謁見
皇帝への拝謁のために通されたのは、王城の中庭だった。
毎日水をやり、植木を刈込み、下草を払い、落ち葉を除いているのだろう。細部までよく整えられ、明るく緑と花が溢れている。
庭園の中央には、着飾った帝国貴族や武装した衛兵が、クロカゲらを待ち受けるように整列している。
そして、その中心には皇帝である“覇王の勇者”ガイウス・シルバーバウムがいた。
わざわざ中庭に運ばせたであろう豪奢な椅子に腰かけるガイウスは、巌のような無表情でクロカゲを見ている。
中庭へ足を踏み入れる前に、キンメルが低い声でつぶやいた。
「もし皇帝がこちらを侮るようなことがあれば、強くこちらの言い分を述べるぞ。カ・エルに負けてなどいられるか。クォン族は交渉事でも巧者だと、知らしめてやろう」
言うなりさっと歩き出したので、クロカゲは慌てて後を追った。
クロカゲらが皇帝の前に跪くと、他よりひとつ位が高そうな衣装の衛兵が、朗々たる声で三人の到着を告げた。
「盗賊の勇者クロカゲ及びその父クォン族長キンメル、婚約者アサギ。陛下の御許へ、ただいま参内いたしました!」
「東方平原が一番槍、クォン族のキンメルと申す。お呼び出し頂き恐悦至極に存じます。愚息クロカゲともども、嬉しく思っております」
キンメルの肩ひじ張った追従に眉一つ動かさないガイウスは、臣下を通してではなく、自ら口を開いた。
「よく来た、盗賊の勇者クロカゲ。そしてクォン族長キンメルよ。急な召喚への迅速な対応を嬉しく思う。さて、銀月帝国皇帝ガイウス・シルバーバウムが、この度の魔王討伐に対し褒賞を授ける」
横に立つ側近が羊皮紙を渡そうとするが、ガイウスは手で制して断る。すべて頭に入っているのだろう。
つまりその内容は、官僚のお仕着せではなく、皇帝自身が吟味したということだ。
「まず盗賊の勇者クロカゲには、軍馬一頭及び帝都に住宅一棟を授ける。そしてクォン氏族には、ヤギ千頭、ロバ百頭、馬五十頭、セステルティウス硬貨十万枚を授ける」
「ありがたく頂戴いたす」
キンメルの即答に、居並ぶ重臣たちがわずかに戸惑う。
銀月帝国には、皇帝直々の任官や褒賞付与があった場合、一度は辞退するという慣例がある。重ねて授与を言い渡され、はじめて受けるのだ。
それを、あっさりと受けたのだ。
もちろんキンメルに悪意はない。武一辺倒のキンメルは、外交儀礼に欠けるし、銀月帝国内の習慣など知りもしないというだけだ。
しかしキンメルの態度に、多くのものが訝しみ、あるいは鼻白んだ。他国の式典に参加する以上、下調べをするのは常識でもあるし、相手への敬意の表れでもある。銀月帝国の重臣たちは、そう考えたのだ。
だが、それだけでは終わらなかった。
「ちなみに……それだけですかな?」
キンメルの言葉に、場の空気が凍る。
皇帝が直々に褒賞を伝えたのだ。たとえ即答をしたとしても、深く感謝し礼を尽くした謝辞を述べるべきところだ。
だがキンメルは、確認をした。褒美はたったそれだけなのかと。
その場にいる全員が、黙った。
重苦しい沈黙を破ったのは皇帝だった。
「……加えて、魔王討伐の際に使用した魔剣ベンズも授けよう。クロカゲ、今も持っているか?」
「は、はい。お借りしていた物なので、お返ししようと持って来ています。今は宿営地に置いてありますが……」
「では、そのまま持ち帰ってよい。本当はそれに加えて、君に良い縁組を……とも考えていたのだが、婚約者がいるとは知らなかった。そうであれば、この話は控えねばなるまい。いや、わざわざこの場に婚約者を同伴したのは、縁戚関係を結ぶつもりはないという意思表示か?」
ガイウスの不興をはらんだ言葉に、キンメルは顔の筋を動かすことなく答える。
「穿った考えですな。それにしても他の者と報奨の質に差があるかと。いや、差が大きすぎるように思われますが」
「不服か」
「まずもってヤギ千頭にロバ百頭、馬五十頭……これだけでは意味がないと断言できますな。家畜がいても土地と人がなければ、飼育できるものではござらん。家畜どもは草を食み、水を飲みます。腹をくちくさせるための草場はどこにあるのか、のどを潤す井戸は誰が掘るのか。失礼ながら、銀月帝国の皇帝はヤギの飼い方すら知らぬ愚か者だとの誤解も生みましょう」
「随分と、言うではないか」
「これが言わずにおれるでしょうか。一方で、同じ東方平原のシカ族から出た“狩人の勇者”カ・エルへは、これまで領地の五倍を手配すると聞きました。いったい、なぜそのような……」
「褒美に多少の濃淡が出るのは、やむをえまい」
「濃淡? この歴然な差を濃淡とおっしゃるか? 皇帝といえど、その程度の見識でいらっしゃるとは、なんともはや……」
いつにない能弁を見せるキンメルの背を、クロカゲは滝のように汗を流しながら見ていた。
銀月帝国は、強大だ。
領土的な野心も隠していない。もし魔王が現れていなければ、今頃は近隣諸国を蹂躙し大陸に覇を唱えていたとも言われている。
にもかかわらずキンメルは、皇帝をはじめ、帝国を牛耳る文武百官が居並ぶ中で、彼らの面目を損なうような非難をしている。
薄氷を踏むような交渉だ。
クロカゲは胃に石でも詰められたかのように息が苦しくなってきた。そんなクロカゲを、ガイウスはちらりと見やり、すぐに傲然と胸をそらすキンメルへ視線を戻した。
「なるほど、ただ家畜を与えて終いでは無駄。帝都で悠々と暮らす皇帝は、遊牧というものを知らぬ。キンメルは、そう言いたいのか?」
「そもそも、魔王討伐第一の功労者は、わが子クロカゲであるはず。にもかかわらず、この決定的な活躍を隠し、ご息女の勇者ユユの武功ばかりを喧伝している。これも信義誠実にもとると言えるでしょうな」
「魔王討伐に尽力したのは、皆同じ事だ。七勇者はもちろんのこと、あの戦場にいた無名の帝国兵の一人でも欠けていたら、成しえなかった。そして中でも魔王を屠る最後の一撃は、勇者の勇者ユユ・シルバーバウムにのみ可能であったと断言できる」
「なんの、優れた戦士であればいくらでもおりましょう。しかし魔王から“不滅”を消し去ることができる者は、盗賊の勇者たるクロカゲ以外にはいないでしょう。それを隠して自己の喧伝にいそしむとは、手柄の掠め取りだ」
空気がさらにひりつく。皇帝を取り巻く臣下や衛兵らの視線は、強い敵意を孕んでいる。
クロカゲは、下を向いて黙ることしかできなかった。喉の奥がひりつくように熱い。心臓が痛いくらいに脈打っている。
(僕が何か言うべきなのかな? でも何を?)
父の振る舞いはまずいと思うが、その内心はよく分かる。東方平原での暮らしを考えれば、少しでも報奨を得たいという気持ちはクロカゲにも痛いほどに理解できる。
だが、いくらこちらに理屈があろうと、皇帝ガイウスの意に沿わぬ振る舞いをするべきではないと、直感で分かる。
(どうしよう、どうしたらいいんだろう……)
クロカゲが逡巡している間にも、キンメルの強気の交渉は続く。
「帝国が魔王に蹂躙される危地を前に、我ら東方平原の民に助けを求め、我らは応じた。その功労に然したる対価も示せぬとは……皇帝とは、物乞いの言い換えだったのですかな?」
「なるほどクォン族とは、餌をねだるときに、口だけは威勢が良くなるのか。これは知らなかった。確かに余は自らの無知を恥じるべきだな」
皇帝の痛烈な皮肉に、キンメルがくいしめた歯を軋ませる。怒りに言葉がつかえて出てこないキンメルを下に見つつ、ガイウスが続ける。
「銀月帝国皇帝たる余と対等になったつもりか? しがない遊牧民よ。槍弓を持たぬやり取りには強気だが、もし戦となれば、クォン族など砂山の如く崩れ去るだろう」
「……“もし”とおっしゃるか? そんな言葉を聞けば、クォン族の子どもでさえ、こう答えるでしょうな。戦う気概も持たず仮定の話で脅しかけるしか能のない腑抜けた農耕民なぞ、何を恐れるというのだ。われらは常に戦場に在る腹積もりだ、と」
「ふむ、ふむ。そういえば城壁外に数十人のクォン族が宿営しているらしいな。言葉は勇ましいが、その程度の寡兵では、いないも同然だろう。特に東方平原の民ごときではな」
「侮るな! 我らが槍弓を手にすれば、帝国兵など千人いようと一万人を揃えようと、蹴散らしてくれる! クロカゲのスキルをもってすれば、皇帝の首を取ることすら……!」
キンメルが口角泡を飛ばし反駁している途中で、ガイウスはすっと目を細めた。
「聞いたな、皆よ。奴の言葉を」
ガイウスが確認すると、周りを囲む重臣らは、ぎらついた眼で一様にうなづく。
「銀月帝国へ反旗を翻すという言葉があった。余を害するという言葉があった。これを捨て置くことはできない。クォン族長キンメルおよび盗賊の勇者クロカゲを帝国に弓引く反逆者と定める」
ガイウスが言い終えると同時に、中庭に列していた護衛兵たちが、一斉に槍を向けた。
(まずい!)
クロカゲはキンメルの前に飛び出すと、ガイウスの目を見て必死に訴えた。
「待ってください! 父にも僕にも、戦う意思はありません! 言葉の綾なんです! どうかお許しを」
ガイウスは一瞬だけ哀れみの目でクロカゲを見るが、すぐに表情を消した。
「ならん。殺す」
「で、でも! カ・エル様の報奨が大きかったから……だから父は、クォン族のために少しでも多くを願っただけで……帝国を害する意思なんて、そんなことは……!」
「クロカゲよ、お前の意思は関係がない。言葉の綾だとしても、それも関係がない。盗賊の勇者クロカゲは、反逆者なのだ。銀月帝国皇帝たる余の決定であり、揺らぐものではない」
ガイウスの言葉に、クロカゲは愕然とする。
「それってつまり……僕らの反逆をでっちあげるっていうの?!」
「余には、皇帝という立場には、帝国の平和と安寧を管理する責任がある。その目的のためならば、いかなる手段であっても粛々と遂行するまでのこと」
「そんなの、許されるわけがない!」
「許さない? 誰が許さないというのだ?」
「それは……帝国の人々や東方平原の民、それに……」
「民衆は断言を求める。真実も証拠も求めない」
言い募るクロカゲに対して、切って捨てるような言葉を吐くと、傍らに置かれていた大剣を掴み、鞘を払った。
「クロカゲよ、余からの最後の譲歩だ。今この場で自害せよ。さすれば、クォン族へは累が及ばぬ方向で検討しよう」
「自害って、そんな……」
「帝国の平和を維持しようとしたとき、何より危険なのは……クロカゲ、お前なのだ。魔王の“不滅”さえも消し去るお前の“奪取”が、最も危険なのだ。余の“王眼”を失うのであれば、まだよい。ユユの“無敵”が消失し、無敵であるはずの勇者が殺害されるようなことがあれば、勇者の絶対性と帝国の威信が崩れ去る。平和と安定が失われるやもしれん」
「そんなこと、僕がするわけない! 考えてもいないです!」
「それはお前の心次第だ。明らかな不安要素を放置するのは、皇帝たるべきものの振る舞いではない。危険は排除する。それだけだ」
「そんな……」
「お前一人の犠牲で、お前の一族が助かる。のみならず、帝国と東方平原との衝突も回避できるのだ。大陸の平和のためとも言えよう。全体の利益のために一人が不利益を被るということは、許される。皆のために、死んでくれ」
「いやだよ! なんで僕が……っ」
「つまり、自分の利益のためにその他大勢を不幸にしても良いと考えているんだな」
「そ、そういうことじゃ……」
「ならば、問答は無用だ」
ガイウスが、達人の足運びでクロカゲへと踏み込んだ。皇帝が突き出した大剣は、クロカゲの胸に吸い込まれていく。
鋭利な切っ先が、クロカゲの心臓を貫いた。