楡葉、黒鹿毛と結婚する(しない)
「楡葉様ほどお強くて聡明なお方には、そこいらの男じゃあ釣り合わないと分からないのですかねえ」
留香が何やら自慢げに腕を組んでいる。視線の先では、某家の何とかという嫡男が戸板に載せられて道場から運び出されていく。楡葉がたった今、薙刀で軽く撫でた男だ。
男らしさがどうとか、道場では何番手だとか、か弱い女はたくましい男に従っていればよろしいとか色々とご高説や自慢話を聞かされたが、結局のところ自分の足で歩いて帰れない羽目に陥った。
「なんで留香が偉そうなのよ」
「だって楡葉様の強さと美しさが世間に知れ渡るのが、この留香の喜びですから。楡葉様のすばらしさを満天下に知らしめねば、もったいないです!」
「う~ん。どうでもいい」
「そんなあ!」
この津間城奥御殿は、男子禁制とは言わないまでも立ち入ることは極めて難しい。そこへ入ることが許されるのだから、大抵の男は自尊心や虚栄心を高ぶらせてやってくる。そして小柄で控えめに見える楡葉に叩きのめされる。その心の落差は大きいはずだ。
聞いた話では、その後しばらく家に引きこもる者も多いらしい。「らしい」というのは、楡葉は負かした相手に興味が無いから、記憶もあいまいなのだ。その後のことは留香が教えてくれるのだが、右から左に聞き流している。どこそこの令息は、もう剣なんて持たないなんて絶対に言わないと強がっていましたよとか、あの武家の跡取りは必死に道場通いを始めましたよとか、そういう話しはどうでも良かった。
そう言った男どもに興味が無いからだ。
確かに偉そうなことを言う男に勝つのは、気持ち良い。けれど負かした後には、きれいさっぱり忘れてしまう。忘れないとすれば――。
「やっぱりあの王子様に仕返しをしましょうよ、楡葉様」
「え?」
「東方藩王国の王太子様ですよ。あれで楡葉様に勝ったと思われちゃ、癪じゃありませんか? 袴と真剣ならば、きっと負けては……」
「やめなさいな、留香。どうすっ転んでも私には勝ち目がないわよ」
「でも……」
先日、手合わせをした隣国の王太子であるという少年、黒鹿毛。聞けば楡葉と同い年らしいが、遥かな高みに立つ、練り上げられた武術だった。楡葉も全身全霊の全力ではなかったが、さりとて手を抜いたつもりはない。それが赤子のように転がされてしまったのだ。
けれども少年は、その強さを誇るでもなく、あくまで控えめだった。その精神は大樹のように雄大で、落ち着いている。
しかし楡葉には分かった。きっとその胸の奥には、烈火の如き苛烈さをも秘めている。そうでなければ、あれほどの槍術は身に付かない。きっと灼熱のような熱い思いと、それを包むほどの柔らかで聡明な心を持ち合わせているんだわ。楡葉には、そう感じられた。
「武術では勝ち目はないわ。けど、他なら分からない。あの人のこと、もっと知りたいかも」
楡葉は人を見る目に自信があった。
小さいころから、藩王である父や、その跡を継いだ兄の周りを跋扈する腹黒い者達を多く見てきた。忠臣面しながらも、自分の懐具合しか気にしない男達だ。
そして長じてからは、楡葉と言う政治的に価値のある女に群がる卑しい男たちを多く見てきた。一しかない中身を十に見せようとする者たちだ。そして叩きのめした結果、少ない中身がこぼれ出すところも多く見てきた。
その楡葉の目には、黒鹿毛という男が不思議に映っていた。最初は、十ある中身を、一に見せようとしていると感じられた。けれど、多分違う。本当は、中身が百くらいある。でも見せびらかさないから、三とか五とかに見えているだけ。
佐津間武士は、華美や虚飾を嫌うと言われている。けれど、その様に見せているだけだ。結局は威張り散らすために自分を大きく見せようとする。武士の一分などと言う名誉を求めて、虚栄心から嘘を吐いているのだ。
一方の黒鹿毛は、自分を見せまいとしている。見せる必要が無いからであるし、手の内を晒さない方が有利であるという常在戦場の気風かもしれない。虚より実を取るのは、したたかさからなのか、自然体だからなのかまでは分からない。
どちらにせよ、佐津間にはいない男だ。一番似ている男を探せば、多分兄の高久だ。普段は書を読み、柔らかく笑みをたたえている。だが内心では、強い一念を抱え、鋭い刃を研いでいる。いつか自分の信念で佐津間藩王国を変えてやると決心している。
それと同じ気配を感じる。黒鹿毛と言う男に興味が無いと言えば、嘘である。いや、興味津々と言っても良い。
「ね、留香。また黒鹿毛様と会えないかしら。今度は決闘抜きで」
「ま、まさか楡葉様……。恋……ですか?!」
まったく留香ったら、何を言い出すのだろう。
引っぱたいてやろうと右手を挙げたところで、ふと気づいた。そういえば私は愛だの恋だのを知らない。人情本なんかでは山ほど触れているし、憧れてもいる。だけど自分には無縁かもしれないとあきらめていた。
佐津間家当主の妹である以上、その婚姻は必ず政略だ。決められた相手に嫁ぎ、運が良ければ相手と仲良くなれるかもしれない。運が悪ければ側室や妾の子に家を乗っ取られ、居心地が悪く寂しい老後を過ごすだろう。せめて夫となる人は、居丈高な男じゃなければいいなあ。その程度にしか考えてこなかった。
「楡葉様?」
打つ素振りのまま固まった楡葉を見て、留香が催促するようにこちらを見ている。目は爛々と輝いているし、頬は上気している。留香にとっては、楡葉の打擲もご褒美らしい。軽く二度三度のご褒美を与えると、楡葉考えた。
もしかして、黒鹿毛様となら創作本のような恋愛が出来るんじゃないかしら。いいえ、もうしてる。この興味の心も、きっと恋心に違いないわ!
あの人は、この牢獄のような津間城奥御殿から連れ出してくれる、黒馬に乗った王子様なのだ。
確信すると早かった。
「留香、私と黒鹿毛様が結婚するとしたら、どう思う?」
「え???????????????????????」
恍惚とした顔から、表情がごっそりと抜け落ちる。飼い猫が厨から盗み出した焼き魚を水堀に落とした時も、同じ顔をしていた。
「そんなに驚かれるとは思わなかった。こっちがびっくりよ」
「すみません……。結婚するんですか? あの王太子様と?」
「うん! 素敵じゃない? 黒鹿毛様は王子様だし、私より強いし、佐津間武士みたいにがさつじゃないし。お互いの藩王の弟と妹だし、同い年だし。これって運命じゃないかしら。それとも留香は、私の初恋を応援してくれないの?」
「とんっでもないっ! 全力で応援いたしますとも‼」
「良かったあ。じゃあ、どうしたら私と黒鹿毛様が結婚できるかしら」
留香が人差し指をこめかみに当てながら、うんうんと悩みだした。
「そうですねぇ。お相手は、王太子です。王族の結婚など、古今必ず政略に依ります。もしかすると王族や貴族の許嫁がいるかもしれません」
「いたらどうするの?」
「愛の力で取り除きましょう。黒鹿毛様を、楡葉様にメロメロのメロにしてしまえばいいのです! 楡葉様以外とは結婚しないもんと言わせればいいのです!」
「おお~」
楡葉がぱちぱちと手を叩くと、留香は拳を振り上げて熱弁する。
「この世に楡葉様ほどの女性がいますでしょうか? いや、いない! あとは楡葉様の魅力を、直撃に直感、魂を乗せて叩きつけていくのみでございます。殿方は、押されれば弱いもの。しな垂れかかれば絆されるというもの。まずは攻めて攻めて、攻めまくりましょう」
「随分と詳しそうだけど、もしかして留香ってそういう経験が豊富?」
「皆無です、本の知識です」
「……安心したわ。さて、それじゃあお花見にでも誘ってみようかしら。肩を並べて桜並木を歩くのって素敵じゃない?」
「まあ、二人でお外に? ふしだらな……それにお噂が立ったらどうするんですか」
「それこそ外堀を埋めることになるんじゃないかしら」
「楡葉様……策士でございますね」
「そうと決まれば、早速ひとり味方に付けなくちゃね」
「ひとり?」
「お兄様よ」
高久は中奥にいた。来客の対応などをする表と、楡葉たちの住む奥の間で、執務もするし私的な空間でもある。着物の裾をまくり上げて小走りに近寄ると、せんべいを齧りながら読書をしていた高久は「はしたないぞ」と笑いながら迎えてくれた。
「お兄様にお願いがあります」
「何だい、あらたまって」
「黒鹿毛様との結婚しようと思うんです」
「うん?」
高久には珍しく心底驚いた顔だ。唐突に納豆を突き付けられた飼い犬のような眼をしている。
楡葉は必死に説明した。
ただ、男だというだけで居丈高に来る佐津間の武士は嫌いだ。荒々しいのも好きじゃない。かといって軟弱で剣も握れない公家などもご免だ。その点、黒鹿毛は優しく教養もあって、槍の達人だ。身分も申し分ない。これは運命の恋なのだ。
「うーん……」
楡葉の渾身の演説も、高久には響かないようだ。浮かぬ顔で返答に困っている。
「駄目ですか?」
「駄目とも言い切れないけれど……」
楡葉としては賛成か反対かの答えが返ってくると思っていた。妹を甘やかすことにかけては三国一の高久なら、「いいよ。祝言の準備はまかせなさい」と請け負ってくれる可能性は十分にあった。よしんば「だめ!」と言われたとしても、黒鹿毛本人と大恋愛をしてしまえばこちらのものだ。そう算段を付けていた楡葉は、肩透かしを食った。
「楡葉の婚姻は、藩王と言えども一存では決められない。自分自身のことですら、ごらんのとおりだからね」
もうすぐ三十歳になる高久だが、未だに独身だ。何度か婚姻の話が出たが、そのたびに水面下の争いがあり、結果、この歳まで正室がいない。藩王の妻と言う立場を巡って臣下が相争い、それを抑えきれていないのだ。
楡葉の婚姻にも同じことがいえる。家臣団を抑えて高久や楡葉の意を通すことが出来るだろうか。難しいだろう。そんな高久の上意下達が通じ難い状況だからこそ、楡葉を狙う男たちが群がってもいる。
「つまり、私の恋には障害が多いってことですね」
楡葉は燃えていた。
黒鹿毛様なら、きっと私を佐津間から連れ出してくれる。助け出してくれる。
運命の人なのだ!




