レオンナトスとドンナー
「人生って、わけが分からないわ」
ドンナーは新居の居室で、夫となった少年を前に思わずつぶやいてしまった。
女の子のように艶っぽくて可愛らしい夫は、恐縮したように背筋を伸ばして座っている。素直で純粋で、勉強熱心だし運動神経も良い。すべてにおいて優等生だ。性格が大人しめなのが、更に庇護欲をそそる。メイプルに似たところがまったく無い。
――だから困っちゃうのよね。
気の置けない幼馴染であるメイプルには散々に当てこすりを言ったものの、本当のところは戸惑っていた。そもそも自分なんかが今更結婚してもいいのだろうかという、ちょっとした罪悪感もある。
淫らで欲深な女と言われることもあるドンナーだが、実際は少し違う。そもそもが無欲であるし、世を諦めているとも言えた。
まず、貴族と言っても生家であるメギンギョルズ家の歴史は浅い。ドンナーの祖父は市場で行商をしていたくらいだ。時流を掴み商売で財を成し貴族の仲間入りをしたが、所詮は成金に過ぎない。
だからドンナー自身に貴族としての矜持も無ければ、メギンギョルズ家に大した思い入れはない。ただ、両親が家名を大事にしているので、これ守るためにも、自分が生きていくためにも、社交界を泳ぎ渡りながら官職を得て暮らしていた。
その過程で結婚もしたし離婚もした。
離婚の理由は簡単なものだ。夫以外の男の種で子を産んだからだ。
ドンナーを求めた男が断れぬほどに高貴な相手であったから仕方がないと諦めたし、一緒にいたくないという夫の気持ちも当然だと思ったから、それも受け入れた。
そうして一人で子を産んだ。可愛らしい女児だった。
生きる望みなど大して持たない自分だが、この子の為ならば必死になれるかもしれない。そんな望みを抱いたこともあったが、あっさりと断たれた。十日と経たないうちに赤子は連れ去られてしまった。実父の監護で育てるのだそうだ。
何度も乳を与えて情が沸いてきたところで、奪われたのだ。世を捨てようかとも考えた。だが、もともと諦観を抱えて生きていたので、自死する決意すら湧かなかった。大切に育てられていることは間違いないので「ま、いっか」と全てを諦めた。
とりあえず、今が楽しくて不快が少なければ、それでいい。半分捨て鉢に生きてきた結果、なぜか今、四大貴族イオニア家の養子となり、自分の半分以下の年齢の男と結婚することになった。
「人生ってさ、本当にわけが分からないわよね」
改めてこぼすと、目の前に座る夫が頷いた。
レオンナトス・プルケラ。魔法使いの勇者メイプル・ハニートーストことマルケラ・プルケラ夫人の弟。
今はイオニア家の養子となったドンナーの夫であるので、レオンナトス・バクトリアーナ・イオニアだ。バクトリアーナ地方を支配するイオニア氏族本家の直系に位置する唯一の男子でもある。当主ニカルノの後継者として数えたとき、長子ロクサーヌとその妹に次ぐ家督継承権第三位の男だ。
本当はドンナーが第三位だったのだけれど、恐れ多すぎて辞退した。権利放棄を書面に認め、皇帝と神殿に受理された時には、ようやく人心地がついたものだった。
過分な地位にいれば、必ず引きずりおろされる。きっとレオンナトスも、いずれは理由を付けて遠ざけられるのだろう。そして傍系からイオニア家の血を継ぐ者を呼び寄せて家督を継がせる。そんな未来が見えている。けれど、それも今はまだ遠い将来の話だ。しばらくは安穏とした日々を過ごせるだろう。
そんな心持で、イオニア家にほど近い一軒家に住まいを整えたのがつい最近の事。今日から新婚生活を始めるのだ。とはいえ、新婚の喜びなどより戸惑いが大きい。まったく考えてもいなかった相手と縁が付いたのだ。どうしようかと新郎を眺めていると、控えめな少年がおもむろに口を開いた。
「……もしかすると僕に不満があるかもですけど、でも、僕の一生をかけて、あなたを幸せにします」
「あらあら。頑張ってくれているのは分かるけど、無理しなくていいからね。あたし、あんたのお姉さんより年上なのよ? 倍も年齢の違う相手におべっか使っても、寒いでしょ?」
「そんなこと、ないです。……ドンナーさんのことは、前から素敵だなあって思ってました」
「あっはは。頑張るじゃない。じゃあ、あたしのことはドンナーって呼んでいいわよ。今まで親しくした男たちも、大抵そう呼んでいたから。言葉も崩してね」
「……わかったよ、ドンナー」
レオンナトスは素直に従った。
「ふうん、変にまごつかないのは高評価かもね。いい感じよ」
「……でも他の男と同じは、嫌だ。例えば、ドナって呼んでは駄目かな?」
「駄目」
その呼び方は、初恋の男がしていた。別に付き合っていたわけではない。幼心に良いなと思った相手に、手紙を書いたことがあった。その返事は丁寧なお断りだったが、その中で一度だけドナとあった。
たったそれだけだが、今まで他の男にはこの呼び方を許さなかった。すれた人生を送ってきた自分だが、こんなささやかな思い出を一つくらい大切にしても罰は当たらないはずだ。
「さ、そろそろお客様がいらっしゃる時間よ、旦那様」
からかうように立ち上がると、レオンナトスは少し不満げな、あるいは寂しそうな顔をしたが、変に拘泥することなく歩き出した。
並んで歩くと、意外にも身長に差はない。レオンナトスは年齢相応の身長しかないが、ドンナーも背は高くない。かかとの高い靴を履いている分、わずかに目線が上だけれど、きっとすぐに追い越されるだろう。
そんなことを考えながら居室を整えていると、すぐに予定の来客があった。ドンナーの友人だ。新居を構えてからしばらくは、親しい友人を招いての食事などを予定している。本当ならドンナーの義母であるロクサーヌを一番に招待するところなのだが、南方へ赴いていて不在だ。なので、今日は友人であるクレオーンとその妻サッフォを呼んでいる。
「よう、ドンナー。久しぶりだけど相変わらず美人だな」
日に焼けた肌と無精ひげ、そして白い歯を見せて笑うクレオーンの姿はまるで悪童のようだ。隣に並ぶサッフォも、濃い化粧をしたり服を着崩していたりと、どちらかと言えば規律より奔放さを感じさせる態度で笑っている。
「いらっしゃい」
さっそく招き入れると食卓を囲んだ。
イオニア家に連なる者の邸宅での食事となれば、本来なら行儀作法やら何やらでかしこまらなければならない。でも窮屈は嫌だ。だからまるで平民の酒宴のように気さくに酒肴を楽しむ席にした。
イオニア家から来た新しい召使などは眉を顰めたりもしているが、ドンナーの昔からの使用人は慣れたように酒を運び料理を運んでいる。
「あのイオニア家になったっていうからびっくりしたけど、ドンナーは相変わらずだな。安心したぜ」
「ほんと。お高く留まっていたら、ひっぱたいてやろうと思っていたのに」
クレオーンもサッフォも、酒を飲みつつ食べ物をつまみ、気安くドンナーの肩を叩いたり頬を突いたりする。
「ちょびっとくらいは気を付けるかもだけど、大体は今までどおりよ。あたしが四大貴族ぶるなんて、どだい無理な話よ」
ドンナーが笑うと二人も「違いない」とけらけらと笑っている。ちょっと安心した。ドンナーの友人と言えば、お行儀のよろしくない奴らが多い。イオニアの看板を嫌って縁が遠くなってしまうかとも思ったが、少なくとも二人は大丈夫そうだ。
――でも旦那様は大丈夫かしら。
そんな心配から、時折ちらりと横目でレオンナトスを見ているのだが、大抵はにこにこと笑っている。クレオーンが勢いよく葡萄酒の杯を空にしたり、サッフォが暑いからと胸元を広げたりするたびに、多少は面食らっている様子もあるけれど、席を立ったりすることはない。それどころか自分からクレオーンに話しかけてさえいる。
二人の見た目が違い過ぎて、まるで悪漢に絡まれた町娘みたいに見えるのは、ご愛敬だろう。
「無理しなくていいのよ、旦那様。クレオーンは柄が悪いから、相手をするのが大変でしょう?」
「いえ……クレオーンさんのお話はとっても楽しいですよ。賽子賭博に領地を賭けて奥さんを手に入れた話なんて、他では聞けないです」
「お、わかってるな。男なら一度くらいは人生賭けて勝負したくなるだろう」
心配して助け舟を出したつもりだったが、案外大丈夫そうだ。
「ふうん」
少し迷ったけれど、頑張っている旦那様をからかってやることにした。可愛いものほどいじめたくなるものなのだ。クレオーンとサッフォに目で合図をすると、一人席を立った。
「ちょっとお酒が過ぎたみたいだから、風に当たって来るわ。すぐ戻るから一人で平気よ」
さっさと部屋を出ると、残されたレオンナトスがどうするだろうかと、扉の外から様子を伺った。中ではいたずら心を刺激された二人が、レオンナトスを質問攻めにしている。
「結婚はどうだ? ドンナーはお行儀の良いお嬢さんじゃないから、面食らっただろう?」
「……えっと、ドンナーと一緒になれて、僕は嬉しいですよ。それにとっても良い人です」
「お? そうか? 口が悪いし男との噂も多いから、レオンナトスみたいな箱入りのお坊ちゃんには嫌われると思ってたんだけどな」
「そんなこと、無いです。ドンナーが過去に誰と付き合っていたかは関係ないです。今は僕の妻ですから」
レオンナトスが言い切ると、クレオーンは「言うねえ」と口笛を吹いた。サッフォも楽しそうに口を開いた。
「ドンナーのこと、好き?」
「はい。すごく……好きです」
「どこか好き? どんなところ?」
「優しいところです。言葉選びがそっけないことも多いですけど、本音ではすごく気遣っている柔らかな人です。だから、一緒にいて安心できます。それに……とっても可愛いらしいです」
「え~素敵じゃない!」
サッフォが照れたようなはしゃいだ声を上げる。対照的にクレオーンはげらげらと笑いだしている。
「あいつが? 可愛いか?」
「可愛いですよ、とっても」
ついには可愛いか可愛くないかで言い合いを始めてしまった。いよいよ居たたまれなくなったドンナーは、勢いよく扉を開いた。
「いやーちょっと外の風を浴びたら酔いが醒めたわー。二人とも酔ってるみたいだし、今日は帰ったら? ていうか帰りなさい?」
文句を垂れるクレオーンのお尻を二回ほど蹴り飛ばすと、無理矢理に追い立てた。サッフォは何故かにやにやとこちらを見ていので、目一杯に睨んでやった。後で覚えてろよ。
二人が帰ると、レオンナトスはドンナーの目を見て言った。
「ドンナーが過去に誰と付き合っていたかは関係ない。今、僕だけを見てくれていればそれでいい。昔の男なんて、忘れさせてみせる」
そんな言葉投げかけられながら、レオンナトスに抱き寄せられてしまった。想像よりずっと力が強かったけれど、強引な抱擁もなぜか不快ではなかった。
「あんた、女たらしの才能があるわよ。そういうことを真顔で言えるんだもの」
「……女たらし? 僕はドンナーを垂らし込めればそれでいい。他に女はいらない」
むずむずとこそばゆさがこみ上げて来る。でも嫌な感じがしないのは、彼の言葉が嘘じゃないからだろう。本音をそのままぶつけてきている。それがわかる程度には、経験を重ねている。
「そういうの、嫌いじゃないわね」
「僕は、好きだよ」
「はいはい」
こういう奴だって分かれば、付き合いやすいのかもしれない。ドンナーはすっかり安心していた。そしてこれからの生活が、ちょっぴり楽しみにもなっていた。
5章は恋愛要素マシマシで行こうと思っていたんですけど、あんまりにもそういうシーンが苦手過ぎて予定の量を処方できていませんでした。なので溜めていた分を全部この二人に投入してみようと思います。




