勇者
「あいつ……やりやがったな!」
三人の近衛兵に押さえられ、地面に顔を付けたゼ・ノパスが、クロカゲを見て悪態を吐く。
その声を足元に聞きながら、カ・エルは改めて舞台に目を向けた。そこには、確かに見覚えのある黒目黒髪の少年がいる。
身に纏っているのは、東方平原の遊牧民に一般的な、毛織物の簡素な衣服だ。旅装用の外套を着けているが、魔法的な気配は無い。外見を偽っているわけではないと分かる。
目つきこそ暗く濁ったものだが、幼さの残る顔立ちと、細身の体はカ・エルの記憶と変わらない。右腕に腕輪は無いが、五体満足で立っている。
確かに、クロカゲだ。
だが、クロカゲがいるはずがない。間違いなく、この手で殺した。
カ・エルは、銀月川に架かる橋での戦いを思い出す。
クロカゲにとどめを刺す間際、奪取で橋を破壊された。だが崩れ落ちる橋の欠片を縫って矢を放ち、確かに胸を貫いた。クロカゲの心臓を破壊したはずだ。クロカゲは死んだはずだ。
物言わぬ亡骸となったクロカゲが、崩落した石材とともに落下し、銀月川に沈んでいくのを確かに見た。
川に下りて瓦礫をさらい、クロカゲの右腕を見つけた。その手に着いた腕輪が特徴的だったので、銀月帝国はクロカゲの死を認めたのではなかったのか。皇帝ガイウスすら、その勇者級スキル王眼で、クロカゲの死を確認したと言っていたではないか。
クロカゲが生きているはずがないのだ。
思考の経路は違えど、カ・エルと同じ思いを抱いたのだろう。ジ・ヤクシが声を上げる。
「下がれ下郎! 反逆者である盗賊の勇者クロカゲは既に死んだ! すでに弓王殿下カ・エル様が討ち取っている! その証拠に、盗賊の勇者の右腕を持ち帰っていらっしゃるのだ!」
「でも、生きているよ」
クロカゲを名乗る少年はさらりと言い、「ほら」と健在な右腕を持ち上げる。
「カ・エルが嘘でもついたんじゃないの? 盗賊の勇者クロカゲを討伐したら褒めてもらえるからって張り切って、それでも失敗したからペテンをしたんじゃないかな。得意でしょ、いかさまとか騙し討ちとか、そういうの」
あからさまな揶揄だ。
声音こそ、静かで落ち着いている。口調こそ、柔らかだ。だが、明らかな愚弄と冷笑を含んだ物言いだ。
日の出の勢いで名誉と権勢を欲しいままにする弓王カ・エルを、隅々まで周辺諸国の重鎮や帝国の貴族で埋め尽くされた劇場の真ん中で、小馬鹿にしているのだ。
本来であれば、あっという間に取り押さえられ、首をはねられているだろう。いや、見せしめのために残虐な刑に処されるかもしれない。
だがそうならない。劇場は静まり返っている。
その場にいる大半の者が、驚き、当惑していたからだ。
反逆者にして盗賊の勇者であるクロカゲは、英雄にして狩人の勇者たるカ・エルが討ち取ったはずである。その証拠として、反逆者の右腕を持ち帰っている。銀月帝国は、それを真正のものと認め、クロカゲの死を認定している。その事実を知る多くの者が混乱していた。
何より、弓王たるカ・エルが動かないのだ。
先ほどのように賊を倒すわけでもない。虚言を吐く不審人物を取り押さえるよう、衛兵に指示を出すでもない。押し黙ったまま舞台を見つめている。
不用意に旗幟を鮮明にすれば外交問題にすら発展する諸侯は、動けない。
勝手に動けば出処進退に関わる臣下や衛兵たちは、動けない。
だが、愚直で忠誠心に篤いこの若者だけは、迷うことなく行動できた。
「なんと無礼な! カ・エル様、殿下を侮辱する言動は許せません。あのクロカゲと名乗る者の討伐、このジ・ヤクシにお任せいただけないでしょうか」
この申し出に、カ・エルは短く答えた。
「やってみろ」
出来るものならばな、という言葉は口の中で呟いただけだった。
ジ・ヤクシは、劇場を警備する兵を引き連れ、舞台の上に立つ少年を取り囲んだ。
「神槍キンメルならば、いざ知らず、武に優れたクォン族といえども盗賊ごときが一人で戦えると思ったか」
ジ・ヤクシが声を上げながら、少しずつ近づいていく。これは単なる罵声ではない。自らが声を上げ注意を引きつつ、他の者が布陣するのを待っているのだ。その意図を汲んだ兵たちは、あっという間にクロカゲを取り囲んだ。
ジ・ヤクシを含めて八人の兵が、剣の切っ先を向けながら包囲し、その円を狭めていく。
この兵たちは、全員が剣士や槍士として上位の職に就く手練れだ。
対して、盗賊は弱い。これは誰もが知っている。
膂力は魔法使いと同程度であるし、体力は神官に劣る。身体能力だけであれば最弱級だ。隠密行動からの不意打ちこそ強力だが、面と向かっての戦いでは、戦力として数えるのも心許ない。
それでもジ・ヤクシは油断せずに取り囲み、万全を期した。周囲から八人が同時に切りかかれば、間違いは無い。
その思惑を外すように、クロカゲが出し抜けに一歩進んだ。
呼吸を合わせようと図っていたジ・ヤクシたちは、その動きに釣られ慌てて剣を振ることになる。当然、その剣筋は少しずつずれる。とはいえ、並みの戦士ではその不整合を突くことなどできない。
だが次の瞬間、カ・エルは一筋の光を見た気がした。気が付いた時、四人の近衛兵が転がっていた。
一呼吸で、四閃。カ・エルを越える槍捌きだ。そのまま次の呼吸でさらに四閃。
残る近衛兵たちも、全員が倒れている。
カ・エルの目をもってしても、ほとんど捉えることが出来なかった神速の槍だ。
ジ・ヤクシごときでは、気が付いた時には、自慢の短剣を半ばで折られ、自らの意思に寄らず地に伏していただろう。
「なんで? 盗賊は、最弱のはず……」
意識が朦朧としているのだろう。視線の定まらぬ様子のジ・ヤクシが、倒れたまま呻く。誰もが、押し黙って舞台を見つめていた。誰もが、言葉を失っていた。
静寂を破ったのは、カ・エルだった。
「勇者とそれ以外が、同じでたまるかよ」
カ・エルは、我知らず吐き捨てるように言った。
盗賊職が弱い。それは、同じ級であればの話だ。上位級剣士と上位級盗賊であれば、剣士の身体能力の方が圧倒的に上だろう。
だが勇者級盗賊と比べればどうか。勇者級とは、一人の人間が生涯でたどり着ける至高の境地だ。天才がたゆまず努力しても、そこへ至らないことの方が多い。
神槍と呼ばれたキンメルですら、勇者級には届かなかった。剣神と称されたウドウは、勇者級の階を垣間見ることすらできなかった。
クロカゲは、その位階に立つ者なのだ。
そしてまた、別の視点がある。クロカゲは今、短槍を握っている。
カ・エルは、神槍キンメルを評して「ただ槍があるだけだ」と公言していた。政治に疎く、経済に疎く、文化に疎い。社交が下手で、嘘が下手で、忖度が下手だ。
だから「キンメルなど、ただの槍の人だ」と言って憚らなかった。だが、それに続く本心は、絶対に口外しなかった。一人胸中でつぶやくだけだった。「キンメルなど、ただの槍の人だ。だが、その槍の何と恐ろしいことか。その槍の何たる素晴らしいことか」と。
そして恐るべきキンメルの槍は、確実にクロカゲに受け継がれている。
かつてカ・エルは、短槍の名手として知られていた。
シカ族で最も優れた槍使いの一人であった。武人として名の知られたゼ・ノパスですら一目を置かざるを得ない達人だった。
カ・エルは、槍の腕ならば、自分が誰より優れていると確信していた。だが武者修行と称してクォン族を訪れた時、その自信はあっさりと打ち砕かれた。
神槍キンメルなどと呼ばれる者を倒して、更なる名誉を得てやる。更なる栄光を掴んでやる。そう意気込んでいたカ・エルは、自慢の槍を半ばで折られ、自らの意思に寄らず地に伏した。
戦った相手は、キンメルではない。
当時わずか十歳だったクロカゲだ。カ・エルは十九歳だった。体格の差は歴然だ。だが、負けた。まだ背も伸びきらぬ少年を相手に、全く歯が立たなかった。それなのにその少年は、勝利を喜ぶでもなく威張るでもなく、「お怪我、ないですか?」などと優しく尋ねたりするのだ。
カ・エルが血を吐く思いで身に付けた槍を破っても、何も感じないほどの高みに居るというのか。カ・エルは絶望した。そうして槍では敵わぬ相手がいると知ったカ・エルは、槍を捨て弓に懸けたのだ。
そして当のクロカゲも槍を捨てたと知ったのは、それからしばらくしてからだった。北方から魔王軍が頻繁に攻めて来るようになったのだ。
人間と違い、魔物どもは巨大で剛力だ。
これと戦うためにクロカゲは、対人の技に秀でた槍ではなく、不意を討って命を奪う技を使わざるを得なかった。魔獣どもの侵入を防ぎクォン族を守るために、あれほどまでに磨かれた槍の技を捨てて戦う道を選んだのだ。カ・エルは、その無私の心根に恐怖すらした。
平原北方の山林で、身を隠しながら敵を狩る。隠密に行動し、少しずつ敵の力を削いでいく。そうして戦い抜いた数年の後に、クロカゲは盗賊の勇者として世に出ることになる。
「盗賊は弱い。だが、クロカゲは強い」
簡単なことさ、とカ・エルは呟いた。
先ほどの刀王の言葉が思い出される。弓王は槍でも天下一だと言っていた。
違う。キンメル亡き今、最も優れた槍の使い手はクロカゲだ。
銀月川で対峙した時、カ・エルは人質を取った。そうしなければ、カ・エルが負けるからだ。クロカゲを逃がさぬためには、距離を詰める必要があった。だが、近い間合いではクロカゲに敵わない。かつての敗北は、カ・エルの心に深い傷を残していた。
アサギを人質に取り、精神を揺さぶり、神弓で奇襲し、ようやく殺したのだ。自分を縛る過去をようやく打ち倒したのだ。ようやく解放されたのだ。
だというのに、戻ってきた。
あの槍の腕を見間違うはずがない。
カ・エルには分かる。偽装の痕跡はない。幻惑魔法の気配も無い。そこにいる少年は、ありのままの姿だ。
「確かにクロカゲだ……。本物の、盗賊の勇者クロカゲだ」
カ・エルの断言に、劇場がざわめく。




