表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
4章 戦士への復讐

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/152

閑話 アイセン・カアンと世界を取りに行く

「ルキウス・コルネリウス。酒でもやりに行こう」


 仕事上がりにそう声をかけられて、少し驚いた。

 同僚たちは既に帰宅していたので、室内にはルキウス一人だった。ルキウス自身も、帰り支度を始めたところだった。


「……かしこまりました」

「じゃあ行こう」


 そう言って歩き出したので、財務規則の改正草案を箱に入れて錠をかけると、後を追った。もう慣れたものなので、会話に困ることもない。


「殿下、今日はどちらへ?」

「ゼ・ノパスがいい店を見つけたらしい。今日は奴に奢らせよう」


 ルキウスを酒に誘ったアイセン・カアンは、事も無げに言う。

 夕暮れ迫る藩都ジンドゥは、人で満ちていた。大通りは馬車の乗り入れを制限したにもかかわらず、忙しげに歩く織物商人や仕事上がりの石工職人、夕食を求めて店を品定めする旅人らであふれている。蹄鉄屋ではいまだに槌の音が響き、灰屋が各家を回りながら壺一杯の灰くずを運んでいる。


 人々の営みの積み重ねが作る喧騒だ。これが街の力であり、国の力になる。財務官僚としてこれを支える役割を果たしているという自負のあるルキウスは、自然と嬉しくなる。


 東方平原の街には、必ず食事処や酒屋があり、風景に溶け込んでいる。酒屋は、単に酒の量り売りをするだけでなく、大抵は料理も出すので居座ることが出来る。どこも大体は混雑しているが、通りに面した広々とした店ばかりなので、酒を一杯と肴を注文すれば、街の景色を見ながらゆっくり時間を過ごせるのだ。


「あれだ。ゼ・ノパスは先に入っていると思う」


 アイセンが指さしたのは、そんな酒屋の一つだった。大通りから少し入ったところにある、新しい建物だ。東方平原では、天候さえ許せば外の空気に触れながら飲食する文化がある。ここもそうだった。屋根の下に壁はなく、絨毯を敷いた床に直接に座る。横を見れば人々の行き交う街路が見える。


 藩王ともあろうお方が、なんと無防備な。

 さすがのルキウスも、そんなことはもう言わなくなっていた。何故か。一言でいえば、慣れた。


「いつもどおりでいいな?」


 そう言いながらアイセンは既にルキウスの分まで麦酒を注文している。


「肴は頼んであります。もうすぐ鳥と羊と魚が大盛で来ますよ」


 ゼ・ノパスが慣れたようにルキウスたちの前に皿を並べていく。この太った男は、東方藩王国の最重鎮の一人だ。かつては五旗四槍と呼ばれる盟主アイセン・カアンの腹心であり、交易を一手に支配する正絹査官であった。その後の内紛の際には、常にアイセンに付き従い盟主の帰還を助けた。主君に付き添って北方の山岳地帯を這いずり回り、共に反乱鎮圧の軍を起こし、政権を奪還した後はその統治に尽力している。

 非の打ち所の無い忠臣にして、右に出る者の無い重鎮だ。


「ゼ・ノパス様、お戻りになっていたのですね」


 東方藩王国となった今、ゼ・ノパスは外交官として帝国と東方平原を行き来している。外交官という官職は珍しい。帝国のみならず西のロムレス王国や南のイオス王国でも、君主が使者を遣わす以外は、諸侯や貴族が独自に交流することで他国と外交を行うことが多い。

 そんな中でゼ・ノパスは、君主から権限を与えられて、独自の判断で行動する外交に特化した役職に就いている。東方平原ではヒモンなどの前例があるものの、その権限は拡大されている。能力と人格に、厚い信頼があるからこそだろう。


「さっき着いたところだ。帝都ではスッラ長官と会った。ルキウスを粗末に扱うなと釘を刺されたぞ。随分と評価されているようじゃないか」

「恐縮です」


 かつての上司の名を出され、懐かしさを覚えたことに小さな驚きがあった。帝都を懐かしく思うほどにジンドゥの生活に馴染んでしまっていたのか。

 渡された麦酒をあおりながら、ルキウスは感慨を噛み締めた。


 料理はどれも美味しかった。

 美食家のゼ・ノパスが勧めるだけあって、外れがないどころか、大当たりしかない。鶏肉は皮がパリパリになるまで香ばしく焼かれているし、羊肉は匙で触るとほぐれる柔らかさで香辛料がたっぷりだ。魚はからりと揚げられていて骨まで食べられる。帝国の料理も素晴らしいが、ジンドゥに来てからさらに舌が肥えてしまっていた。そのルキウスが、舌鼓を打つほどに美味かった。


 酒と料理を楽しみながらゼ・ノパスの話をアイセンと二人で聞いていると、あっという間に時間が過ぎていった。最近の帝都の動向は興味深いし、ゼ・ノパスの視点から見る帝国の現状というのも面白い。そんな風に耳を傾けていると、話題は次第に帝国への不満へと移っていった。


「帝国の法は、どうしてあんなに長ったらしいんだ? 『盗むな』と書くだけで本一冊になっちまう。あれじゃあまともに読める人間の方が少ないだろう」

「確かにそうだ。東方藩王国の立法案も、大概は十倍の長さになって帰って来る」


 アイセンもうなずいている。


「だが、お前が作るものは手直しが少ないな」

「は……恐縮です」


 アイセンに水を向けられて、ルキウスは曖昧に下を向いた。

 東方藩王国は、多くの制限を受けている。外交や軍事の領域は完全に銀月帝国が握っているし、立法の権限なども一部を除いて認められていない。その一部の例外が経済に係る立法だ。交易を重視しているのは東方平原だけではない。銀月帝国もより多くの取引が行われ利益が生じることを望んでいる。それには、首輪をつけながらも東方藩王国の自主性に任せた方がよいであろうと判断したのだ。


 ルキウスが作り上げた草案も、帝国法務官の審査を経て、藩王アイセン・カアンの名で発布される。

 その過程で、当初案と形を変えるものは少なくない。


「なんでだ?」


 アイセンが屈託なく聞いてくる。まるで興味津々の無垢な子供のように、こちらを見つめている。これが元上司などに聞かれたのであれば、胃の痛みをこらえつつ適当にやり過ごしただろう。けれど何故か彼女には不快な気持ちが湧かないし、むしろ自分の持てる能力を挙げて協力したくなる。不思議な感覚だ。

 だがそんな感情に流されるルキウスではない。保身と出世のため、これまでも危ない橋を避けて生き抜いていたのだ。そんなルキウスの理性が、こう答えを出した。


 無視はできない。

 藩王直々の問いだ。答えなければ、不忠か無能となる。だが、答えすぎれば、帝国から見ると不義の徒になる。

 ここは、あくまで客観的な事実だけで話そう。保身の算段を終えると、ルキウスはまるで悩みなど無いように舌を動かした。笑みを浮かべることも忘れない。


「帝国と東方平原の統治機構の差異が現れているにすぎません。法律の趣旨には、本質的な違いはありません」


 帝国は、皇帝が絶対である。聖神から支配を認められた絶対の支配者である皇帝が、すべてを決する。そのため、皇帝の意思を過不足なく伝えるため、法律の条文は極めて冗長になる。


 たとえば先ほどの窃盗についての法だ。

 帝国では、「他者の有する財物を窃取したものは、その右腕を斬り落とし、右腕無きときは左腕を、両腕無きときは足を、四肢無きときは首を切り落とす。ただしその財物の倍する額で賠償したときは、罪は消えぬが刑は留保する……」と続き、第二項、第三項と長々記載される。但し書きも多い。

 法は皇帝の意思であり、これを忠実に遂行するのが司法の役割だからだ。


 一方の東方平原では、「盗みは、これを許さず」と書かれるのみだ。盗みに限らず他の条文も簡素だ。ひどいときには「ならぬものは、ならぬ」と書かれるときもある。


 それでも平穏に統治できていたのは、各部族による自治が可能だったからだ。広大な東方平原には多くの部族が居住している。北と南では気候も違うし、西と東では文化も違う。簡素な文言の法により、それぞれの部族が、それぞれの事情で統治する余地が与えられていたともいえる。中央から委任された権限の幅が広いのだ。

 これは、各部族の同意があって初めて盟主が立つことが出来るという、一種共和的な東方平原らしさである。


 そんな説明をすると、ゼ・ノパスは「そういわれると、そんな気がする。納得しちまった。お前、商売人か詐欺師の才があるぞ」と笑っている。

 アイセンも楽しそうに聞いてくれている。


「なるほど、広く国を超えて支配するには、各国の立法事情も知らねばならぬのか。世界征服をもくろんでいた魔王などは、そんなことまで考えていたのかな?」

「ははは、もしアイセン様が世界帝国を築くのであれば、ご自身で詳細まで学ばなくともよろしいかと。優秀な官吏が挙げてきた素案に、是か非かを判断できればそれでよいのです。君主が子細に指示を出せば、却って混乱を招きます」


 アイセンの冗談に、ルキウスは冗談で返したつもりだった。だが、拙かった。

 ふと気が付くと、アイセン・カアンがこちらをまっすぐに見つめていた。黒く煌めく瞳は大きく開かれ、口元は力強く笑っている。


「どうだ、ゼ・ノパス。この人材は欲しくないか?」

「欲しいですな。若くて能力があって野心がある。申し分ありません」


 ゼ・ノパスは舌なめずりさえしている。ルキウスはその会話を聞き流した。怖かったからだ。


「まあ、今すぐにどうこうというわけではないから、考えておいてくれ」


 アイセンがにやりと笑う。

 何を、などとは聞き返せない。怖いからだ。


「あ、は、はあ……」


 アイセンとゼ・ノパスが獲物を囲い込むように笑顔を向けて来るが、ルキウスは曖昧に首をかしげるだけで精いっぱいだった。


 後日、ルキウスは俊狼徽章しゅんろうきしょうという勲章を付与された。金環に狼の刺しゅうを施した布を結び付けたもので、手のひらに乗るくらいに小さい。東方五氏族同盟の盟主に対して類まれなる忠誠を示した者に与えられる名誉勲章で、親衛隊員相当の職を与えるものでもあるという。

 銀月帝国でもなく、東方藩王国でもなく、東方五氏族同盟の職を与えられたのだ。名誉職であっても、その意味は重い。


 懐柔だろうか。

 そうも考えたが、ルキウスは一人首を振った。ただ単にルキウスの心象を良くしたいのであれば帝国勲章でも藩王国表彰でもよいのだ。わざわざ東方五氏族同盟独自の勲章と職を贈ったということは、帝国の枠外で行動する意図があることを示している。


 東方藩王国に謀反の兆し有り。

 そう本国へ注進すべきである。ルキウスの鋭い嗅覚は、アイセンらの思惑を察知した。それを知った時の本国高官らの動きも、すべて予見できた。だが、もしこれを本国に送ろうとして露見したのならば、それはアイセンの差し伸べた手を払う行為ととられるだろう。


 ルキウスは俊狼徽章を鍵のかかる箱に入れると、しっかりと施錠した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ