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この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
3章 狩人への復讐

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狂気

「弓王カ・エル殿下は、まごうことなき正義の人です」

 毅然とした眼で断固と言い切るララを見て、カ・エルは、ほくそ笑んだ。


(いいぞ、その調子だ)

 クロカゲは、ララを見ている。どうやら問答を続ける気でいるらしい。

(馬鹿みたいに、時間を浪費しろ。そうやって油断して、先も見ずに行き当たりばったりで行動する。だからクォン族は駄目なんだよ)


 城壁からの鐘の音は、今も聞こえている。先程より大きな音だ。

 鐘の音だけではない。藩都ジンドゥ全体で、人が動き回る気配がある。おそらく、この異変を察知しているのだろう。きっと劇場の外ではカ・エルの兵たちが着々と数を増やしているはずだ。

 そして、もうすぐカ・エルの手元に弓が届く。そこまで時間を稼ぐことができれば、己の勝利は確定する。

 そんな皮算用を胸に、カ・エルは息を潜めるようにクロカゲとララの対決を見守った。


「欲望のために人を殺す。これって悪事だと思いますか、王妃様?」

「も、もちろんです」


 クロカゲの問いかけに、ララは声を震わせながらも、逃げることなく答える。


「じゃあカ・エルは人殺しだから、悪人ですよね?」

「殿下は武人でいらっしゃいます。そこに生死が絡むは必定というものでしょう。何より殿下は、清廉潔白な人柄でいらっしゃいます」

「清廉……潔白……? 王妃様は、あの男が何人の女性に手を出しているか知ってますか?」


 クロカゲが瞠目して尋ねると、ララは刹那の間、怯んだように視線を揺らす。だが、ぎゅっと拳を握りながら澄んだ目でクロカゲを見上げる。


「確かに以前は恋多きお方であったと聞いたことがあります。けれど、それは私とご縁を結んでいただく前のこと。今の殿下は、誠実でひたむきな愛を私に恵んでくださいます」

 クロカゲが、今度は瞑目し嘆息する。 


「僕が数えただけでも、今も愛人が十三人はいたけど。これって誠実なんですか?」

「そ、そんな嘘、信じません!」

「嘘じゃないです。シカ族の女戦士に藩王邸の女官、ジンドゥの大商家の娘、銀月帝国から来た画家……王妃様の侍女にも手を出していたし……ああ、そのひとはお腹に子どもがいました」

「虚言です!」

「でも、本人から聞いたから、間違いないですよ」


 クロカゲの言葉に、視線がカ・エルへ集まる。だが当然ながら、カ・エルがクロカゲと話すことなどなかった。

 つまりクロカゲの言う本人とは、女たちのことだろう。


「ボロが出たな、クロカゲ。確かにお前が挙げた女性たちは藩王邸に出入り出来るだろう。だが、藩王邸の警備は厳だ。お前が入り込む隙も、話をする余地もない」


 カ・エルが断言すると同時に、クロカゲが何かを取り出す仕草をした。

 するとその手には、いつの間にか一巻きの羊皮紙が握られている。


(盗賊のスキルか)


 盗賊職には、ちょっとした物を虚空へと収納する技がある。だが大した量は運べないし、日を跨いで何日もしまっておけるものでもない。それほど重要な技ではないが、おそらくそれを使ったのだろうとカ・エルは見当がついた。


「それがどうした」

「新劇場落成式典について……だってさ。実施決定の公文書だね。弓王の署名もあるし、本物でしょ」

 クロカゲが羊皮紙を広げてひらひらと見せびらかす。そこには、確かにカ・エルの字で署名がなされている。本物だ。


「貴様、どうやってそれを……」

「藩王さまの執務室の机の上から、適当に持ち出したんだよ。警備が厳重だって言うけど、藩王邸なんてこの程度ってことだよね」


 クロカゲが淡々と嘲りの言葉を並べる。腹の底で憎しみが募るものの、カ・エルは必死にこらえた。弓さえ届けば、俺の勝ちだ。奴が一言しゃべるたびに、俺の勝利が近づくんだ。

 その決意は、クロカゲの意表を突く一言で吹き飛んだ。


「それで、同じように攫ったんだよ。お前が手を出したひとたちを、全員」

「なんだとっ……?!」


 驚きに、思わず頓狂な声が出る。

 確かに昨日は、式典の準備や諸侯の接待に忙殺されていた。だが、それ以前の数日の内には全員と逢っている。

 ほんの一日か二日の間にかどわかしたと言うのか。


「返してあげようか? お前がお願いするなら、髪の毛一本残さずに、戻してあげるよ」

「当然だ。返してもらおう。この藩都ジンドゥにいる全ての民は、俺の庇護下にある。それを攫ったり傷つけたりという行為を許すわけにはいかないからな」

「うん、いいよ」


 そう言ってクロカゲは、先ほどの羊皮紙と同じように、どこからか小包を取り出した。全体を皮で覆い、紐できつく縛ってある。そこまで大きくない。大人の男なら、何とか片手で持てる程度だ。

 クロカゲが放物線を描くようにゆっくりと投げると、重く湿った音を立ててカ・エルの目前に落ちた。


「これはなんだ?」

 怪訝さを隠さずにカ・エルが問うと、クロカゲはさらりと答えた。


「お前の愛人だよ。髪の毛一本残さずに入れておいたけど」

 その言葉の意味を理解した瞬間、カ・エルの背筋をぞくりと冷たいものが走った。

「お、お前……!」


 思わず言葉に詰まる。

 そんなカ・エルを見るクロカゲは、満足そうに笑っていた。


「女を殺されたくらいで、取り乱さないでよ。ああ、そんな腑抜けた様子じゃ、弓王なんていう立派な椅子は不釣り合いだったね」

 澄んだ声音で、くすくすと笑っている。

「残りの十二個も返してあげようか。それとも、もう要らないかな」


 凶行の余韻など感じさせない。罪悪感など微塵も漂わせていない。そんなクロカゲの素振りに、カ・エルは今までとは違った恐怖に襲われた。

 カ・エルも、必要があれば人を殺す。戦では多くの首級を挙げてきたし、戦場を離れても、従わぬ政敵を処断することはあった。それらはすべて、利害からの行動だった。利益を追求するうえで、必要とあれば障害を排除する。カ・エルにとってそれは、ごく当たり前の行為だ。

 だが、クロカゲの行為からは、それらとは違う何かを感じた。明瞭に言語化はできないが、それ故に怖いと感じた。欲望を持たない人間が、純朴な害意で起こした行動に恐怖したのだ。


「邪悪な……!」

 カ・エルの口からこぼれたのは、そんな言葉だった。

 何かを意図したわけではない。だが、クロカゲの反応は想定を超えていた。


「邪悪? 僕が?!」

 今まで穏やかに振る舞っていた少年が、目を剥いて声を荒げる。


「僕は、信頼していた仲間たちに裏切られた。お前たちの欲望に端を発する嘘から、反逆者の汚名を着せられた。父さんを……父キンメルを殺された。婚約者だったアサギは、カ・エルに人質に取られ、まるで見せつけるように殺された。故郷のクォン族領は、シカ族と帝国に破壊された……。あんなにひどいことをされたんだ! だから僕には復讐する権利がある!」

 短槍を握りしめたクロカゲが、カ・エルを激しい目つきで見据える。


「僕の、この復讐は、正義だ……‼」


 クロカゲの剣幕に、カ・エルは完全に気圧されていた。だが、懸命に自身を叱咤する。

(負けて堪るか。クロカゲなんかを、恐れはしない。俺は、強い。俺は、魔王を倒した勇者だ。俺は、神槍キンメルだって倒した。俺は、ジンドゥを手に入れ王にまで上り詰めた。いや、俺は、さらなる高みに至ることのできる選ばれた人間なんだ!)


 カ・エルは、意地の悪い思考を巡らせた。クロカゲがあれほどの剣幕で吠えたということは、必死になっている証拠だ。よっぽど突かれたくない弱みなんだろう。言われたくない言葉なんだろう。ならば徹底的になぶってやる。


「貴様は悪だ、クロカゲ! 戦いに負けて、自暴自棄になって、か弱い者を害した。妄想に狂った独りよがりの悪人だ!」


 既にカ・エル自身も致命的に追い詰められていた。内心でクロカゲを考え無しだと罵ったが、カ・エルも先のことなど頭に無い。

 情けない醜態を見せて見ろ。その一心だった。

 だがそれも叶わない。

 落ち着いた様子に戻ったクロカゲは、冷然と言い放つ。


「僕が悪人? 僕は、東方平原のため、民のために行動している。大義はこちらにある。大義と意見を異にするお前が間違っているんじゃないかな。カ・エル、お前こそが、悪だ」

「大義だと? お前の振る舞いのどこに、そんなものがある? 誰もお前には同調しない。東方平原のすべてが俺に味方している。お前もクォン族も、殺されて当然の、ただの反逆者だ!」


「アイセン・カアンが帰還した」

 クロカゲの言葉に、満席の劇場が凍り付く。

 数瞬の後に、ざわざわとざわめきが生まれる。


 アイセン・カアンと言えば、当然ながらこの場に知らぬ者はいない。かつての東方平原の支配者である。若年ながら、公明正大な人柄にして政戦両略に通じ、人心を掌握し、東方平原を束ねていた。強力な軍事力を持ち、経済を支配し、銀月帝国とも魔王軍とも渡り合った。

 東方平原には、未だに彼女に心酔する者は多い。アイセン・カアンとカ・エルを並べたならば、前者を選ぶ者が圧倒的だろう。

 カ・エルとの一戦の後に行方不明であったからこそ、カ・エルの支配は順調であった。だが、両者が並び立つなら情勢は大きく変わる。


「東方五氏族同盟の盟主アイセン・カアンが、東方平原に帰還したよ。フラグ族とジュチ族の軍勢十万を率いて、今日にもジンドゥにたどり着くはずだ。ほら、鐘の音が聞こえるだろう。兵のざわめきを感じるだろう」


 クロカゲの言うとおりだ。

 すでに城壁からの鐘の音は、誰もが聞き取れるほどに大きい。劇場の外で多くの兵が右往左往する気配は、ここにいても感じ取れる。怒声、馬のいななき、武装した兵の駆け回る音。戦場の気配だ。


「アイセン・カアンは、カ・エルを排除するつもりだ。その勢力は、フラグ族とジュチ族だけじゃない。カアン族とクォン族も協力してる。シカ族だって参加してる。さて、独りよがりの反逆者は、どっちかな?」


 これに、真っ先に反応したのは東国の西域鎮守府総督だ。身辺を警護する兵を連れ、足早に出口へと歩き出した。次にはイオス王国の大使が、その次には北方諸国の使者たちや銀月帝国内の貴族たちも我先にと逃げる準備を始めた。

 弓王カ・エルの下は安全ではないと判断したのだ。


「見捨てられたね、弓王さま」

 クロカゲが憐憫の目でカ・エルを見る。


(ふざけるな、ふざけるな! 俺は全てを手に入れたんだ! 全てを手に入れるんだ! 弓さえあれば、俺はなんだってできるんだ!)

 どれだけ強く願っても、願望は願望に過ぎない。現実のカ・エルは、皆に見捨てられ、わなわなと震えながらクロカゲに見下されるしかない。


 そんなカ・エルに朗報が届いた。

「お待たせいたしました、殿下の弓です!」

 ジ・ヤクシが息を切らせて戻ってきた。後ろに引き連れる配下たちは、それぞれが持てる限りの矢筒を抱えている。


「でかした、ジ・ヤクシ!」

 カ・エルは今日初めて快哉を叫んだ。ジ・ヤクシが捧げ持つ弓を掴んだときには、全てを取り戻した気がした。


「俺が弓を持った以上、負けはない。反逆者クロカゲを処断し、アイセンの軍も蹴散らしてやるさ!」

 弓王たる自信を取り戻したカ・エルが高らかに宣言すると、ジ・ヤクシを筆頭に兵らが歓声を上げる。

 だがクロカゲに怯む様子はない。むしろ微笑んでさえいた。


「お前が弓を手にするのを待っていたよ。お前の悪事を白日の下にさらし、そして神弓も打ち破る。カ・エルとはただの弱い悪人だと、満天下に知らしめてやる。お前から、全てを奪ってやる」

「ほざけ、反逆者め! 死後の幸福など、祈ってやらない。苦しんで死ね!」


「その言葉も、そっくり返すよ。何もかもを失って死ぬといいよ、カ・エル」

 カ・エルが弓に矢をつがえると、クロカゲは短槍を手に駆けだした。

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