隼人、告白する
「炎木」
隼人は神速の斬撃を続けざまに繰り出した。上から、右から、左から縦横無尽に振り続ける。その密度は、刹那の間に十を超える。
般若面は薙刀で次々と弾くが次第に追いつかなくなり、一つ二つとその身に包比良が届き始める。だが妖気を放つ大鎧は、戦士の勇者の豪刀を受けても、胸板や大袖に小さな傷を残す程度だった。手に負えない太刀筋を、あえて大鎧で受けているのだと分かる。
大鎧とは、こういうことを可能にする。至近で弓矢を射かけられても、巧みに受ければものともしない。鎧の扱いに熟達すれば、矢の雨でハリネズミになったとしても戦い続けることが可能だ。
そして由緒ある名鎧ならば、皇女が身にまとう聖鎧や神官の加護を受けた神鎧にも匹敵する魔術的武具であるはずだ。戦士の勇者が振るう名刀であっても、容易には貫けない。
「この先祖伝来の大鎧は、盾いらずの異名を持つ一領。戦士の勇者の打ち込みといえど、このと……お……り?」
般若面が勝ち誇った声を上げるが相手にせず、間隙なく打ち込み続ける。その斬撃は瞬く間に百を超え、二百を超え、それでも止まる気配はない。疾風をも追い越す連撃が次々と薙刀を掻い潜る。
「な……ぬ……?」
般若面が必死に薙刀を振り回すが、隼人の連撃は止まらない。斬撃が大鎧の威毛を切り裂き、お面の牙を欠き、角を落とす。般若面が必死に薙刀で応戦するが、それでも隼人は止まらない。
「斬れぬなら、斬れるまで斬る」
木剣で立木を打つ。
佐津間の武士が用いる修練の一つだ。打ち込みの速度と威力を一定に保ったまま剣を叩きつけ、横に薙ぎ、振り上げ続けることで技と心身を鍛えるのだ。その数は、百や二百ではない。二千回、三千回と休まずに討ち続ける。稀にだが、狂ったように打ち続けていると、木から煙が上がることがある。打撃の摩擦で、立木すら焦がすのだ。
そこまで至ればいっぱしの剣士として認められるが、多くの者は先に体力か根性が尽きる。腕や肩を壊す者もいる。
だが隼人は三万回、四万回と打ち続け、ついには木が炎を上げた。夏場の立木など、水の塊のようなものだ。燃え盛る炎に投げ入れても容易に火は着かない。だが隼人は成し遂げた。いや、日常の鍛錬で当然のごとく行っていた。
そうして生み出されたのが、この炎木だ。神速の斬撃は、止まらない。般若面が一歩二歩と後退していく。ついには後方へ跳躍するが、ぴたりと追従して張り付いたまま、斬る、斬る、斬る。
下がり続けた般若面は、ついには民家に逃げ込み、長屋を駆け抜ける。障子を蹴飛ばし、畳を返し、燭台や煙草箱を投げつけて来るが、炎木はそれらをすべて斬り飛ばす。火鉢から飛び散った炭が畳の上で白煙を上げるとひやりともしたが、駆けつけた黒鹿毛がすぐに外へと運び出してくれた。
外では六郎が同心などを使って野次馬を追い払い、人を遠ざけている。
――ありがたい。
もはや周囲の人や物に気を配る必要はない。炎木をいささかも緩めず、ぐいぐいと詰め寄り壁際に追い詰めた。
「うああああ!」
般若面が必死の気合と共に薙刀を振り上げた。炎木の連撃を大鎧の頑強さに任せて、目一杯に溜めを作って振りかぶる。
「秘刀、鬼の骨」
体ごと薙刀を振り回す捨て身の一閃が隼人を襲う。炎木を止めて、剣先で体の左側へといなす。般若面の薙刀は、壁を切り裂き、柱を叩き切り、畳と床板を砕き、民家を両断した。だが、それで終わらない。体ごと縦に一回転した薙刀が、今度は横に向きを変えて振り抜かれる。隙を生じぬ二段構えであり、縦横に繰り出される斬撃が秘刀の正体か。そう見切った隼人は、薙刀の切っ先をぎりぎりのところで再びいなした。
「なるほど、これなら確かに鬼であっても骨ごと両断出来よう」
袴の裾が、わずかにほつれている。それを視界の片隅に捉えた隼人は、冷ややかに言って捨てた。
「皇女が戯れに放った牽制の一撃と同じ程度だな」
「なにをっ……?!」
反駁を最後まで言い切るころは出来なかった。隼人の持つ二尺七寸の豪刀が、燕のように軽やかに、雷のような鋭利さで煌めいた。
「合わせの秘剣、炎三日月」
三日月のごとく弧を描き、捉えること能わずと言われる秘剣一の太刀、三日月。絶え間ない斬撃で敵を煉獄に落とす第二の秘剣、炎木。この二つを合わせたとき、炎木の連撃すべてが、三日月のごとく不規則に変化する不可避の剣風となる。
般若面が振り回す薙刀を避け、無限とも思える斬撃のことごとくが、その身を切り裂いていく。
「あっ、あっ……?!」
大鎧の胸板が砕かれ、袖はちぎれ跳び、露出した腕や足から血が噴き出る。
「そんな……盾いらずが……こうも簡単に……?」
「損傷激しい大鎧では、その用を成さぬ。終いだ」
鋭く横に振りぬいた一閃が般若面の腹を割き、肉と臓物を斬り背骨を砕く。物理的に機能を失した体は、その意思に関係なく崩れ落ちた。
「未熟。その程度の腕で、なぜ拙者に挑んだのだ」
自らが作る血だまりの中で、息も絶え絶えにもがく般若面を見下ろす。まだ諦めぬ心構えこそ大したものだが、その命は風前の灯火だ。
「情けはいるか?」
包比良を首筋に突きつけると、悔しそうな声が零れてきた。
「ああ、楡葉様。力及ばず、御奉公かないませんでした……」
ぞっと背筋を冷たいものが走る。なぜここで楡葉の名が出て来るのか。刀を振り般若の面を両断した。からりと音を立てて面が落ちた後には、見知った顔があった。いつも楡葉の傍に仕える女性、鶴名八衛門の娘留香だ。
「な、なぜ……」
戸惑う隼人と対照的に、黒鹿毛が静かに歩み寄りながら「やっぱり」とつぶやいた。
「黒鹿毛殿はご存じだったか?」
「薙刀を繰る術理が楡葉さんと同じでした。けれど楡葉さんよりずっと鋭くて速い。それなら、指導役の人かなと想像できます」
留香が血を吐きながら吠えた。
「楡葉様は知らぬこと! 私が、勝手にやったの!」
「ならばなぜ、このようなことをした!」
隼人は怒りを抑えられない。なぜ楡葉の名前を出すのか。辻斬り働きと高久への罵詈雑言が、楡葉のためになるというのか。
「あんな愚図の男どもより、楡葉様のようにお強く聡明なお方が上に立つべきなのに……! 女というだけで下賤の輩どもに低く見られて……」
「貴様こそ、剣の腕だけで高久様を低く見ている。下賤の輩と変わらん」
隼人が怒りと共に言い捨てると、留香は皮肉気に唇をゆがめた。
「佐津間隼人……なんだかんだ言っても、あなたもてっきり同じ気持ちなのかと思ていたわ」
「なんだと」
「だって、一人目を……桐生家が送り込んできたあの女を斬った時、現場を見ても黙っていてくれたじゃない。それに、あの女から何かを受け取っていたけど、それも隠していてくれたじゃない」
一件目の現場に出くわしたところを、見られていたのか。
血の気が引いた。だが考えられることだった。遺体とともに、高久を批判する書状が発見されている。しかし隼人があの場に着いた時、書状など落ちていなかった。隼人が立ち去った後、発見されるまでの間に誰かが置いたことになる。ならばそれはきっと般若面であるし、近くで隼人の様子を見ていた可能性もあるのだ。
戦士職は索敵や発見の能力に優れているわけではない。盗賊や狩人、隠密などの職が、巧みに隠れて遠くから伺っていたとすれば、見落とすことはあり得る。
「ああ、無念……無念……」
血と涙に顔を汚しながら、留香は息絶えた。それをしばらく見下ろしていた黒鹿毛は、おもむろに口を開いた。
「今の留香さんの言葉、どういうことでしょうか?」
荒ぶるでもなく狼狽えるでもなく、ただただ冷静に問いかけて来る。黒鹿毛に誤魔化しは意味がないと分からされた。
――どうする。
般若面に加担していたわけではない。誰かを傷つけたというわけではない。隼人は潔白なのだ。だが真実を話せば、楡葉への想いをも打ち明けることになる。それにかんざしを隠していたという一事に、痛いくらいの後ろめたさを覚えている。
結局のところ、恥なのだ。恥を忍んですべてを話すか、恥を忌避し疑惑を残そうともすべて隠すか。恥を受け入れるかどうかが、自分の運命を決める。悩んだ隼人は、黒鹿毛の優しさにすがった。
「すべて打ち明けたとして、他言無用を頼めるだろうか」
――なんたる女々。
自分が情けなくなる。だが広く知られれば隼人の立場がない。高久や楡葉にも迷惑がかかる。それは、困る。
隼人の顔がよほど情けなかったのだろう。黒鹿毛は、驚いたようにわずかに眉を上げた。そして言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「絶対に秘密を守るとは、お約束できません。でも努力します」
「ど、努力とは?」
「僕は、過去、痛烈に裏切られたことがあります。心から憎むべき悪に、騙されたんです。だから僕は他人を信用しません」
声音こそ静かだが、濃密な怒りと憎悪が詰まっている。まるで魔王と相対したかのような、震えるほどの威圧感がある。優し気な少年がこれほどの感情を抱えていようとは露程も想像していなかった隼人は、固唾をのんだ。が、黒鹿毛はふわりと優しい雰囲気に戻る。
「でも、そんな僕を、命を賭して守ってくれた人がいました。信頼してその身を預けてくれる人がいました。だから僕は、こう決めました。僕を信じてくれるのならば、僕も信じる。悪意や敵意を向けるのならば、同じように振る舞う。相手が僕に向ける考えや感情を、出来る限り鏡写しにして返そう。そう決めたんです」
「な、なるほど」
「ですので、あなたが……佐津間隼人が全く信頼できる人物であるなら、秘密を守れると思います。ですが、そうでなければ、約束は守れません」
黒鹿毛の言葉に、隼人は我知らず何度も頷いていた。互いに主と仰ぐ人間も異なれば、国も違う。どのような運命の綾で対立するかもしれない。そんなすべての可能性を無視して約束を守ると言うのは簡単だ。だが、それは信頼に値しない約束だ。
黒鹿毛は今、守れない可能性に言及しながらも、努力すると言ってくれている。そう長く無い付き合いだが、分かる。彼は嘘を言っていない。これが彼にとって最大限の言葉なのだ。最大限の誠実さなのだ。
――信頼できる。
そう確信した隼人は、けっきょく黒鹿毛に甘えた。
「実のところを、お話いたす」
楡葉に一目で心を奪われたときのこと。ならぬと分かっていながらも、時折楡葉を盗み見ていたこと。そんなとき、般若面の犠牲になった女性を見かけたこと。成り行きでかんざしを受け取ってしまったこと。誰にも話せず、今も持っていること。
全てを話した。
最初は少し困ったように考え込んだ黒鹿毛だが、ふっと笑うと隼人の目を見て言った。
「あの、もちろん全部が誉められることじゃないと思いますけど、でもそんなに責められることでもないような気がします。中には責める人はいるかもですけど、僕はそうしたいとは思いません」
――ゆ、許された。
黒鹿毛の言葉に、心から救われた思いだった。侮蔑、非難、嫌悪。そんな感情をぶつけられると思っていた。だが、救いが待っていた。
「そんなことより、急げば天覧試合に間に合うんじゃないですか?」
言われてはっとする。見れば散乱した民家の瓦礫などは、六郎が配下の手勢らしきもの達を使って片づけ始めている。後は任せても大丈夫だろう。
「うむ、急ごう」
隼人は、心晴れやかに走り出した。




