閑話 高久と猫
多忙な藩王といえども、ふとした拍子に時間が空くことはある。
たとえば今がそうだ。前の会見が思いのほか早く終わったので、次の客人を待つ間、ぽっかりと空白が出来た。昼餉をとるには早いし、書き物をしようにも墨と紙を広げている間に次の客が来る。こういう時は読書に限ると、日差しの暖かな中奥の座敷に机を運ばせた。
読みかけだった東方偉人伝記の叢書を読んでいると、縁側を三毛猫がのんびり歩いてきた。にゃあと一鳴きしてから高久の膝を前足でちょんちょんと触るので、正座を崩して胡坐にする。すると、足の上にするりと入り込んで来た。
そのまま読書を続けていると、再びにゃあという声が聞こえてくる。どうせこうして欲しいのだろうと、首筋を撫でてやると満足そうに眼を閉じる。そうしてしばらく読み進めていると、またにゃあと鳴いた。今度は、脇に置いてあったせんべいから、醤油の薄いところを割り取って小さくしてくれてやった。猫は満足そうに咀嚼すると、再び目を閉じて今度は眠りに入る。
まったく媚びるのが上手い。
だがこの媚態には不快がない。腹を満たして快く眠るための、素朴な訴えだ。翻って、人間はどうか。少しでも役を上げたい。少しでも石高を増やしたい。それは当然だ。そのために剣や書物に力を入れる。
だが自分の欲を満足させるために、誰かへの媚びへつらいとご機嫌取りに終始し、自らを鍛錬しない者がいる。善人ぶりながらも影で法を犯し信義を蔑ろにし、真摯に鍛錬に励むものを小馬鹿にする者がいる。それらを見聞きするたびに、高久は苦いものでも噛み潰した気分になる。
もちろん真っ当な勝負ならば、他人を蹴落としてでも戦うことはある。君主たるもの清濁を併せ呑む必要もあることは、覚えている。国や家や個人が生き残るために、何であっても手を染めるという気概も重要だ。
だがそこには、守らねばならぬ一つの線があると感じている。それを探すために、高久は書を読む。過去を知り、人々の営みに通底する何かを探しているのだ。
高久は卑怯が嫌いだ。だがそれを心のうちに留めているだけでは、為政者たる資格はない。卑怯とはどのような行為であり、なぜそれを忌避するのか。それを誰もが理解できるように定めて示さねばならない。何が罪であるのか、どのような刑を与えるのか。それをあらかじめ書き表しておかなければ、高久も卑怯者の仲間入りをするだろう。
そのため高久は知識を求めていた。古典を読み、城下の英才の書籍を読み、南方からも本を取り寄せた。
南方の本などは、帝国の法では禁じられている。だが優れた立法技術を学ぶには、必要な事なのだ。とはいえ、法を立てるためにご禁制に手を染めるという自らの行いには、皮肉を感じざるを得ない。
だが、高久にはこれしかない。
高久は弱い。これは揺るがぬ事実だ。武に偏重した佐津間という地では、剣の腕が劣るだけで、侮られる。父は剣豪将軍と呼ばれるほどの剣腕であったし、祖父は剣聖と称される達人であった。彼らが一言下知を下せば、たちまちに誰もがひれ伏し従った。
だが高久は弱い。だからこそ、誠実に政を行わなければならない。
いや、本来ならば強かろうが弱かろうが、誠の心で政道にあるべきなのだ。力で従える佐津間のやり方は、いびつなのだ。
だから辻斬りなども忌むべきものだ、
自らの剣を頼みに、傲慢にも無辜の民を切り捨てるのだ。許せるものではない。般若面だの黒手組だのという輩どもは、悉皆刈り尽くしてやると決めている。
しかし悔しいかな、心から信頼できる者は多くない。
ふと庭から暖かな風が入り込み、柑橘の匂いが鼻をうつ。亡き父が戯れで植えた春蜜柑の木だ。入り組んだ人間の思惑など意に介さない爽やかな香りが、高久の心を晴れやかにする。
「黒鹿毛様がお見えになりました」
用人が告げると、控えめながら誠実な空気を纏う少年の顔が思い浮かび、気分が更に上向いた。会ったばかりだが、分かる。彼の目は脂ぎっていない。会話をしながらも胸の内で算盤を弾いていることも無い。
「すぐに会おう」
寝床が無くなると察した猫が、床に降りてにゃあと鳴いた。その背を撫でると、高久は軽い足取りで表へと歩き出した。




