閑話 アイセン・カアンが面白い
「ルキウス・コルネリウス。飯でも食いに行こう」
仕事上がりにそう声をかけられて、死ぬほど驚いた。
同僚は席を外すか既に帰宅していたので、室内にはルキウス一人だった。ルキウス自身も、帰り支度を始めたところだった。
「私……でしょうか」
ルキウスは、東方藩王国の都であるジンドゥで財務を担当する官職を得ている。
もちろん帝国が圧力をかけ、盟王に任命させた。銀月帝国は、東方藩王国へ政治顧問団を派遣しており、ルキウスはその一人なのだ。
帝国臣民としてみれば、出世街道に乗っていると言ってよい。だが東方平原から見れば、獅子身中の虫だ。藩王国へと転落し軍事と外交の権限を直接に制限されている。そんな中でルキウスのように内政分野に侵食してくる敵に、いい顔をする者などほとんどいない。
だからこの誘いには驚いた。
「もちろんだ。君以外にルキウス・コルネリウスはいないだろう」
「は、はい」
「じゃあ行こう」
そう言って歩き出したので、人口統計と諸税率から各地区の来期の税収を積算した資料を箱に入れて錠をかけると、急いで後を追った。何か話さねばと、藩王邸の執務区画の廊下を歩きながら必死に言葉を探したが、出てきたのは他愛もない質問だった。
「あの、殿下、どちらへ向かわれるのですか?」
「酒屋か露店か、適当に歩いて決めよう」
ルキウスを食事に誘ったアイセン・カアンは、事も無げに言う。
おかしい。
彼女は、東方平原を支配する藩王である。町を歩いてふらりと入った店で酒と肴を頼むような人種ではないはずだ。宮殿の奥に鎮座し、一流の料理人が作り上げ、毒見を経て配膳された料理を摂るものではないのだろうか。
ルキウスの混乱などお構いなしに、アイセンは通りに面した酒屋に席を取った。屋根こそ設けられているが壁はなく、人の行き交う街路の喧騒がそのまま聞こえてくる。覗き込めば、アイセンの顔も見えるだろう。
当の彼女は、象徴的な長い黒髪を布で覆っているくらいで、隠れようとする気配はない。椅子や卓などではなく、絨毯を敷いた床に直接に腰を下ろすと「とりあず麦酒」などと言っている。
東方平原の麦酒は、南方の影響なのか蜂蜜や香辛料が入っている。最初こそ馴染みのない味に警戒していたのだが、慣れるとこれが美味い。
「葡萄酒も悪くないが、これはこれでいいだろう?」
「はい、仰せのとおりでございます」
王と二人で外食をするという状況は未だに理解できない。だが、目の前には上司の上司の上司がいると思えばいいのだと割り切ってしまえば、粗相のないように振舞うことは出来る。
「殿下はよく外食をされるのでしょうか?」
こういうあたりさわりのない質問は得意だ。世渡りのコツでもある。
「あんまりしないな。今日は脱獄が上手くいった」
「ははは、お忙しい中ですから、外に出るだけでも大変であるとお察ししたします」
脱獄という言葉は無視した。重鎮や貴賓が使う強い言葉には反応しない。これも保身術の一つだ。どうせ近くに護衛の兵などが隠れていて、聞き耳を立てているのだろう。
失言は、帝国の不利益になるし、ルキウスの失点にもなる。出世の欲を抱えたルキウスとしては、何よりもまず落ち度が怖い。だがアイセンは、何の気兼ねもない風に雑談を続ける。
「帝国のせいで忙しい。責任を取ってもらいたい」
「あはは、は、お戯れを。ですが、もとより私共は殿下にお仕えするために派遣されております。微力ながら、これからも尽力させていただきます」
「それはありがたい。何せ我が愛する東方平原は、内紛で力が落ちているからな。税収の見込みはよくないだろう?」
「いえ、実はそうでもありません」
もちろん総額でみれば帝国には及ばない。
銀月帝国は、本国だけで1000万人の人口を擁する。それに比べ、東方平原は、都市部や集落に住む者だけを数えれば200万人しかいない。遊牧や交易で定住していない者を含めた最大数でも、400万人に届かない。
人口だけを比較すれば、帝国は圧倒的だ。他の属領も加えれば、その差はさらに開く。例えば佐津間藩王国は、領有面積こそ東方藩王国の10分の1以下だが、人口は250万人を超える。もちろん属領のすべてを加算することはできないが、金銭や人材を吸い上げる本国は、見かけ以上に力を得ている。
しかし帝国の産業を支えるのは、奴隷制だ。厳格な身分社会であり、奴隷に生まれれば、その他の身分にはなれない。そしてその奴隷を使役することで、産業を維持している。努力すれば奴隷の身分を脱することのできるロムレス王国などに比べると、奴隷の意欲は低く、一人当たりの生産量では劣るという意見もある。
他方、東方平原に奴隷はいない。一人一人が、自らの意思で機を織り、羊を追っている。加えて出生数が少ないため、あまり放任されず子供の内からしっかりと教育を受けることになる。少なくとも、鞭で打たれながら漫然と労働をする帝国の奴隷とは人材の質が異なって来る。
一人当たりの生産量で見たとき、東方平原の方が上回るところもある。
それらを、数字をもとに説明すると、当然に理解していることだろうにアイセンは面白そうに聞いてくれている。
「さすが、帝国の俊英。理路整然として弁舌爽やかだ。それで、東方平原がさらに伸びるには、どうしたらよいと思う? 帝国を超えてしまうような案でも構わない、大歓迎だ」
炙った羊肉と豆の煮込みをルキウスに取り分けながら、笑顔で尋ねてくる。「ありがとうございます」と器を両手で受け取りながらも、頭に浮かんだのはたった一言だった。
困る。
どう答えても危険がある。答えなくても、やはり損をする。悩んだ挙句、当たり前のことを口にした。
「やはり鉄でしょう」
「やっぱりか」
「御意にございます」
鉄は必要だ。戦うには矢に槍、剣が要る。蹄鉄にも使いたい。日常にあっては、包丁や鍋、釘があれば便利だ。
しかし東方平原では、鉄がほとんど取れない。北方諸国や東国、南方などからの輸入に頼っている。そこに係る費用は莫大だし、それでも安定供給と言うには、不安がある。いかに鉄を確保するかは、東方平原にとって常に抱え続ける課題と言えるのだ。
「クロカゲには、頑張ってもらわないとだな」
その言葉に、王弟の顔が思い出される。現在は、佐津間藩王国へと赴いているはずだ。佐津間といえば、鉄のほか、金や銀も豊富である。
なるほど、当然ながらそこも含めて最初の外交相手を佐津間藩王国としたわけか。今までは対立関係にある銀月帝国の属領であったので、公に通商を持っていなかった。だが今は違う。王弟クロカゲが無事に外交の端緒を作ることが出来たなら、問題なく貿易が始まるだろう。
ルキウスの額にじわりと汗が浮かぶ。心の奥底に秘めている疑いが、浮かび上がってきた。
――盗賊の勇者クロカゲと王弟クロカゲは、同一人物ではないだろうか。
それは、ルキウスが以前から抱いている懸念だ。恐怖と言ってもいい。
もし盗賊の勇者クロカゲが、魔王から奪った不滅の技をその身に宿しているとしたら、どうなるか。もし狩人の勇者から神弓までも奪取しており、それさえも自由に使えるとしたらどうなるか。
もし盗賊の勇者クロカゲが生きていたとしたら、銀月帝国に対して強い恨みを持っているはずだ。自らを謀殺しようとし、一族や仲間を惨殺し、故郷を焼いた帝国に対して、きっと復讐するはずだ。そしてその時には、きっと東方藩王国も加担するだろう。
――銀月帝国は、もう、手遅れなのではないか。
思考の海に沈もうとしていたルキウスを、悲痛な叫びが現実に引き戻す。
「アイセン様!」
精悍な顔つきの青年が、人数を引き連れてアイセンを取り囲んだ。
「やあ、サーキ。一緒に飲らないか?」
「やりませんね。さ、帰りますよ」
このジュチ族の青年は、まだ二十歳に届いたばかりと聞いている。正義を秘めた澄んだ目で、まっすぐにアイセンを見ている。
「サーキ殿」
「ああ、ルキウス様でいらっしゃいますか。まさかとは思いますが、あなたがアイセン様の脱走を手引きなさったか?」
思いのほか鋭い視線を叩きつけられ、内心で大いに怯んだ。
「いや、まさか。私は外食にお誘いいただいただけです。まさかお断りするわけにもいかず……。こっそり抜け出したことを知っていたら、さすがにお止めしています」
「被害者の側でしたか。ご愁傷様です」
危なかった。やはり詳しく聞かないのは正解だった。
ほっと胸をなでおろしている間に、アイセンが店主を呼んで支払いをしている。随分と多めに払っているのは、サーキらが来たせいでほかの客が帰ってしまったからだろう。
「すまんな、騒がせた。ところで店主、名前は?」
「へえ、トゴンです」
それを聞いたアイセンは、頭を覆っていた布を取ると店の前に立った。
「さあさあ、街ゆく諸君。腹は減ってないか? 酒を探していないか? ならばこのトゴンの店がおすすめだ。抜群にうまい。このアイセン・カアンが保証するぞ!」
それからはひと騒動だった。この人気者の君主は、あっという間に群衆に囲まれた。王を無事に藩王邸に連れ帰ったときのサーキの顔など、見ていられないほどだった。
後日にトゴンの店を覗いてみたら、以前にも増して盛況だった。「アイセン・カアン御用達の店」という垂れ幕まで出していた。それを目にした人々は、吸い込まれるように店に入っていく。神がかったような客寄せだ。垂れ幕の字には見覚えがあったが、まさか彼女が書くわけがないと自分に言い聞かせて、忘れることにした。
それにしても、とルキウスは思う。
王族とは、これほどまでに気安い存在だったであろうか。まかり間違ってルキウスが「飲みに行きませんか」と誘えば、「今日は予定が空いている。行こう」などと返事が返ってくるのではと錯覚しそうなほどに、親近感を覚えてしまっている。
もちろん立場をわきまえているルキウスは、そんなことはしない。
だが、想像するだけで面白かった。




