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この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
幕間

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絶望の中で笑う戦鬼

 林の中をゆっくりと慎重に歩く。一歩を踏みしめるたびに枯れ葉が音を立てる。鼻の頭がきんと冷え、吐く息がわずかに白い。暦の上では秋だが、銀月帝国北方ではすでに冬の気配が漂い始めている。


「日陰に入ると、寒いな」


 後ろで隊長が呟く。

 もちろん無駄口ではない。その言葉を合図に三十人からの兵が、歩きながら寒さの対策を始める。革手袋をはめて手指を寒風から守り、種火として携行している燃えさしを取り出し、温めておいた石などを握り込んだりしている。いざという時に手がかじかんでいては致命的だ。


 先頭を歩くチトスは、もとより抜かりない。筋や関節を守るため、服の下で体中に布をきつく巻いているからこれが案外温かい。肌は顔の一部しか出していないし、武器以外に鉄を使っていないので、熱を奪われることも無い。


 だが、すぐにでも戦闘に入れる装いで行軍をするとなれば、体力を消耗する。動きにくいし、重いからだ。チトスが難なく先頭を歩いているのは、彼の若さ――今年で19歳になる――だけが理由ではない。心身ともに優れた戦士であるからだ。


 隊には、数人の無級槍士が混じっているものの、ほとんどは下位級槍士だ。つまり極めて優れた兵達である。

 クラスランクは、無級から始まり、下位級、上位級、英雄級、伝説級、そして勇者級へと階が連なっている。槍の扱いを身に付ければ、それだけで無級槍士になることが出来る。帝国の歩兵は大半がこれだ。


 どれだけ時間をかけても、やる気や才能がない者は一生を無級で終えることもある。だが修練を続ければ、早い者ならば十年ほどで下位級にたどり着く。槍が手に馴染み、考えることもなく振れるほどに動作が体に染み込んでいる熟達した槍士だ。下位級という言葉で誤解されることもあるが、無級を脱したということは、それだけでも胸を張ることが出来る。


 チトスはさらにその先、上位級の戦士だ。得意は短剣だが、槍もそれなりに扱えるし弓矢や馬も使える。圧倒的な強さを持ち戦神せんじんと恐れられた父になぞらえて、戦鬼せんきと呼ばれることさえもある。


「気配があります」


 チトスの警告に、隊に緊張が走る。


「小型の魔獣が十以上、二十未満。恐らく小鬼ゴブリンかと」


 チトスの視線の先には、ここまでと変わらず、程よく手の入った林が広がっている。下草は刈られているし、枝も下の方は払われている。木の間隔は一定で、地面には落ち葉が絨毯のように広がっている。

 だがよく見れば、獣道のように踏み均された跡がうっすらと見える。それも小型の生物が隊列を組んだように一列に歩いた跡だ。小鬼の特徴に合致する。


 チトスの属する先遣隊は、帝国北方で魔王軍残党の魔獣から町々を守る任に就いている。帝国軍の本隊は、北東方面から西に向けて順次残党を駆逐している。それに先んじて偵察を行い、可能であれば敵を撃滅するのだ。

 そして今は帝国北方の都市タルペイアの依頼を受けて、周辺の山や林の探索に当たっている。


 タルペイアは人口一万人ほどの都市で、周辺に五百人規模の村をいくつか抱えている。最近、その村々に小鬼が現れて食料などを奪っていくというのだ。目撃されるのはいずれも小規模の群れで、突然現れては近くの野山に逃げ込んでいく。

 そんな相談を受けたチトスを含む三十人の隊は、この数日、山林の哨戒をしていた。


「よし、やるぞ。チトス、先行して敵の位置を……」


 隊長が戦闘を決断した次の瞬間、前方から枯草を踏み荒らす音がかすかに聞こえてきた。だんだんと近づいてくる。


「来ます!」


 叫ぶと同時に、チトスは二つの短剣を抜いた。双剣である。後ろでは馬に引かせた荷車から、大盾を下ろし始めたところだ。


(俺が前に出るしかない)


 前方に小鬼が見え始めた。醜悪な外見の小さな体躯で、ぼろきれを身に付けている。めいめいが粗末な剣や槍を抱えている。

 敵もこちらに気づいている。


(一、二、三……十二匹か。弓持ちが三匹いる)


 チトスは目が良い。単に視力が良いだけでなく、特別な力を持っている。

 双剣を両手に提げたまま、迫りくる小鬼に向けて駆け出した。落ち葉が飛び、乾いた土が舞う。そんな背後の様子さえ俯瞰しながら、飛び道具を警戒してジグザグと走る。そして小鬼弓兵が矢をつがえたとみるや、木の陰に飛び込んだ。

 この林は大きな広葉樹が多い。きっと近くの村が材木として育てているのだろう。


 太い幹に隠れると後を追うように矢が突き刺さるが、密度のある大木に遮られる。傷が付けば木材としての価値も下がるだろうが、今は自分の命の方が大事だ。使えるものは使わせてもらう。


 隠れながら、目を使った。


 この世界には七眼九目と呼ばれるものがある。見るという行為を通して発揮される特殊な能力だ。王眼や真眼、精霊眼などの稀有で強力なものはよく知られているが、チトスの“将目”にはそこまでの力はない。だが一兵卒には十分だ。


 チトスの目には、自分の後姿が映っている。少し見下ろすような高い視線だ。そして木の向こうから小鬼の群れが矢を射かけつつ迫ってくる様子が見える。

 将目は、このように一歩引いた高い位置から周囲を見渡すことが出来る。障害物に身を隠しながらも状況を把握したチトスは、木の陰から飛び出した。


(馬鹿で助かる)


 味方への流れ矢を警戒したのか、弓を持った小鬼は最前列を走っていた。そこへ一気に駆け寄り、双剣を振る。右の短剣で一匹目の弓手を斬りつける。血しぶきとともに弓の弦が弾ける。間をおかず左の短剣で二匹目の腕を弓ごと斬り飛ばす。そして流れのままに三匹目を蹴り飛ばし、落とした弓を踏み砕く。


(これでよし)


 弓兵を無力化するには、弓自体を壊してしまえばいいのだ。弓兵を斬っても、落とした弓を他の小鬼が拾われては意味がない。

 勝つためには、生き残ること。生き残るには、攻撃を受けないこと。これがチトスの考えだ。


(絶対に生きて帰る。あいつのためにも)


 幼馴染みの顔がよぎる。将来の約束をしたわけではない。想いを伝えた訳でもない。だがふとしたときにいつも彼女の笑顔が思い出される。

 隊を見れば、すでに盾を下ろし終え、陣形が出来上がりつつある。大盾を隙間なく並べて壁を作る。帝国軍の必勝戦法だ。


「戻ります!」


 声をかけつつ身を翻して走った。背を向けようとも、小鬼の様子は将目で見える。小鬼の投石を二つ避け、大盾の壁にたどり着く。頼もしい仲間を背に、小鬼と向かい合った。


 集団戦の脅威の一つは、背後を取られること。だが後ろを任せられる仲間さえいれば、チトスは前に集中できる。

 背後から仲間の投げ槍が飛んだ。腹に受けて小鬼が一匹ひっくり返り、手足に受けて二匹が負傷した。


(あと八匹)


 飛び込んでくる小鬼の古びた槍を避けつつ首を刎ね、その後ろから迫るもう一匹の剣を弾き肩から両断する。左右から同時に襲い掛かってくるが、盾の隙間から突き出された味方の槍に貫かれる。


(あと四匹)


 前に出た。右の小鬼の首を斬り、左の小鬼の胸を突く。そのまま二匹の間を駆け抜け、残る二匹を同時に斬り捨てる。


「仕上げろ!」


 隊長の号令で、隊員たちが一斉に前に出た。地に伏す小鬼たちを槍で突き、とどめを刺していく。そうして最後の一匹まで討伐を確認し終えたところで、ようやく一息を吐く。


 小鬼は魔獣の中では最弱の部類だが、戦うとなれば気は抜けない。小鬼は非力で装備も粗末だが、斬られれば怪我をする。回復魔法を使える神官職は貴重だ。簡単に町の外を連れ歩けるものではない。

 つまりしっかりとした治療を受けるには、町に戻って神殿などで神官の回復魔法を受ける必要があるが、それまでに傷口が悪化すれば人は容易く死んでしまう。小鬼との戦いであっても、死の危険はそこら中に転がっている。


 だから決して油断しない。

 チトスは戦鬼などと呼ばれているが、大鬼オーガのような魔獣と戦えるとは思っていない。隣国には大鬼の首を容易く切り落とし「鬼殺し」の異名で呼ばれる戦士もいるらしいが、天賦の才を持つチトスでもそんなことはできない。遥かな高みにいる雲の上の存在だ。


 小鬼を相手にも、全力で戦う。

 抜群の戦闘力を誇る上位級戦士のチトスであっても、その覚悟が必要なのだ。いや、その覚悟があるからこそ、上位級という高みにたどり着いたともいえる。


「皆、良い連携だったぞ。さあ、槍と盾の確認を怠るな。異常があれば申し出ろ」


 隊長が声をかけながら一人一人の様子を観察している。装備の不具合や怪我などがあれば、即座に町に戻る判断をするのだろう。頼もしい。


「チトスもよくやってくれた。特に初動の判断が良かった」


 隊長がチトスの肩を叩きながら朗らかに言った。戦闘時の行動の良し悪しを明確に言葉にしてくれる。優秀な指揮官だ。


「ありがとうございます。皆さんの陣形の構築が迅速でしたので……」


 話しながらもチトスの耳が異常を感知した。林の奥から、枯れ葉を踏み荒らす音が聞こえてきた。それも瞬く間に数が増えていく。


「敵、さっきより多いです!」


 隊長の行動は速かった。


「陣形を作れ!」


 再び大盾を隙間なく並べていくうちに、小鬼の大軍が現れた。ざっと数えただけで三十以上だ。木々の間を抜けて走り来る。


「チトスは合図をしたら出ろ」

「はい」


 双剣を握りしめると、大盾が作る壁の中に隠れた。すぐに小鬼の大軍が陣にぶつかり、衝撃音が響く。大盾を支える兵たちが、小鬼の波に押されながらも、必死に踏ん張る。


「突け突け! どこを突いても敵だらけだぞ!」


 隊長の叱咤を浴びながら、それぞれが盾の隙間から次々と槍を突き出す。大盾で敵を足止めして、後の槍兵が突き崩す。騎馬の軍団を相手にしても勝利をもぎ取ることが出来る帝国流の戦法は、小鬼の大軍に対しても有効だ。


「出ます!」


 チトスが宣言すると、大盾の一部が開かれる。即座に小鬼の群れの中へと飛び出した。大盾に剣を叩きつけている小鬼、槍を大盾の隙間にねじ込もうとしている小鬼、仲間を踏み台に大盾の壁をよじ登ろうとしている小鬼。次から次に斬って捨てていく。


 突き出される小鬼の短剣を革の肩当てで受け、返す刃で首を刎ねる。振り回された棍棒を、身をよじって躱しながら短剣を投擲し、その胸に突き立てる。倒れた小鬼から短剣を拾い上げ、飛び掛かってくる小鬼を斬りつけ、振り回される剣を躱し、短剣を振り回す小鬼を斬って捨て、槍を避け、蹴り飛ばし、受け、斬る。


(二十三、二十四、二十……)


 もう何匹斬ったか分からない。ただ剣を振ることだけに意識が研ぎ澄まされていく。だが、仲間の悲鳴のような声に視線が引っ張られる。


「おい、あれ……!」


 小鬼の群れの向こうから二足歩行の大きな魔獣が近づいてくる。長い髪を振り乱し、太い腕には大剣を握っている。人間から奪ったであろう全身鎧を窮屈そうに纏っている。


大鬼オーガか……!」


 隊長のつぶやきには、わずかな絶望が含まれていた。巨躯が繰り出す大剣の斬撃は、大盾では防ぎきれないだろう。対してこちらの槍は、直ちに有効な攻撃にはならない。鎧並に頑丈な肌に防がれる。たとえ傷つけたとしても、強靭な生命力で怪我もものともせずに突進してくるだろう。


「俺が行きます!」

「……時間を稼ぐだけでいいぞ!」


 もちろん死ぬつもりなんて無い。絶対に生きて帰る。

 群がる小鬼の隙間を抜けるように駆けた。後ろでは退却の準備を始めている。大盾の陣形は退くときにこそ最大の危険がある。隊列が崩されれば各個撃破され壊走するしかないからだ。秩序を保って後退するための時間を稼ぐ必要がある。


 近づくチトスに気付いた大鬼が、大剣を軽々と持ち上げ、小枝でも振る様に薙ぎ払った。近くにいた小鬼が三匹、両断される。その血しぶきを浴びながら、チトスは地を這うように大剣を躱した。


(あぶねっ……! 無理せずとも時間を稼げればいいんだ。でも……)


 ――倒してしまってもいい。

 チトスはスキルを発動した。小鬼を多く倒したものが身に着ける、俊足の技だ。移動の速度が急激に上昇する。大鬼が剣を戻すより早く、駆け抜けざまにその首を斬りつける。


(浅い!)


 血しぶきを上げる大鬼だが、まだ二本の足でしっかりと立っている。負傷も気にせず大剣を縦横無尽に振り回す。周りの小鬼が巻き込まれて塵芥のように吹き飛ばされる。それを隠れ蓑に、チトスは再び接近した。俊足だけでなく将目も使った。

 強力なスキルの効果は絶大だ。大剣を避け、一気に迫る。

 だがスキルは負担が大きい。


(もう……もたない……!)


 最後の力を振り絞って双剣を振り抜いた。首を両断された大鬼が、今度こそ大きな音を立てて倒れた。


「やった……」


 もはやチトスに体力は残っていない。膝に力が入らず、手を突いてしまう。そんなチトスを、小鬼たちが取り囲む。だがチトスは足掻くことなく、座り込んでいた。

 もちろんあきらめたわけではない。チトスには仲間がいる。


「チトスを囲め!」


 隊長の指示で大盾を持った兵がチトスを囲むように隊列を組んだ。


「よくやったぞ、後は任せておけ」


 隊長はチトスの肩を優しくたたく。その言葉は、大言ではない。皆の盾は傷つき、槍のいくつかは折れている。だが小鬼も数を減らしている。何とか切り抜けられるだろう。陣の真ん中で、チトスは深く息を吐いた。


 その時、大地が揺れた。

 ばきり、ばきりと大木をへし折りながら現れたのは、九つの頭をもつ巨大な水蛇。多頭蛇ヒドラだ。


 触れただけで生きとし生けるものを絶命させる猛毒を持ち、首を斬り落としても即座に新しい首が生えるほどの生命力を持つ。

 勝ち目は、無い。


「盾を捨てろ、槍も捨てろ! 逃げるんだ、散れ‼」


 隊長が絶叫した。

 全員が両手を空にして走り出した。小鬼が狂喜して襲い掛かってくるが、それを振り切るように一目散に走る。チトスも立ち上がって走るが、膝が震える。つまずいて倒れそうになったところで、腕をぐいと引かれる。


「踏ん張れよ!」


 隊長がチトスに肩を貸してくれた。だが当然、二人の歩みは遅い。背後の多頭蛇の気配が濃厚になる。みしりと木がへし折られ、毒の瘴気に木々がぼろぼろと崩れていく。巨体ながらも俊敏な動きで、近づいてくる。もはや将目も使えないので肩越しに振り向くと、長槍のような牙が目の前にあった。


 ここで死ぬのか。諦めに飲まれそうになるが、幼馴染の顔が思い浮かぶ。いや、死にたくない。死んでたまるか。絶対に生きて帰る。


 その時、銀色の閃光が林の中を走った。

 チトスの横を通り過ぎた後で、大剣を持った銀髪の少女だと分かった。こんなところに現れるのは、勇者である皇女しかいない。

 まばゆい光を纏いながら、勇者が剣を振り抜く。皇女の持つ剣の先を起点に、莫大な魔力光が辺りを覆っていく。


 太陽の如き白光に、誰もが眼を閉じる。風が吹き荒れ、魔力の奔流が地を浚う。

やがて閃光が去ると、そこには大剣を掲げた勇者だけが立っていた。


「皆、もう大丈夫だよ!」


 明るい声が林に響き渡った。

 これが、勇者か。死という圧倒的な絶望さえ、一瞬で吹き飛ばしてしまう。天才などと言われた自分は、凡人にすぎないと分からされる。それでも、見ているだけで希望と活力が沸いてくる。


 これが、勇者なんだ。

 チトスは今度こそ、安堵に大きく息を吐いた。

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