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この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
5章 魔法使いへの復讐、魔王からの復讐

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同棲と南国旅行と金髪美少女の死体⑤

 サンがクロカゲに庇護されてから二回目の朝が来た。


「おふぁようごじゃます……」


 与えられた客室は、清潔で広々としていて快適だった。大きな窓からは快い日差しと爽やかな秋風が入り、なんとも居心地が良い。調度はどれも、実用的ながらも装飾が美しい逸品ばかりだ。王族にしか許されないはずの天蓋付の寝具だけは気になったけれど、豪華すぎると文句を言うわけにもいかないので、とりあえず使っている。


 焼き立てのパンや牛肉、豚の腸詰などの豪華な朝食――もちろん、屋敷の召使が給仕をしてくれる――を終えて山羊乳と砂糖をたっぷり入れた東方平原風で紅茶を飲んでいると、ヘポヨッチがふらりと現れた。


 いつものようにご機嫌な笑顔だ。布張りの椅子に音も無く腰かけると、自分で紅茶を杯に注ぎ、牛酪バターと塩を入れている。どうやら北方諸国の飲み方が好みらしい。


「どうだい、ここの生活は?」


「最の高です。天国がここにありました。三食とおやつと昼寝付きですし、お風呂も快適ですし、ご飯はお肉いっぱいで美味しいし、焼き菓子は砂糖がたっぷりだし、石鹸は名産地の刻印が入っている高価なものだし、着心地の良い亜麻布の服にお洒落な絹の衣服も……」


「うむうむ。君が満足ならそれで良い。君を守ると言ったからには、クロカゲはきっと大切にしてくれる。あれで真面目だからね、それに努力家だ」


「ええ、本当にそう思います、すごい人です」


 まだほんの少ししか一緒に過ごしていないが、それでもサンには彼がすごい人物であると分かった。優秀で勤勉で、強靭な精神を持っている。


「私がお部屋に伺ったら、のほほんとお話しながら書類をいくつも片付けていたんですよ。帝国貴族から来た夜会の招待状への返事とか、東方平原への報告書の添削とか、イオス王国の時事詳報の確認とか」


「のほほんとしているのは奴の性格だろうけど、まあ随分と忙しそうではあるなあ。大きな仕事をやらせて……抱えているからね」


「驚いたのは、東方平原の言葉だけじゃなくて、帝国の文字も使っていたことですよ。それにサツマ藩王国や北方諸国の文字も分かるらしいんです」


 帝国における識字率は一割ほどだ。貴族に限ればその割合は大きく上がるが、それでも複数言語を理解し使いこなす人間は多くない。多言語を自在に操るなど、高級文官並みだ。


「クロカゲは余を、いや、こほん……とある相手を倒すために世界中を旅していたからね。元来の勉強家の気質もあって、身に着けたんだろうよ」


「でもでも、ただ読み書きができるってもんじゃなかったですよ」


 クロカゲは一人で書類を片付けていた。貴族であっても実務能力に乏しく、執事や家令に任せてしまう者は多い。年若の当主などは、代々仕える使用人の補佐を受けるのが当たり前だ。自ら考え判断ができるのは、優れた能力を持っているからこそ出来るのだ。


 これでサンと同い年というのだから、開いた口がふさがらない。

 聞いたところによれば、さらに槍の達人でもあるし馬や弓も人並み以上に使いこなすうえに、気さくで、ちっとも偉ぶらない性格なのだ。なんだ、ただの天才か。


「ま、クロカゲのことは置いておこう。他に不便はないかい? あの人間の小娘が何かするようなら少ぅし強く言い聞かせるんだが」


「ニレハさんのことですか? 全然、大丈夫ですよ。ちょっと近寄りがたいですけど」


 あの少女も常人ではなかった。サツマ藩王国の刀王を兄に持つ歴とした王族だが、その身分に胡坐をかく気配は微塵も無い。


 日の出前から庭の立木を相手に薙刀を振り、煙を上げるほど打ち据えても、疲れた様子など見せない。自ら召使を采配して屋敷を切り盛りし、合間の時間では教師を呼んで自室にこもっていた。帝国式の礼儀作法の勉強などをしているらしい。帝都での人脈形成に注力するため、これから貴族社会に飛び込んでいく予定ということだから、その準備に余念がないのだろう。


 本当は機会があれば仲良くなりたいのだけれど、自分にも他人にも厳しい様子に、尻込みしてしまっている。


(私みたいな自分に甘々でゆるゆるな人間が話しかけたら、それだけで怒られちゃいそうなのよね)


 もし実際に話しかければ優しく接してくれるかもしれないけれど、そもそもきっかけがない。


「ま、何かあれば言いたまえ。あの人間はクロカゲに発情しているから、近寄る女を威嚇する習性がある。矮小なる人間ごときが余の恩人に手を出すならば、変性系の魔法で精神を変質させてやろうと心を決めているから、君は安心して良い」


「それってめちゃくちゃ強力な大魔法のような気がしますけど? ヘポヨッチさんって強すぎません? どこかに名前が残るような伝説のすごい魔法使いとかだったりませんか??」


「そうでもないさ。数百年を生きる魔法使いなら使っていてもおかしくない程度の魔法だよ。余を越える魔法使いも、まあ、一人くらいは知っているしね」


「うーん? 前提がおかしい気もしますけれど、納得しておきます」


 最強の魔法使いと言えば勇者メイプルが思いつく。大陸に覇を唱えんとする銀月帝国が擁する、至高の魔法使いだ。どんなに自信家であっても、彼女を越えるとは言えないんだろう。そう結論付けて納得することにした。


「でも簡単に人の精神を変質させるとか言わないでくださいよ。怖いですよ」


「大丈夫、怖くないよ。そうだ、君でちょっと試してみようか?」


「うえ? それは、ちょっと、具合悪いすね」


「まあそう言わずに」


 おもむろにヘポヨッチに右手を掴まれた。魔法の素養なんてこれっポッチも持ち合わせていないのに、手のひらを起点にグッと押し込まれるような不可視の力を感じる。骨や筋肉を通り抜け、心臓が掴まれ頭を揺さぶられるような不思議な感覚だ。


「ふおお?」


「これで君の味覚は正しく調整された。これさえもおいしく食べられる」


 道化師らしく、ヘポヨッチがどこからか、手のひらに収まるくらいの真っ赤な野菜を取り出した。帝国北方の名産で、鍋に一つまみ入れるだけで激辛料理に変貌させる。潰して水に混ぜれば、熊さえ追い払う劇薬もになる。間違って口に入れれば、控えめに言って地獄を見るはずだ。


「本当ですか?」

「信じたまえ」


 道化師が自信満々に笑っている。


「じゃあ、いただきます」


 赤く艶光するそれを、ひょいと摘まんで口に放り込んだ。もぐっと噛み締めると、新鮮な野菜の爽やかな歯触りと共に瑞々しい水分が口の中に広がった。

 口が焼ける。汗が噴き出る。目の前に砂漠が広がる。


「ああああああああああああああうげらほべば?!?!?」

「あれ、しくじったかな」


 辛い辛い痛い辛い。舌が焦げる、溶ける。世界が崩壊する。

 床に倒れ込んでのたうち回った。


「ああ、あああ、ああ……ふんぐぐ……」


 汗が吹き出し、涙が滲み、体が震える。この世に存在するありとあらゆる苦痛が襲いかかってくる。いや、そもそもこの世に生きる人間は、悉皆苦悩の囲繞地に在る悲しき仔羊なのかもしれない。


 人は生を受けた時から苦しみに囲まれている。生まれる時も場所も選ぶことは出来ない。そして必ず老い、怪我に苦しみ、病に苦しみ、死へと向かって行く。愛する家族や友人達とも、必ず別れねばならない。妬みや嫉み、敵意、無自覚の加害を向けてくる人達とも向かい合わねばならない。いや、それらの悪意は自分からも生じ得る。例え永遠の平穏を願おうとも、繁栄を願おうとも、決して手に入らない物は存在する。


 ああ、そうなのだ。この世は根源的な苦しみに満ちているのだ。ただ自分を愛し、他人を愛し、全てを赦して生きる事こそが平穏と幸福を――。


「しっかりしなさい。仏門に帰依するのも良いけれど、せめて涙と涎と鼻水は拭きなさいな」


 気が付いたらニレハに抱きかかえられていた。


「あれ? 私、床の上をのたうち回っていたはずなのに……」

「獣の叫び声が聞こえたから、大事があったのかと心配で来てみたのよ」


 呆れ顔のニレハに軽々と抱え上げられ、長椅子に寝かされた。そして彼女が手ずから注いでくれた果実水のグラスに口を付けていると、かいがいしく額の汗を拭われる。


「大丈夫? どうせ、あの変な道化師にからかわれたんでしょうけど」


 ニレハの睨む先では、ヘポヨッチが舌を出して「てへっ」とか言っている。


「あの、もう大丈夫です。王女様にご面倒を駆けるなんて、恐れ多いことで……」

「何を言ってるのよ。あなただって帝国貴族でも首座の家の出なんでしょう? 属国の王族と本国の最上級貴族なら、同じようなものでしょ。年齢も同じだし」


 白魚の魚のような指が素早く動いて、サンの洟をぬぐっていく。


「うう、ありがとうございます。ニレハ様の優しがとっても身にみます。あと舌もみます」

「あら、それならよかったわ。お里では、おきゃんが過ぎると鼻をつままれたものですけれどね」

「そうなんですか?」


 深窓の令嬢と題して大理石から切り出したようなニレハからは、お転婆な気配は感じられない。凛と張り詰めた空気と、どこまでも清らかな風を纏っている。


「女の人はぼんやりとしているくらいが善いとか、大人しくていることが美徳とか、そういうことを言うお年寄りがいるのよ。だからちょっと政に感想をこぼしたり、武家や公家の方とお話したりするだけで嫌な顔をされるの。もしこっそり城を抜け出してお忍びの街歩きでもしようものなら……」


 酸っぱい柑橘でも齧ったような顔をして顔を左右に振った。そんなおちゃめなしぐさも可愛らしく見えるからずるい。


「もったいないですね。ニレハさんを箱入りにしておくなんて、国家の損失です」

「おかげでサツマ藩王国での暮らしは退屈だったわ。昨年は何もなかったし、一昨年なんてもっと何もなかった。でも今は毎日が勉強と実践の日々で、とっても充実しているの」


 活力に満ちた笑顔がキラキラとまぶしい。


「今は帝国流の礼儀作法の勉強をしているのよ。兄からは沢山の人脈を作ってこいと命じられているから。でも、全然うまくいかないの。先日の舞踏会では、馬脚が出ないように澄まして座っていることしかできなかったもの。作法とか儀礼って、教本があるわけでもないし、その場その場で正解が変わるのよね」


「そうですね。帝国貴族は大抵が伝統ある家系なので、親から子へと受け継がれていくんです。だから親を早くに亡くして困る方もいます。そういう方や新興の貴族は、家庭教師を雇うこともありますね。ですけど礼儀作法マナーは教えられても、宮廷作法エチケットは難易度がダンチですからね」


 人を不快にさせないよう音を立てずに食器を扱うとか、上品な言葉遣いをするとか、そういった礼儀作法は貴族ならば大抵は身に着けている。だが宮廷作法は違う。まったくの別物だ。


 例えば目上の者の右に立つのは失礼であるという規範ルールがある。あるいは、目上の者の前で帽子をかぶったままでは非礼であるという共通の認識もある。では、とある式典で王族と枢機卿が居合わせたとき、どちらが右に立つべきか。帽子は取るのか、椅子には座るのか。


 そこに皇族がいたときはどうか。遅れた来たときはどこへ場所を取るか。それらの配偶者はどう扱うか。子どもや孫はどうか。喪に服していたらどう変えるのか。

 その場、その時、居合わせる人によって振る舞いが変わって来る。それが宮廷作法エチケットなのだ。


 既存の規範、最新の作法、居合わせる人々の人柄と関係性、そのときの流行……それらを瞬時に判断して、人々に納得させる行動をとらねばならない。


「今は伝手のある貴族家から人を呼んで教えてもらっているのだけれど、なかなか難しいのよね。王族の振る舞いとなれば、本当なら貴族の中でも最上級の人達から学ばないといけないけど、さすがに四大貴族家から人を雇うわけにも……」


 そこでニレハがサンを見てぴたりと止まった。


「良い人、見つけたかも」


「へっ?」


「あなた、四大貴族家の令嬢でしょう?」


「わ、私ですか?」


「そう。家庭教師になってくれないかしら? ね、お願い!」


「確かにお父さんとお母さんから礼儀作法も宮廷作法も叩き込まれていますし、最近まで新興貴族家に召使と出仕していた上にイオニア家とかに出入りしていたから流行も把握していますし、時間もありますし、ニレハさんと年の近い女性ですし……あれえ? もしかして私って適任かも?」


「私の希望に、ぴったり符合するわよ。ねえアレクサンドラさん、お願いできないかしら」


 このまま無為に居候するのも申し訳ないと思っていたところだ。仕事がもらえるならとっても嬉しい。それに、困っている人がいるなら助けてあげたいのが人情だ。


「あの、私でよければ……喜んで」


「本当に?! ありがとう!」


 ニレハが手を取って微笑みかけてくれた。そのつぼみが開いたかのような笑顔に、さっきまで密かに抱えていた隔意は、すっかり吹き飛んでしまった。


「じゃあさっそくお願いね。準備が出来たら私の部屋に来てくださいな」

「了解です」


 軽い足取りで部屋出ていくニレハを、手を振りながら見送った。


「思いがけず仲良く話せちゃった。思ったより全然柔らかい人で良かったあ」


 気が付いたらニレハと仲良く話し込んでいた気がする。


(だけど……)


 きっかけは激辛悶絶地獄。つまり元を辿ればヘポヨッチのいたずらだ。まさかとは思いつつ、尋ねずにはいられない。


「もしかしてヘポヨッチさん、私がニレハさんと仲良くしたいと思っていたのに気づいて、一芝居打ってくれたんですか?」


「ん? ああ、もちろんだとも。当然、余の考えたとおりに事が進んだ。いや、良かった良かった」

「嘘つきました?」


「まったくこれっぽっちも。そもそも、生まれてこのかた、一度も嘘を吐いたことはないよ」

「それがもう嘘じゃないですか」


 まあ、終わりよければすべてよしってことね。


「貴族の召使」から「王族の家庭教師」にランクアップしたよ

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