同棲と南国旅行と金髪美少女の死体③
「ロクサーヌ様とレオンの婚姻を進めたいのだけれど、サンはどう思う?」
メイプルから急に話しかけられ、サンは思わず朝食の盆を取り落としそうになった。
「へ? いや、あの、私としては特に口を挟むものではないのかなぁと考える次第であることを申し上げようか申し上げまいか検討に検討を重ねているところでございまして……」
何とか平静を取り戻して、主人の食事を並べていく。今朝のメイプルは、早くから執務机で書類仕事に勤しんでいる。もしそこにお皿をひっくり返そうものなら、恐ろしいお仕置きを受けていたはずだ。
内心で怯えながらもせっせと給仕するサンに、メイプルは追撃をかける。
「でも、サンはロクサーヌ様と親しいでしょう? どうにかして話を通せないかしら?」
(無理っすよぅ)
サンがペイライエウス家の生まれと知られてからの数日間、ことあるごとにこのような要求をぶつけられていた。「お家復興するなら、面倒見るけどどうかしら?」とか「せめてペイライエウスの名だけでももらえないかしら? サンには一生不自由させないし、迷惑もかけないわよ」と熱心に説得され、果ては「私の養女にならない? 良い婚姻を斡旋するわよ」などと持ち掛けられもしてもいた。
そのたびに何とかのらりくらりと躱してはいるが、そろそろ大変になってきた。
「あの、メイプル様。本当にありがたいんですけれど、私の本心は先日申しあげたとおりです。ですので……」
おずおずと申し出ると、メイプルは何気ない風を装って言った。
「心変わりはしないのかしら?」
「はい」
「絶対に?」
「は、はい」
「どうあっても?」
「……はい、そうです」
「そう、ならこの話はもうおしまいにするわ。今までいろいろと勝手なことを言って悪かったわね」
メイプルが殊勝にも謝罪の言葉を口にした。別に頭を下げたわけではない。机に向かって書き物をしながら、サンのことも見ずに謝っただけだ。それでも、あのメイプルが謝意を示した。
(な、何か企んでいらっしゃいます?)
そんな感想が浮かぶほど、空前絶後級に珍しいことだ。何かあるんじゃないかと、身構える。けれどサンの心中など意に介さないメイプルは、紙切れを突き出して言った。
「注文していた魔道具が出来たみたいだから、取りに行ってくれる? 貧民街に工房を持つ変人でね、配達もしないって変人なの。これだから魔導士はいやなのよね」
あなたも魔法使いじゃないですかという突っ込みが喉まで出たけれど、何とか押しとどめた。
(だけど、貧民街かあ)
嫌な想像が浮かんできてしまう。銀月帝国の帝都であっても人口百万を超える以上は、治安の悪い区域は存在する。大通りからも外れたあたりに、粗末な木造の住居を三階も四階も積み上げ、それらが密集している場所がある。
そこへ素性の悪い者や収入の少ないものが集まっているのだ。治安は悪いし、小火でも起きればあっという間に死傷者が増える危険な一画だ。できれば近寄りたくはない。
そんな懸念を感じ取ったわけではあるまいが、メイプルが指先をちょいちょいと動かして執事を呼んだ。
「貧民街にサン一人で行かせるのは危ないから、あなたもついていきなさいな。とても大切な仕事だから、抜かりなくね」
「はい、かしこまりました」
執事が慇懃に頭を下げる。何でもないという顔をしているが、人事管理や邸内の作業で忙しいはずだ。サンとしては申し訳なくもある。けれども、ありがたい。だからその気持ちを素直に口にした。
「ありがとうございます。ちょっと怖いなって思ってたんで、とっても頼もしいです!」
「いえ、お安い御用ですよ。さっそく出かけてしまいましょう」
サンは、執事と二人連れだってペイライエウス邸を出た。広い帝都と言っても、身一つならば徒歩で十分だ。
途中、城壁に足場が組まれ大掛かりな工事をしている現場を通り過ぎた。
「うわあ、随分大掛かりな工事だ。なんですかね、あれ」
「なんでも城壁に落雷があり、穴が開いたそうです。あの夜会の晩のことだとか」
「へええ、怖いですねえ。でも雷で城壁が壊れるものかなあ」
「あまり聞いたことはありませんが……お上が言うのですから、疑わずにおいた方がよいでしょう」
「あ、そうですね」
そんな他愛のない会話をしながら貧民街に足を踏み入れた。
細い路地の両側に、粗末な小屋が窮屈そうに並んでいる。大抵は複層階建てで、一階こそ石造りだが二階以上は木造だらけだ。雨漏りもひどいだろうし、失火があれば被害も大きいだろう。
立ち飲みの酒屋や小さな娼館などがあると思えば、オリーブ油を搾る工房があったり、洗濯屋が匂いの強い薬液で布を洗ったりもしている。ごみごみとした統一感の無い区域柄ある。
「そちらの小屋ですね」
執事が指さしたのは、貧民街でも外れにある建物だ。人の気配が少ない路地の、さらに奥の粗末な煉瓦小屋だった。
「こんにちは」
サンが挨拶をしながら木の扉を押すと、キイと音を立てて開いた。中には汚れた鍋や釜などが雑然と積み上げられている。床には割れた陶器の壺や瓶が転がっている。
「あれれ? 留守ですかね。出直しますか?」
「いえ、その必要はありません」
その言葉にサンが振り返ると、短剣を握った執事が立っていた。
「大変申し上げ難いのですが、メイプル様からサン嬢を殺すように命令をされています」
「……え?」
サンの戸惑いの声にも、執事は気にした様子はない。
「私はメイプル様にご恩があります。ごくありふれた話ですが、十年ほど前に家族ともども魔獣に襲われているところを、あの方の魔法で救っていただいたのです」
話す間も、淡々と距離を詰めて来る。
「当時、私は、ある貴族家が持つ西方の領地で執事をしておりました。が、ロムレス王国との戦争で焼け出され、多くの使用人と共に、ほとんど着の身着のままで逃げ出しました」
サンは後ずさるが、狭く雑然とした屋内に逃げ場など無い。すぐに背中が壁にぶつかる。
「使用人の中では私が一番上の立場でしたので、皆に指示を出しながら東を目指すことになりました。敵兵を逃れて山道や川を進んだのですが、少ない食料や薬などをめぐって諍いが起き、大変な苦労をしました」
執事は、一歩一歩近づいてくる。割れた陶器のかけらを踏むパリン、パリンという音が、嫌でもサンの耳を打つ。
「苦難は続くもので、森を進んでいると、大熊に遭遇しました。山中で出会う熊の恐ろしさを知っていますか?」
「いいえ、私は都会暮らしが長いので……」
執事がにっこりと笑った。
「それは幸せな事です。私は死を覚悟しましたが、力を合わせて何とか撃退することが出来ました。けれど幾人も死にました。私も足を折り、喉を裂かれて瀕死でした。そこで論争になったのです」
一息つくと、遠い目をした。
「動けぬ私を担いで進むか、置き去りにするか。重傷の人間を担いで山道を進む余裕などありません。ですが、大いに論争になりました。ありがたいことですね。死体同然の私でも、優しさを向けてくれる人がいたのです」
それはきっと、彼が周りの人に優しさと労りを与えていたからだろう。
「結局、私の家族を含む数人が残留して私を看取り、残りは先行することとなりました。私を埋葬してからでも先行組に追いつける。そう判断できるほどに、ひどい状態だったんでしょう。ですが、それさえも許されませんでした」
淡々として執事の口調に、陰が滲む。
「先行組の一部が戻ってきました。残留組を殺して食料や武器を奪うためです」
些細な利益のために、他人を殺す。そんな残酷に平気で手を染める者は、確かにいる。
「私には四人の子供がいました。けれど一人しか生き残りませんでした。十五歳だった長女と長男は、勇敢にも剣を取って戦い、殺されました。十二歳の次女は、なんとかその場から逃げ出したのですが、今も行方知れずです。山中に少女がたった一人では……生きて人里にたどり着くことは難しかったようです」
彼の目は、なんとも寂しげで、悲しげだった。
「病気がちの妻とまだ十歳だった末子も剣を取るほどの、凄惨な戦いでした。きっと、そんな騒ぎが呼び寄せてしまったのでしょう。女面鳥の群れが現れたのです」
女面鳥はサンも聞いたことがある。山岳などに住み着く鳥と人間の混ざったような魔獣で、人も動物も見境なく襲って食べるらしい。
「……身動きも出来ず声すら上げることも出来ず、仲間だった者たちが魔獣に襲われ、食われていく様を見るのは、とてもつらかった。そしていよいよ私にも魔獣の凶爪が迫ろうという時、たまたま通りがかったあの方が助けてくださったのです」
執事の澄んだ目は、当時の情景を思い出しているのだろう。声音は平坦だが、どこか喜びがにじんでいるようにも感じられる。
「メイプル様の爆炎魔法が邪悪を吹き飛ばしてくれました。そして我々が帝都までたどり着けるよう手配してくださいました。今、こうして生きていられるのも、残った家族が壮健でいられるものメイプル様のおかげです。あの方としては、気まぐれに人助けをしただけかもしれませんが、恩返しもせずにいることはできません。この身と命は、メイプル様に捧げております」
「えっと、えっと……」
「サン嬢には、本当に申し訳ない思い出いっぱいです。ですが、私のわがままを通させていただきたい」
執事はサンの胸に刃を当てた。
しばらく時間をかけて所要の作業を終えた執事は、夜闇に紛れてペイライエウス邸に戻った。手に着いた血の汚れを洗うと、主人の部屋の扉を叩いた。「入っていいわよ」という返事で入った室内には、メイプル一人しかいない。
「首尾は?」
「このとおりです」
執事が布切れを取り出した。それは、サンが身に着けていた衣服の一部だ。滴るほどの血で、赤く染まっている。
「ご苦労様」
メイプルのねぎらいは、罪悪感を微塵もまとっていない。それがうらやましく、そして恐ろしくもあった執事は、罪の意識を自分の胸にしまい込み、口を閉ざした。
その晩――。
帝都から密かに一台の馬車が旅立とうとしていた。だが城門の衛兵が、その荷台に積まれた棺を見とがめた。
「おい、これはなんだ? 遺体の運び出しには許可が必要だぞ」
都市に住む者は名簿で管理され、死ねば届け出が必要になる。それは奴隷であっても変わらない。だが現実には、奴隷購入税をごまかそうと、死んだことにして取引されることもある。もし露見すれば、重い罰が待っている。
「中を検める、動くなよ」
数人の衛兵たちが腰の剣に手を当てて、慎重に馬車を取り囲んだ。帝都の城門を守るだけあって、一人一人が選りすぐりの精兵だ。
だが、衛兵が馬車に手をかけようとしたところで御者が右手をゆっくりと振った。すると、衛兵たちはまるで何事もなかったかのように持ち場に戻っていった。もう不審な馬車のことなど、目に入っていないし記憶にも残っていない。
魔法で攻撃を受けたのだ。
馬車は、静かに帝都を離れていった。
もし棺を開ける者がいれば、中に眠る金髪の少女の遺体を見ただろう。血の気はなく、胸には大きな傷がある。それだけで、少女が確実に死んでいることが分かったはずだ。




