隼人、辻斬りに出くわす
桜のつぼみが開きかけている春の早暁、隼人は津間城内の藪に身を潜めていた。視線の先には奥の御殿の縁側があり、障子がぴたりと閉じている。
奥の御殿は城主の家族が住む場所であり、城内でも奥まった場所にある。佐津間藩王国の支配者である佐津間高久の居城の奥ということは、当然、藩王の家族が住んでいる。
隼人がじっと待っていると、障子が内側から開かれ、小柄な女性が現れた。春に似合いの桜色の小袖と、新緑のような緑色の帯を着けている。
隼人は、ほうとため息を漏らした。
「美しい……」
高久の妹、楡葉だ。
小柄で童顔。新雪のような白い肌。桜の花びらのように儚い唇。深窓の令嬢といった趣のある美しい少女で、身にこもる気品が溢れている。
「……なんと気高く初々しいことか」
隼人は時々こうして主君の妹を盗み見ている。
佐津間隼人といえば、大陸でも知らぬ者の無い英雄である。魔王を倒した七勇者の一人であり、戦士の勇者として武名が轟いている。
とりわけ、銀月帝国の属領であるこの佐津間領では、武を貴ぶ。隼人の集める尊敬は、時に藩王を凌ぐことさえある。藩王の高久も、隼人を惜しみなく厚遇する。
貧しい藩士の次男に生まれた隼人だが、主君と同じ佐津間の姓を授けられ、登城やお目見えも許されている。それだけでも隼人がどれほどに重用されているかが分かる。当然ながら隼人も、主君に偽りのない忠誠を誓っている。
だからこその覗き見なのだ。
心が狂うほどに懸想しているけれど、相手は主君の妹だ。軽々に想いを知られるわけにはいかない。
しかし城内の奥に住まう楡葉は、気軽に会える人ではない。彼女が早朝の日課としている庭の散策を、遠くから眺めることしかできない。お役目の都合をつけなければならないので、これも簡単にできることではない。
だがそれで満足している。たまに楡葉の姿を見るだけで、隼人の心は満たされるのだ。それ以上は決して望まない。
もし楡葉を見たいがために津間城の奥へとこっそり忍び込んでいることが露見すれば、お役目を解かれ放逐されるだろう。腹を切らされるかもしれない。
女人ごときに懸想して遠くから眺めていると知られれば、女々しい男として皆から失望されるかもしれない。これまで築いた名誉と信頼は、地に落ちる。不名誉は死より恐ろしい。
だからこれは、秘め事なのだ。
楡葉は木々の様子を見ながら庭を一回りすると、縁側から屋内へと戻っていった。その可憐な姿を目に焼き付けると、隼人は藪の中へとその身を戻し、この場を離れるために歩き出した。今日は朝から高久に呼ばれている。朝餉の前には、控えの間に詰めなければならない。
奥の御殿の周囲には木が植えられ、他に建物もないので、静寂作り出されている。御殿を訪ねる者以外が通ることはない閑静な一角だ。
静寂の中、気配を消しつつも速足で歩いていると、突如、女の悲鳴が隼人の耳を打った。
前方の藪の中からか。そう考える間にも、足は駆けだしていた。既に鯉口は切っている。
木々の間を抜けながら、隼人は考えた。決して大きな声ではなかった。しかし死に瀕する悲痛な叫びだ。まさか城内で刃傷沙汰か。
十歩も進むと血の匂いが鼻を突いた。さらに数十歩を駆けると現場にたどり着いた。
藪の中の木の根元に、小袖の女性が倒れている。その胸元はざっくりと切り裂かれ鮮血が飛び散っていた。
油断なくあたりを見回すが、人の気配はない。凶行の犯人は既に逃走しているようだ。
ひとまずの安全を確信した隼人が、女に歩み寄り顔に手を当てると、かすかに目を開けた。もう虫の息だ。
「奥の御殿の女中か?」
隼人の問いに、女はわずかに顔を動かす。そして手に持っていたかんざしを掲げた。
「これを……あの方に……」
「あの方とは? これを渡せばよいのか?」
問うても、息も絶え絶えで答えが返ってこない。やむを得ず隼人がかんざしを受け取ると、口元が笑みに緩んだようにも見えた。
「下手人は?」
「く、ろ……」
そこでこと切れた。
二度、三度と呼び掛けてみるが返事はない。諦めて立ち上がった。
「く、ろ……とはなんだ? 黒か?」
城内の奥に出入りする者の中から黒のつく名を思い浮かべるが、下手人として浮かび上がる者はいない。そもそも津間城に出入りする身分の者がこんな辻斬り紛いのことをするとは、想像し難かった。
一先ずは、この状況を誰かに知らせねばならない。だが、誰にどう説明するというのか。この藪の先には、楡葉の住む奥の御殿しかない。隼人が早朝になぜこんなところにいたのか、と問われれば、答えようがない。隼人の内心が暴露されてしまう。
それだけは絶対に避けなければならない。
だがこのまま亡骸を捨てて去るのも気が引ける。
思い悩んだ挙句、託されたかんざしだけを持って、その場を立ち去った。
女中であるなら、姿が見えなくなれば探されるはずだ。城内の藪は、手入れされているので深いものではない。簡単に見つかるだろう。
足早にその場を離れると、石垣に登り、水堀を飛び越えて城外に出た。隠密行動を得意とするわけではないが、この程度は難しくない。
佐津間藩王国の王である佐津間高久が住む津間の町は、中央に藩王が住む津間城があり、その周囲に二十万人を越える人が住む。
早朝でも通りには人が出始めている。銭湯に向かう町方同心や忙しなく歩くどこぞの商家の手代を横目に、自宅へと戻った。
自宅といっても、既に父母は亡くしている独り身だ。十二歳になる弟の四郎と身の回りの世話を頼んでいる老女のお稲がいるだけである。
そそくさと自室に引き取ると、お稲の手伝いで裃を着ける。途中、血の臭いが残っているような気がしたので、手拭いを濡らして手や顔を洗った。
だがあのかんざしだけは、扱いに困った。家に置いてもお稲に見つかる。四郎に知られれば、説明が面倒だ。結局、端切れに包んで懐にいれた。しかるべき持ち主が見つかるまでは、こうするしかあるまい。
そしているうちに刻限が怪しくなってきたので、慌ただしく登城した。控えの間に入ると、側用人の桐生六郎が近寄ってきた。三十手前の若さで高久の側近くに仕える出世頭だ。
「隼人殿、早くからのお勤めご苦労にございます」
六郎は狐のような細目で、何を考えているが分からない。口調こそ丁寧だが、その内容を吟味すれば無礼であることも多い曲者だ。高久へも諫言と言いつつ辛らつな言葉を吐くともある。
好きか嫌いかでは言えば、嫌いである。だがそんな腹はおくびにも出さない。
「桐生様もお早うございますな。して、拙者に御用でござろうか」
用も無いのに話しかけて来るな。敏い者ならば気づくはずだが、六郎は笑顔で頷いた。
「はい。隼人殿には、このあと表書院へお運びいただきたいのです」
「表書院というと……」
表書院と言えば、高久が賓客を迎えたり典礼を行ったりというときに使われる格式の高い場だ。格別の式典を行う大広間には及ばないが、それでも軽々に用いられることはない。
そして、今時分にそのような場を使う行事と言えば、隼人には一つしか思い当たらない。
「はい、お考えのとおりです。東方藩王国から、王太子様が外交使節として見えになっております。本日、高久さまに謁見されますので、同席をお願いいたします」
六郎の言葉に、隼人は一呼吸おいてから「畏まりました」と答えた。




