隼人、辛酸をなめる
「佐津間隼人か!? くそっ、いたのかよ!」
隼人のひと睨みで、御田はもう腰が引けている。
「人を選んで挑むなど女々しいにもほどがある」
鯉口を切ると御田は目に見えて狼狽した。
「こ、こっちは刀を持ってないんだぞ。それとも、竹刀を相手に真剣で斬りかかるつもりか?」
「む……」
確かに丸腰を斬るのは忍びない。刀を手放すことこそ怠慢であり甘えだと強弁することも出来るが、ここは情けをかけた。
「使え」
脇差を鞘ごと腰から引き抜き、御田へ放り投げた。魔王討伐の旅の中で手に入れたもので、そこらの太刀にも負けない業物だ。御田もほんの一寸ほど刃を覗かせて「うお、すげえや」などと言っている。
「元は大太刀だったが、魔王との戦いで砕かれたので脇差に打ち直したもの。魔王討伐戦にも用いた神刀だ。貴様の手には余るだろうが、存分に使え」
隼人の説明を聞き、御田がにやりと笑った。
「へっ、せいぜい馬鹿をみろ」
御田が踵を返して走り出した。その手には隼人の脇差が握られている。
「は……?」
脇差を持ち逃げしようとしている。その事実に気づいた時には、もう遅い。御田の姿は人並みの向こうで豆粒のようになっていた。
――まさか、そんな恥知らずなことはすまい。
その思い込みが、初動を遅らせた。
「待て!」
叫んで追うが、花見の客が前を遮る。人ごみをかき分け進むが、なかなか追いつけない。
「仕方あるまい」
隼人は跳躍した。
人々の頭上を越え、茶屋の屋根に飛び乗るともうひと跳ね。次には油屋の瓦に飛び、次は酒屋の塀を足場に、空を飛ぶように疾走した。もし下にどこぞの大名や旗本などがいれば、無礼だ失礼だと悶着になるかもしれない。だが、止むをえまい。そうなったらその時だと割り切って走った。
ぐんぐんと距離を詰め、もうあと数跳びというところで、御田が通り沿いの開かれた門に逃げ込んだ。長大な白壁から、金回りの良さが分かる大きな建物だ。看板には堂々たる筆致で朱雀館と書かれている。
「なぜだ? 白虎館の門弟が、なぜ朱雀館に逃げ込む?」
剣術道場に通う者は、他道場にはおいそれと入れるものではない。流派ごとに縄張り意識や敵対意識が強い。余程普段から親しくしている同門などではない限り、考えられない。
事情は分からぬが、放っておけない。そう決断しようとしたが、躊躇が生まれる。取り調べ無用と言われた朱雀館だ。踏み込むべきか否か。門前で考え込んでいると、高弟らしき雰囲気の男が出てきた。道場着を着けているものの、汗をかいた様子はない。
「これはこれは、勇者として名高い佐津間隼人殿ではありませんか。当道場へ御用ですかな」
「こちらへ盗人が逃げ込んだ。引き渡していただきたい」
「はて、盗人ですかな? もしかすると、我が朱雀館の門弟を罪人呼ばわりされているのか?」
門弟はわざとらしく顔をしかめ、不機嫌そうに声を荒げる。
「いや、逃げ込んだのは白虎館の門弟。朱雀館とは無関係にござる。問題は無かろう」
「いやいや、朱雀館の客人は剣だけにあらず。せっかくお越しいただいたお客を、何の証拠もなく罪人として突き出すような真似は出来かねますな」
「なんだと?」
こう突っぱねられてしまうと、隼人にはこれ以上の思案が無い。鶴名八衛門に止められている以上、むやみに踏み込むことも躊躇われる。だが言葉のやり取りではらちが明かない。
そうこうしているうちに、黒鹿毛と楡葉が追い付いてきた。一歩離れて隼人の様子を気遣わしげに見ている。
これ以上、二人の前で情けない姿を晒すわけにはいかない。
「何としても引き渡し頂こう。さもなくば、拙者自ら踏み込んで召し捕る。ケチな盗人と言えども、立派な罪人。捕縛するには度胸と剣の腕が必要であろうからな」
引き渡さぬは軟弱者と暗に挑発してみたが、何故か反応は鈍い。高弟はやれやれと顎を掻いている。
「隼人殿はご存じないようですので、特別にお教えいたしましょう。朱雀館には、賭場が立っています。ですから立ち入りは無用。いや、はきとお断りいたす」
「賭場だと? 丁半はご法度にござろう」
博打禁止の令は度々出されている。賽や双六などに銭を賭ければ、処罰される。許されているものは、せいぜいが寺社の富くじ程度だ。
「ええ、表向きは。ですが綺麗事だけでは政はたち行きませぬ。賽で買った負けたをしたいのが人情でございます。不満やうっ憤を晴らす場が入用というもの。そこで公儀は朱雀館を黙認なさっているのです」
「信じられぬ」
「信じぬでも結構。ですがこちらは、むしろお上から頼まれている立場。朱雀館であれば鶴名様を通じて刀王様とも懇ろですし、無頼の輩がいても手練れの門下で抑えられる。適役ということで、非公式の公営賭場を任されているのです」
高弟の口調は、嘲りすら含んでいる。が、隼人は進退極まってしまった。本来であれば、朱雀館に乗り込んで賭場を摘発し、ついでに御田も召し捕らえるだろう。しかし本当に賭場が高久の意図で設置されているとすれば、力押しをするわけにはいかない。
「ぬ……」
判断がつかない。
そもそもこういう腹の探りあいは苦手だ。これなら魔王討伐の方がずっと楽だった。迫り来る魔獣を斬って捨てればよいだけなのだから。
強い者が、よく分からぬものに絡み付かれ、行動を縛られる。こういうものは苦手だ。
――情けない。
楡葉の前で、情けないところばかりを晒してしまっている。暗澹たる思いで立ち尽くしていると、不意に黒鹿毛が前に出た。
「要するに、ここは高久さんの公認する賭場ということですよね」
「いえいえ、決してそうは申しておりませぬ。ですが勝手にそうお考えになっても、当方は存じ上げぬことにございます」
断言せずに韜晦するのがなんともいやらしい。苦いものがこみ上げ唾を吐きたくなるが、楡葉の手前、ぐっとこらえる。そんな隼人とは対称的に、黒鹿毛は飄々としている。
「主催が誰でも構いません。僕が客になります」
「へ……」
高弟も虚を突かれた様子だ。
「僕は、佐津間藩王国の支配者である刀王、佐津間高久の客人として津間の町に滞在しています。もしそれを断るなら、疚しいこと有りとして行動することになるでしょうね」
ひとつ脅しを入れたところで、黒鹿毛はふわりと笑った。
「もしただの客として迎えてくれるなら、チョーハンというのを楽しむだけですから大丈夫ですよ。ね?」




