黒鹿毛、楡葉と会う
津間城の奥御殿を訪れた黒鹿毛は、広い板の間に通された。
庭に面した引き戸は開けられているが、城内でも奥まった場所にあるためか、静けさに包まれている。これから、高久の妹である楡葉と会うのだが、どうにも落ち着かない。他国の王族であり、年の近い女性であり、初対面なのだ。どれも不得手とは言わないまでも、得手ではない。
けれど会わないわけにはいかない。無事に隼人の屋敷に腰を落ち着けることができた礼をしようと高久の下へ伺候したら、高久から直接に「楡葉にも会っていただきたい」と言われてしまったのだ。
もとより両国の友好を深めるため、一度は会うつもりであった。機会を逃す選択肢はない。もちろん、誰かと仲良くなれるのであれば、王太子や外交使節という役に関わらず嬉しい気持ちもある。
それに今日は、別の目的もあって奥御殿を訪ねている。
うん、頑張ってみよう。
ヒモンや六郎などから聞いている楡葉という人は、控えめで恥ずかしがり屋だけど、しっかりしたところのある佐津間風の女性らしい。そこから為人を想像しようとすると、亡くなった従姉妹が思い浮かぶ。馬や刺繍が大好きで、控えめだけど芯のある強い女の子だった。小さなころから一緒だったので身構えた付き合いはしていなかったけれど、接し方は心得ている。
うん、アサギと同じで大丈夫なら、きっと問題ない。
横を見れば、筆頭近侍兵が相変わらずの無表情で座っている。奥御殿はあまり男性が立ち入る場所では無いようで、今回の随伴はこの女戦士だけだった。
黒鹿毛がじっと待っていると、やがて静かな足音とともに二人の女性が現れた。
まず入室したのは、すらりと背の高い女性だ。紺色の小袖を身に着け、にこにこと笑っている。
その後ろには小柄な女性が控えめに従っている。黒鹿毛と同じくらいの歳で、淡い桃色の小袖に、新緑のような黄緑色の帯が爽やかだ。透き通るような白い肌は、東方平原ではあまり見られない。幼げながらも、貴賓のある美しい少女だ。年恰好から察するに、この人が楡葉なんだろう。
紺色の小袖の女性が、何やら自慢そうな雰囲気で意気揚々と口を開いた。
「こちらにおわしますは、佐津間の宝玉、いや大陸の至宝である楡葉様にございます。眼福を得る幸運に感謝なさるとよろしいですよ」
「や、やめてよ、留香。は、恥ずかしいことは言わない約束でしょ」
留香と呼ばれた女性がどや顔で言い切ると、楡葉が顔を赤らめてその袖を引っ張った。けれども留香は気にせず胸を張る。
「いえ、こういう時は大上段から斬り込むに限ります。楡葉様の素晴らしさが外の国にも知れ渡る好機です。大船に乗った気持ちで、留香にお任せください」
「……穴の開いた小舟より不安だわ」
「えぇ、そんなぁ! 大丈夫ですよ? この留香は、楡葉様の良いところなら三千世界の誰よりも知っているんですから。三年くらい語り続けられますよ」
「そういうことじゃないのよ、もうっ。三年も語らなくていいから、三日くらい静かにしていて欲しいわよ」
「三日三晩、楡葉様のお側にいられるなら口をぴたっと閉じておきます、大丈夫です、問題ありません」
「口だけでなく、いっそ鼻も塞いでしまいたい気分よ……」
「楡葉様がその御手で塞いでくださるなら尊みでぎりぎり生き残れる気がします。けど、楡葉様の手で鬼籍に入れるならば、それはそれで……」
目に熱を帯びだした留香を笑顔で無視した楡葉が、黒鹿毛に向き直った。
「あの、大変失礼いたしました。私が楡葉です。黒鹿毛様のお話は、兄から聞いております。佐津間には無い清々しくしなやかなお方であると、何度も口にしておりました。ぜひ親しくしていただければと思っております」
「……あ、はい。あの、よろしくお願いします」
黒鹿毛がぺこりと頭を下げると、すかさず留香が目を吊り上げる。
「あ、駄目でございますよ! 楡葉様がお可愛いうえにお優しいから、ああ言ってくださっただけですからね。勘違いしないでくださいね」
「こらっ留香、お黙りなさい。黒鹿毛様に失礼です」
叱られた留香が、子犬のようにしゅんとした顔で黙る。
「うちの留香が失礼をいたしました。本当に申し訳ございません」
「あ、あの、い、いえ、大丈夫です」
元気で騒がしくて仲の良い二人に圧倒されてしまって、あらかじめ色々と考えていた会話の内容などは、全部吹き飛んでしまった。
少しの間、ポカンとしていると、隣に座る女戦士が包みを差し出してきた。
「あ。ありがとう」
忘れていた。
楡葉が読書を好むと聞いていたので、ジンドゥから持ってきた本を数冊、贈答用に包んでいたのだ。どれもそれなりに高価で、このひと包みだけで家が数軒は建つ。
中身は、北方諸国の神話を綴った羊皮紙の小さな本や植物紙に綴られた東国の伝記、アサギが好きだった西方の恋愛悲劇などだ。言語は違うが、佐津間藩王国ほどの規模になれば、きっと翻訳や筆記を専門にする人材もいるはずだ。
「わあ、ありがとうございます。私、読み物が大好きなんです。さっそく翻訳に出します」
楡葉はまるで花がほころぶように明るく笑った。
「あ、良かったです。僕も本が好きなんです。けど東方平原では読書なんて軟弱だって言われちゃうので、そう言う事を気にせずに本を楽しめる佐津間は良い場所ですね」
「まあ、書を嗜むだけで厳しい目で見られるとなると、本好きには難儀な場所ですわね。武士たるものは兵法書の素養も必要だと思うのですけれども」
「僕は物語とかも読んでいたから、馬鹿にされがちだったのかもしれないです。楡葉さんはどんな本を読むんですか?」
「私、その、お、お恥ずかしい話ですが、人情本などが好き……です」
「人情本ってどんなものなんですか?」
「あの、えっと、男女の恋を題材にしたものと申しますか、あの……」
楡葉が顔を真っ赤にして下を向いてしまった。アサギも恋愛本を読むときは、こっそりだった。他の本は気軽に貸し借りをしていたけれど、色恋の本だけは見せてくれなかった。恥ずかしいものなのかもしれない。
「えっと、話題を替えましょう」
「そうですよね、そういたしましょう」
楡葉が救われたように立ち上がった。
「私も心からのおもてなしを用意しております。さ、こちらへどうぞ」
案内されたのは壁際だった。木を削って作った刀や槍、長巻のような物が並べられている。どれもしっかりと使い込まれている。
「ここは奥御殿の女中たちが小太刀や薙刀を鍛錬する道場なんです。飛び道具以外の得物はおおよそ揃っております。お好きなものをお選びください」
「好きな得物を?」
「はい。お客様は刀剣でお迎えするのが、佐津間の流儀。さ、一手お願いいたします」
楡葉が、頬を染めて淑やかにほほ笑む。




