隼人、密命を受ける
――密命。
その言葉に、隼人の胸は静かに高鳴る。
主の命を帯び、密かに任務に就く。他に明かせぬ秘密を打ち明けられるほどに信用されているということであるし、重要事を託されるほどに頼みにされているともいえる。
これほど甲斐のある主命があるだろうか。
だがこの場には、余人がいる。それも他国の王太子だ。
「今、お話しされるおつもりか?」
短く問うが、六郎は澄ました笑みを浮かべている。
「高久様からお預かりした密命は、黒鹿毛様にも関わります。お耳に入れておいた方がよいかと私は判断いたします」
「つまり、桐生様の独断であると?」
「そうとも言いますね」
悪びれる様子もない。
「さて、本題に入ります。密命とは、他でもありません。辻斬りについてです。高久様のお言葉をお伝えします――」
六郎が真顔になり、背筋を伸ばす。
「――佐津間隼人は、速やかに此度の辻斬りの下手人を捕縛ないしは成敗せよ。……以上です」
「主命、確かに承りました」
「黒鹿毛様にもお伝えした理由は、お判りいただけましたね? 危険ですので夜の出歩きなどはお控えいただきたい、事情は申し上げられませんが……。などと言うつもりですか? 辻斬りが起きているが、このように対処している。ついてはひと段落するまでの間、外歩きにはお気を付けいただきたい。そうお示しした方が、誠実であるし安心もしていただけると思いますが、いかがでしょうか」
それは一理ある。だが主の承諾を得ないというのは、あまりに乱暴だ。主従の関係をないがしろにしている。
「あの、先ほどもお話が出ていましたよね。そもそも辻斬りって、どういうものなのでしょうか」
黒鹿毛が首をかしげている。そうか。東方平原ではなじみのないことなのかもしれない。
「辻斬りを簡単に言うならば、悪漢が通りすがりに人を斬ることです。その多くは、武家による試し切りや破落戸による金目当ての犯行といったところでしょう。ですが今回は、判然としないところもありますが、政治的な目的があった可能性が高いのです」
「政治的……ですか」
「ええ。佐津間には、昔から般若面という通称で呼ばれる悪名高い辻斬りがいます。般若の面を着けて無辜の民を惨殺し、時の政権を批判する書状を現場に残すという、少々気の違った辻斬りです。今回の現場にも、高久様を痛烈に批判する書面が置かれていました」
「桐生様、書面と仰せか?」
「ええ、高久様は剣の腕に劣る軟弱者なので佐津間の主に相応しくないとか、そう言った実にくだらない内容でございました」
そんなはずはない。あの場には紙切れの一枚も落ちていなかった。
近くに下手人が潜んでいて、自分が去った後に批判状を置いたのだろうか。となれば津間城内を自在に移動できるほどに詳しく、隼人の目から隠れられる程の手練れということになる。
「般若面は、この二十年ほど鳴りを潜めていました。にもかかわらず、黒鹿毛様のお越しに合わせて動いたことと、批判状の内容を合わせて考えると、高久様の足を引っ張りたい者の差し金であることは間違いないでしょう」
「二十年も前からいる者ならば、犯人はそれなりの年齢ですよね。候補はけっこう絞られそうですね」
「いえ、そう簡単にいかないのです」
楽天的な黒鹿毛とは対照的に、六郎はまるで困っているかのように肩をすくめる。
「般若面とは、一人の辻斬りを指す言葉ではないのです。古くから佐津間藩王国には、佐津間家の統治を嫌う影の組織があります。般若面は、この影の組織の手下に付けられた名に過ぎません。此度の犯行も、何代目かの般若面の仕業でしょう」
「影の組織……ですか」
「ええ、私たちはこれに黒手組と名前を付けて追っています。般若面は、この黒手組の手先に過ぎません」
般若面と黒手組の名ならば、隼人も聞いたことがある。津間の町でも広く知られている。帰りが遅い子供に、親が「あんまり遅くまで遊んでいると、般若面に出くわすよ」ということもある。乱暴狼藉の止まぬ者に「まるで黒手組だ」と悪態を吐くこともある。
正体こそ知られていないが、般若面と黒手組という二つの言葉は、恐怖や悪事の代名詞として知られている。
「そんなに知られた集団なら、もしかしてけっこう簡単に犯人を捕まえられるんじゃないですか?」
「それが、なかなかそうもいかないのでございます」
まるで芝居のように大げさに首を振る。六郎のこういうところが好きになれない。
「黒手組の構成員は、皆が佐津間家の打倒を目的にしているのは間違いがないのですが、この組織の作りが変わっております。上司一人と部下二人が最小の構成単位らしいのですが、この上司と部下以外は、直接の面識が無いのです。そして部下はそれぞれさらに二人の部下を持ち、以下同様に下へとつながっていきます。つまり組織自体は大きなものながら、一人の黒手組構成員は、一人の上司と二人の部下、この三人しか仲間を知らないのです」
「えっと、つまり、誰か一人を捕まえても、組織丸ごと一網打尽に出来ないという事でしょうか」
「さすが黒鹿毛様。左様にございます。ですので、此度の密命も、黒手組の壊滅ではなく、その下手人たる般若面への対処となっております」
黒鹿毛はしきりに「なるほど」と素直に感嘆を漏らしている。どうにも素直な性根らしい。性根の分からぬ狐などより、よっぽど好ましい。
その狐がこちらを見ている。
「高久様は、天覧試合までにことを収めたいとお考えです。精勤願います」
「承知。粉骨砕身、努力いたす」
「あの、尋ねてばかりですみません。天覧試合って何ですか?」
おずおずと手を挙げる黒鹿毛の様子に、思わず笑みがこぼれそうになる。王太子という地位にある者の振る舞いとは思えない。この佐津間藩王国という世界では、生まれが全てだ。家老になるにも、側用人になるにも、それが許された格を持つ家に生まれなければならない。どれほど優れていても、石高が足りなければ登り詰められない。どれほど勤勉であろうと、累代の側近でなれば藩王のそば近くに仕えられない。
底辺から拾い上げられた隼人の処遇は、百年に一人と言えるほどの稀有な例なのだ。だからこそ、高久への忠誠は唯一にして無二である。例え銀月帝国の皇帝であっても、高久に害をなすならば隼人は刀を手にする。
それほどに生まれが重きをなす世界に生きてきた隼人にとって、王の弟という立場にありながら、他国の臣下に過ぎない隼人らに気を使い柔らかく振る舞う少年には、どうにも好感を禁じ得ない。
六郎も隼人と同じ気持ちなのか、はたまた貴人である黒鹿毛にへりくだっているからなのか、彼に相対する時は常に笑顔を絶やさない。
「天覧試合を簡単にご説明申し上げますと、全国から腕自慢が集まり、優れた武人を決めるために戦う武道大会です。この勝ち抜き戦は、“武の佐津間”を象徴する一大催事でございます。武家や高家のみならず町民から野良猫に至るまで、佐津間の地にいる全ての者が注目しております。もちろん開催の折には、黒鹿毛様にもご臨席、御観覧いただければ幸いに存じます」
「それは……面白そうな催しですね」
柔らかな少年の目が、獣の光を帯びたような錯覚を覚える。そういえば盗賊の勇者もそうだった。控えめな性根ながらも、戦いに臨んでは肝が据わっていた。東方平原も、佐津間ほどではないにしろ、個人の武技を重視する気風があったはずだ。控えめな性格であっても、かの地の王太子だ。血が滾るのだろう。
「天覧試合をつつがなく終えることが、為政者の手腕の見せ所でもあります。ですので、黒鹿毛様には申し訳ございませんが、饗応役を引き継いだはずの隼人殿が、町方同心のまねごとをしなくてならないのです。ついては実質的な接待は私や八衛門が……」
「僕もお手伝いしましょうか?」
言葉の意味が分からず、黙してしまった。彼が何を手伝うというのだろうか。あの鋭敏な桐生六郎さえも、束の間、きょとんとしている。
「辻斬りの捜索、お手伝いしますよ」
その駄目押しの一言に、隼人は言葉を失った。他国の王族が辻斬り探索をするなど、聞いたことがない。だが六郎はポンと膝を打った。
「妙案にして名案でございます!」
「馬鹿な」
思わず本音が口を突いて出た。すぐに目の前にいるのが高久の側近であり、また他国の王族であると思い出して、慌てて「いや、失礼仕った」と頭を下げる。
それを気にした風もなく、六郎はにんまりと笑った。
「決して良案ではございませんが、実に合理的で素晴らしい。黒鹿毛様なら、万に一つも黒手組の一員ということはありません。これが一番大きい。加えて、津間の町をご案内する予定でしたので、あちらこちらを訪ね歩いても怪しくはない。むしろ貴賓ということで、普段は立ち入りづらいところにも堂々と行けるというもの」
隼人の困惑もよそに、六郎がもう一度膝を叩く。
「黒鹿毛様と佐津間隼人が、古くから佐津間を悩ます黒手組の辻斬り般若面を追う。高久様には、そのようにご報告申し上げておきます」
狐が楽しそうに笑っている。




