八衛門、頭を抱える
般若面の騒動は解決した。
その報告に鶴名八衛門は、安堵した。討ち手を務めた佐津間隼人のことは胡散臭く思っているし、追捕の責任者であった桐生六郎などは茄子の煮浸しと同じくらいに苦手だ。それでも彼らの手柄で騒動が落着したと聞いて、胸をなでおろした。
(般若面のような輩だけは、放っておけん)
それが八衛門の信念だった。
八衛門は賄賂を受けるし、依怙贔屓もする。鶴名家の家督を継ぐ前からそうだし、佐津間家の家老となってからもずっとそうしてきた。なぜと言えば、それが一番に平穏であるし、うま味のあるやり口だからだ。
先代の刀王には甘言を用いて剣に勤しませ、その間に政を壟断した。剣術好きの先代は「すまんのう。いつも仕事を押し付けて迷惑をかける」とかえって八衛門に恐縮すらしていた。恩を売りつつ専横を働く。これほど上手いやり口を遂げる自分は相当のやり手だろう。ひそかにそうほくそ笑んでいた。
主の信頼を笠に、年寄りには閑職へお引きいただき、同輩を下へ押しやり、若い郎党どもは従順な者のみを引き立てた。
そんな悪だくみをするものの、八衛門は悪人ではない。少なくとも八衛門自身はそう自認している。般若面に無辜の民が斬られるならば、眉をひそめる。辻斬りなどあってはならんことだと考えている。
「人は人とのつながりにて生きる。義理と人情が人をつなげる。賄賂も縁故も、人の世には必要なこと。その掛け替えのない絆を無慈悲に打ち壊す辻斬りなどは、もってのほか」
八衛門の、偽らざる本音だ。
だから広く賄賂を受けるが、例えばその罪を他人に擦り付けて死罪に追い込むような悪事はしない。もちろん政敵に攻めの気配があれば、それなりの手配りはする。だが専守防衛の陰謀であり、基本的には誰とも敵対したくはないのである。
聖人君子然とした奴ばらも、義理人情と金勘定でずるりずるりと引きずり込んできた。金か恩か女を使えば大抵の輩は転ぶ。幾人もの政敵を転ばせてきた。
そうしてしっかり根を張ったつもりでいたのだが、佐津間家の代が変わって風向きも変わった。
高久は剣に興味が無いうえに、政に意欲を示している。そして理解が早く物覚えもよく、判断にむらがない。社交的であり明朗快活な性質で、人に好かれる。見た目も良いので、老若男女問わず人気がある。
つまりは為政者として優秀なのである。唯一の欠点と言えば剣の腕くらいだ。だからこそ高久にも剣術を勧めている。雑務は家臣に任せ、趣味に勤しんで欲しい。常々そう思っているのだが、よそ事に気を取られない高久は、桐生家の若造を登用し少しずつ八衛門の根を切り落としている。
今の佐津間藩王国の情勢と言えば、緩く温く連帯する鶴名家の朋友たちと、清き水を好む少数精鋭の桐生家派閥とに分かれている。
たとえば桐生六郎は、佐津間家の財政に予算というものを取り入れた。毎年、あらかじめ出費の内容と上限を定めておくというものだ。倹約に資すると高久は絶賛していたが、八衛門としてはたまったものではない。臨機応変に金蔵を開けることが出来たほうが、色々と都合がよい。
二つ目の例を出せば、一部の商人が商品価格や生産量などを共同で取り決める行為を奨励してきた。息のかかった者たちに、酒や煙草などの専売許可を出すという仕組みだ。そこへ少しばかりの税を上乗せすれば公儀の取り分が増える。そして許可を出す八衛門の権力も重みを増すのだ。
そこへ桐生六郎が首を突っ込んだ。あらかじめ定めた要件さえ満たせば、小売を広く認めるべきなどと言い出したのだ。確かに多くの商人が扱った方が物の値段は下がるし、競争で質も上がるかもしれない。だがそれでは息のかかった商人以外にも道が開けてしまう。
どこの馬の骨とも知れぬ輩が、たまたま商機をつかんだだけで成り上がることができる。あるいは算術や剣術に優れているというだけで重用されれば、得体の知れぬ輩を抱え込むことになる。それでは秩序もなにも、あったものではない。権力とは、一部の気心知れた者同士で独占し、融通しあうものであるべきだ。でなければ安寧を得られるはずもない。
顔見知り達による閉じた世界の安定した施政を望む八衛門と、広く開かれてはいるが不安定な要素を多分に孕む世を目指す六郎とが、水面下で常に綱引きをしているのだ。高久はどちらかと言えば桐生六郎を推すのだが、そこを押し切らせないように回すことが出来ているのは八衛門のこれまでの積み重ねの成果だといえる。
そんな状況で大きな不安の要素となるのが、佐津間隼人だ。
己の剣腕だけで成り上がった根無し草で、どこの派閥に属するでもなく刀王高久に忠誠を誓っている。もしこの男が野心を見せるならば厄介だ。金で転ばぬし、縁故で止めることもできない。世の仕組みを理解しているとも思えない。だから高久の懐刀に留めるべきなのだ。一生抜かれることのない刀ならば安心だ。
そう思っていたのだが、何の因果か帝国の目に留まり戦士の勇者として魔王討伐にまで参加してきた。
魔王討伐の勲功は勇者の勇者である銀月帝国の皇女ばかりが喧伝され、その他は添え物になっているのは救いだった。そして皇女との決闘が勝敗付かずであったのも不幸中の幸いと言える。これ以上佐津間隼人に活躍の場を与えてはならない。無頼の輩にこれ以上の権威を与えてはならないのだ。
しかし今、刀王高久の面前で行われているこの話し合いは、何とも不都合な方向に転がりそうだった。
「天覧試合は予定を変えずに催行できそうだ。貴賓として招待させていただく。佐津間の武を堪能してほしい」
「それは楽しみですね」
高久の語り掛けに応えるのは、東方藩王国の王太子黒鹿毛だ。中奥の私的な一室で気の置けぬ友人のようにあれこれと話し込んでいる。
佐津間藩王国との外交の端緒にと訪れている黒鹿毛だが、交渉は順調に進み、既に外交大使の館を設置すると決まっており、その予定地も定めた。津間城からほど近い一等地だ。大工まで手配を終えて、縄張り待つばかりだ。
(疾く国へ帰ればいいものを)
八衛門としては金か女で懐柔できるなら良かったのだが、この少年は初心なくせにことごとくを無視している。さりげなく金品を渡そうとしてみたり女をあてがおうとしてみたりと企んだのだが、そのたびに「帰ったら姉に相談してみます」とか「そういうのはよく分からないので」などのらりくらりと逃げられてしまっている。
(欲というものを持ち合わせていないのか!)
そう怒鳴りたくもなった。何より不都合なのは、高久と黒鹿毛の仲の良さだ。互いに好感を抱いているようで、何かと理由を付けては食事を共にしたりせんべい片手に茶を喫したりしている。
(これはよくない)
高久と黒鹿毛がつうと言えばかあと答える間柄になってはおしまいだ。家臣を通して外交をしてもらいたい。そうでなければ八衛門の食い扶持が減る。これまで時間をかけて少しずつ主君から裁量権をもぎ取ってきたのだ。巻き戻されてはたまらない。
そんな焦れる思いを抱えながらも、顔には笑みを張り付けておとなしく座っている。まだ、蜂の一刺しには早い。
「三大道場は首席剣士を出すだろうし、津間のみならず各地から腕自慢が集う。賑々しく勇ましいものとなろう」
高久の声は明るい。
般若面の騒動が落着し、平穏の内に天覧試合を催行できるのだ。安堵と喜びがにじんでいる。そこへ水を差すように、桐生六郎が苦言をこぼす。
「しかし高久様、佐津間家としてはどのようにされるおつもりですか?」
「どのようにとは?」
「先代や先々代は、天覧試合となればご自身で参戦しその武勇を示されておられましたがまさかその細腕で高久様が……」
「む」
高久の整った顔が困ったように歪む。
「もちろん何人も出さないという選択もございましょうが、侮られるでしょうね」
天覧試合は帝の前で執り行われる。そこへ武門の筆頭である佐津間家が出ないとなれば、高久が脆弱であるという前評判もあって、公家からも家臣からも見くびられるだろう。かといって高久自身が剣を持てば間違いなく醜態を晒す。それだけは絶対にあってはならない。
「出ねばならぬという決まりもあるまい。多少の侮りは覚悟の上だ」
高久が不貞腐れたように言うと、それまで部屋の隅で沈黙を保っていた佐津間隼人が、意を決したように口を開いた。
「拙者が高久様の名代として天覧試合に出ること、これをお許しいただけないでしょうか」
自ら口を開くことの隼人が、重大事に自ら提言をした。その一事に驚く座にあって、六郎は一人微笑んだ。
「それも一案でございますね。口さがない言い方をすれば、そういう使い方をするために隼人殿には佐津間の名乗りを許しているわけですからね」
ここだ。そう思い切った八衛門は心底案じているという風な芝居で口を開いた。
「いやしかし高久様、それは拙かろうと思われます。佐津間姓を授けてはいるものの根を辿れば縁もゆかりもございません。家名を売って武を買ったと言われれば、それも佐津間家の威信に傷がつきます。恥を忍んで誰も出さずにいるが、実は一番丸いかと」
もし高久の名代として隼人が天覧試合で活躍すれば、隼人の名と功はさらに高まる。それは避けねばならない。
「悪いことは申し上げません、ここはこの八衛門の言をお聞きくだされ。高久様が武低文高と謗られようとも、それはもともとの評判にございましょう。そこへ一つ二つの材料が増えようとも、いまさら変わりはございませぬ。ここは変に策を弄するよりご自重いただくが良策かと」
「おや八衛門様には珍しい、強い言葉での諫言ですね。隼人殿に出られると困る事情でも?」
六郎が冷ややかに睨むと、座にぴりりとした空気が流れる。
「いやいや、まさかまさか。この八衛門は、常に佐津間家の安泰を考えておりますゆえ、桐生殿の考え過ぎでございますよ」
「では隼人殿の名代の件、異論はございませんね?」
「何が“では”なのか分かりかねますな。縁の無い者が佐津間家を代表しては、あらぬ陰口のもと。水たまりは避けるのが世の歩き方というもの」
「何を懸念されているか、この六郎には分かりかねますね。隼人殿は先般も辻斬り般若面を討ち取り、実力も忠義も申し分ない。寵臣を代理とすることに何の非難が生まれましょう。ありもしない水たまりを気にしていてはおちおち外も歩けません。一体どういう料簡でそのようなことをおっしゃるのやら」
八衛門も六郎も、口調は落ち着いて柔らかだし、顔には笑みを浮かべている。しかし内容と言えば既に喧嘩の域に入っている。
「二人とも……」
見かねた高久が口を開いたその時、襖の向こうから「失礼します」と声がかかった。外に人がいるなど考えていいなかった八衛門は、驚きに声を上げそうになった。六郎や隼人さえもぎょっとしている。
だが八衛門は、二人とは違った驚きも抱えていた。
(もしや、今の声は……)
その懸念は的中した。
すっと襖を開いたのは、膝をついた留香だった。その後ろには困った顔の楡葉が座っている。
「お話は聞かせていただきました! 世の悩み事は全て、楡葉様が解決いたします!」
留香の宣言に、八衛門は頭を抱え楡葉は顔を両手で覆った。




