許されざる者
帝国北方。
魔王軍残党の討伐に赴いた帝国軍主力部隊は、高い防壁を持つ石造要塞に駐屯していた。
その一室を執務室とした皇帝ガイウス・シルバーバウムは、椅子に座り込んで怜悧冷徹に思考を重ねていた。室内に集められた将たちは、皇帝の決断を待って、身じろぎもせずに立っている。湯気を立てていた紅茶は、考え込んでいるうちに、すっかり冷え切っていた。
外では既に雪がちらついている。窓から入り込んだ冬特有の匂いと乾燥した空気が、つんと鼻を刺激する。末端の兵などは、焚火の周りに身を寄せ合い、お湯で割った葡萄酒をすすりながら暖を取っている。
皇帝であるガイウスの執務室は、暖炉がある分、一般の兵卒より恵まれている。だが薪を吝嗇しているので、銀月帝国の最高支配者が過ごす場として充分だとは言えない。
皇帝という立場を鑑みれば、将兵だけを派遣して皇帝自身は南方で温かく過ごしても批難されるものでは無い。だがそれでも親征を選択したのは、敵の駆逐に最も有効であると判断したからだ。帝国の繁栄のためならば、いかなる犠牲もいとわない。自分自身すら駒にする。それがガイウスという人間だ。
今も帝国の更なる飛躍のために思考を重ねていた。
何処から滅ぼすべきか。誰から殺すべきか。
帝国北方に紛れ込んだ魔王軍残党は、そのほとんどを排除した。軍を動かしつつ皇女ユユを効率的に運用することによって、魔族は討伐を終え、雑多な魔獣どもは北方諸国方面へ追い出した。
国内の安定が図れた以上、次は外征の決断をすべき時である。
「北を攻めるべきか、南を攻めるべきか」
独り言のように呟くと、将たちが身じろぎをする。皇帝の決断次第で、彼らの命運も変わる。
東は東方平原の属国化に成功し、脅威の度合いは極めて低い。あとは時間をかけて着々と侵食を進めるだけだ。
一方で西のロムレス王国は強大だ。魔王軍の影響で大鬼などの魔獣が現れたりもしたそうだが、大きな損害はなく国力の温存が図られている。選挙によって執政官を決める民主主義の国で、市民の一人一人に至るまで意気軒高だ。全面的な争いに突入するには、まだ早い。
北を見れば、魔王が残した混乱の爪痕が多く残っている。加えて、帝国が魔王軍残党の一部を北へ追いやったことで、北方諸国はさらに疲弊しているだろう。軽く揺すっただけで帝国の手中に落ちる熟れた果実だ。折しも、帝国は北方へ軍の主力を展開している。まさに好機と言える。
だが南に危険がある。イオス王国だ。
大内海を挟んで相対する大国であり、経済の面では友好的に貿易を行いながらも、軍事の面では互いに隙あれば兵を出そうと伺っている潜在的な敵国だ。文化的影響力を警戒して、イオス王国の書物を禁書に指定してさえいる。
そして東方平原を属国としたため、陸でも国境を接するようになった。もし帝国が軍の主力をさらに北進させれば、このイオス王国が動くかもしれない。
ならば、北方諸国が機能不全となっている今のうちに、南へ兵を動かすべきだろうか。しかし西のロムレス王国を警戒するならば短期で成果を上げる必要がある。イオス王国を相手にした強行軍は、分の悪い博打だ。できれば避けたい。
様々検討し、ガイウスは結論を出した。
「何らかの策でイオス王国の動きを掣肘している間に、西を警戒しつつも、北方諸国を一気呵成に併呑する……これが現状では善き手か」
決断すると、ガイウスは立ち上がって諸将を睥睨した。
「イオス王国に使節を派遣する。友好関係の維持と貿易の拡大を趣旨とした交渉を行い、可能であれば相互不可侵の約定を結ぶことで、かの国の動きを抑制する。交渉に成功すれば帝国軍主力を動かし、北方諸国を手に入れる。交渉が不振に終わった時は、主力を帝都に温存しつつ、別動隊を用いて長期間を費やしてでも北を攻略する……以上が、今後の方針である」
皇帝の決断に、諸将がにわかに色めき立つ。軍事的行動こそが彼らの栄達に繋がる。平和より乱が好ましいのだ。
「テュリアス将軍」
「はっ!」
ガイウスに呼ばれ、諸将の中からひときわ体格の良い壮年の男が進み出た。今回の遠征軍中では最も位の高いテュリアス・ヴェスパシアス将軍だ。
「帝都へ伝令を立て、この方針を伝えるのだ。イオス王国への使節は、かの国との交渉を有利に進められる者を上級貴族の中から選抜すること。そして護衛に起用するのは……」
現在は干戈を交えていないとはいえ、実質的には敵地である。正式な使節であったとしても危険があるだろう。
だが幸いにもイオス王国に近いサツマ藩王国には、戦士の勇者ハヤトがいる。イオス王国からの侵攻も懸念して故郷に帰らせていたが、彼を帯同させてはどうだろうか。帝都には、東西南北のいずれに異変が生じても対応できるよう、魔法使いの勇者メイプルを置いている。ハヤトが帝国を離れても問題はないはずだ。
瞬時に思考を重ね、素早く決断する。
「……ハヤトなら大丈夫だろう。使節にはかの勇者を帯同させ、帝国の威信を示すとともにいざという時の戦力ともすること。以上を勅命として直ちに取り掛かるよう、帝都へ報せよ」
「かしこまりました」
命を受けて退出したテュリアスは、知恵を絞る必要に迫られた。皇帝は戦士の勇者サツマ・ハヤトを使うつもりであるが、ハヤトは既に死んでいる。
自室にこもったテュリアスは、顔の下半分を覆う髭をもしゃもしゃといじりながら暖炉の前の椅子に座ると、薪に火がついたときの特有の白い煙を浴びながら考えた。
皇帝は、ハヤトの死を知らない。テュリアスの采配の結果だ。
後方に不安が生じれば、皇帝は軍を退くかもしれない。戦功を求める軍人派閥の彼にとって避けたい事態だ。だから「戦士の勇者サツマ・ハヤトは、粗相があり自死した」という連絡を帝都から受け取った彼は、皇帝に知らせることなく握りつぶした。戦士の勇者が失われようとも大局には影響が少ないだろうという言い訳の元、秘匿したのだ。
その大局観は、一面では間違っていない。
東方平原を通じて陸路でも国の境を接することになったといえども、イオス王国と東方平原は伝統的に友好的な関係を維持している。東から戦火が広がることはない。
もしイオス王国が兵を出すならば、初戦は大内海での海戦となる。細やかな動きの取りにくい船での戦では、魔法使いの勇者メイプルが有利になる。魔法使い職の勇者級の技をもってすれば、どのような大船団であろうとも、船ごと魔法で撃ち抜いくことで殲滅することが可能だ。
もちろん、そんな戦術方針でいることをそれとなく国外へ喧伝する小細工は忘れない。損害を忌避したイオス王国の萎縮を期待してのことだが、少なくとも今日までは成功していた。この成功体験で、テュリアスは自分の情勢戦の手腕に自信を強めた。
だがその結果、こうして悩むことになった。
テュリアスは、顔の下半分を覆う髭をもてあそびつつ、次々と暖炉に薪をくべた。針葉樹の薪は、密度が薄く軽い。すぐに火が付き勢い良く燃え上がるが、火勢は一時のものですぐに衰える。だからどんどんと燃料をくべてやる必要がある。
それは嘘にも似ている。嘘は、その瞬間こそは利益をもたらすように見えるが、長くは続かない。そして一度用いると、次々と嘘をついていかなくてはならなくなる。赤く揺れる炎を見つめ、焦げ臭い煙を嗅ぎながら、テュリアスは彼なりの理屈をこねた。
「今、戦士の勇者の死を伝えても、かえって陛下に混乱が生じるやもしれん。帝都に帰還し、情勢が落ち着いたところで報告すべきだろう。陛下のお考えの趣旨が実現するのならば、文言を忠実に遂行するばかりが忠誠心でもあるまいよ」
そして結局は、安易な方法に手を染めた。
皇帝の指示は、戦士の勇者ハヤトを念頭に置いていると明白だったが、あえてその意図を拾わずに命令書をしたためたのだ。
「イオス王国へ使節を派遣せよ。なお武威と護衛の為、勇者級の者を帯同させること」
表面上では間違っていない命令書は、速やかに帝都へ届けられた。
受け取ったのは、スッラ長官だった。
スッラは皇帝直属の文官であり、機密事項を含む総括的な政務を分担している者の一人だ。白髪交じりの老齢ながらも、判断は鋭く遅滞ない。それでも不明瞭な指示を受けて迷うことになった。
「勇者というと、魔法使いの勇者メイプルと神官の勇者ビィルがいる。どちらを指した命令だ? まさか両方か?」
スッラは、テュリアス将軍から届いた皇帝の命令書を何度も読み直すことになった。皇城内に与えられた仕事部屋は、棚に積まれた本や書類が放つインクの匂いが充満している。だが命令書は、それらよりも強く煤けた匂いがする。きっと戦場の空気の中で書かれたのだろう。そこから皇帝の意図を嗅ぎ取ろうと、鼻をこすりつけるように羊皮紙を熟読し、懸命に考えた。
「さすがに戦地にいらっしゃるユユ殿下は違うだろう。だとすると……」
スッラとしては、戦士の勇者ハヤトの死は報告済みの事項なので、当然ながら念頭にない。
そして神官の勇者ビィルは故郷である神聖七星公国に戻っている。属領とはいえ、呼び出すには時間が必要だ。ならば魔法使いの勇者メイプルを起用すべきだろう。
「となると、肝心の使節だが……」
スッラは、薄くなった頭をかきながら過去の事例を思い起こす。こういう場合、大抵は名の知れた貴族を代表者とし、優れた文官で脇を固める。儀礼と実務とで分担を分けるのだ。
では誰を代表とするかだが、相手は大国にして潜在的な競争相手であるイオス王国だ。生半可な者では務まらない。四大貴族を動かすべきである。
そこまで考えが至れば、あとは消去法である。
北のヴェスパシアスは魔王軍残党を相手に尽力し、今後は北方諸国へも注意を向ける必要がある。これ以上の負担は増やせない。除外だ。
自身の出自でもある西のスッラでも良いのだが、イオス王国への行程には危険が伴う。一族に、危ない橋を渡らせるつもりはない。スッラ家は西方ロムレス王国への備えとして温存する必要があると理由を付けて除外する。
ならば東のイオニアしかない。東方平原は落ち着いているし、現状でもっとも余力を残している。そしてちょうどよいことに、魔法使いの勇者メイプルは、イオニア家の子飼いに収まっている。
「四大貴族家の者であれば、今回の任をこなせるであろう。使節の人選はイオニア家に任せる。そこへ魔法使いの勇者メイプルを同行させ、イオス王国へ送り出すのだ」
イオニア家当主のニカルノが、スッラから指示を受けたのは、初めて主催した舞踏会の数日後だった。
舞踏会では様々な突発的な出来事があったが、全体として大成功に終わり満足していた。そこへこの命令だ。大いに喜んだ。家督を相続した直後のニカルノとしては、手柄が欲しい。
「イオス王国との交渉で不可侵条約の締結まで事を運ぶことが出来たなら、北方併呑の功績の大部分を主張できるな。当家に役を振っていただいたスッラ長官には感謝せねばならん」
人選を一任されたニカルノは、娘のロクサーヌを呼び出した。先日、社交界入りを果たしたばかりの娘だが、すでに一人前の淑女としての能力を備えていると考えている。礼儀作法に抜かりはないし、肝も据わっている。優秀な配下を付けて交渉戦術を補佐させれば、成功は難くない。
そう判断して愛娘と自室で向かい合って座った。
だが柔らかな長椅子に腰掛けた秘蔵っ子は、その胆力と交渉力をニカルノに対して使った。
「お父様、私、哀しいです」
「突然、どうした?」
「イオス王国行きの人選、もっと良い選択があるのに、それをなさらないなんて。イオニア家にあるまじきことですわ」
「詳しく聞かせてくれないか、ロクサーヌ」
「イオス王国は恐るべき強国ですわ。銀月帝国よりも古い歴史と老獪な政治手腕を持ち、一方で開明的な文化と様々な先進的な技術を持っている。王は神として称えられる一方で、優秀な官僚集団が国家を盤石に運営している。そんな国を動かすために乗り込むからには、準備が不足すれば足元をすくわれますわ。使節を代表する旗として、相応しい人物が必要です」
「ふむ」
娘に言葉巧みにあおられ、不安が湧いてきた。相手に不利を飲ませる交渉をしに行くわけではないし、不首尾に終わって手ぶらで帰って来ても損はないと考えていた。万一のことがあったとしても、勇者級の者が同行すれば、危険はないだろうという計算もある。だが、相手はイオス王国だ。どんな陰謀をぶつけて来るか分からない。油断と楽観が過ぎたのかもしれない。
ニカルノが密かに気を引き締めると、ロクサーヌは期を見計らったかのように言った。
「アレクサンドラ・サロニコス・ペイライエウス」
「……む」
その名にニカルノは反応してしまう。
「かつてイオス王国との交易と外交を一手に引き受けたペイライエウス家の現当主であり、誰もが目を奪われる気品と美貌の持ち主。それでいて心清らかで指先一つに至るまで魅力にあふれた身のこなし。好意を抱かずにはいられない天性の人柄。女神のような存在。その素晴らしさは、お父様も舞踏会でご覧になったでしょう?」
ロクサーヌが吐き出す熱のこもった言葉に、舞踏会を思い出す。確かに娘の言うとおりだ。突然現れ、居並ぶ大貴族たちを前にしり込みもせずに堂々と振舞っていた。洗練された礼儀作法と心配りの行き届いた会話で、多くの崇拝者を生み出した。
不思議と人を惹きつける。周囲に人間が、我知らず味方してしまう。そんな神の加護を受けているのではないかと疑いたくなるほどであった。
「もしこれを機にペイライエウス家が復興すれば、我がイオニア家と極めて密接な関係になれます。いかがですか、お父様?」
「しかし、彼女が今どこでどうしているか、私は知らんのだ。ペイライエウスの名を持つ者は、傍流を含めて社交界に残っては……」
「問題ありませんわ。すべて私が手配します。このロクサーヌにお任せください」
ニカルノから主導権を奪い取ったロクサーヌは、すぐにプルケラ家に使いを出した。だが「アレクサンドラ・サロニコス・ペイライエウスをイオニア家に寄こすように」との手紙への返事は、そっけないものだった。「そのような名の者は、当家に在籍していない」。
そんな紙片を読んだロクサーヌは、危うく激発するところだった。
「プルケラ家ごときが、この私と言葉遊びをしようっていうの? ふざけているわ!」
だが愛する女性の顔を思い出し、何とか踏みとどまった。
「まあ、そうよね。もしペイライエウス家の人間だと認めてしまえば、召使に平伏しなくてはならないものね。良いわ、付き合ってあげる」
そうして二通目の手紙を出した。今度は「マルケラ・プルケラの侍女サンをイオニア家に寄こすように」とした。この手紙のやり取りに数日を費やしてしまった。そしてこの時間の空費が悲劇を生むことになった。
ロクサーヌは間に合わなかったのだ。
その手紙が届いた時、ロクサーヌは私室で物書きをしていた。貴族家に生まれた二人の少女たちが友情を育むが、一人は没落して行方知れずになる。しかし運命が二人を再会させ、愛を確かめ合う物語だ。別にどこからか着想を得たわけではない。現実の何かに似ていたとしても偶然だ。
そうして熱心に筆を走らせていると、プルケラ家からの返事が届いた。そこにはこう書かれていた。
――サンという名の召使は、死にました。
紙片を目にした瞬間、ロクサーヌは勢いよく立ち上がった。
「戦争よ!」
細剣を掴むと、部屋を飛び出した。イオニア家の令嬢が雷発したのだ。




