手いね」
お世辞も何もなく、素直に感想が出た。
「そぉお? ふふっ。嬉しいな。ありがとう」
いたずらっぽくタミコは笑った。
「烏帽子岩ってどこ?」
「それはここからじゃ無理だな。こっからだと江ノ島の向こう側で、もっと遠くだから」
「そっか。残念。♪【歌詞につき自主規制「チャコの海岸物語」の歌詞が入ります】♪ 見て見たかったなぁ」
また歌い出した。その心地良い歌声をもっと聞いていたかったりもするが、サワリだけで終わってしまうのがもどかしい。
「見に行ってみる?」
「ううん。ありがとう。今日はここまで連れてきてもらっただけで満足だから」
遠慮しているのかとも思ったが、満面の笑みに嘘はないのだろう。だからタケシも
「そっか」
と微笑み、簡単な返事を返した。
「そうだ! なんか飲み物買ってくるね! 乗せてきてもらったお礼!」
「そう? じゃ、コーラ、頼もうかな」
「オッケー。コーラね。ちょっと待ってて!」
そう言って、自販機向かって駆けて行った…が、すぐにトボトボと手ぶらで戻って来た。
「私…ダメだなぁ…一人じゃ何にもできない…」
「どうしたの?」
「サイフ忘れてきちゃった…」
先ほど掛け直した大ぶりのメガネの向こうに落胆の瞳があった。
「あはは。いいよ、オレが買ってくる」
「ごめんね…」
「いいよ、そのくらい。忘れ物なんか誰だってあるし。何がいい? っていうか、一緒に行こうか?」
「…うん…ありがとう」
ガラガラ ゴトン
コーラとミルクティーのペットボトルを取り出し、海岸へ向かった。どちらのボトルもよく冷えていて、結露した水滴でびしょびしょだった。もっともこの暑さで汗だくなのでそんなことは気にはならなかったのだが。
海岸へ着くとどちらからともなく座った。プシュっとコーラのキャップが開く音に続いて、タミコのしょんぼりした声が聞こえた。
「ごめんね…私…なんにもできなくて…」
「え?」
「自分から言い出したことなのに…」
それはてっきり飲み物の話をしているものだとタケシは思った。
「え? そんな…こんなことでそんなに落ち込まなくても」
「…私、変でしょ?」
「…変…って?」
「いきなり初対面なのにバイク乗せて、とか」
「まぁ…そうかも、だけど…」
タミコは海を見ている。だから、タケシも海を見た。
「私ね…今日、逃げて来ちゃったの。ちょっとね。仕事が嫌で」
タミコは話し始めた。まるで海に話しかけるように。
「どんな仕事…とか、聞くのは野暮なのかな?」
「うーん…人相手、ってことで」
「接客業ってとこ?」
「まぁそんな感じ。自分からやりたくて飛び込んだ世界なのに…いろんなことがあり過ぎて…」
「そう…なんだ。疲れてるだけ、なんじゃないかな?」
「そう、かもね」
「休みは取れないの?」
「思った通りには、なかなか…」
「そうなんだ…」
「でもね」
タミコはタケシに向き直った。
「今日はすっごい楽しくて。こんなスッキリした気分になるのって久しぶりなの。それなのに…サイフも持たないで出て来てるの忘れてるなんて…ホント私…」
「ダメだよ」
キツいような優しいような、そんな口調でタケシがタミコの言葉を遮る。
「え?」
「そっから先は、言っちゃダメ」
「え? え?」
「オレは…タミちゃんと知り合って何時間も経ってないような知り合いド新人だけど、それでも…うーん、よく分かんないけど、普段がんばってるのに、そんな自分を否定するようなこと、言っちゃダメだよ。自分がかわいそうじゃん」
「…タケシ…くん…?」
ビックリ眼をパチパチさせて、タミコはタケシを見つめる。
「まぁ…普段ゆるゆるな生活送ってるオレが言うのもなんだけど、多分タミちゃんは疲れてるだけだから。ミスとかそんなの、誰だってあるし。もちろんオレだってあるし。でもそれでも誰かを責めたりしないのはタミちゃんの優しさなんだよ。だから自分にも優しくしてあげて」
「そう…優しさ…自分に優しく、か」
タミコは少し考えるように俯いた。
「もちろん、甘やかすとは別な意味で、ね」
「ふふっ。そうね…うーん!」
タミコは両腕を空へ上げ、大きく伸びをした。
「っぱぁ! うーん、スッキリした! ありがとう、タケシくん」
「お礼言われるようなことはしてないけど、まぁどういたしまして、ってとこかな」
「うわー…」
急にタミコが驚きの声を上げる。
「夕陽…すごい…」
江ノ島の向こう側に、真っ赤な夕陽が沈んでいくのが見える。
「そっか…太陽が沈んで行くのを見るなんてすっごい久しぶりなんだな…」
タミコは思い出したようにつぶやく。
「年齢とともになんかそういうのと無関係な生活するようになっちゃうもんね」
「そうね…いつまでも子供のままじゃいられないってことなのかな…」
「そうなんだけど、そうであって欲しくないけど、そうでなきゃいけない、みたいな」
「あはは。何言ってんだか分かんない! …でも…そういうことなんだね。難しいね」
「うん…」
「さて、と」
パンパンっとほっぺたを叩き、タミコはすっくと立ち上がる。
「私、もう帰らなきゃ」
「そう? 送って行くよ。乗せたとこまででいいのかな?」
「ううん。この近くの駅まででいいよ…って、ああああああああああ! もう! サイフ持ってないんだって、さっき言ったばっかじゃん…ふふ…ふふふ…あはははははははは」
「どうしたの?」
「ダメ。タケシくん! ごめん約束守れない! そこから先、言わないと気が済まない! 私ってバカね! バカよ、バカ! あははははははははは」
腹を抱え、呼吸もままならぬ程に笑うタミコ。ヒーヒー言いつつ笑い涙を拭く。
「ひぃぃー、ひぃぃー…あースッキリした! 言ったソバから忘れてるって、ねぇ? これはないわぁ!」
タケシの肩をパンパン叩く。その、心の底から楽しそうに笑う姿を見て、タケシも釣られ、微笑む。そして、安心した。
「まぁ私がバカなのは仕方ないとして…どうしよっかな…」
急に真顔に戻って考え始めた。
「ああ、じゃぁこれ使ってよ」
タケシはゴソゴソとサイフを出すと、中からSuicaを取り出し、手渡した。
「え、でも…」
「オレは普段からバイクで移動だから、これ、使わないんだよね。バイトの交通費ってことで最初に貰ったんだけど全然使わなくって。五千円だか入ってたはずだから電車賃にはなると思うよ」
「そう…」
遠慮がちに俯いていたタミコだが、タケシに向き直ると
「ありがとう」
と、明るく微笑んだ。
◆
片瀬江ノ島駅までバイクで送り届ける。ヘルメットを手渡したタミコ。
「私…楽しかった。今日。とても…あの…」
言いながら涙ぐむ。
「忘れない。今日のこと。キミのことも。タケシくんっ!」
「うん。オレも。タミちゃんも、がんばって」
「ありがとう。それじゃ、行くね…バイバイ!」
そう言って手を振ると、タミコは駅の改札へ消えて行った。もう、後ろを振り向かずに。
「さて。オレも帰りますか! 今…6時か…せっかくここまで来たんだし、遠回りして帰ろう!」
◆
それから2カ月後、編集部。
「ああああああ…俺のアヤちゃんがぁ…」
「いやいや、そもそもお前のじゃないだろ」
ゴシップのすっぱ抜きで有名な週刊誌を見ながら渡辺が嘆き、佐藤副編が突っ込むといういつもの編集部の風景ではあるのだが。
「いやぁ、でもがっかりだよね、これ。ウチでも総力特集とか組んじゃってたからさあ」
小林が会話に参加したところでタケシ登場。
「おはようございます! あれ? 渡辺さん、どうしたんすか?」
「よっ、おはよう。これ。見てみ」
秋山から手渡された週刊誌には、こうあった。
【人気絶頂アイドルが入信? 夏本彩がカルト教団シューニャデーヴァの広告塔に】
見出しに続いて女の子の顔が大アップ。
「…これ…この子って…」
エンディング『白いフォトグラフ85』
https://x.com/HanashioKikei/status/2022230149857698285?s=20
なぜ?なに?ギャノン!
Q37 夏本彩について
A37
本名:夏本彩子
前年4月28日シングル「白いフォトグラフ c/w Empty Heaven」でデビューした今どき珍しいピンのアイドル。
デビュー曲「白いフォトグラフ」の成績は、序盤は苦しかったもののB面の「Empty Heaven」が静かに人気を呼び、チャート20位以内にとどまっていた期間が長かったためその名が目に触れる機会が多くなったことからじわじわと人気が高まっていった。
身長:168
B:87
W:57
H:83
好きな食べ物:おやき(特に野沢菜チーズ)
嫌いな食べ物:辛いもの全般
Q38 あのとき彩はそこで何をしていたの?
A38
夏本彩は6月下旬から始まった全国ツアーの真っ最中。その合間を縫ってセカンドアルバムのレコーディング期間中でもあり、さらにそのスケジュールの合間で写真集の撮影をしようということで妙瑛出版を訪れていたところでした。企画はかなり強行軍で、コンサートが終わったその足で羽田へ行きハワイで撮影、夜にはホノルルから羽田へ戻ってくる、というスケジュールを伝えられました。前日のコンサートの疲れも残っているところへそれを聞いて彼女は閉口、気晴らしに飲み物を買いに行こうと会議室を出て、しかし妙瑛出版ビル内の自販機には気に入ったものがなく外の自販機を見に出たところ、駐輪場に少々変わった形のバイクが停まっているのが目に入り、ぼーっと眺めているところをタケシに後ろから声を掛けられた、そんな状況です。




