サンサ、佐津間を訪れる
津間城表書院に正座したサンサは、いつになく緊張していた。
いや、緊張と呼ぶには生ぬるい。もはや恐怖にも近い感情を抱えていた。
主たる原因は、もちろんクロカゲだ。
当の本人は、サンサの目前で、こちらに背を向けて座っている。細密な刺繍を施された正絹の衣服だけを身に纏い、丸腰で敵地の王城に居るというのに、落ち着き払った様子だ。
一方のサンサは、そもそもクロカゲへの不安を抜きにしても泰然としていられない。実際、落ち着きなく視線を動かしてしまっていた。
なにせ、初めて訪れる佐津間藩王国は、知らぬものだらけだ。裃姿の侍たちは見慣れないし、床一面に敷かれた畳というものにも馴染みがない。鷹や鹿などの刺繍を施した東方平原の伝統的な衣装に身を包む自分が、まったくの異物に感じられる。
東方藩王国を代表する外交使節という役目にも、自信はない。もちろん役目を全うするために全力を尽くすつもりだが、生まれてからこの方、戦場に立って剣を振ることはあっても、正装をして儀礼と舌を武器に戦うことなど無かった。どうしても自信満々には振舞えない。
だからなのか、背筋を伸ばして座しながらも、目だけは忙しなく動かしてしまう。
そんなサンサの様子に気付いたのだろう。隣に座る痩せた老爺が、サンサの顔を見てニヤリと笑った。
「おや、サンサ殿はもしかすると、緊張されておられるのかな」
「ええ、それなりに」
「なぁに、心配などはいりませんよ。クロカゲ様とサンサ殿は、わたくしめの真似をしていればよろしい。無理に気取った仕草をする必要などはありません」
「ありがとうございます、ヒモン様」
ヒモンと呼ばれた猿にも似た老人は、かつては五騎四槍と呼ばれ、アイセン・カアンの腹心の一人として、主に外交面で辣腕を振るっていた。
この老人の恐ろしさは、各国の文化風習に詳しい上に人的なつながりを多く持つという点だけではない。その決断力と行動力にこそ、神髄がある。
かつてカ・エルの反乱の際には、大都ジンドゥを脱出し南方イオス王国までひた走った。もちろんただの逃亡ではない。イオス王国を動かし、銀月帝国へ攻撃させようと画策していたのだ。
当時の銀月帝国は、魔王軍への対応とカ・エルの後援に注力していた。そこへ介入し果実を得ようという行動は、イオス王国にとっても現実的な選択肢のひとつであった。
だが、この企てが結実する前にアイセンの復権が叶ったために、ヒモンとしては得るものなく帰国することになったのだ。
しかし事実として、ヒモンの活動があったために、イオス王国の動向が不穏なものになり、銀月帝国は予定したほどに東方平原に兵数を割けなくなった。直接的ではないものの、確かにアイセンらの反転攻勢に利していたのだ。
ヒモンの判断力と行動力とを再確認したアイセンは、佐津間藩王国への外交使節団にヒモンを組み入れた。外交使節団の長は王太子であるクロカゲだが、実質的な取り仕切りはヒモンの手による。
今回の外交使節団の派遣は、東方藩王国として初めて正式に行うものである。失敗は許されない。そこにこの老人を起用するという点に、ヒモンに対するアイセンの信頼の厚さが如実に表れている。
「この老体は、若いころには津間の町にも長く滞在しておりました。一通りの礼儀作法は心得ておりますゆえ、お二方とも、どうぞご安心を」
「はい。大いに頼らせていただきます」
サンサは素直に頭を下げた。
ありがたいことに、クロカゲもこの老人の言葉には従う。のみならず、アイセンが今回の外交に期待していることを知っているためか、積極的に佐津間の作法を習ったり、辞書を借りて文字を覚えたりと、外交の成功に向けた努力を惜しまない。これにはサンサも、不安どころか好感すら覚える。
サンサは約束を反故にされることが嫌いだ。大嫌いだ。
無論、意図的でなければ仕方がないとも思うが、信義と誠実を欠く人間は好きになれない。その意味では、クロカゲは問題ない。こちらを信用しないが、欺こうともしない。堂々と「信用しない」と言ってくれる。
そして彼がアイセンへ向ける信頼は、疑うべくもない。アイセンとクロカゲは、何の隔意もなく、それでいながら礼を失することなく、自然に歓談する。アイセンを見るときのクロカゲの目つきは、サンサやそのほかの者に向けるものとは違う。サンサから見ても、確かな信頼と絆を感じ取れる。ここにも不安はない。
だが他方で、クロカゲが抱える七勇者への怒りは、決して揺るがない。それはカ・エルの反乱の際の言動だけでも分かる。そして今後も復讐を続けることを明言している。これこそが不安と恐怖の種である。
つまり、クロカゲの中には二つの確固としたものがあるのだ。アイセンに寄せる信頼の心と、七勇者へ向けた復讐の信念である。
ではこの二つが相反したとき、どうなるのか。サンサには分からなかった。この佐津間藩王国には、戦士の勇者サツマ・ハヤトがいる。クロカゲがハヤトと相対したとき、どうなるのか。アイセンの言葉と信頼を忘れて、殺戮を行うのか。二人が対面する時を思うと、サンサは恐怖に近い緊張感に包まれるのだった。
「それにしても遅いですな」
ヒモンが誰にともなくつぶやく。
遅いとは、もちろん佐津間藩王国の支配者である佐津間高久だ。サンサら外交使節団は、彼に会うためにこの場にいる。
本来の予定では、早朝に儀礼的な会見を行い、その後に非公式の会談で友好を深める。そして昼前には下城するはずであった。ところが控えの間で長く待たされ、やっとこの表書院に通されたかと思えば、ここでも待たされ、既に正午が近い。
「佐津間藩王国では、予定が遅れることは多いのですか?」
「いやいや、そんなことはないはずですがね。とりわけ貴人の予定は守られるはずだが――」
サンサの問いにヒモンが首をかしげていると、おもむろに廊下に面した戸が開かれ、裃姿の太った侍が顔をのぞかせた。
「いやはや、いやはや。皆さま大変お待たせいたしました」
太った丸顔に笑みを浮かべてのそりと入ってきたのは、古狸のような壮年の男だった。
「佐津間家の家老の鶴名八衛門と申します。お見知りおきを」
「おや、八衛門様。ちょうど心配をしておりました。何事か出来しましたかな?」
ヒモンがいかにも無垢に心配をしているといった表情で狡猾に探りを入れるが、八衛門は狸のような無害そうな笑顔で首を横に振る。
「いえいえ、なんでもございません。もうじきに上様がお越しになりますので、私はそのお知らせに参ったのです」
「おや、何もなかったのであれば重畳でございますな。しかしそれにしては――」
しらばっくれる八衛門に、とぼけたふりをしたヒモンが食い下がろうとするが、ぴたりと舌を止めた。室外で幾人かが動く気配があったのだ。それと見た八衛門が、やおら威厳を正した。
「上様のお成りです。一同は平伏を」
ヒモンを見ると、正面に向き直り、畳に両手をついて頭を下げている。クロカゲも後ろを見ることなくヒモンに倣っている。サンサも内心では慌てながら、しとやかに頭を下げた。
畳を見つめていると、上座から衣擦れの音が聞こえた。そして「面を上げてよろしい」と声がかかると、一呼吸を置いてゆっくりと頭を持ち上げた。ちらりと横を見て、ヒモンの動きと揃っていることを確認すると、安堵の吐息を一つ吐いて正面を向いた。
先ほどまで誰もいなかった上座に、裃姿の線の細い美青年が座っていた。泥臭く武と刀に生きる佐津間藩王国には似つかわしくない、柔らかな雰囲気を纏っている。けれど間違いない。彼が、刀王として知られる佐津間高久だ。
一段高いところに座った高久は、背筋を伸ばして胸を張ったまま、微動だにしない。居丈高とも傲岸とも取れる態度だが、生粋の王者が備える気品のせいか、雅にして風格が漂っている。
クロカゲは一礼すると、あらかじめ取り決めてあった挨拶の口上を述べ始めた。
「この度は、東方藩王国を代表いたしまして、伺候に参りました次第でございます。まずもって、本日このような場を設けていただけましたこと、衷心より感謝申し上げます」
思いのほか、しっかりとしていることにサンサは驚いた。
だが思い出してみれば彼は、東方平原の五大氏族のひとつであり、往時は十万人を超える勢力を誇っていたクォン族長の嫡男であった。恐らく将来の族長たるべく英才教育を施されているはずだ。一族内の儀礼式典のみならず、盟主への謁見や他族長との交流など、政治や社交の経験もあるだろう。
いや、七勇者として活躍していた時には、帝国や周辺諸国の首脳と会談することすらもあったに違いない。
一方のサンサはどうかというと、五大氏族のフラグ族長クスサスクの娘ではあるが、八番目の子である。フラグ族内の式典にすら出席することは稀であった。盟主であるアイセン・カアンなどは、遠くから眺めたことがある程度であった。カ・エルの反乱までは言葉を交わしたことすらない。
権威ある公式な場の経験は、間違いなくクロカゲの方が多いはずだ。
個人の武勇だけでなく、政治や外交の見識でも及ばないとあらためて思い知らされる。クロカゲに不安を抱きつつも、彼よりはるかに劣る自分に歯がゆさを覚えずにはいられない。
「大義」
クロカゲの挨拶を、高久は一言で受けた。会釈すらない。
「友好の証として、ささやかではございますが贈り物を持参させていただきました。正絹の反物や毛織物、黄金と宝石の装飾品にございます」
クロカゲが目録を読み上げる。どれも東方藩王国の国庫を開いて持ち出した逸品ばかりである。
「幾久しく睦やかにありたいものである」
やはり表情を変えることなく高久が応じる。
これは普通のことなのだろうか。無表情を保ちつつも、サンサの心臓は鼓動を速めていた。国同士が友誼を結ぶのであれば、もう少し歓迎の気配があってもよさそうに思える。友好のための使節が歓迎されないとなれば、アイセンの目的を達することが出来ない。
「お目見えは以上です。一同は平伏を」
サンサの懸念も届くことはなく、無情にも謁見の終わりが告げられた。サンサが意気消沈して平伏すると、上座で衣擦れの音がして人が去ってく気配があった。
「お顔を上げていただいて結構です」
八衛門の声に正面を見ると、既に高久の姿はない。これでいいのだろうか。不安が大きくなるが、素知らぬ顔で澄まして座っていると、八衛門が続けて口を開いた。
「お目見えは終わりましたので、ここから先は、非公式の場となります。発言の一切は、記録されませんのでご安心ください」
するりと障子が開くと、再び高久が現れた。軽やかな足取りでクロカゲの前まで進んで腰を下ろした。
「佐津間の地へようこそ、王太子殿。心から歓迎しよう。私が佐津間家の当主、高久だ。よろしくお頼み申す」
先ほどの重々しい雰囲気などどこかに捨て去ったかのように、爽やかに笑う。
「高久様、もう少し威厳と落ち着きをもってくだされ」
八衛門が、困ったように声をかけるが、高久は「良いではないか」と軽く手を振る。
「佐津間の当主というだけで、客人を迎える際の決めごとが多くて困る。佐津間と言っても、もとを辿れば、この津間の地にいた左衛門佐という官職に過ぎぬ一豪族だった。左衛門佐とは、従五位下。帝国風に言えば貴族の末席。それが力をつけるにつれ、佐津間のお殿様などと呼ばれるようになって、今ではこのとおり」
「高久様、もう少し――」
八衛門が眉を八の字にしながら高久に声をかけるが、高久は「分かっておる」とだけ答えてクロカゲから目を離さない。
「先ほどのやり取りも、あれしか言ってはならぬという慣習なのじゃ。四百年も歴史を重ねるとああなるという悪い見本だろう。不快に思ったなら謝ろう」
「高久様――」
「分かっておる。佐津間の当主が軽々に頭を下げるなというのだろう。だが今は非公式だ。構わんだろう」
高久が屈託なく言うが、八衛門は泣きそうな顔になっている。それだけでサンサは心がほぐれるのが分かった。
確かに藩王となれば、守らねばならぬしきたりも多いだろう。だからこそ、公的な会見と非公式の会談を組み合わせた予定になっていたのだ。ここにきて佐津間側の歓迎する心算が読み取れて、サンサは無表情の下に安堵した。
「それに、予定より随分と遅くなってしまって申し訳ない。既に昼餉の頃合いだ。共に膳をつつきながら語らおうではないか」
高久の言葉に合わせて、膳に載せた食事が運び込まれてくる。全て段取りしてあったのだろう。
「お心遣い、大変ありがたく存じます。刀王様のお言葉は、正しくそのとおりかと存じます。親睦を深めるには、腹を割って話すに限る。これは東方藩王国の盟王アイセン・カアンの言です」
クロカゲが率直に礼を言うと、高久は満足げに頷いた。
「至言だ。さて、こちらの腹心を紹介しよう。六郎に隼人、参れ」
隣室から様子を伺っていたのだろう。高久が声をかけると、ふすまが開かれ二人の男が現れた。
先に入って来たのは、狐目の若い男だ。八衛門とは対照的に痩せ枯れていて、細い目は何を考えているか分からない。
「桐生六郎と申します。高久様の側用人にございます。お見知りおき頂けますれば、幸甚に存じます」
外見に似合わず、意外に明朗とした声だった。だが声音の端々にまで気を配ったような話し方は、まるで商談の場の商人の様で、信用ならない印象を受ける。
そして次に入ってきた人物が名乗ったとき、サンサは心臓に冷たい刃が当てられたかのようにぞくりとした。
朴訥とした素朴な侍だった。だがその目は鋭く、底知れぬ鋭気を感じさせる。
「佐津間隼人にござる」
戦士の勇者を前にクロカゲはどう動くのか。サンサの頬を汗が伝っていった。
更新が遅くなって恐縮です。
感染症にバチクソやられてました。良くなってきたのでペースを上げていきたいです(願望)。




