留香、楡葉のために動く
「楡葉様ならば、見事に天覧試合を制されること、間違いなし!」
留香がきっぱりと言い切ると、ズドンという衝撃音と共に、楡葉の手刀がわき腹に突き刺さった。
「ありがとうございますっ!」
楡葉は細腕ながら、生半な武者の首なら素手でねじ切ることが出来るほどの剛力だ。肋骨が何本か粉になった。もし高久などが受けていたら三途の川を渡っていただろう一撃だ。
苦悶の声を上げてうずくまる留香だが、それを微笑で無視した楡葉は、にこやかに淑やかに頭を下げた。
「大変失礼いたしました。黒鹿毛様がお見えと聞いて、求婚……挨拶に参上いたしました。決して出しゃばるわけではございませんので、平にご容赦をくださるとうれしいですわ」
楡葉はそう頭を下げるが、留香としてはここで黙ってはいられない。決所なのだ。楡葉が世に出るまたとない機会なのだ。不屈の闘志を燃やすと、果敢に顔を上げた。
「楡葉様はこうおっしゃっていますが、しかし楡葉様ならばお歴々の皆様方がお悩みの件、全て解決できるんです。佐津間の血と名を持ち、天下に冠たる業前であらせられる英邁の女傑がいま、颯爽と参上するのであります」
「留香、御前だ。控えなさい」
強く窘めたのは父の鶴名八衛門だった。普段は没交渉で、特段仲が良くも悪くもない父娘だが、この時ばかりは腹が立った。楡葉の何を知って、邪魔をしようと言うのか。
「でも楡葉様なら……」
「控えなさいと言っている。楡葉様のように嫋やかなお方を天覧試合になどと、間違っても言うものでは無い」
我が父ながら、その無知な振る舞いに愕然とした。そうなのだ。楡葉の実力は知られていない。
この地には、女は家中で大人しくしているべきという悪しき風習がある。
かつては女であっても実力次第で城主や当主を務めたものだが、それも絶えて久しい。どのような才覚を持っていようとも男でないというだけで認められない。そんな悪習はびこる中でも、一度でも目にすれば忘れられない。それが楡葉と言う存在だ。
父母を亡くした上に未だ十七歳という若い身空で津間城の大奥という伏魔殿を牛耳り、薙刀を握ればまるで乾いた砂が水を吸う様にするすると術理を吸収する。鍛錬すればするだけ、身についてしまう。だのに可憐でしなやかで美しい。この世の奇跡が詰まっている。
この楡葉を世に出したい。女であるという理由だけで、城の奥に留めておくことなどあってはならない。留香は常々そう思っていた。そしてそれを果たす絶好の舞台が天覧試合なのだ。
だのに留香の熱量は誰にも伝わらない。当の楡葉すら、自分を売り込むことを良しとしない控えめな性質であるので、兄の高久を押しのけようとはしない。足るを知るとは得難い才能でもあるが、今はそれがもどかしい。
「もういいでしょう、留香? そろそろお暇しましょう。最近はあなたが部屋から出してくれないせいで、仕事が溜まっているの。寺社にも行かなくてはならないし御膳所の見回りなんかもしなくちゃいけないし」
このお転婆なお姫様は、先日など黒鹿毛に会うために城を一人で抜け出した。楡葉の恋路を邪魔するつもりはないけれど、脱走は流石にやり過ぎたと思っている。
楡葉に淫らな風聞が立てば、何より楡葉の損になる。あれ以降、楡葉のお忍びを阻止するために片時も離れていない。そのせいで色々な事が滞っているが、それもやむを得ないと思っていた。それがこんな風に返ってくるとは。
これでは、どれだけ楡葉を売り込んでも相手にされないではないか。絶望する留香だったが、助け舟は意外なところから出た。
黒鹿毛だ。
「確かに楡葉さんなら、並みの剣士に引けを取らないと思いますよ」
「楡葉が?」
高久すら戸惑いの様子だ。それにも留香は腹が立つ。皆が楡葉の実力を知らないだけなのだ。
「左様にございます! 楡葉様の流麗にして優れた剣技ならば、必ずや天覧試合で耳目をかっさらいます」
「楡葉さんの腕前は、東方平原でも通用する確かなものです。どのような人が相手でも、見ごたえのある立ち合いにはなるんじゃないでしょうか」
黒鹿毛の口添えと留香の大言に、座には耳を貸す気配が生まれた。高久は困惑顔を引っ込めて顎に手を当てて思案している様子だし、八衛門は苦言を止めて様子を伺う態度に転じ、隼人は押し黙って楡葉を見つめている。
だが冷徹に突き放す男が一人いた。
「佐津間隼人がおりましょう。楡葉様の出番はありません」
六郎が感情の見えない微笑みで冷たく言った。
留香がその狐目をねめつけると、平然と見つめ返してくる。ばちっと火花が散る。
「隼人さまはお勤めがお忙しかったりませんか? 当日はお殿様の護衛の任などもありますでしょうし、ただでさえ最近まで般若面の騒動で市中が騒いでおりましたし……」
「心配は無用です。手練れが居並ぶ天覧試合の場に狼藉者が暴れる余地があるはずもなく、般若面も追捕済み。心置きなく試合に臨んでいただけますね」
ばちばちっと更なる火花が散る。が、それもわずかの間だった。
「よしなさい、留香。身をわきまえずに続けるならば、厳しく当たることになる」
八衛門が鋭く言った。だが正論だ。
留香の身分といえば上臈に過ぎず、奥では采配の権を持っていても表では無力に等しい。謁見こそ許されているが、高久に面と向かって上申するなどありえないことだ。今は中奥での非公式の場であり、父などもいる中での発言であるから、見逃されているに過ぎない。
もし厳とした対応をするならば、つまみ出されて放逐されても不思議はない。いや、それを覚悟のうえで楡葉を推していたのだが、それもここまでの様だ。
高久が「まあまあ」と場を取りなす。
「楡葉を高く評価し推挙してくれたことは嬉しく思う。我が妹ながら、出来た女子だからな。だが此度は隼人がいる」
隼人を出すか出さぬか迷っていた高久は、留香の進言を受け、かえって隼人の起用を決心したようだった。
「そ、そんな……」
「もういいでしょ、留香。私を褒めてくれるのはいっぱい嬉しいけど、無駄に見せびらかすのは私の好みじゃないわよ」
「……はい」
楡葉に諭されてしまっては、そこまでだ。悄然と帰路に着いた留香はその後しばらく思い悩んだ。そうこうしているうちに日は過ぎ天覧試合を翌日に控えた夜、留香は決心した。
「模倣の輩が代わりに成敗されて僥倖だと思っていたけれど、まあ仕方ないわね」
佐津間隼人を名指しした果たし状を書き上げると、夜、高久の寝室に忍び込み書状を短刀で壁に突き刺した。誰にも気づかれずに動けたのは、隠密系の職を修めていることも大きいが、何より津間城内を知り尽くしているという点が大きく働いた。
仮に誰かに見とがめられたとしても、楡葉の師として薙刀を教えた留香ならば、苦も無く邪魔者を斬り捨てたであろう。
「一人目を斬ったのは弾みのようなものだったけど、二人目の時には落ち着いて果たせたわ。これも楡葉様を想う私の心根が純真だからかしら」
独り言ちながら支度をした留香は、忍び足で津間城の奥を歩く。
「三人目は公家か寺社でも狙おうと思っていたけれど、楡葉様が抜けださないようについている必要があってなかなか殺れなかった。そのうちに、どこぞの破落戸が真似した挙句に討たれていたのは傑作だけど」
未明の城内は、静けさに包まれている。楡葉もまだ起きだしていない。日が昇るころには、天覧試合に向けた喧騒がやってくるだろう。
「佐津間隼人がいなければ、きっと楡葉様が天覧試合に出られるものね」
明るい声と笑顔でたすき掛けをすると、下駄や草履ではなく、しっかりとしたわらじを選んだ。
「楡葉様のために、きっとご奉公しなくっちゃ」
般若の面を着けた留香は、薙刀を手に城を出て津間の町に溶け込んだ。




