エピローグ
アイセンの謁見室には、悠々とした穏やかな雰囲気が漂っていた。
これから来客を迎えようというところだが、あまり仰々しくはしないようにというアイセンの意向があり、また、その賓客がまだ来着していないからでもある。
牛革を張った杉材の椅子に腰かけたアイセンが、艶のある長い黒髪を召使に櫛で梳かれながら、隣に立つクロカゲを見た。
「ヒモンのわがままをどうする?」
「どうもしません。復讐は果たしました。その後を決めるのは自身です」
「仲良くしたいと言われて、出来るのか?」
「それは……分かりません」
「そうか。そういえば、サツマ藩王国の食べ物はどうだった?」
「どれも美味しかったですよ。僕はニビタシというのが特に好きでした。茄子とか葉野菜を煮た料理です」
「気になるな」
「でしたら今度……」
会話に花を咲かせていると、扉が叩かれた。
「お見えになりました」
サンサの声だ。
「お通ししろ」
アイセンの言葉を合図に扉が開かれ、サンサの案内で小柄な少女が入ってきた。新雪のような白い肌に、桜の花びらのように儚い唇。深窓の令嬢といった趣のある美しさで、身にこもる気品が溢れている。
「サツマ・ニレハと申します。兄たる刀王から、両国の友好に奮励するよう言いつかっております。以後お見知りおきいただきますれば、幸甚に存じますわ」
楚々と立礼するニレハに、アイセンが玻璃のような目を細めて笑いかけた。
「愛しき我が東方平原へようこそ、サツマ・ニレハ殿。東方平原を代表して歓迎する。さて、堅苦しいのはやめよう。もはや東方平原とサツマは刎頸の交わりなのだからな」
「ええ、よろしくお願いいたしますわ。お義姉さま」
「ん?」
「アイセン殿下はクロカゲ様の姉上でいらっしゃいますよね? であれば、わたくしにとっても姉同然でございます」
白く透き通るような肌を桜色に染めながら、ニレハが言う。謁見室の空気が少しく張り詰めた。
「……ニレハ殿は長旅でお疲れのようだ。宿で休まれてはいかがかな」
「いえ、ちっともつかれていません。それと宿泊先はぜひともクロカゲ様のお宅に……」
「残念ながら! クロカゲは帝国本土への外遊があるのですぐに藩都を離れる。それでよければ、ご案内しよう」
「本当に全くの瑕疵一つない完全な偶然なのですが、わたくしも兄から帝国での伝手づくりを命じられておりました。折角ですから、クロカゲ様と道中をご一緒させていただこうかしら」
「ほう……」
謁見室の空気が重く張り詰めた。アイセンが水晶のような鋭い瞳でニレハを見詰めると、ニレハもまた平然と見つめ返す。
「さて、話は変わるが、そうだな野良猫の話でもしよう。猫はメザシを見れば先に占有者がいても盗み食いするというが、まったく困ったものだ。そんな不届き者は、大いに迫害してやらねばならん」
「あらまあ、大変ですわね。けれど猫としても勝手に所有権を主張する人間には業腹でございましょうね。いざとなれば腕力に訴えても善さそうなものですけれど」
ばちっと火花が散る。
「なるほど、さすが猫だな。傍若無人で無粋も極まれりだ。サツマでは生意気な猫はとっ捕まえてシャミセンなる楽器にしてしまうというが、私も手習いに始めてみようか」
「あら素敵ですわね。よろしければわたくしが手ずからご指導差し上げましょうかしら。でも口三味線などは既にお上手そうですから、猿に木登りを教えるようなものでございますわね」
「いやそんなことはない。ニレハ殿の方がよっぽど猿だろう」
「あら、おほほ。お褒めいただいて光栄ですわ」
ばちばちっと火花が散る。
が、さや当てに気づかぬクロカゲはにこやかに笑った。
「なんだかすっかり仲良しですね」
「はい、アイセン様もニレハ様もお話に花が咲いているご様子。クロカゲ様がいらっしゃっては、かえって気遣いがあるやもしれません」
そしてこちらは気づいているのかいないのか、本心を見せぬサンサがそっとクロカゲに退出を促す。
「じゃあ僕たちはこれで」
そそくさと下がろうとする二人を見て、アイセンが珍しくじとりとした目で言う。
「お前たち、なんだか随分仲良しじゃないか」
「いえ、そのようなことは」
サンサは素知らぬ顔で否定すると、クロカゲについてその場を離れていった。遠ざかる二人の背をアイセンが唇を尖らせて見つめていると、クロカゲがぽろりと不穏当な事を言い出した。
「今日の晩御飯は何にします?」
「ミリンが手に入ったので、クロカゲ様のお好きな茄子の煮びたしを作ります」
「交易が始まって、便利になりましたね」
「はい、これで今まで以上にクロカゲ様のお好みの物を用意できます」
このやり取りに、アイセンは目を剥き、ニレハは両手を口に当てて瞳孔を開いている。
「ちょっと待て。お前たち、同居しているのか?」
「いえ、そんなことは。私が勝手に通っているだけです」
相変わらず素知らぬ顔のサンサは、誇るでもなく驕るでもなく、淡々と言う。これにニレハが爛々と目を輝かせた。
「なるほど、東方平原ではそういう塩梅なのですね。では私も勝手に……」
「勝手をされては困るぞ」
アイセンが不機嫌に呟くと、今度はサンサが落ち込んだように言う。
「……私の行いは、お咎めをいただくものなのでしょうか」
「いや、咎め立てる法があるわけではないのだが……」
あのアイセン・カアンが言葉に詰まっている。そんな極めて珍しい光景を、クロカゲはただただ首をかしげながら眺めていた。




