閑話 サンサとクロカゲ
佐津間藩王国での滞在と親交は、順調である。
そんな内容の中間報告をしたためた書状を手に、サンサはクロカゲの部屋を訪れた。津間の町を離れる許しを得るためだ。
盟王アイセンへの公的な報告となる手紙だ。余人に任せるわけにはいかない。少なくとも、佐津間の人間には預けられない。
今、津間の町には、サンサとクロカゲ、ヒモンの三人しか滞在していない。東方藩王国が建ったばかりであり、まだ両国間の外交の約束事を明示的に取り決めることが出来ていないからだ。それが済むまでは、クロカゲたち以外は、国境沿いの町までしか入らないこととなっている。その東方藩王国と佐津間藩王国の国境となる湖の畔の町に滞在する使者に手渡し、確実にジンドゥへ届ける必要がある。
その旨を伝えると、クロカゲの反応は全くの意外なものだった
「サンサさん、行っちゃうんですか?」
少し困ったように眉を傾けている。なんだか年下の少年をいじめているような錯覚を覚え、わずかな後ろめたさが湧いてきた。
「いえ、手紙を預けた後、すぐに戻ってきます。道中は馬を急がせますので、天候にもよりますが、長く見積もっても二十日は出ないかと」
何故か言い訳をするような口調になってしまった。
「二十日も会えないんですか?」
寂しげな顔から放たれたその何気ない一言に、サンサは言い表せない衝撃を受けた。
クロカゲとしては、ただサンサを見つめているだけなのだろう。だが、そのうるんだ瞳に動揺している自分を見つけ、サンサは恐ろしく狼狽していた。もちろん取り乱すことなく粛々と振舞っているが、心中では嵐が吹き荒れている。
「あ……し、しかしアイセン様への手紙を佐津間の者へ委ねるわけにも参りませんので……ですので……」
佐津間藩王国との外交及び貿易は、未開拓の原野なのだ。万が一にも、失敗はできない。
これまで東方五氏族同盟は、銀月帝国と対立していた。当然、その組下である佐津間藩王国との公的な付き合いはなかった。欲と冒険心に動かされた一部の商人によって、わずかな私貿易が行われているに過ぎない。それも国の境にある湖を使った水運で行われるから、湖賊に襲われることも多い。
国交が開かれ貿易が始まれば、両国挙げて賊を排除できる。安全な行路での安定的な交易が続けば、宿場町が発展し多くの人でにぎわうだろう。金銀や鉄、海産物、農作物、紙など、取引される商品は必ずや東方平原を発展させる。佐津間藩王国も、絹織物を筆頭に東国の様々な品を輸入できる。これまでは帝国を経由して輸入するしかなかった生糸や砂糖、香辛料、皮革、薬などが東方平原から直接大量に運び込まれる。
そうして一体的な経済圏を構築することは、佐津間藩王国を銀月帝国から分離独立させる布石にもなる。
そうしたアイセンの構想を実現する第一歩が、外交の成功なのだ。そこへたどり着くためにも、正確な情報を迅速にジンドゥへ届けたい。サンサが届けねばならない。
そう必死に説明すると、思わぬ言葉が返ってきた。
「じゃあ、僕もサンサさんと一緒に行こうかな」
「そ、そ、そういうわけには……。クロカゲ様は外交使節の長ですので、津間を離れるわけには……」
「そうですよね。ごめんなさい、言ってみただけです。サンサさんと離れると思うと寂しくなっちゃって。道中、気を付けてくださいね」
心細そうに送り出す言葉を紡ぐ少年を見て、サンサの心はごっとんと音を立てて動いた。
「……ヒモン様に替わっていただけないか相談してみます」
「ほんとですか? よかったあ」
嗚呼……。
クロカゲの表情が、満面の笑みに変わる。するとサンサの心にも花が咲いたかのような安堵が広がった。無論、顔には砂一粒分も出してはいない。無表情を全く崩していない自信はある。
けれど心の城壁は完全に崩壊していた。いや、最初から壁ではなく扉だったのかもしれない。この少年が苦も無く鍵を開けた。
自分と一緒にいられると分かっただけで、こんなにも喜んでくれる。それがサンサも嬉しかった。
「このサンサは、アイセン様とクロカゲ様の忠僕です。どのようなことでも、何なりとお申し付けください」
「あの、そんなに畏まらないでください」
折り目正しく頭を下げるサンサに、クロカゲは素朴に笑いかけた。
「サンサさんは、僕を信じて全てを預けてくれました。僕はその信頼に応えたい。僕も貴女の忠実な僕です」
――嗚呼。
もはや言葉も無い。
目の前の少年は、純粋な目で真っすぐな信頼を預けてくれている。その信頼の心地よさは無上だった。サンサは、何故か救われたような気持だった。




