復讐
辺りを覆うどよめきを切り裂くように、クロカゲが跳躍した。舞台を飛び降りると、まっすぐに貴賓席のカ・エルへと疾駆して来る。
「侮るなよ!」
カ・エルは足元に落ちている短剣を次々に拾い上げ、矢継ぎ早に投擲した。
狩人の勇者が使う神弓という技は、視界内であれば狙った場所に矢を当てることが出来るものと考えられている。
しかし、正確には違う。目標を攻撃するために射出された全ての物に力を宿すことが出来る。クロカゲを狙って鋭く放たれた短剣は、空中で軌道を変えると、四方からクロカゲに襲いかかった。
だがカ・エルには分かっている。これでは足りない。
神弓で制御する物は、当初に与えた速度を超えることはできない。ただ投擲しただけでは、普通の者には不可避であっても、クロカゲを仕留めるには遅すぎる。
前方からの短剣は槍で打ち払われ、背後を襲わせた短剣は身軽な翻身で躱される。その疾走は、神弓で飛翔する剣より早い。
カ・エルはさらに短剣を投げつつ、自身も短槍を手に前へ出た。クロカゲの背後から、四本の短剣を追わせている。カ・エル自身も加えた挟み撃ちだ。
これなら殺れる。
そう判断して踏み込み、短剣の飛来と同時に、自身も槍を突く。が、クロカゲの流れるような槍さばきに、カ・エルの槍がいなされる。背後からの短剣も、クロカゲが短く持った槍の石突で弾かれている。
たった一合の応酬だが、カ・エルは思い知った。
(槍では無理だ……あんな化け物と、まともに戦っていられるかよ!)
カ・エルが選んだのは、逃走だった。
すれ違うようにクロカゲと体の位置を入れ替えると、そのまま大きく跳躍し、舞台の上に立った。そして後ろに下がりつつ穂先をクロカゲに向けるが、追撃の気配はない。
そこでカ・エルは、はたと気づいた。先ほどより、多くの視線がこちらに集まっている。
当然ながら、劇場は舞台を見るための建物だ。観客席からは、貴賓席を覗き込むより舞台上へ視線をやる方が容易だ。貴賓席にいた先ほどと違って、カ・エルへすべての視線が集中する。
そしてさっきまでカ・エルがいた貴賓席からは、クロカゲがこちらを見下ろしている。
「なるほど……」
クロカゲの狙いは、単に俺の命を取ることじゃないな。
カ・エルは、気づいた。
ここで背を見せて逃げ出せば、命は助かるかもしれない。だが居並ぶ諸侯の前で遁走したことになる。とんだ恥さらしだ。
武名に傷がつくという話ではない。カ・エル個人の武という、東方藩王国を支える柱の一つが失われる。
さらにもう一つある。
カ・エルは、反逆者である盗賊の勇者クロカゲを討ったことで、さらなる栄誉と報奨を手にし、銀月帝国と強いつながりを持っている。だがクロカゲが生きていたことで、この名誉も失われる。信頼の失墜に繋がるかもしれない。これを回復するには、カ・エルの手でクロカゲを討ち果たさねばならない。
だから、逃げるわけにはいかない。
カ・エルは歯を食いしばって、舞台の上に踏みとどまった。
(あいつ、計算しているのか……?)
カ・エルの知るクロカゲとは、そんな男ではなかった。
人目を気にする性質ではなかったし、他人が自分や他の誰かをどう評価しても構わないという人間だった。キンメルのような負けん気の強さや、カ・エルのような名誉への固執とは無縁だったはずだ。
そんな男が、世上の風聞という武器を使いこなし、カ・エルの行動を縛っている。
カ・エルは、追い詰められていることに気付いた。ここでクロカゲを倒す以外の道は、残されていないのだ。
「ジ・ヤクシ、弓と矢を持ってこい。矢は、ありったけだ」
カ・エルが足元に転がるジ・ヤクシに囁くと、全身あちこちに傷を作った哀れな若者は、這うようにしてその場を離れていった。
弓と矢が届くまで、時間を稼ぐ。そう決意したカ・エルの視線の先では、クロカゲが悠然と立っている。その隣では、ララが腰を抜かしたように座り込んでいた。
「王妃様を見捨てて一人で逃げるなんて、相変わらずだね。でもお陰で、仕返しが出来る」
クロカゲは、穂先をララへ突きつけると優しく微笑んだ。
「王妃を殺されたくなければ、その場で命を断て」
その言葉に、劇場がざわりと騒がしくなっていく。
カ・エルは、ほくそ笑んだ。
下手くそめ。下衆な手は嫌われる。それが分からないとは、だからクォン族はダメなんだ。
大衆を慮り、内心を忖度して、その身勝手を満足させるように振舞ってやる。それが下民どもを味方につける手段だ。
俺が手本を見せてやる。
「女を……俺の愛する妻を人質にとったな。卑怯者め、極悪人め! 許しておけん!」
カ・エルがクロカゲを糾弾すると、追随するようにあちこちから非難の声が上がる。それらは、凶行への驚きやクロカゲに対する非難、ララの身を案じるものなどさまざまだが、どれもがカ・エルに与するものだ。
だがクロカゲは、動じることなく淡々と返す。
「これって、お前が僕にやったことだよね、カ・エル」
確かにそのとおりだ。
心臓がどきりと跳ねる。
クロカゲを殺すために、その婚約者であるアサギを人質に取った。投げ掛けた言葉も、ほとんど同じだったはずだ。
弓王カ・エルとは、強い武人であり、明晰な頭脳を持ち、誠実な人柄であり、何より魔王を倒した正義の英雄である。そのように認識されるように振舞ってきた。そうやって人々から敬われ、名誉を得てきた。
だが自身の行いのすべてが明るみに出れば、その虚像は崩れる。これまで築いてきた信頼と尊敬が失われる。自己肯定感の塊であるカ・エルは、自身の行いは全て許されると考えている。だが他人に知られれば咎められ得る行為であるとも、理解していた。
「……俺がそんなことをするわけがないだろう」
「ああ、隠すんだ。じゃあ、お前も自覚しているんだね。アサギを人質にとって、僕を殺そうとしたことは、後ろめたいことだと。わざと僕の目の前でアサギの首を裂いて殺したのは、悪事であったと」
「言いがかりは止めろ、反逆者め」
銀月川での戦いは、カ・エルとその側近の一部しか知らない。否定すればそれで済む。カ・エルは、そう考えている。
だがクロカゲは、そんなカ・エルの浅薄をあっさりと越えてきた。
「僕がこうしていることが、何よりの証拠だよ」
「なんだと?」
「僕には、人質を取る必要がない。こんなことをしなくても、お前を殺すことはできる。だってカ・エルは、弱いから」
「……ははっ、言うじゃないか、反逆者の分際で……っ!」
カ・エルは血が沸騰する思いだった。短槍を握る手に力がこもり、爪が手に食い込む。奥歯をぎりぎりとかみしめながら、何でもないという風な微笑を保った。ここで取り乱しては、諸侯からの評価が下がる。
(俺が弱いだと? ふざけるな! 馬鹿にしやがって‼ 俺は強い。俺は誰よりも優れている!)
だが一方で頭のどこかで冷静に考える自分がいた。
確かに、カ・エルを殺すことが目的であれば、そもそも姿を見せる必要がない。隠密に近づき、槍を手に襲い掛かる。そうした方が、確実に目的を達せられるはずだ。
にもかかわらず、危険を冒して自らの名誉を傷つけるような行為を、衆目の前で行っている。
何故か。
「今この場にいる人たちには、なぜ僕がこんなことをしているか、分かるはずだよ。やられたことをやり返しているだけだってね」
「黙れ、黙れ! お前の言葉には何の証拠ない! お前の言葉など、反逆者の妄言に過ぎん!」
吠えながらも、カ・エルは焦っていた。内心で大いに取り乱していた。
ここは裁判の場ではない。証拠などいらないのだ。人々が信ずるに足るものがあれば、それだけでカ・エルの名誉は失墜する。
事実、この状況を冷静に見て、弓王カ・エルには後ろ暗いものがあると看破している者たちがいた。
例えばサツマ藩王国の刀王タカヒサだ。
武に長けたサツマの地を統べる王は、先ほどのクロカゲとカ・エルのたった一合の斬りあいで、両者の実力差を見極めていた。弓矢を持たぬカ・エルは、クロカゲに対抗し得ない。ならば盗賊の勇者がカ・エルを殺そうとするとき、忍び寄って後ろから刺した方が確実である。
だが、わざわざ身を晒している。恐らく、ただ殺すだけでは飽き足らぬ深い憎悪があるのだろう。それほどの憎しみを生み出したカ・エルの行為とは、どのようなものだったのか。きっと、恐ろしいものであったに違いない。
明敏な刀王は、そこまで思考が及んでいる。
もちろん彼だけではない。この大劇場に招かれているのは、周辺諸国の王や大貴族ばかりだ。中には愚鈍な者もいるだろうが、大半は利発で鋭い思考を持っている。彼らは気づきつつある。弓王カ・エルとは、そういうことをする男なのだと。
そして、自らの信用が失われつつあることを、カ・エル自身も肌で感じ取っていた。
そんなカ・エルを見下ろしながら、クロカゲは続ける。
「僕はね、カ・エルにやられたことを、やり返しているだけなんだよ。もう一つお前が言った言葉を返すよ。腕を落とすだけでいい。今すぐ、自分の右腕を切り落としてよ」
「何を言ってやがる。反逆者と話す口は持っていない」
「僕はこんなにも譲歩しているのに、何でお前は言うことを聞かないんだ? 何てひどいんだ、お前はひどい奴だよ」
「その物言いを止めろ!」
カ・エルは激昂のままに絶叫する。
それ以外に、どうしようもない。このまま槍で戦えば、おそらく負ける。諸侯の手前、逃げ出すことも出来ない。そんな中で一方的に過去の行いをほじくり返されている。
カ・エルの肥大した自尊心では、耐えられるものではない。
だが、思わぬところからカ・エルに救いがもたらされた。
人質である王妃ララだ。
「殿下、私の命はどうなっても構いません。殿下の思うとおりに、お振舞ください……!」
その切実な思いを耳にしたとき、カ・エルは自信を取り戻した。
そうだ。俺を妄信する者はまだ多くいるはずだ。
カ・エルは、ララが殺されようとも構わないと考えていた。本心を語るならば、この場を切り抜けられるなら、どっちでもいい。だがここにきて、大いに役立ってくれそうだ。
だがここでもクロカゲが冷徹な言葉を下す。
「王妃様は、随分とカ・エルをひいきにするんだね」
「当然です。殿下は、私の最愛の方。私のような者をとても大切にしてくれた。心から愛してくださった。だから私は、命に代えてもお守り申し上げます」
ララは、澄んだ目で決然と言い放つ。だがクロカゲは、心底を見通せない微笑みでララを見ている。
「ふうん、そうなんですか。王妃様はカ・エルのことをあんまりご存じないようですね。あいつの本性を教えてあげましょうか?」




