同棲と南国旅行と金髪美少女の死体④
夜闇に沈む貧民街の狭い路地を、サンはとぼとぼと歩いていた。両脇に並ぶ粗末な小屋たちは、左右から迫るようにひしめき合い、何とも心細く感じさせる。
「これから、どうしようかな」
途方に暮れてしまっていた。
主人からサンの殺害を命じられた執事だったが、見逃してくれた。「サン嬢は死んだことにします。お逃げください」と言ってサンの服の一部を切り取った。自分の血を付けることで、誤魔化すのだという。それだけではなく「イオニア家やヴェスパシアス家を頼り、メイプル様に見つからずに暮らしてください」と言って路銀を渡してくれた。
皮袋を握りしめると、中の金貨がわずかに音を立てる。きっと夜会でロクサーヌやチトスと共にいるところを見ていたのだろう。
けれど二人に助けを求めるつもりはない。心優しく勇敢な友人たちだ。サンがこんな目にあったと知れば、きっと動いてくれる。メイプルと対立することもいとわず行動する。
そうなっては、かえってチトス達に迷惑がかかってしまう。それに、もしサンが生きていることが露見すれば執事も追い詰められるだろう。
「帝都から離れるしか……ないのかな」
名前を変えて違う土地で暮らせば、誰にも迷惑を掛けずに済む。でも家族との思い出が残る帝都は、やっぱり離れがたい。母の形見のドレスだって、ペイライエウス邸に残したままだ。
悩みながら歩いていると、貧民街でもひときわ込み入った区画に入り込んでしまっていた。屋根に穴の開いた小屋では、ふちの欠けた杯でどろりとした酒らしき液体を売っている。屋根代わりに布を張っただけの露店では、何の肉か分からない煮込み料理が客に振舞われている。
道端に寝転んだ酔っぱらいの男が、サンに下卑た言葉を投げてきた。
「見ねえ女だな。いくらだ?」
「や、やめてください」
男が乱暴に伸ばしてくる手を払って、サンは駆けだした。背後から悪態を吐く声が聞こえたが、耳を押さえて走り続ける。
(ここは貧民街だ。歩いているだけでも、危ないんだった)
職人通りや商人街まで出られれば、治安は格段に良くなる。廃屋のような建物のわきを抜け、浮浪者や酔っぱらいを避けて、ひたすらに走った。そしてようやく細い路地を抜けたところで、サンは腕を掴まれた。
「そんなに急いでどうした、嬢ちゃん。よかったら、話を聞こうか?」
節くれだった男の手が、サンの手首を握って離さない。
「や、やめてください」
「やめねえよ。こんな夜中に一人で歩いている娘を、放っておけるか。配達用の荷馬車がある。ペイライエウス邸まで、送ってやるよ」
「え?」
よく見れば、毎朝パンを配達してくれるおじさんだった。
「いいから、乗れ」
サンは軽々と担ぎ上げられ、そばに置いてあった荷車に乗せられた。おじさんがロバの尻を叩いて促すと、幌付きの粗末な荷車がガタゴトと動き出した。
「貧民街にいたら、とって食われちまうぞ。子どもはさっさと家に帰るんだよ」
おじさんの少し怒ったような口調にしり込みしながら、サンはおずおずと言った。
「もうあそこには帰れないんですよ。メイプル様……プルケラ家の人に見つかるとまずくってですね……」
「あん? なんだか大変そうだな。どっか頼れるところはあるんか?」
「無いんです。だから帝都を出て暮らそうかなあと……」
不機嫌そうな唸りが返って来る。
「ああん? 何言ってんだ、おめえ。何の伝手も無しに帝都を出たって、せいぜい農村で奴隷働きするくらいしか、道はねえぞ。本当に頼れるところは無いんか?」
「頼ったりしたら、迷惑をかけちゃうんですよ」
「世の中にはなあ、かけて善い迷惑と悪い迷惑ってのがあるんだ。今は、どう見ても迷惑かけて善いときだろ」
「で、でも」
「うるせえな。嬢ちゃんが決められないなら、俺が面倒見てやる。黙って荷台に隠れてろ」
おじさんが鞭を一つくれると、ロバは小走りになる。幌の隙間から外を見ていると、荷車は帝都の中心部へと向かって進んでいった。そして皇城にほど近い、一軒の貴族家に着いた。
四大貴族家などに比べれば小さいが、瀟洒な母屋のほかに離れや厩舎などもある王道の貴族系邸宅だ。夜だというのに、たいまつや蝋燭がたくさん燃えており、明るさが保たれている。
「あの、ここ、どこですか?」
おじさんの背中に問いかけるが、返事はない。荷車は門前まで進み、おじさんと門番が一言二言話しただけで邸内に乗り入れて行った。前庭は、イオニア家のように広大ではないけれど、よく手入れされた樹木や花が美しく、品の良い噴水まであった。
そして、いつの間に連絡がされたのか、正面の玄関では使用人たちが出迎えるように整列している。
「もしかしておじさんって、すっごい偉い人だったんですか?」
サンが囁くように問いかけると、おじさんは顔をくしゃくしゃにして笑った。
「んなわけあるかよ。さあ、大丈夫だからお行き、アレクサンドラお嬢様」
「え?」
「俺はよ、これでも昔はペイライエウス家に縁があったんだ。だからあんたのお父様には大層な恩があるし、嬢ちゃんに何かあれば助けになりてえって思っていたんだ。本当に偶然だが、今夜は出会えてよかった」
サンを下ろすと、おじさんの乗った荷車は何事もなかったかのように去ってしまった。しばらく呆けたように見送ったサンだが、すぐに邸内に案内された。通されたのは、館の主人の居室のようだった。建物のつくりは帝国風だけれど、調度はどこか異国の雰囲気が漂っている。
そして間を置かずに外から急ぎの足音が聞こえてきた。
「大丈夫でしたか?」
扉を開けたのは、東方藩王国の王太子であるクロカゲだった。
「ええ? 王太子殿下?!」
飛び上がって驚くサンの手を取り、クロカゲは力強く言った。
「君のことは、僕が守るからね。絶対に」
「え、あの、でも、私、よく分からないけれどメイプル様に狙われてしまっておりまして……きっとご迷惑になってしまいます……」
「構いません。サンさんは、僕のかけがえのない友人です。そして魔法使いの勇者は忌むべき邪悪です。もし奴が襲い掛かって来るというなら、こちらも実力で対応します。あの程度の魔法使いが相手なら、絶対に負けませんよ」
だから安心してくださいねと笑いかけられ、サンは涙が込み上げてきた。謂れの無い理由で命を狙われた恐怖が、今さながらにこみ上げて来る。そして、絶対の安全を約束してくれる人のありがたさが、胸に染みる。
執事がたまたま善い人であったから難を逃れ、偶然に配達のおじさんと出会えたからここまで来ることが出来た。少しでもボタンの掛け違いがあれば、酷い目にあっていたのかもしれないのだ。
いろいろな感情が押し寄せて来て、涙を抑えられなくなってしまった。けれどクロカゲは、サンが落ち着くまで、ずっとそばにいてくれた。
涙が止まり、温かい紅茶をもらい、鼻をかんだところでようやく人心地ついた。
「そういえば配達のおじさんは、殿下のお知り合いだったんですか?」
「いやいや、あれに声をかけていたのは、この美しい道化師にして偉大なる魔法使いぞよ」
いつの間にかサンの隣に、ヘポヨッチが座っていた。それもふんぞり返って足を組むという、王族を前にしてはありえない無礼さで、紅茶を喫している。
「ヘポヨッチさん! クロカゲさんとお知り合いだったんですね」
「うむ、もう何年も親しい付き合いをしている。互いの腹の中身を見せあうほどにな」
ヘポヨッチが笑いかけると、クロカゲはものすごく嫌そうな顔をした。まるでスープの中にニンジンを見つけた子供のような顔だ。
(でも、そんな表情を見せられるってことは、きっと腹の底から仲良しなんだろうなあ)
荒んだサンの心が、ほっこりとする。
「我が恩人どのには、苦労と心配をさせてしまって申し訳なかった。ちょうど帝都から荷物の運び出しをしていてね。君の危機に気づくのが遅れてしまった」
「配達のおじさんは、ヘポヨッチさんが呼んでくれたんですか?」
「うむ、そのようなものだ。恐れ敬い、感謝してくれても良いのだぞ、矮小なる人間よ」
「ありがとうございました!」
サンが手を握ってまっすぐに目を見て感謝を伝えると、ヘポヨッチは満足そうにニンマリと笑った。
「君のご両親は大層な人格者だったようだ。あの配達人のほかにも、ペイライエウスの令嬢のためならばと考えている者は多くいる。今回はたった一人の運命と偶然を操作するだけで足りたが、もう少し困った事態になったとしても何とかなりそうなくらいに潜在的な味方は多い」
ヘポヨッチが何を言っているのか、よく分はからない。けれど父と母が賞賛されていることは分かる。そして、両親は間違いなく賞賛に値する人柄だった。
「受けた恩は必ず返せ。与えた恩は忘れてしまえ。それが父の口癖でした」
ペイライエウス家では、いつからか放蕩者の当主が続き、時おり堅実な当主が立て直すが、また放蕩者が家を傾けるという流れになっていったそうだ。そして最後の当主である父が家を継いだときには、もう手の施しようがない状態だったらしい。
三男であった父は、伝来の負債に加えて、長兄と次兄が作った莫大な借金と、わずかに残った財産を受け継いだ。そして責任感の強い父は、借財の整理に人生を費やすことになった。暴利を要求する相手とは裁判もした。けれど大抵は利子までしっかり返済した。
家具や宝石類は軒並み手放した。土地も権利も全て売り払った。伝統あるペイライエウス邸をもお金に変えて、債務を駆逐した。だから最後まで信頼と尊敬を失わずにすんだ。
サンと母が慎ましく暮らすだけのお金を残してくれもした。これは放蕩者の兄が散じてしまったので、心労のうちに母はこの世を去った。けれど母も、最後まで尊厳と慈しみを失わなかった。尊敬する者はだれかと問われれば、サンは間違いなく父と母を挙げる。
「いやしくも為政者たる者、自分個人のことは最後に考えるべきである。その点、ご尊父ご母堂は間違いなく敬意を持って迎えられるべき存在であったこと、余は疑念の余地はないと考える。しかし気になるな」
ヘポヨッチが首をかしげる。
「何がですか?」
「名家に放蕩者が一人出るならば分かる。だが阿呆ばかりが続く家に、ときおり突如として名君が生まれるというのは解せんな。そも、帝国随一の貴族家であったのに、何故だか間抜けな当主が続いたのだろう? 何か仕掛けがありそうだ」
「仕掛けですか?」
「そう。もしかすると攻撃を受けていたのではないかな。本来は一流であるはずの当主が阿呆になるような、呪術などを。もちろん、ペイライエウス家の没落が利益に繋がる者からのだ」
「ええ? ま、まさか~」
全く意外な指摘だ。サンが生まれたころから、ペイライエウス家と言えば名はあれど内情は窮乏していた。それが当たり前だった。けれど、その状況は誰かに作り出されたものだったとしたら。
すぐに思いつくのは四大貴族家だ。けれど、慌てて打ち消す。帝国貴族として官職を争い戦功を求めて切磋琢磨し競争することはあっても、相手を滅亡に追い込むことまではしないはずだ。手を取り合うべき仲間なのだ。そう思いたい。
やっぱりこの想像は的外れなものだ。きっとそうに違いない。当のヘポヨッチも「まあ、あくまで思いつきだからね」と鼻の頭をかいている。
「で、魔法使いの勇者への対処はどうする? もし君が望むなら、余は全力であれを叩き潰すのだけれども」
ヘポヨッチが不敵に笑いながら、肩を組んで来る。絶対に味方をするという強い意志が、ありありと伝わる。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
ヘポヨッチが優れた魔術師だということは、先日の舞踏会の一件で分かっている。けれど流石に魔法使いの勇者を相手に回して、勝てるはずがないだろう。魔法などには詳しくないサンだけれど、そのくらいの判断はできるつもりだ。
「私が生きていると知られたら、私を逃がしてくれた執事さんに迷惑がかかっちゃいます。それに、殿下やヘポヨッチさんにも。私は、生きて幸せでいられれば、それで良いんです」
「君がそれで良いというなら、余としては言うことはない。君の言葉こそが世の真理となる。余がそうしよう」
そこでヘポヨッチは、くるりと振り返ってクロカゲを見た。
「ではクロカゲに命じる。サンの命を守り、幸せにせよ」
「言われるまでもないよ。彼女は大切な友達だ」
硬い口調でクロカゲが返す。まるでけんかをしているようにも言えるし、どこか通じ合っているようでもある。一般に道化師と言えば、王族などに近習して娯楽などを提供するものだ。けれど、二人の関係はそれを越えた何かを感じさせる。
「お二人は主従ではなさそうですけど、どういった……あ、もしかして、恋仲?」
途端にクロカゲが渋い顔になった。渋々の渋だ。
「恋仲とも言えなくはないが、少ぅし違う。契約をしているのさ。クロカゲが余の二つの要求を満たす代わりに、余は権利を主張しない。そのうちの一つが君のことだ」
「わ、わたしですか?」
「うむ。君は行きずりの余に大層な優しさを持って接してくれた。君の両親ではないけれどね、困っているときに与えられた施しは、無視しないことにしている。ま、余からの恩返しだと思ってくれればよい」
意味ありげに笑うヘポヨッチだが、理解の及ばないサンは愛想笑いを返すことしかできない。
「兎に角、サンさんは僕がここで保護します。東方藩王国の大使館であり、半ば治外法権です。安全を保障しますよ」
クロカゲに明言され、安息の地を得たサンであった。が、それも長くは続かない。
「あら、お客様でいらっしゃいますか?」
淑やかな声と共に部屋に入ってきたのは、白い肌の美しい女性だった。
「私はサツマ・ニレハと申します。それにしても、クロカゲ様に女の影……これは由々しき事態ですわね」
小姑のような鋭い視線に射抜かれた。
サンに気の休まる日常が訪れることはない。
ヘポは魔法でなんやかんやしているので、クロカゲ以外に正体が知られていません。勇者級が相手でも余裕で誤魔化せます。それくらい格が違ったのです。以下は参考までにティアー表です。
一対一で決闘した時の強さです。
なお、強さは作中で変動しているので、全員初登場時のステータス等でランキングしています。ランクが一つ上の相手になら、命を捨てる覚悟で挑めば勝てるかもしれない。ランク二つ上にはどうあがいても絶望……っていうくらいかもです。
同ランク帯では、左にいる方が優勢かもです。
1 勇者ユユ
2 戦士ハヤト、神官ビィル
3 神槍キンメル、盗賊クロカゲ、狩人カ・エル、魔法使いメイプル、覇王ガイウス
4 技の佐々木主水、剣神ウドウ、戦神(チトスの父)、般若面(鶴名留香)、フラグ族長クスサスク、万騎大将ハイエン
5 アサギ、楡葉、サンサ
6 ヒモン、チトス、ゼ・ノパス、サーキ
7 一般人、サン
クソザコ アイセン、タカヒサ
枠外 魔王ヘポヨッチ
ちなチトス父とサン兄は第3章第2話に登場していました。二度と登場しません。




