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この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
5章 魔法使いへの復讐、魔王からの復讐

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ダンス・ウィズ・ウルブス

 タイタス・ネメアーは、馬車の窓外を流れる景色へ目をやることで、隣の男への嫌悪を押し隠していた。


「タイタスは、クロカゲ殿下やニレハ殿下と面識はないんだろう?」


「ああ、無いな」


「じゃあ、感謝してもらってもいいんだけどな? 面会の約束を取り付けられたのは、俺のここが良いからなんだぜ?」


 隣に座るナルサーフ・ネメアーが自分の腕をとんとんと叩きながら、片頬を持ち上げて笑った。勝手にタイタスの名を使って約束を取り付け、無理やり同行させながらもこの言いざまだ。


 ナルサーフの苦労を感じさせない生白い肌が、いっそう気分を苛立たせる。


「ああ、ナルサーフのおかげだ。ありがたい。俺は素晴らしい従兄弟を持ったよ」


「そうだろう? 武人の気風が強いサツマ藩王国の王女なら、ネメアー家とお前の……タイタス将軍の名が効くんじゃないかと考えたんだが、目論見が当たったぜ。王女と知己を得たうえに、運がよければクロカゲ殿下にも会える絶好の機会だ」


「ああ、狐のように機転が利くじゃないか。さすがナルサーフだ」


 腐肉漁りの孤狼のような狡猾さに不快感がこみ上げるが、こらえて鷹揚に頷いた。

 得意げに手柄話をするのは、ナルサーフの子供のころからの癖だ。体調が良ければ付き合ってやるのだが、今は傷の痛みがぶり返している。


 戦場で部下をかばって受けた多頭蛇ヒドラの毒呪傷は、いまだに完治していない。


「ま、頭を使う仕事は俺に任せて、タイタスは剣に勤しんでくれよ」


 ささくれ一つない指で、肩を突いてくる。ちょうど多頭蛇の毒気に当てられて部分だった。負傷は隠しているので故意ではないと分かっているのだが、触られれば痛む。

 乱暴に払ってしまった。


「……触るな」


「なんだよ、怠けて寝具に籠っているところを起こされて、怒ってるのか? 男らしく、俺みたいに広い心を持てよ」


「いや……怒ってはいないさ。サツマの王女と知り合えるなら、俺もありがたいからな。そこは感謝している」


「そうだろう? それもこれも俺の耳の良さと伝手の広さがモノを言ったんだぜ? お前は戦場に立ってばかりだから、ニレハ殿下やクロカゲ殿下が来都していることも知らなかったんじゃないか?」


「そんなことは……」


 否定したかったが、当たっている。

 口ごもると、ナルサーフは「ほら、やっぱり!」と破顔して、得意気に最近の社交界事情をしゃべり始めた。


 どこかの貴族の陰謀で美女の死体が帝都からこっそりと運び出されたらしいとか、夜会に正体不明の令嬢が現れてその後忽然と消えたので様々な憶測が飛び交っているとか、くだらない噂話ばかりを並べ立てていく。


(……まったく、ご機嫌な男だ。質実剛健のネメアー家には珍しく、口先から生まれたような男だな)


 ため息を一つ吐くと、話を聞く振りをして黙った。


 タイタスは生粋の軍人だ。軍人になる宿命のネメアー家に生まれ、幼少期から鍛錬し、今も軍に籍を置き、いざとなれば戦場を疾駆する。


 背は高く、細身の筋肉質でよく日に焼けている。来年で三十歳だが、貫録を付けるために生やした髭もあって、四十以上に見られることもある。

 友人からは、苦労が外見に滲んでいるのだとよくからかわれるが、気にしてはいない。


 外見などの見栄より、戦場に立つ者としての誇りが勝る。

 この身と命は、帝国に捧げている。たとえ傷つき戦場に倒れたとしても、力尽きて異国の地に骨を晒そうとも、帝国臣民の安寧と幸福のため、最期まで武器を手に戦い続けると決めている。


 一方のナルサーフは、年齢こそ同じだが、算盤や書類仕事が得意で、戦場ではなく机が仕事場だ。


 別に事務屋の重要性を軽んじるつもりはない。ナルサーフが皇帝陛下へ向ける忠誠心が本物であるということも知っている。

 だが、戦場に立つことをあからさまに軽侮されれば、反発心が湧こうというものだ。


「社交界の噂話も結構だが、少しは槍でも握ったらどうだ。付き合ってやるぞ」


「ん? ああ、そのうちにな。俺の戦争は、算盤とインクを武器にして、事務処理と儀典を成し遂げることさ。タイタスだって、戦場で飯が足りている幸福を噛み締めていただろう? 途切れぬ補給は、後衛があってこそじゃないか?」


「たしかに後詰の兵が多くいればありがたいな。それと、算盤係は帳簿をごまかさない人間が好ましい」


「そうか。まあ、戦場ではよそ事なんか考えずにせいぜい頑張ってくれよ。さ、着いたぞ」


 馬車が瀟洒な邸宅の門前で止まった。


 周りには、同じような馬車が数台見える。タイタスらと同様に、隣国の王族と繋がりを持とうと伺候に来たのだろう。

 二人は同時に下車すると、競うように並んで歩いた。互いに、相手に前を譲るわけにはいかないのだ。


 無理に歩くうちに、気分が悪くなってくる。本格的に毒気の発作がぶり返したのかもしれない。


(体が重いな。だが、弱音を吐いてはいられん)


 額に滲む脂汗をぬぐって歩いた。

 タイタスとナルサーフは親族だが、ネメアー家の家督を争う敵同士でもある。


 当主である祖父は既に老境に入っており、その長子であるタイタスの父と次子であるナルサーフの父は既に亡い。兄弟そろって十年も前に戦死していた。


 それゆえ、タイタスとナルサーフは次代の当主として常に比べられていた。どちらが優れているか。どちらが家長に相応しいのか。

 そんな視点から、些細な失点からも序列がつけられてしまう。


 だからタイタスが戦地に赴いている間に、その財産をナルサーフが横領している気配があっても、明確な証拠が揃うまでは追及もせずにいた。

 悪事だろうと上手く成し遂げる手腕があるのか、それとも不正を打ち負かす力量があるのか。そんなところさえも採点しようとする家中の者がいる。いや、他家からも一挙手一投足を注視されている。


 だからここで一歩後ろを歩くだけでも、評価に跳ね返ってくる。前を歩く権利を持つのは、目上の者だ。容易く譲るわけにはいかない。


 二人で表向きはにこやかに、足元はせっせと動かした。


 他の来訪客を追い越して進んでいくと、邸宅の入口で待ち受ける人影があった。金色の髪を持つ帝国系の少女だ。気品あふれるたたずまいから、上流階級の出身であり、高度な教育を受けているのだと分かる。

 属国とはいえ、王族に仕える侍女なのだ。一流の人間がその任に就いているのだろう。


「ようこそいらっしゃいませ。ネメアー将軍家のタイタス様とナルサーフ様でございますね。ニレハ様の居室へご案内いたします」


 一礼して先導するように歩き出す。その所作のひとつひとつが優雅で洗練されている。後について歩きながら、ナルサーフが口笛を吹いた。


「属国とはいえ、さすが王族の邸宅だな」


「ああ」


 不作法な軽口にも頷かざるを得ない。

 侍女以外も、帝国の一貴族であるネメアー家とは格が違った。帝国風の邸宅を彩るのは、多国籍の調度品だった。


 足元には東方平原の伝統的な細緻な文様の織物が敷かれ、サツマの甲冑や刀剣が飾られ、イオス王国から輸入したであろう金銀細工や、北方諸国の宝石類さえ当たり前のように邸宅を彩っている。


 どれ一つをとってみても、並みの貴族家なら家宝とする品々だ。邸内に漂う異国の雰囲気が、神秘的な魅力をさらに高めている。


「もうじきニレハ様がお見えになりますので、少々お待ちください」


 案内された王女殿下の居室にも、圧倒される思いだった。帝国式の間取りにサツマ風の落ち着いた調度を配置し、見事な調和を生み出している。室内には他にも幾人かの客がいるが、誰もが興味深そうに調度や装飾の品々を眺めている。


 ナルサーフなどはサツマ風の生花や絵画に興味を示していたが、タイタスは壁際に飾られた武具一式に目を奪われた。


 一目見ただけで、高度な魔法を付与された至高の薙刀と鎧だと分かる。だが単なる美術品ではない。よく見ればしっかりと使いこまれている。満足に扱うにはかなりの戦闘水準レベルが必要となるはずだ。上位級将軍ハイ・ロードクラスのタイタスでも難しいかもしれない。


(さすがにサツマの王族だ。かなりの剛の者なんだろう)


 大鬼オーガとは言わぬまでも腕力自慢の豪傑を想像したタイタスは、現れたニレハを目にして思わずたじろいだ。


「初めまして。サツマ・ニレハと申します」


 帝国でも見かけぬほどの嫋やかさを持つ少女だった。小柄で童顔。新雪のような白い肌。花びらのように儚い唇。深窓の令嬢といった趣で、身にこもる気品が溢れている。


 しかし身のこなしは流麗ながらも、抜き身の剣のように凛としている。侍女に椅子を引かせて座る際には、巧みな重心移動が見て取れた。


(美的感覚や礼儀作法だけではない。戦士としても一流だ)


 緊張が高まる。この女性にどのように評価されるか。その一事で将来さえ決まってしまうような錯覚さえ覚えた。


 早速、来客がニレハの周りに集まり、次々とあいさつを交わしていく。まるで新鮮な肉に群がる飢狼だ。


 タイタスは挨拶の列に並びながら、来訪客を眺めた。


 皇族付き大膳部官だいぜんぶかんがいる。食料調達の責任者だ。

 帝都は港が近いので、生きた海魚も手に入る。だが、サツマから輸入される干鮑や干物、海藻などの海産加工物は、鮮魚とは違った人気がある。


 大狩猟官だいしゅりょうかんも、似たような思惑に違いない。

 単に狩りを主管するだけでなく、食肉の調達も担う彼としては、東方平原が気になるはずだ。東方の食肉や乳製品を筆頭とする畜産加工物は、安価かつ高品質で知られている。


 皇帝のために軍馬を管理する主馬頭しゅめがしらや儀典用の馬車馬を担当する主馬寮長しゅめりょうちょうなどは馬が狙いだろう。サツマ藩王国や東方平原は、代表的な馬の産地だ。


 神殿長は信仰の拡大がもくろみに違いない。東方ではいまだに部族ごとの祖霊を祭っていると聞く。そこへ帝国の体系的で組織だった宗教を持ち込む絵図を描いてるに違いない。


 あれこれと考えているうちにタイタスたちの番が来た。二人並んで進み出ると、ニレハがにこりとほほ笑んだ。


「お訪ねいただき嬉しく思います。兄である刀王からは、帝国で広く皆さまと親しんで来るよう言い付かっておりますれば、武で名高いネメアー家と知己を得られること、大変な喜びでございますわ」


 すかさずナルサーフが半歩前に出る。


「こちらこそ、お目通りかなって大変な栄誉であると存じます。私はネメアー家直系男子のナルサーフでございます。当主が老齢につき、代わりにご挨拶を申し上げます」


 まるで自分がネメアー家の代表であるかのように振る舞う。ナルサーフはこういう仕草が上手い。


 もちろんタイタスとて、不得手ではない。戦場では相手の考えを洞察したり交渉をしたりすることはある。けれど帝都を離れず、常に社交界を泳いでいるナルサーフには、どうしても一歩譲らざるを得ない。


「自分はタイタス・ネメアーと申します。武の象徴であるサツマの姫君とご縁を持てたこと、心から嬉しく思います」


 美辞麗句を飾るより、素直に心中を語ることにした。競って勝てぬなら、こちらの持ち味を生かすしかない。


「武のサツマと言っても、近年はいくさとは遠ざかっております。ぜひネメアー家の武功話などをお聞かせいただきたいですわ」


「お任せくださいませ」

「喜んで」


 タイタスとナルサーフが揃って前のめりになった。ネメアー家は、代々、将軍を輩出する軍人の家系である。軍功の逸話には事欠かない。


「ほんの50年ほど前の話ですが……」


 ナルサーフが祖父の初陣の話を始める。どこで披露しても大いに受ける大鉄板の逸話だ。


「西方からロムレス王国が侵攻してきまして、功を焦った若きころの我が祖父は、単騎で敵陣の様子を偵察に行ったのですが……」


 物怖じもせずに敵陣の間近まで迫ったため、見つかってしまった。四方から射かけられ、鎧や兜には矢が二十も三十も突き刺さった。


 這う這うの体で逃げ帰る祖父の背に向けて、ロムレス軍は「臆病者の針鼠が逃げていく」とか「後ろに進む時だけは勇ましい」など散々に罵声を浴びせたという。


 だが祖父は自陣に帰るとすぐに針鼠を象った軍旗を作らせ、先頭に掲げて手勢をロムレス軍に突撃させた。

 地形や陣立てをつぶさに見ていた祖父は、寡兵ながらも巧みな用兵でロムレス軍を打ち破り、以後、針鼠はネメアー家の紋章となった。


「伝来の黄金獅子の紋章を捨てて針鼠の紋章を選ぶ男など、帝国を見渡してみても我が祖父くらいでしょう」


 ナルサーフがそう結ぶと、ニレハはころころと笑いながらも、手を叩いて賞賛してくれた。


「さすがはネメアー家の御当主ですわね。私の初陣でもそうありたいものですわ」


 その顔を漫然と眺めるなら、単なる無垢な少女の笑顔だ。その美しさに目尻を下げている者さえいる。だがタイタスは獲物を前に勇躍する狼の気配を感じ取った。


(この方は、自分が戦場に立つことを当然と考えている。いや、待ち望んでさえいる……!)


 帝国貴族に利権をむさぼられるだけの女鹿ではない。温室の奥に咲く楚々とした一輪の花でもない。爪と牙を研ぎ、それを突き立てる相手を探す猛獣だ。


 彼女の信を得ることが出来るならば、大きな戦に勝つことにも等しい大戦果だ。タイタスは肚を決めて前に出た。


「では、私からは魔王軍残党の討伐戦のお話を。普段は千から二千ほどの騎兵を率いることが多いのですが、今回はおよそ百の精鋭歩兵を指揮することになりまして……」


 タイタスが北方で体験した逸話を披露することにした。自分という人間を知ってもらうなら、自分で見聞きしたことを粉飾せずに伝えるに限る。


 北方の哨戒任務に就いた時に、小鬼ゴブリンの群れを駆逐し大鬼すらも討伐した体験を語った。

 多少は格好よく話しはしたが、派手な脚色の必要はなかった。実際に自分の目で見て、肌で感じたことだ。


 小鬼を槍で刺した時のぐずりという感触、大鬼の大剣が風を斬るびょうという音、目の前に迫った多頭蛇の巨大な牙の圧迫感、大木すら瞬時に枯死させる毒気の悪臭。その臨場感に、周囲の人が手に汗握って聞き入っている。


(良い機会だ。こういう時と場こそ、利用しないとな)


 自分の話だけでなく、部下一人ずつの名を挙げて活躍を語った。


 ある貴族家の嫡男は、巧みな槍さばきで次々と小鬼を倒した。

 とある平民は、貴族顔負けの勇敢さで大盾を持ち、敵の足止めに貢献した。

 ヴェスパシアス氏族の若き当主などは、勇敢にも大鬼に戦いを挑み、見事に討ち果たした。


 そんな話を巧みに混ぜ込みながら、最後に、勇者であるユユ皇女殿下が魔王配下であった悪魔を討ち取った場面で締めくくると、拍手に包まれた。皆が口々に皇女を褒め称えているが、部下たちも話題に上がっている。


(彼らの出世に資すればいいんだが……)


 タイタスとしては、部下たちの活躍も多くの人に知ってもらいたい。帝国のために文字通り骨を折り、血を流す者たちが報われる世であってほしいと思う。愛国者が報われれば、帝国に身を捧げる者が増える。そして更なる繁栄にとつながる。


 ネメアー家の根底に流れる奉仕の精神であり、タイタス個人の願いでもある。


 そんな気持ちを汲んでくれたわけではないだろうが、ニレハは手を打って皆の献身を称賛してくれた。


「まあ、それほどの活躍を! 素晴らしい活躍ですわね。ですが多頭蛇などを相手にして、大事無いですか? お怪我などは?」


「何の問題もありません。もとよりこの身は、帝国と臣民に捧げております」


 前半は嘘だった。

 多頭蛇の毒は抜けておらず、いまだに寝具で過ごす時間は長い。そして時折、発作が出る。


 今も、先ほどから発作が続いており気分がすぐれない。背中が脂汗で不快に濡れている。座り込んで嘔吐したい気分だ。見る人が見れば顔色の悪さが分かるかもしれない。


 だが、武勇が看板のネメアー家の男が、ここで弱った姿を見せるわけにはいかない。タイタス個人としても、ナルサーフに弱った姿を見せたくはない。


「本当か? さっきから顔色が悪いぞ」


 ナルサーフが気を利かせたのか当てつけなのか分からないことを言い出した。よりにもよって痛む肩に手を当てて顔を覗き込んで来る。


「椅子でも借りるか? それとも帰って休むか?」


「大丈夫だ」


 やせ我慢を通す。

 第一、椅子になど座れるわけがない。王族であるニレハと並んで座ることが出来るのは、最上級の貴族や王族に限られる。こちらは立つしかない。それが宮廷作法エチケットだ。


 そんなやり取りをしていると、先ほどの金髪の侍女がニレハの耳元に顔を寄せて、何事か囁いている。

 最初は不思議そうな顔のニレハだったが、次第に稚気を帯びる。


 そして唐突に立ち上がると、

「あ」

 と幽かな声を挙げて床に倒れた。


「足をくじいてしまいましたわ。皆さまには申し訳ありませんが、長椅子を使わせていただこうかしら」


 そう言う間にも、召使たちの手で隣室から長椅子が手際よく運び込まれてくる。ニレハは足を伸ばして寝転ぶように座ると、足の痛みも感じさせずにはにかんだ。


「私だけが寝台につく格好ですので、皆さまには椅子をご用意いたしますわね。さ、タイタス将軍はこちらをお使いください」


 そう言って、先ほどまで座っていた椅子を指す。


「いえ、しかし……」


「どうぞ、お気になさらずお使いください。私の後が不快でいらっしゃるなら、無理強いは致しませぬが……」


「いえ、そのようなことは。では……」


  重ねて勧められ腰かけた。背もたれに体重を預けると、ずいぶん体が楽になった。


 他の客たちも、召使たちが運び込む椅子を勧められ、次々と着座していく。そして皆が着座するころには、机なども置かれ湯気の立つ杯が配られていた。

 中を見れば、澄んだ緑だ。


「お配りしたのはサツマで喫されている茶です。帝国の紅茶とは趣が違いますが、味や香りが良いうえに、毒抜きや疲労回復の効能があります。茶菓子などと一緒にお楽しみください」


 促されるままにゆっくりすすると、爽やかな香りが鼻を抜ける。そして確かに毒気の苦痛が和らぎ、活力が戻ってきた。もとからの薬効とともに魔法的な処理も施されているのかもしれない。


 大膳部官などはさっそく食いついている。「これは良いものですな。さっそくにでも輸入を検討したいものだ……」とつぶやきながら吟味している。


 茶菓子に興味を示す者もいる。帝国の料理とは趣が違うのは、恐らく稲を原料に作っているのだろう。そもそも帝国本土では麦が主流で、稲自体が珍しい。


 ようやく余裕を得て周りを見ていると、不機嫌なナルサーフと目が合った。


「どうした?」


「どうもしないさ」


 そっぽを向かれてしまった。

 だがナルサーフの座る椅子を見れば、答えは分かった。折り畳み式の簡易な椅子で、小さな背もたれが付いている。


 一方のタイタスは、ニレハが使っていた物を借りているのだ。装飾が豪華な背もたれだけでなくひじ掛けもある。


 偶然だろうが、扱いに差が出た。それも王族や多くの貴族がいる前でだ。

 まさか事情を知っていたわけではあるまいが、果たして偶然だろうか。答えを求めてニレハを見ると、ぴたりと目が合った。


 そのままにこりとほほ笑まれると、全てがどうでもよくなった。妖艶で清楚で、理知的で、奔放で、全てを備えた笑みだった。


 その後にニレハを中心に皆で歓談を続け、昼前には邸宅を辞去した。休んだせいか、茶が効いたのか、体調も気分も晴れやかだった。


「くそ、やられたな」


 馬車に乗り込むなり、ナルサーフが不機嫌そうにぼやいた。


「椅子の件か? 俺に幸運が向いていたようだな」


「幸運じゃないさ」


「なに?」


 狭い車内で、ナルサーフがぐいと顔を近づけて来る。


「あれはわざとタイタスを優遇したに違いない。お前が具合悪そうにしているときに、突然転んで長椅子に寝るなんて、出来過ぎている。それに侍女が助言していただろう?」


「あれが演技だっていうのか? そうは見えなかったが」


 確かに急に立ち上がったのは不思議ではあるが、転んだ動きは自然だった。まさかわざと転ぶ練習をしたことがあるわけないだろう。偶然だ。


「客たち全員の椅子を見たか? 主馬頭は簡易床几で主馬寮長はひじ掛け付きの椅子だった。大狩猟官は背もたれもない椅子だったが、大膳部官は綿詰めまで付いていた」


 言われて思い返せば、人によって差があった。


「だが、急遽あの形にしたのだから、偶然だろう」


「いや。よく考えれば今日の客は対立関係にある者ばかりだった。そしてその一方が優遇されていた。明確に線引きをして、色塗りをしたんだよ」


 たしかに主馬頭と主馬寮長は、以前に裁判まで起こしていた。主馬頭が主馬寮長の予算の決裁権を奪おうとして騒動になっていたはずだ。

 皇帝の一喝を受けて和解こそしたものの、対立は隠れて続いていたのかもしれない。


 大膳部官と大狩猟官もそうだ。いや、自分とナルサーフにも当てはまるではないか。


「サツマの王族が旗幟を明らかにしたとなると、タイタスが大分有利だな。クロカゲ殿下も、同居している以上は一心同体だろう。それにクロカゲ殿下はイオニア家とも懇意と聞く」


 ナルサーフが指折り数えて自分の不利を挙げていく。


「個人的にヴェスパシアス家とも仲が良いぞ」


 他人の名を使って悦に入るのは趣味ではないが、ナルサーフの反応が面白そうで、つい言ってしまった。

 果たして、ナルサーフは頭を抱えて情けない声を出した。


「ああ~そうだった~。四大貴族家が二つに、属領とはいえ有力国の王族が二つ。こりゃあ、逆転は難しいか……。いったい、いつどこで差がついた?」


「さあな、俺にも分からん」


「……家宰は任せてくれよ、次期当主どの」


「色々と誤魔化さないならな。あと、金は返せよ」


「あれは残ってねえよ。孤児院に寄付した。俺とお前の連名でな。金を出したのはお前、手を動かしたのは俺だから、妥当だろ?」


「なんだそりゃ」


 ナルサーフの妙な理論と不屈の精神に、思わず笑ってしまった。だが不快感はない。


 どうせ自分が当主になればナルサーフを重用しただろうし、ナルサーフが当主になれば自分は文句をこぼしながらも忠実に仕えただろう。


 跡目争いといっても、殺し合いじゃない。少なくともネメアー家では、そういうものだ。

 ようやく身内での戦いが終わるのかもしれない。そう思うと、清々しい気分だ。


 だがそれにしても、今日は手痛い失敗があった。


「しくじったな、惚れてしまった」


 ぽつりとつぶやくと、ナルサーフがあきれたような声を上げた。


「お前もか」


 戦いは、続くのかもしれない。


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― 新着の感想 ―
今回も良いお話しでした~。 ネメアー家もこれで安泰ですね! こういう話しを読ませて頂くと、前章の事なども勘案するに作者様がいかに歴史小説に造詣が深いか分かりますね。
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