急転
「疾っ!」
相対する剣士が、大上段に構えた木剣を気合と共に振り下ろす。苛烈な打ち込みに対して、隼人は敢えて前に出ると勢いのままに剣を振り上げた。がつんという猛烈な衝撃の後、相手の木剣は宙を舞っていた。無手の相手に容赦なく上段から斬り込む。だが――。
「そこまで!」
審判の声で隼人は剣を止める。
――これで十二人。
隼人は細く息を吐いた。天覧試合の参加選士は、隼人を含めて十六人だった。つまり勝ちを掴むには十五連勝をする必要がある。戦士の勇者として名高い隼人であっても、余裕はない。
最初の八人目までは、ほんの一合や二合で試合は決した。既に一回戦を敗北している彼らは、技術が今一歩のところであるし負傷している者もいた。謙虚な剣士として人気のある隼人だが、彼らに脅威は感じなかった。
だが九人目からは格が違った。
名の知れた道場の筆頭や大名お抱えの剣士が、自らの秘技を惜しげもなく披露し立ちはだかって来る。彼らも大きなものを背負っているから必死なのだ。
額ににじむ汗をぬぐっていると、次の相手が前に立った。槍使いだった。
「はじめ!」
合図とともに隼人は飛び出した。槍を相手に後手に回っては勝てない。間合いを活用させないためにも、詰めるしかない。だが相手もさすがに天覧試合に選ばれた戦士だ。即座に反応した。
顔面、喉元、胸を狙って穂先が襲い来る。一呼吸で三閃。神業だ。
が、そのすべてを打ち払う。次の一呼吸でまた三閃。それも打ち払う。槍士が接近を許すまいと槍撃を繰り出すが、すべて打ち払いつつ斬撃の速度を上げて近づいていく。
「炎木」
圧倒的な数の斬撃で槍を圧倒し、距離を詰める。打ち合いが百を超えたところで、捌ききれなくなった槍士が、槍の柄で無理な受け方をした。木の槍がきしみ砕け散る。
「そこまで!」
悔しそうに顔をゆがめた槍士は、しかしどこか晴れ晴れしく隼人に一礼すると、しっかりとした足取りで去っていった。
――これで十三人……あと二人。
次に立ったのは二刀の剣士だ。
「はじめ!」
合図があっても、互いに動かず膠着した。二つの太刀を存分に扱えるとなれば、最大限に力を発揮するのは後の先だ。隼人の一刀に対して、右を使うのか左を使うのか。受けるのか、いなすのか。空いたもう一方の刀は、突くのか薙ぐのか。選択肢が無限に広がる。だが攻めさせれば、途端に手は狭まる。だから待ったのだが、相手は焦れることなく、どしりと落ち着いている。
――相手の土俵に立ってこそ、横綱か。
ただ勝つだけではだめなのだ。主君の名誉のため、姑息さの無い正々堂々の勝利を得なければならない。
隼人は前に出た。
息を吐きつつ鋭く突く。相手は左で受け流して右を振るが、即座に下がり鼻先で躱して再び踏み込む。だが瞬時に左が肩口に落ちてくる。これを払ううちに右が撃ち込まれ、続いて左、また右と連撃が襲い来る。
引けば楽になるが、それは女々と断じた隼人はその場に踏みとどまる。そして襲い来る右の木剣をふわりと受ける。相手は僅かに体勢を崩しながらも左を繰り出すが、こちらも包み込むように柔らかく拾う。打ち込まれるたびに剣ごと引きずり込むように、真綿で包むが如き受けを繰り返し、相手の呼吸と体勢を崩していく。剣を振れば振るほどに調子が狂うことで焦れたのだろう。相手がひときわ強く打ち込んできた。これを逃さず、今までに無いほど硬く剛力で弾き飛ばす。
隼人がさらに踏み込むと、残る一刀が決死の勢いで迫る。
「三日月」
隼人の剣筋がひらりと変化し、相手の小手を砕いた。
「そこまで!」
相手選士は、激痛があるだろうに一礼をすると、毅然とした足取りで去っていった。
――あと一人。
これまでも決して気を抜いてきたわけではない。だが最後の相手こそが最大の壁であると、当初から確信していた。
最後の相手として立った男は、額に三日月のような古い傷跡を持っていた。佐津間の誇る三大道場が一つ、白虎館を率いる佐々木主水だ。髪こそ白いが、体格は良く意気軒昂で溌剌とした身のこなしで、心技体に申し分ない。乱れ入りとなった天覧試合を楽しんでいるのだろう。
「佐々木殿、ご無礼を仕ります」
「無礼なものか。よくやっているぞ、隼人。疲れていないか?」
「いささかも問題ござらん」
嘘ではない。少し息を整える暇があった。隼人にはそれで十分だった。体力には自信がある。無尽蔵だと自負している。魔王との闘いの日々では、日が昇る前から沈むまで、魔獣を相手に戦い続けたこともあった。
一戦一戦に気を抜けないが、これしきで剣が乱れるようなことはない。
「ならば、全力で叩き潰す。一切の加減はないぞ」
佐々木が正眼に構える。
「存分になされよ」
隼人も正眼に構えた。
「はじめ!」
二人同時に前へと跳躍した。二人とも、もはや何も惜しまない。
「秘剣一の太刀、三日月」
軌道を変える隼人の切っ先を、佐々木の剣が捉えた。二人の剣がしっかりとかみ合って互いを弾く。
「三日月返し。雪辱果たすため、随分と剣を振ったぞ」
佐々木が笑う。容易く言うが、その剣の軌跡は三日月と全く同じだった。かつて自分を破った技を、血を吐く思いで身に着けたのだろう。素直な感嘆がこぼれる。
「さすが、技の佐々木と呼ばれる御仁だ」
「まだだ。お前、炎木を残しているだろう」
「惜しむつもりはござらん」
知っていたとしても防げるものでは無い。その自信がある。再び飛び出すと、躊躇わずに炎木を使った。
上下左右から縦横無尽かつ重厚な密度で神速の斬撃を放つ。佐々木は小さい構えから、最小の動きで次々と弾いていく。その斬撃は瞬く間に百を超え、二百を超えるが、それでも佐々木の防御は揺らがない。
炎木は気力と体力こそがものを言う技に見えるが、実は違う。身体能力は前提としつつも、絶え間なく相手の反撃を抑え続けて斬撃を繰り出す技術にこそ、真髄がある。相手の防を崩し、後の先を取らせず、逃げ場も塞ぐ。その選択を瞬時にしつつ怒涛の打ち込みを続けるのだ。
これに佐々木は見事な対応をした。防御に徹することで、動きは最小で済む。いや、先読みすら入れつつ確実に防いでいる。防ぎつつ前に進み、遂には返しの一太刀を放った。喉を狙った突きを躱し、隼人は後ろへ飛んだ。
「さすが、佐々木殿だ。全く素晴らしい技にござる」
武器や防具に頼らず、己の技のみで戦士の勇者の技を破ったのだ。恐るべき技量は、神技と呼んでも差し支えはない。
「防いだだけで褒めるってのは、要するに自画自賛だろうが」
佐々木が不機嫌に言うと、隼人はかえって胸を張った。
「拙者は剣の腕に自信を持っておりますれば。そして、次の一太刀で勝負を必ず決す」
静かに上段へと構えを変える。
「おもしれえ、来い」
佐々木は下段へと剣を置き、静かに待ちの姿勢を取る。
「憤っ!」
気合と共に隼人が前に出る。佐々木が捉えたのは、そこまでだった。隼人の剣が、隼人の姿が、揺らぎ消える。
「秘剣三の太刀“新月”」
新月が如く、見る事能わず。その不可視の斬撃が、佐々木の剣を弾き、袈裟斬りに討ち伏せた。おそらく佐々木は、いつ斬撃を受けたのか気付かぬ間に意識まで刈り取られたはずだ。
駆け抜けつつ斬りつけた隼人の背後で、佐々木がゆっくりと倒れ伏した。
「そこまで」
審判の掛け声に隼人はぴたりと動きを止める。
一瞬の静寂の後、歓声が爆発した。臨席する要人が、陪観を許された千人の列席者が、境内の外で様子をうかがっていたさらに多くの群衆が、一斉に声を上げ、手を叩いたのだ。
万雷の拍手喝さいの中、御簾に向かって白砂を歩いた。
帝には興味がない。その脇に侍する主君に、勝利を伝えたかった。形ばかりの礼式で御簾の向こうに礼を示すと、高久を見た。
「良き試合だったぞ、隼人」
「佐津間の氏に最強の冠をもたらすことが出来、感無量にございます」
涙をこらえながら隼人が言うと、高久は無言で短刀を差し出してきた。主君から刀を拝領する。武士の最上級の誉れの一つだ。主上の前にあって太刀を身に着けていなかったから短刀なのだが、隼人にとっては名物の刀より有難かった。
自らが丸腰になっても、その佩刀を下賜する。その高久の心意気に、隼人は震えた。
――恩賜の短刀、末代までの宝だ。
感涙をこぼすまいと歯を食いしばりながら下がると、横に居並ぶ要人賓客らが口々に賞賛の言葉をかけてくれた。
「さすがは戦士の勇者ですな。あんまりにも度肝を抜かれ、言葉もございません」
隼人の参加に反対していた八衛門が、すっかり毒気を抜かれたように微笑んでいる。
「鶴名様にそのようにおっしゃっていただき、この佐津間隼人、感激にござる」
すらすらと言葉を紡ぐのは、いつもはあまり得意ではないのだが、気分が高揚しているせいか口の動きが滑らかだ。
隣を見ると桐生六郎が笑っている。いつも違って、その狐目に毒がないように感じられる。
「お見事です」
短い言葉に、万感がこもっている。
「桐生様のお力添えがあってこそ、今ここに立っていられる。本当にありがたい、感謝申し上げる」
普段は苦手な六郎だが、今だけは素直に感謝の言葉が出てきた。天覧試合に自分を推挙してくれたのは、六郎だった。乱れ入りの手助けまでしてくれた。この男がいなければ、成し得なかった。その思いから、隼人は深く頭を下げた。
そして黒鹿毛がいる。
まだ付き合いの浅い異国の少年だが、ずいぶん助けられてしまった気がする。隼人のために、佐津間藩王国のために、知恵を出し、汗を流してくれた。彼ならきっと、これからも良き友人でいられるだろう。
「念願が叶ってよかったですね」
「まったくにござる。皇女との決闘では反逆者追討のための足止めという役もあったため、心からの決闘ではなかった。それゆえ決着も付かずであったのが心残りにござった。まさに今、拙者の念願が叶った」
本心だった。本来ならば、魔王討伐の功績を主君に捧げるつもりだったが、実質は盗賊の勇者のものであったし、世間の評判は皇女を高く評価した。それならばと、最強と名高い勇者である皇女との決闘を申し込んだが、皇帝の意向と策謀のせいで中途半端に終わった。
ようやく手にしたのだ。万人が認める確かな栄誉を手に入れたのだ。主君へ忠義を示すことが出来たのだ。
悦びを噛み締める隼人を前にした黒鹿毛は、少しきょとんとした後、静かに深く笑った。
その雰囲気がいつもと違うと隼人が気付いた時には、黒鹿毛は立ち上がり歩き出していた。隼人の横を抜け、白砂の上を進む。いつの間にかその手は槍を把っている。まるで、虚空から武具を取り出す盗賊の技のようだ。
そして試合場に立つと、よく通る澄んだ声で宣言した。
「佐津間隼人に決闘を申し込む。もちろん真剣で」
黒鹿毛の持つ槍の先では、白刃が冷涼とした光を放っている。
――何を言っているのだ。
理解できない隼人は混乱した。一筋の汗が頬を伝い、顎から落ちていく。




