第二章 134:4pm① 「タミコ」
時はエンプティヘブンでバタつき始める少し前の7月上旬。
入稿を終えたタケシが外へ出ると、彼のバイクをしげしげと見る者がいた。その後ろ姿、見覚えがあったものだからつい気軽に声を掛けたのだが
「ルミ…サン…? 何やってんですか?」
「ひャッ⁈」
突然背後から声を掛けられて驚いたのか、ビクッとなったその者は、肩を竦めつつゆっくり振り返る。
「あ…れ? ルミさん、じゃない…⁈」
それは歳の頃がタケシと同じくらいの少女。
白いTシャツにデニムのオーバーオール、その上から裾長めの黄色いカーディガンを羽織る。そのシルエットは背丈も合わせルミとよく似ていたが、キャスケット帽とメガネにガードされた顔は全くの別人だった。ルミも人並外れた小顔(そもそも異星人である)ではあるがそれに勝るとも劣らぬ小ささで、メガネの丸い大きなフレームが殊更それを強調する。だが、よくよく観察してみればどうやら伊達メガネのようで、その証拠にレンズ越しの輪郭に歪みがない。
「ゴメンナサイスミマセンッ! 人違いでした!」
腰からパキンと折れて頭を下げる。
タケシとしては自分が大切にしているバイクの周りをウロチョロされていたことよりも、知り合いと思って赤の他人に気安く声を掛けてしまった恥ずかしさが上回って今すぐこの場を去りたいところなのだが、そもそもバイクに用事があってここまで来たのだからそうもいかない、逃げ場のない羞恥の拷問状態だ。
「これ、キミのバイク?」
普段から腹式呼吸をすることが多いのだろうか、声の抜けが良い。力強くも透き通るような声が、街の喧騒を突き抜け、聴く者の鼓膜を心地好くしっかりと振るわせる。
「そ、そうだけど…」
「へぇ。カッコいいね」
自分のバイクを褒められて嬉しくないバイク乗りはおそらくこの世にいないであろう、そしてタケシもそういう中の一人である。
「そ、そう? ありがとう」
ここまでのぎこちなさからお分かりだろうが、タケシは年上の女性に関してはルミや麗美で慣らされているが、同世代には免疫がない。
「いいな…乗ってみたいな」
「免許は?」
「ないの。禁止されてて」
「へぇ。それはちょっと気の毒だな。バイクでも車でも、自分のがあれば好きな時に好きな場所へ行けるのに」
免疫はないが、バイクの話題ともなれば話は別。その口はシルキー6もビックリの滑らかさを誇る。
「好きな時に好きな場所へ…か。ホント…その通りね…いいな…」
女の子は寂しそうにタケシのバイクを見つめる。が、何か閃いたか、目に生気が宿り、急にタケシの方へ振り向く。
「ねぇ…キミ、これからヒマ?」
「え? え…まぁ仕事は終わったからヒマだけど…」
唐突に聞かれたもので、つい正直に答えてしまう。
「これに、私を乗せて? お願いっ!」
少女は眼前で手を合わせ、ペコペコと頭を下げてお願いポーズ。
「え…」
何という奇遇か、果てまたご都合主義か。タイミング良くヘルメットが今ここにある。というのも先日同級生が、乗ってみたいというので後ろに乗せ、その時に使ったままぶら下げてあった。バイクの良さを布教するぞ!と軽く引き受けたタケシだったが、無論同級生は男。そのゴツい体で背中に抱きつかれ、二度と乗せまいと心に誓った。
(入稿は済んでるし…なら)
「いいよ」
「え? ホントに?」
うれしー!とぴょんぴょん跳ね回る姿はまるで散歩に連れ出した子犬のようだ。
「はい、これ。ヘルメット」
と、手渡す。
「被ればいいの?」
キャスケット帽を取ると中に収められていた長く艶やかな黒髪が流れ落ちた。
「これ、どうしようかな…ここでいっか」
と帽子をオーバーオールの胸に詰め、メガネを胸ポケットに押し込んだ。そしてヘルメットを被り
「はい、できた」
「あ、ちゃんとアゴのストラップも締めて」
「ストラップ…? ごめん、ちょっとわかんない…」
「そうか、バイク初めてだったね。ごめん、気が利かなかった。ちょっとアゴ上げて?」
タケシはささっとストラップを締める。
「これでよし、と」
ちなみに彼女が被ったヘルメットはタケシが免許を取って最初に買った物。ピンク色主体のかなりハデな色だ。気合い入れてハデ目を選んだのだが、ある日コンビニのガラスに映る自分の姿を見て少々この色を選んだことを後悔した。
(ハデ過ぎた…)
買った以上は仕方ない、しばらく使っていたのだが、大型免許取得を機に新調したのであった。
「さて…あ、そっか。まだ名前聞いてないや。君、名前は?」
「名前…」
一瞬躊躇する。
「タミコ。私はタミコ」
「タミちゃん、でいいかな?」
「いいよ。キミは?」
「オレはタケシ」
「タケシ…くん、ね」
「ああ。で、タミちゃんはどこに行きたい?」
「どこ…どこでもいいけど…そうだ! 海が見たい。砂浜の海」
「砂浜…か。湘南まで出ないとダメかな…」
「ショウナン! いいわね! 行きましょ!」
「分かった。ちょっと時間かかるかもしれないけど」
「構わないよ。いくらでも」
「そう? じゃ、行くよ」
タケシがバイクに跨る。
「…跨ればいいの?」
「そう」
「よいしょ…ねぇ、足はどうすればいいのかな?」
「足?」
振り返ると、タミコは両脚を広げてびよーんと伸ばしていた。
他にも驚くことはあるはずなのだが
(腹筋すげーっ!)
が、タケシの感想だった。
(いや、太腿も背筋もか。何だこの娘、すごい鍛えてんのかな?)
全体的にダボっとした緩やかな服装をしていたこともあり、その引き締まったプロポーションの良さに気付けなかった。帽子を詰めたせいでさらにアップした胸部のボリュームは相当なモノなのだが。
「ああ…足を曲げて下ろしていくとちょうどいい辺りにフレームがあるから、そこに乗せて」
「えと…ここかな?」
「うん。大丈夫」
キュルン ブゥォウ…
セル一発で4気筒4サイクルのエンジンが目を覚ます。
「うぉぅ⁉︎」
足元で唸るエンジン音にタミコは驚きの声を上げた。
「じゃ、行くよ。しっかり掴まって!」
「うんっ!」
ぎゅ
タミコの両腕がタケシに胴に巻き付いた。
(あ…まぁ、仕方ない、か)
タケシがライダースジャケット越しの背中で感じたのは、メガネのフレームとキャスケット帽だった。
◆
「うわー! すごーい! はやーい!」
「怖くない?」
「全然平気! うわー! 景色がみんなスッ飛んでくよ! 風も気持ちいいっ!」
先日梅雨明け宣言が出たが日本の夏はジメジメと空気が重い。そんなことはお構いなしに、タミコは黄色いカーディガンを風に靡かせ、身体をすり抜ける風に歓喜の声を上げていた。まだ一般道だと言うのにこの喜びようだ。
「ここから高速乗るから!」
「もっとスピード出るの?」
「怖い?」
「ううん! めっちゃ楽しみ!」
よほど声の抜けがいいのだろう、ヘルメット越しなのにタミコの声はしっかりと聞こえてくる。
タンデムの『乗客』が怖がらずに楽しんでくれることは、バイク乗りにとって嬉しいことこの上ない。もちろんタケシも上機嫌だ。
料金所に差し掛かり、ETCのゲートバーが跳ね上がる。
「しっかり掴まってて! 行くよっ!」
スロットルを開くや否や、998CCの大トルクが車体を前に弾き出す。
「うわっ⁈ うわー!」
微かに背後から驚きの声が上がったかと思いきや、間も無くそれは歓声にかわる。
「すごーい! さっきより全然速ーい!」
「怖くない?」
「何度も聞かなくても大丈夫だよ! 全然へーき! たのしー!」
「じゃ、ちょっとサービスして」
さらにクイっとアクセル。
「うわっ! いいぞー! もっと行けー!」
ノリノリのタミコの喜声が陽の傾きかけた夏の青空に溶けていった。
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