ハヤト
ハヤトが目を覚ますと、最初に知らない天井が目に入った。
仰向けに寝転がる背には、畳とは違う柔らかな感触がある。毛織の敷物が重ねられているようだ。そして馴染みの無い乾いた風が鼻をくすぐる。
「ここは……」
ゆっくりと上体を起こすと、腹がずきりと痛む。着物をはだけて見れば、きつく包帯が巻かれている。血が流れる様子はないが、さりとて完治もしていない。首の後ろを撫でてみるが、何事もなく付いている。
「東方藩王国が藩都ジンドゥにございます」
その声に振り返ると、小柄な老爺が座っていた。ヒモンだ。
いくつかの光景が脳裏にひらめいた。天覧試合、吠えるヒモン、灼熱の怒りを秘めたクロカゲ、腹に刺した短刀、振り下ろされた介錯の刀。
「ヒモン殿……これは、いったい……」
「少しの偽装を施しましたゆえ、サツマの地では、既にあなたは亡くなったものとして扱われております。立場の上では死人。これまで築き上げた一切の地位と評判、絆は無くなりました」
一切を失った。戦士の勇者としての名声も、主君からの信頼も、民からの声望も、すべて無に帰したということか。その事実は、なぜかハヤトの胸にすとんと落ちた。
「さて、こうなってみてハヤト殿の胸中はいかがですかな?」
この問いに、素直に答えることが出来た。
「凪でござる」
怒りも悲しみも、焦りも不安も無い。実に落ち着いた心だった。だが同時に、生きる活力も無い。全くの無だった。
しばらくそうしてぼうっとしていると、ヒモンが静かに口を開いた。
「この老体はクォン族出身でしてな。孫娘がおりました。数えで十二歳」
十二歳といえば、弟のシロウと同じ年だ。その生真面目な顔が思い出される。今頃はどうしているだろうか。凪だった心に、少しの波が立つ。だが、今はヒモンの言い回しが少し気になった。
「いた、ということは」
「先のカ・エルの反乱で死にました。東方平原に入り込んだ帝国兵に殺されました。その責任の一端は、ハヤト殿にもあるでしょうな」
「そ……」
そこまで考えていなかった。それが偽らざる真実だ。
強者であり著名でもあるユユと決闘をしたいと申し出た時、ガイウスは手を貸すようにと言った。帝国の絶対支配者たる皇帝が、褒美と共にハヤトに命じたのだ。断る余地はないと思ったし、こちらの願いも叶うのだと単純に考えた。もちろんクロカゲが殺されて当然だなどとは思わなかった。だが皇帝に異を唱えられるものでもないし、他の勇者たちも協力しているという。ならば、自分もそうするべきなのだろうと、勝手に思ったのだ。
そんな自分の短慮な行いで心に傷を負った者が、目の前にいる。それも為人をよく知るほどに付き合いのある相手だ。その事実に、胸がざわざわと落ち着かなくなる。
ヒモンがにこやかに笑いながら、辛らつな言葉を吐く。
「粗忽者でございましたな」
「だがしかし、強きものがその力を振るうのは、この世の理……ではござらぬか」
「優れた剣の技を持ちながら、弱き者を嬲るとは唾棄すべき行いでございますな」
「力ある者の驕った振る舞いがお気に召さぬか」
ハヤトの問いに、ヒモンは不動の落ち着きではっきりと言った。
「強い者が力を振るうというのは、自然なことでございましょう。獅子は、力尽くで鹿を捕らえて喰う。それは自然の摂理です。否定しても始まりませぬ。だが人は獣とは違う」
ヒモンの言葉は、力強い。
「理なくして剣を抜かず、徳なくして剣を握らず。それこそが、人が人であるための根本の原理でございましょう」
剣を抜く。人を傷つける行為を行う以上、そうするだけの理由が必要だというのか。
剣を握る。そもそも、他人に影響を及ぼし得る力を持つ者は、正義であるべきだというのか。
ハヤトはそんなことを考えたことが無かった。生まれてこの方、ひたすらに強くあろうとして剣を振っていた。それだけだ。正義を成すために剣を握ったわけではない。
そして剣を振るうにしても、定めや世間体を気にすることはあっても、その理を深く考えたことはなかった。
それらは悪であったのか。分からない。考え込むハヤトを、やはり微笑みをたたえたままヒモンが見つめている。
「ハヤト殿は深く考えてはおられなかったのでしょう。ですがクロカゲ様は、その果てに一族郎党を失い故郷を焼かれ、ご自身も深く傷ついた。もし仮に、ハヤト殿が同じ境遇に陥ったならば……」
家族や主君を殺され、国を焼かれたとしたら、きっとハヤトは復讐の鬼となっていただろう。
「確かに、拙者は無思慮だった」
ハヤトはぽつりとつぶやいた。その胸に去来するのは、悔いだった。クロカゲは全てを失った。そこに自分自身がわずかなりとも加担していた。その因果を深く自覚することなくだ。
そこまで考えた上で、覚悟のうえで修羅となるか。あるいは非道は許せんと、断固として皇帝の誘いを断るか。そう言った選択をすることなく、漫然と奪う側に立っていた。それもまた、一つの悪の形であるのかもしれない。
「拙者の人生は、根から間違っていたのだろうか」
「わかりませぬ。ですが、ハヤト殿はお優しい方だ。それが知れたからこそ、こうして命を繋がせていただいた」
「ヒモン殿が?」
「命を捨てての奉公をいたしました。その結果、命を一つばかり拾うという我儘を聞いていただけたのです」
天覧試合でのヒモンが思い出される。ああまで強く啖呵を切って、クロカゲが敗死したならば、確かに立場どころか命も危ういだろう。いや、あの場で言葉一つ間違えていてもやはり政治的にも身体的にも命が無かったのかもしれない。確かに命がけの奉公だ。クロカゲはそれを汲んだというのだろうか。
「拙者は、お二人に生かされたのか……」
「どのようにと、詳しくは聞いてくださるな。しかし儂にはハヤト殿が、復讐されその果てに死んで当然とは、どうしても思えなかったのですじゃ。根は真面目だし、くよくよと悩む癖もおありだが、果断で勇敢だ。何より人柄が好ましい。貴方には生きていて欲しかった。だからこそ、クロカゲ様に忠義を立てつつ、これと決めた御仁の命を救う。その我儘を通させていただいたのです」
果たすべき役目を果たし、そのうえで自らの信ずる道も外さない。これぞ花も実もある武士の生きざまだ。これこそが、ハヤトが目指すべき生き方であったのかもしれない。
「もう少し早く、ヒモン殿にお会いしとうござった。貴方のような真の侍の背中を、知っていたかった。だがもう、手遅れにござろう」
「手遅れなど、あろうはずもございません。何せハヤト殿は死んだ身。今、ここから生き直せばよろしい」
ヒモンが言うからこそ、重い。この老人の家族が失われるきっかけに、ハヤトは確かに関与している。ヒモンこそが復讐の鬼となってもおかしくはないのだ。だのにこの老人は、ハヤトに生きろというのだ。この言葉は、重い。
「今、ここから、どう生きるというのですか。拙者は……」
「まずはそれをお止めなされ。拙者などとへりくだらず、己の意思に自信と責任を持ちなされ。ここは東方平原。世界中から様々な人間が訪れ、そして旅立ってゆきます。どのような人間にもなれるし、どこへでも行くことが出来ます。ああ、シロウ殿のことは心配ござらん。とある筋できっと引き立てられますゆえ」
己の意思か。
「もう一度友となれるだろうか」
ハヤトは呟いた。
これで4章はお終いです。
次章はハチャメチャどたばたラブコメ展開にしてやろうと企んでます。
不幸になるのはパワハラ極悪貴族が約1名という健全な勧善懲悪で行きたいなあと考えています。




