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この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
4章 戦士への復讐

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隼人、走る

 ――急げ。


 隼人は自らを叱咤して早暁の町を走っていた。もし遅れれば、高久の面目はつぶれるし、隼人の念願も叶わない。砂を蹴って駆けた。


 日も登らぬ明け五つに城へと呼び出された隼人は、般若面からの書状が届いたことを知らされた。そこに記された内容は、衝撃だった。書の主は、高久の惰弱を痛烈に批判しつつ、辻斬りの一件目と二件目の下手人であることを告白し、明け六つに往来差別なく刃傷に及ぶこと、止めたくば約定の場所に佐津間隼人が足を運べということを挑発的な文体でつづっていた。


 まず般若面が別にいたことに、隼人は驚いた。六郎が御田を辻斬りの下手人と定めたのだから、そこに疑いを持っていなかった。桐生六郎という男は、不思議なほどに物の真贋を見抜く。だから間違いはないだろうと決めつけてしまったのだ。

 だが思い返してみれば、御田を成敗したとき、口に出して問うたのは三件目の辻斬りだけであった。恐らくそこに錯誤が生まれる余地があったのだろう。


「此度のこと、全くにおいて私の落ち度にございます」


 高久に頭を下げる六郎の所作の一つまでが、じれったく感じられた。だが高久の切り替えの早さは心強かった。


「六郎を責めても始まらん。今は事の落着を急ごう」

「はい。ここは隼人殿に動いていただきましょう」

「隼人、頼んだぞ」

「……はっ」


 命じられては、受けるしかない。天覧試合こそ忠義の見せどころと思い詰めていた隼人は、頭を下げつつ唇を噛んだ。


 脅迫文の中で隼人を名指しして決闘を申し込まれている。これは無視できない。

 だが天覧試合の当日に呼び出されれば、晴れの舞台を失うことになる。隼人は、帝国の皇女を倒して最強の二文字を主君に捧げるという夢を断たれていた。天覧試合は主君のために剣を振るまたとない活躍の場だ。唯一の名誉挽回の場なのだ。それを奪われる。想像するだけでも心臓に痛みが走る。


 けれど私情を通せる状況ではないとも理解している。

 高久の居室で脅迫の文書が見つかったのだ。津間城の奥まで奸賊の侵入を許したということは、一つ違えば高久の命が無かったと同義である。こんなことをしでかした人物は、討たずにはおけない。


 脅迫文の送り主が般若面を名乗っていることも大きい。彼の悪漢は、六郎が采配を振る中、隼人の剣によって成敗されたされたことになっている。それが生きていたとあっては、高久の威信にかかわる。のみならず六郎や隼人の落ち度にも繋がる。


「天覧試合は、余が自ら剣を取るか、楡葉に任せるか。いずれにせよ隼人が後ろを気にする必要は無い。悪鬼の討伐に専念せよ」


 励ましの言葉だろうが、今はその心遣いさえ重い。高久が出ても楡葉が出ても、忖度と嘲笑の的となるだけだろう。かといって佐津間家として剣を取ることを見送れば、それも汚点となる。


「疾く般若面を討ち果たし、必ずや天覧試合までに戻ります」


 それだけ言うと、愛刀を手に取った。背後から「私も参ります」という六郎の声が聞こえたが、待たずに走り出す。すれ違う者たちが一様に驚いてこちらを見るが、気にもせず砂を蹴って駆けた。

 城を出て大手門を抜け、橋を渡ったところで黒鹿毛が現れた。全力疾走する隼人に追いつき、涼しい顔で並走している。手には細長い布袋を持っている。中身は槍か棒だろう。


「早朝から血相を変えて出かけて行ったので、何かあったのかと心配で待っていたんです」

「般若面にござる」

「やっぱり」

「やっぱりとは?」

「今回の辻斬り、一人目と二人目は一刀で命を奪っています。しかし三人目の犠牲者は滅多斬りにされていました。辻斬りをする者の考えなんて知りませんけど、違和感があったんです。もしかしたら別人じゃないかなって」


 なるほど、と隼人は唸った。他国の人間は、本来ならこれほど親身に心を砕いてくれるものではない。だのに黒鹿毛なりに色々と考えてくれていた。そして今もこうして駆けつけてくれた。頼もしくもあり、うれしくもある。


「拙者はそのような事、考えもせず見落としていた。御田を斬って満足したのは、ただただ不手際」

「だから桐生さんも一生懸命なんですね」


 言われて後ろを振り返れば、なんと桐生六郎が走って付いてきている。大身である桐生家であれば、籠も使わず供回りもつれずに町を駆けるなど、ありうべからざることだ。それが起きている。しかも天覧試合では主君の側に控えていなければならないはずだ。

 隼人はなぜかうれしさがこみ上げてきた。普段は冷静かつ理知的に気取っている六郎が、すべてを投げうって走っている。今まで抱いていた隔意が、今だけは氷解する思いだ。


「般若面を名乗るものからの書状では、明け六つ、町木戸が開くころに無差別に人を襲うと。急ぎ向かい、必ず討つ」

「急がないと、町の人たちが危ないですもんね。一方の勝手な理由で殺されるなんて、あってはならないんです。そんな凶行、許されるはずがない」


 黒鹿毛の強い語気に、隼人は少しはっとした。そういえば、その視点もあったのか。

 急がねば天覧試合に遅れる。もし刃傷沙汰になれば、高久様の治世の瑕疵となる。その意識が先行していた。いや、般若面の狙いはきっとその二点にある。ならば意識が向くのは自然だ。


 だが黒鹿毛は、まずまっさきに市井の心配をした。

 もうじき、木戸が開かれる。そうすれば街に多くの人が溢れることになる。帝を迎えて華々しく催される天覧試合の朝、人々は浮かれて街を歩くだろう。そんな往来で凶刃が振るわれれば、惨憺たるありさまとなろう。それを為政者の失政につなげて考えるか、無辜の民の不幸と捉えるか。人としての質の違いを見せつけられた気分だ。


「黒鹿毛殿の、おっしゃるとおりにござる」


 決意新たに、隼人は風を巻いて走った。高久の、黒鹿毛の、六郎の思いを無駄にはできない。そして自身の思いを遂げるためにも、飛ぶがごとく走った。


 約定の刻限である明け六つの鐘と同時に、大川に架かる双国橋のたもとに着いた。津間城の東に位置し、武家町の町人町が交差する要衝の大路だ。当然ながら人通りも多い。

 その橋の真ん中に、薙刀を持って仁王立ちする人影があった。


「女……?」


 般若の面を着けているので顔は分からない。だが上等な女物の着物と袴の上に大鎧を使うという、奇抜な格好をしている。兜こそないが、胴も袖もしっかりとした物だ。その不思議な容貌のせいだろう。橋を行き交う人々が、物珍しそうにじろじろ見ながら通り過ぎていく。


「これだから無知は嫌。そもそも般若の面は、女の怒りと悲しみを表しているの。歴代の般若面は全員が女よ」


 面を着けているせいか、声は妙にくぐもっていて耳障りだ。恐怖など母の腹に置いてきたつもりの隼人だが、それでも不快感に首筋がざわりとする。


「あの面、呪物カースアイテムですね」


 黒鹿毛が見立ては、きっと当たっている。隼人の精神にまで悪影響を及ぼすとなると、かなり高位の呪物だろう。世に一つしかない特級なのかもしれない。大鎧などは、量産されるものではない。体に合ったものをその都度作る。つまりそれなりの財力と伝手を持った人物であると分かる。


 隼人は無言で鯉口を切った。が、それを制する者がいた。桐生六郎だ。ようやく追いついたのだろう。肩で息をしている。顔は努めて無表情を作ろうとしており、それは半ば成功していた。抑えきれない険がわずかに零れている。

 六郎が、般若面をまっすぐに見据えながら糺した。


「あなたが、二人を殺し高久様の下へ不埒な書状を残した般若面ですか」


「当たり前田の大納言。あんな塵芥のような小物を主に戴くから、世が乱れるのよ。この地は、よりふさわしきお方に支配されるべきってことなの」


 ふざけているようにも聞こえるが、般若の面を通して聞こえる籠った声が神経を逆なでする。だが呪術に惑わされぬ六郎の目が見開かれ、霊験が宿る。


「間違いない。やつこそが真の下手人です」

「では?」

「ええ。奴を斬れば、今度こそ騒動は落着です」


 六郎の断言に、隼人は迷わず鞘を払った。二尺七寸の豪刀、包比良かねひらが、外気を浴びて、悦び震えているようだ。


「高久様を愚弄する数々の行い、断じて許せん」

「あんな軟弱者、愚弄されて当然でしょう」


 般若面の言葉が、怒りの防波堤を破壊した。


「斬る」


 隼人は地を蹴った。


「秘剣一の太刀、三日月」


 隼人は初太刀を全力で振るった。

 初見であり、これが最後の斬り合いとなると分かっている相手には、こちらのやりたいことを相手に押し付けるに限る。常に先手を取り主導権を握るのだ。

 これが道場であり、勝ち負けを繰り返す間柄であるならばやり方は変わる。手の内を見せぬように、あえて負けることもあろう。


 だが今は一つしかない命の取り合いだ。相手が知らぬ技をぶつけ、相手に技を出す隙を与えず、殺す。それが最も勝利に近い道だ。

 その確信からの一刀は、しかし空を斬る。般若面が、秘剣三日月の神速にして不規則な軌道を読み、躱したのだ。


 更には薙刀が、踏み込んだ隼人の左足を斬りつける。包比良で受けようとすると、今度は薙刀が突如軌道を変え、胴を薙いでくる。これを刀で払おうとすると、再び軌道を変えた薙刀が、喉めがけて突き出された。身をよじって躱し、そのまま体を回転させつつ斬撃を繰り出す。が、般若面は素早く薙刀を引き戻しており、難なく受け止める。

 刀と薙刀がぶつかり、剣戟の音があたりに響き渡った。何事かと多くの人が足を止め、橋の上に目を向けてくる。それを見た般若面が「ふふ」と怪しく笑った。


「獲物が、たくさん。せっかくだし、ここは派手に行きましょう」


 薙刀を振りかざした般若面が、橋のたもとで野次馬をしている人波に向かって跳躍した。


「待て!」


 その背を追って隼人も跳ぶが、間に合わない。ちょうど朝の支度を終えて出来たのだろう。こざっぱりとした町娘が、弟らしき少年の手を引いている。そこへ般若面の薙刀が無慈悲に振り下ろされる。

 その瞬間、黒い影が唐突に表れた。


「街の皆は、僕が守ります。般若面の討伐に専念してください」


 般若面の振り下ろす薙刀を、黒鹿毛が短槍で難なく打ち払った。乱れの無い、確かな槍筋だ。最初こそ気弱な少年に見えていたが、今はこの上なく頼もしい男だと知っている。黒鹿毛がいてくれるなら、もう大丈夫だ。


「かたじけない!」


 叫びつつ隼人は、秘剣二の太刀“炎木”を放った。



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