死闘
クロカゲは、最初から決めていた。
(カ・エルの全てを奪ってやる。全てを蹂躙してやる。頼みの神弓も、衆目の前で粉々に打ち砕いてやる)
だからカ・エルが弓を持つまで待っていたのだ。当然、勝算はある。
カ・エルが弓に矢をつがえると、クロカゲは短槍を手に駆けだした。あらかじめ無数の矢を放ち纏っていなければ、神弓の脅威は半減する。ならば、即座に距離を詰めるのは、一つの正解だ。
劇場から逃げようと右往左往する人々の間を縫って、カ・エルめがけてまっすぐに疾駆する。カ・エルの弓から同時に放たれた三本の矢が、軌道を変化させながら迫り来た。
(この程度なら問題ない)
クロカゲが鋭く短槍を振り、三本の矢を粉砕する。神弓の矢は、回避したり弾いたりしただけでは、再び襲いかかってくる。しかし粉砕すれば力を失う。クロカゲの槍を以ってすれば、四本程度ならば同時に粉砕できる。そしてカ・エルが同時に放てる矢は、三本までのようだ。
つまりこのまま距離を詰めれば、勝てる。
けれど敵地では、そう上手くはいかないだろう。そのクロカゲの予想は当たる。
「殿下への狼藉など許すものか、反逆者め」
先ほど叩きのめしたジ・ヤクシと呼ばれる若い剣士が、配下を率いて今度は槍を投擲してきた。もちろん、恐れるほどのものでは無い。勢いをそのままに、横に走ってこれをかわす。
すると今度は、劇場内の各所に配された衛兵達が立ちはだかった。切りかかってくるその手首を飛ばし、膝を切り落とし、首を刎ね、走り続ける。
(カ・エルが神弓を溜め始めたな)
クロカゲに襲い掛かる兵の数が増えると、目に見えて神弓の数が減った。勘所では一矢二矢と飛来するが、先ほどのように立て続けて襲い来ることはない。横目でカ・エルを見れば、その周囲を神弓の矢が舞っている。最初には十ほどだった矢は、二十、三十と瞬く間に増えていき、あっという間にカ・エルの姿を隠すほどの膨大な数になった。
だがクロカゲに焦りはない。
「そろそろ準備はいいかい、カ・エル?」
そう語り掛けると、答えを待たずに舞台へと走る。すると即座にカ・エルが反応した。
「それは余裕ではない、油断なんだよ、クロカゲ!」
神弓の矢が、雨のようにざあっと降りそそぐ。
(全部で五百くらいかな)
その全てが、風を切り裂く速度で、カ・エルの意のままに動き、クロカゲを狙っている。
「足を止めなければ、神弓も怖くない」
標的であるクロカゲは、大きな的ではない。たとえ矢が百あろうと千あろうと、そして四方から飛来したとしても、同時に迫る矢はせいぜい数十矢だ。
さらにクロカゲは左右に走り、劇場の柱に身を隠し、あるいは客席の間を抜けて逃げ惑う人々を盾とした。
射線を限定することで、さらに数を減らしたのだ。これで同じ瞬間に飛来する矢を十程度まで減らした。その十本の矢を、短槍で素早く撫でるように弾いた。神弓の矢は、粉砕しなければ再び迫ってくるはずだったが、それらは力を失ったように地に落ち、そして動かなくなった。
「な、なぜだ?!」
カ・エルが動転したように喘ぐ。
「矢から、神弓の影響を“奪取”した」
「なん……だと……」
神弓の矢を粉砕しようとすると、力を込めて槍を振り抜く必要がある。それでは四本までが限界だ。だが触れるだけならば、十本あろうとも不可能ではない。そうして奪取で神弓を無力化していく。これがクロカゲの用意した戦法だ。
観客席を右に左にと走り回りながら神弓の矢を無力化し、進路を阻む衛兵を切って捨て、時折、飛来する投げ槍を避ける。
「多数で囲んで、距離を取って弓矢を使って、それでも僕を傷つけることさえできない。弓王っていうのは、こんなに弱いものなのかい? 狩人の勇者っていうのはこの程度なのかい? ねえ、カ・エル?」
「ふざけるな、ふざけるな! 死ね死ね死ね‼」
カ・エルが、必死に神弓を放ち続ける。だが、三本の矢を放つ間に十本の矢が失われるのだ。間に合うはずがない。見る間にその数を減らしていく。
神弓の矢が数十程度に減じたのを見たクロカゲは、逃避から攻撃に転じた。観客席を駆け下り、舞台上へと跳躍する。ジ・ヤクシらが群がってくるが、切り捨て、突き崩し、蹴り飛ばし、足を進める。
舞台の上には、身を隠す物など無い。カ・エルがここぞとばかりに矢を送り出してくる。それを弾きつつ、舞台の上に取り残された小包に近づいた。先ほどクロカゲが放り投げた皮の包みだ。それを穂先に引っ掛け、カ・エルへと放り投げると、短槍で切り裂いた。
裂け目から血が噴出し肉塊が零れ出るのを見たカ・エルが、びくりと身を震わす。中から飛び出たのは豚の頭や足だが、クロカゲは目にも留めずに一気にカ・エルへと迫った。
「臆病者だね」
あざ笑うように冷ややかに言い放つと、カ・エルを切り裂いた。
カ・エルは咄嗟に弓を持つ手を前に出すが、ガン、バツンと音を立てて弓が真っ二つになり、腕から血を流してたたらを踏んだ。
「やっぱり、カ・エルは弱い」
クロカゲが愚弄の言葉を投げつけると、カ・エルは歯を食いしばり、血走った目で睨んでくる。
それも気にせずにさらにもう一撃を加えようとしたところで、二人の間に飛び込む人影があった。ララだ。
「カ・エル様!」
銀色に波打つくせ毛を乱し、見る者の庇護欲をくすぐる愛らしい顔には、必死な形相を浮かべている。カ・エルを守る様に両手を広げると、槍を向けるクロカゲの前に身を晒した。
瞬間、クロカゲの脳裏にアサギの姿がよぎる。クロカゲの槍が止まる。
それはほんの一瞬のことだった。だが、十分だった。
「だからクォン族は駄目なんだよ」
嘲笑するカ・エルの声が聞こえた時には、クロカゲは神弓の矢に射抜かれていた。四方から襲い来る数十本の矢を、奪取で無力化し、槍で粉砕する。だが足を止めては、全てを捌き切れない。短槍が神弓の矢に弾き飛ばされる。
更に迫り来る矢を素手で無力化していくが、間に合わない。一本、また一本と体に矢が突き立っていく。そうして神弓の矢が尽きた時、クロカゲの体には十五本の矢が刺さっていた。急所こそ守ったが、手足や胸を射抜かれたクロカゲは、血を吐いて膝を突いた。
「油断なのか、甘さなのか……どっちでもいいか。それがクォン族の弱さだ」
クロカゲの短槍を拾い上げたカ・エルは、穂先を突き付けてニヤリと笑った。だが、それはクロカゲも同じだった。
「油断だね。それがお前の弱さだ、カ・エル」
血反吐を吐いて這いつくばるクロカゲは、技で隠していた邪剣ベンズを取り出し、カ・エルの右腕に斬りつけた。
「なんだと?!」
カ・エルは、思わずといった様子で下がろうとするが、呪われた邪剣は肉に食い込んだまま離れない。邪剣を掴んだままのクロカゲは“奪取”を発動した。
体に矢を刺したままの状態で無理に動いたので、クロカゲの肉は割け、骨が割れる。だが気にしない。
カ・エルは、クロカゲの行動を、先見のない行き当たりばったりと評した。それは一面で的を射ている。クロカゲは治国経世に興味はない。立身出世も名誉も見ていない。
ただ七勇者へ復讐できれば良いと考えている。いや、今に至ってはカ・エルへの復讐しか頭にない。
「死んでも離さないよ。お前の全てを奪うまでは」
「ま、まさか……」
「神弓を奪う」
クロカゲは、かつて魔王の持つ不滅という特性を奪い去った。
ならば狩人の神弓を奪えぬ道理はない。
「止めろおぉ‼」
盗賊職のスキル“奪取”は、その名のとおり対象の持つものを奪い取る。勇者級ともなれば、持ち物だけでなく、性質やスキルといった形のないものさえも奪い去ってしまう。
だが対象が強大であるほど時間が必要だ。神弓という勇者級の狩人職固有のスキルを奪うとなれば、わずかの間では不可能だ。
それを理解しているカ・エルは、必死で抵抗する。だが邪剣ベンズが、二人の距離を短剣の間合いに固定している。カ・エルの持つ短槍は役に立たない。神弓の矢は使い果たしている。必死に拳や足を繰り出すが、カ・エルは徒手を得手としていない。
短剣を掴み引きはがそうとするが、抜けない。肉に食い込んだ刃は、根が生えたかのようにカ・エルの肉体にへばりついている。
「相手が死ぬまで刺さり続ける呪いの邪剣ベンズ……お前か僕のどちらかが死ぬまで、この邪剣が抜けることはない……!」
クロカゲの目が、力を帯びる。
「絶対に奪い取ってやる、お前の全てを!」
クロカゲは、カ・エルから離れまいと邪剣ベンズを握りしめたまま、奪取を発動し続ける。莫大な魔力の奔流が、大気を震わせている。今まさにクロカゲの奪取が、カ・エルの神弓をはぎ取ろうとしているのだ。
「やぁああ!」
クロカゲが最後の力を振り絞って奪取を完遂した瞬間、二人の周りで魔力の光がはじけた。カ・エルは神弓のスキルを失ったのだと、誰もが理解した。
「なんで……なんで俺がこんな目に……」
カ・エルが、力なくよろめく。その声に力はない。まるで全てを吸い尽くされたかのように、枯れていた。
「運命だよ」
「運命だと……?」
「誰かが言ってたよ。世の中には、馬鹿だと定められた運命の者がいるんだってさ。運命が馬鹿を馬鹿たらしめているらしいけど、一体誰のことだろうね」
それは、カ・エルがクロカゲに放った言葉だった。それをクロカゲは、そのまま返した。
「ざまあみろ‼ カ・エル‼」
クロカゲは笑った。口から血を吐きながら、高らかに哄笑した。
そして膝から崩れるように倒れた。邪剣ベンズが、抜け落ちる。




