決死
黒鹿毛は、短槍を握りしめて佐津間隼人を見つめた。
隼人は戸惑っているのか、動こうとしない。そのうちに高久の周りで八衛門や六郎がわさわさと動き始める気配がある。
(なあなあで収めるなんて、絶対に認めない)
そんな思いを乗せて、視線をさらに険しいものにする。それを受けてか、佐津間側では八衛門がそそくさと立ち上がってこちらへ向かおうとする気配が生まれた。すぐさま機先を制するように動いたのは、緋紋だった。
「黒鹿毛様の行い、その事理を改めてご説明申し上げる!」
観覧の席からさっと飛び出して、黒鹿毛の横に立った。猛禽の刺繍が微細に入った東方平原の衣装を纏う緋紋の目つきは鋭く、動きは機敏だ。これまでの好々爺の仮面を脱ぎ捨てている。
「たった今の佐津間隼人殿のお言葉には、決して許すことのできぬ一言がございました。それは、盗賊の勇者を反逆者と断じていること!」
詭弁だ。銀月帝国において、盗賊の勇者は反逆者として死んだ人間なのだ。東方藩王国においては、逆賊カ・エルを討った英雄として尊敬を集めているものの、それを佐津間藩王国にまで強要することはできない。
だが緋紋の弁舌は巧みだった。
「盗賊の勇者様は、東方藩王国が誇る稀代の英傑であり、史上最も誉れ高い勇者であり、民の信仰の対象にございます。これは帝国にも認めさせた、確かなもの。隼人殿は、それを否定した。帝や将軍家、公家の皆様方のおわすこの天覧試合の場で、単なる反逆者と貶めた。これは魂の凌辱にございます! 誇りを毀損されたのでございます!」
激しい剣幕に、八幡宮の境内が静寂に包まれる。千を超える人が、しわぶき一つもすることなく聞き入っている。
高久が立ち上がり、口を開いた。
「そちらの言い分は分かった。不用意な言に気分を害したこと……」
「黙られよ」
緋紋はいささかも揺るがず、さらに続けた。
「まさか佐津間藩王国では、人の尊厳を根源から愚弄しておいて、口先で謝ったふりをすれば済むという風習がおありで? まさかこちらの命を懸けた決闘の申し込みを、舌先をちょいと動かしただけで無かったことにするおつもりで?!」
緋紋は、かつて五騎四槍と呼ばれ、アイセン・カアンの腹心の一人として辣腕を振るっていた。この老人にかかれば、例え相手が名君として聞こる刀王であったとしても、こうなるのだ。
「こちらは、尊厳を守るために命を懸けた決闘を挑んでいる。その答えを、口で返そうというのかっ?!」
緋紋の挑発に、武士を中心にざわめきが広がり始める。当然その内容は、「決闘から逃げるは武士の名折れ」とか「刀槍で理非を決めることこそ、佐津間の気風よ」というものばかりだ。
この風を読んだのか、隼人がちらりと高久を見る。高久は考えるようにほんのわずか目を閉じたのち、決意したように隼人に向かって頷いた。それを受けて、隼人が小姓から刀を受け取ると、腰に差しながらこちらへと歩み寄って来る。
「必ず生き残ってくだされ。でなければ儂は、東方平原に生きて帰れませぬ」
にやっと笑うと、緋紋は観覧の席へと下がっていった。なるほど、彼にしても黒鹿毛の行動に加担するのは博打だったのだ。何とか決闘まで取り付けたは良いものの、ここで黒鹿毛が負けて死んだら緋紋の首も飛ぶ。もちろん物理的にだ。
黒鹿毛は、改めて佐津間隼人を睨んだ。
勝算は無い。
戦士の勇者たる佐津間隼人は、強い。
巨大な魔獣や大勢の魔物を相手にするのであれば、魔法使いや狩人の方が戦力になる。これは、はっきりしている。自らの刀の届く範囲でしか戦えない戦士は、狩人や魔法使いに後れを取ることさえある。実際、魔王討伐の旅程でもそうであった。
だが、こうして一対一の対人戦となった時、すべてが変わる。最強の職である勇者級の勇者とも互角に斬り合った。そんな男と真っ向から真剣勝負をして勝てる見込みなど無い。
けれどそんな危険を押しつぶすように、感情の炎が燃え上がる。全身が熱くなる。理不尽にも黒鹿毛の大切なものを奪っていった者達への、憤怒と憎悪だ。
僕は、決めたんだ。絶対に復讐する。
隼人は、普段身に着けている愛刀のほかに、先ほど下賜された短刀との二本差しだ。自然体で立っているが、既に戦場の気配だ。いつでも抜けるだろう。
決闘に審判など無い。
黒鹿毛は、短槍の切っ先を隼人に向けたまま、前触れなく前に跳んだ。風のごとき速さの突進だったが、隼人は難なく対応した。腰を落として鯉口を切ると、抜き打ちに斬り付けて来る。その軌道がひらりと曲がった。
(三日月か!)
既に見て知っていたから対応できた。その切っ先を避けるため、地を這うように疾駆した。ぎりぎりで躱した剣先が耳元をかすめ、剣風が肌を裂く。
(見て、知っていても、これだ)
佐津間隼人の太刀は、すべてが神速にして致命的な斬撃だ。近づくだけでも、死と隣り合わせなのだ。
だが近づくことが出来た。もう槍の間合いに入っている。
黒鹿毛は短槍を突き出した。一呼吸で、四閃。その速さに、未熟な者には一筋の光にも見えるだろう。顔、喉、胸、腹を狙った四つの突きは、しかしすべて弾かれた。初めて見る黒鹿毛の全力の槍さばきを、隼人は剣先であっさりと防いだ。
黒鹿毛は、一度距離を取る様に後ろへ飛んだ。
(さすがに強い)
今のところ全く勝ち筋が見えない。
黒鹿毛が戦ったことのある最強の戦士といえば、亡き父キンメルだ。槍の腕だけで戦ったなら、十戦して十敗だった。天覧試合で隼人と好試合を見せた佐々木主水などは、おそらくキンメルと同じ域にいる達人だ。そんな天賦の才を持つ剣士が対隼人専用の修業を何年も重ねて、それでも全く歯が立たなかったのだ。
隼人の技を幾度も見てよく知っているとはいえ、到底歯が立つものでは無い。
黒鹿毛は改めて隼人を見る。かすかに纏っていた戸惑いの気配が消え、戦意が充溢している。戦士としての本能に火が入ったのだろう。戦いの中に喜びを見出すという性質が、疑問や不安などを払底したのだ。
その威圧感と存在感は、天を衝くばかりだ。
「互いに真剣を取ったからには、蝶々と語る真似は女々。いざ、尋常なる殺し合いを」
言うなり黒鹿毛に向けて一直線に跳躍した。
突進の勢いで衝撃波が生まれ、暴風が吹き荒れる。音すら置き去りにするほどの、閃光の踏み込みだ。
「チェストォ!」
刹那の間に黒鹿毛へと肉薄した隼人は、頭上に掲げた刀を、愚直にまっすぐに振り下ろした。人知を超えた恐るべき速さの一閃だ。
(受けたら死ぬ)
隼人の雷光のごとき斬撃を穂先でいなすが、あまりの威力に槍が悲鳴を上げ黒鹿毛の体も軋む。一撃を捌くだけでも全身全霊の全力が必要だ。にもかかわらず、隼人の豪刀は、地で跳ねるように向きを変えて再び黒鹿毛に迫る。
再び受け流そうと槍を翻す。だが隼人は刀で槍の穂先を捉え、更に押し込んで来る。
(重い)
黒鹿毛が刃を滑らせると、隼人もぴたりと付いて離れず、鍔迫り合いが続く。刃と刃がこすれあい火花が散る。
(切っ先を弄ぶのではなく、肚から刀を扱っている)
巧みな刀さばきと戦士の膂力に、黒鹿毛は押されずるずると後ろに下がる。だがその間にも有利な位置を探りながら槍を動かし、手足に力を籠める。
だが、ふと黒鹿毛の手元から手ごたえが無くなった。同時に隼人が足を絡めてくる。鍔迫り合いをしつつの精妙な足技だ。
黒鹿毛は態勢を崩しながらもこれを躱し、槍を幾度も突き出すことで何とか距離を取る。
一度に四閃。だが、そのすべてが打ち払われる。絶え間なく槍撃を繰り出すが、隼人はそのすべて打ち払いつつ斬撃の速度を上げて近づいて来る。
「炎木」
圧倒的な数の斬撃で槍を圧倒し、距離を詰めてくる。打ち合いが百を超え、二百を超える。その間もじりじりと下がり続けた黒鹿毛は、もう捌ききれない。
(こうなったらもう、使う)
黒鹿毛は短剣を取り出すと、短槍と短剣の変則な二刀流を取った。神槍キンメルの教えを受けた槍の技と、盗賊の勇者まで至った短剣の技とを併せて使うのだ。
短剣を使えば、隼人に正体が露見するかもしれない。だが手加減していては、勝てない。
「全部、使ってやる」
黒鹿毛は下がるのを止めた。そして炎木の剣林へと飛び込んだ。




